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2008 IPF 世界パワーリフティング選手権

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レポート&写真:伊差川浩之(POWER SPORT)[ 月刊ボディビルディング 2009年4月号 ]
掲載日:2017.05.30
2008年11月2日(日)~11月8日(土)カナダ ニューファンドランド州 セントジョーンズ

2008年11月2日(日)~11月8日(土)カナダ ニューファンドランド州 セントジョーンズ

パワーリフティング世界最高峰の大会、IPF世界選手権が2008年11月2日から8日までの日程で、カナダのセントジョーンズで開催された。

世界選手権は、2006年のノルウェー大会から男女合同開催となり、期間もまるまる1週間と長丁場となっている。今回も私は日本チームの団長と審判兼任での参加であった。大会は2日にIPF総会とテクニカルミーティング、その後日本チームのミーティングと深夜まで1日中会議が続いた(正直、選手としてチームの先陣を切って翌朝9時の検量に臨む身としてはかなりハードな試合前日であった)。

ここで会議の主な内容を簡単に説明しておきたい。まずIPF総会では、役員改選、決算報告、ルール変更、各世界大会開催立候補等、IPF運営の根幹にかかわる部分について行われる。今回特筆すべきことは、IPFのロゴとホームページが一新されたことである。ロゴはよりモダンなデザインにし、ホームページは全体のレイアウトを大幅に見直し、you tubeとも提携し、リアルタイムで大会を観ることが可能になった。デザインの良し悪しは別として、今回の見直しによって、ICOからの評価もあがったようで、パワーリフティングの今後の発展に繋がっていきそうだ。

テクニカルミーティングでは、最終エントリー確認や進行スケジュール確認等、翌日からの試合に向けての調整を行った。チームミーティングを行う頃は大体が深夜になっている。ここでは、まず各セコンドの最終確認を行い、総会やテクニカルミーティングにおいて決定されたことのうち、特に翌日からの試合に影響する事柄の報告を行った。

チームミーティングを行う最も重量な目的は、もちろん試合における実務的な確認であるが、同時に“TEAM JAPAN”として、これから1週間を戦うにあたって全員の士気を高めるというためでもある。今大会“TEAM JAPAN”は男子10名、女子9名の初のフルエントリーでセントジョーンズに乗り込んだ。さあ、それでは進行順に競技をレポートしていきたい。

11月3日 第1セッションAグループ 男子56kg級

男子56kg級2位の伊差川浩之

男子56kg級2位の伊差川浩之

チームの先陣を切って私、伊差川浩之(沖縄・POWERSPORT)が出場した。個人競技のパワーリフティングではあるが、国別の団体戦もある。当然個人としての目標もあるが、良い成績を残して、チームとしての弾みもつけたい。

私は今大会の4週間前にアメリカ、カリフォニア、パームスプリングスでの世界マスターズパワーに参戦もしてきた。長い競技生活の中で、連戦から仕上げていくコツも身につけてきた。

エントリーの顔ぶれから優勝争いは、台湾のルー、ポーランドのワゾーラ、私、伊差川の3強の戦いが予想されたが、ルーが直前に階級変更し、ワゾーラと私との一騎打ちとなった。ワゾーラはスクワットが強く、デッドリフトに難がある。私が優勝するためには、サブトータル(スクワットとベンチの合計)で20kg差以上つけられないことが目安であった。

スクワットを終えた時点で245kgのワゾーラに対し、私は215kgでその差30kgであった。ベンチではワゾーラが2本成功させて165kgとし、私は1本の172.5kg。その結果、サブトータルは22.5kgの差、これは想定内であった。体重は私の方が200g重いため、優勝するためには、デッドリフトでワゾーラより25kg以上重い重量を成功させることが必要であったが、勝たなければならない、勝てるはずの戦いであった。しかし今シーズン、私はデッドリフトの調子が春にピークに達し、その後は、調子が今ひとつ上がっていなかった。

それに今大会で使用されたシャフトは、ELEIKO社製で、以前から私にとってはグリップの相性が合わず、過去の大会ではELEIKO社製のバーでのデッドリフトは毎回苦戦していた。そのようなマイナス要素を振り払うべく一挙集中を試みたが、勝負の第3試技230kgをバランスを崩して失敗してしまった。

今回、種目別でベンチプレスとデッドリフトで金メダルを獲得したにもかかわらず、優勝を逃した原因は、得意種目での成功試技が少なかったことであった。優勝のワゾーラと僅か2.5kg差の2位ではあったが、喜びはなく、不甲斐無さだけが残った。

11月3日 第1セッションBグループ 男子60kg級

男子60kg級の佐藤義宏

男子60kg級の佐藤義宏

男子60kg級は第1セッションBグループとして行われた。戦前、絶好調と伝えられていた佐藤義宏(東京・パワーハウス)は、ベンチプレスで3試技とも失敗し、失格してしまった。

優勝は台湾の若きエース・シェイが270kg、192.5kg、265kgのトータル727.5kgの好記録で3連覇を飾った。誰もが優勝候補筆頭と考えていたストリスノ(インドネシア)はどういう訳か、競技開始時刻を間違えて、ほとんどウォーミングアップなしで、スクワットに挑むというありさまで、これでリズムを大きく崩し、トータル692.5kgとまさかの番狂わせで2位に沈んだ。

11月3日 第2セッション 女子48kg級

女子48kg級優勝の福島友佳子。ベンチプレスとトータルで世界新記録を樹立し、ベストリフターを獲得した

女子48kg級優勝の福島友佳子。ベンチプレスとトータルで世界新記録を樹立し、ベストリフターを獲得した

女子48kg級6位の田中彰子

女子48kg級6位の田中彰子

競技初日の最後のセッションとなった女子48kg級には、2名の日本選手が出場した。08年の全日本で世界新記録を樹立した福島友佳子(東京・ノーリミッツ)は、ライバルになると思われたディフェンディングチャンピオンの台湾のチェンが52kg級へ階級変更したこともあり、余裕を持って試技に臨んだ。ベンチプレスでは、自身の持つ記録を6年ぶりに更新し、131kgを含む全試技を成功させ、トータル468.5kgの世界新記録で2年ぶり2度目の優勝を果たした。

ここ数年福島は、好調を維持し続けてきた。競技者として今がまさに油が乗り切った状態で、今後のますますの活躍を期待していきたい。福島は、初の女子ベストリフターにも選出され、最高のシーズンを終えた。

マスター選手の田中彰子(兵庫・サンスポーツ加西)は、4週間前に私と同じように、世界マスターズパワーにも参戦してきた。今回は、世界マスターズよりマイナス2.5kgのトータル305kgで6位であった。余談になるが、田中は年間を通してかなりの試合数をこなしている。おそらく試合数では、日本で一番かもしれない。

11月4日 第1セッション 男子67.5kg級

男子67.5kg級4位の小岩井雅春

男子67.5kg級4位の小岩井雅春

男子67.5kg級7位の大谷憲弘

男子67.5kg級7位の大谷憲弘

このセッションには、小岩井雅春と大谷憲弘の東京・ノーリミッツ所属の2名が出場した。特に小岩井は昨年総合3位と初の表彰台を経験し、今大会も連続の表彰台が期待された。

小岩井は、スクワット第2試技に245kgを失敗したが、第3試技でこれをきっちり成功させた。ベンチプレスは3試技成功させ185kgで、この種目では初の銅メダルを獲得した。得意のデッドリフトでは、確実な試技を行いこの種目3年連続銀メダルとなる285kgを成功させ、トータル715kgで総合4位となった。結局2年連続での総合の表彰台は逃したものの、一昨年690kg(5位)、昨年712.5kg(3位)と、世界での実力は確実にアップしてきている。今後も小岩井の活躍には注目して行きたい。

対照的に初出場の大谷は、普段の力を発揮することができなかった。スクワットは第1試技の250kgは十分な態勢で成功させたが、12.5kg増量した262.5kgは全くなすすべなく潰されてしまった。ベンチプレスは全日本で失敗した177.5kgを挙上して、立て直しを図ったが、デッドリフトが230kgと不調で、トータル657.5kgの7位と初めての世界はほろ苦いデビューとなった。本人にとってはフラストレーションの溜まった結果であったに違いない。この悔しい経験を是非次回に繋げてほしいところだ。

優勝は、デッドリフトで310kgを成功させたエル・ビレックティ(フランス)で、前回(総合2位)よりトータルを30kg伸ばし745kgであった。

11月4日 第2セッションAグループ 女子52kg級

女子52kg級12位の中井敬子

女子52kg級12位の中井敬子

女子52kg級には私のジム所属の中井敬子が出場した。中井は世界で戦える選手になりたいと3年前に東京から沖縄へ移住してきた。今回で3年連続での世界戦であった。中井はスクワット第2試技に142.5kgを成功させ、残り2種目の頑張りで自己ベスト更新も期待されたが、ベンチプレス、デッドリフトが85kg、140kgのそれぞれ1本しか成功させられず、自己ベストからも程遠い記録で、今回は12位と順位を下げた。

このクラスはチェン(台湾)とスリ(インドネシア)のアジア2強の激突となり、デッドリフトの最終試技まで熱い戦いが繰り広げられた。48kg級で福島との対決を避け、直前に階級を上げてきたチェンは、体重48.60kgと軽量であったがスクワットでこのクラス唯一の200kgオーバーとなる207.5kgを成功させ、190kgで終えたスリを17.5kgリードした。

逆にベンチプレスはスリが大きなブリッジで110kgを挙上し、82.5kgに終わったチェンに対し、サブトータルを300kgとして10kgリードした。デッドリフトに移り、スリが180kgで終えたのを見て、チェンは体重差逆転狙いの190kgに挑み、見事引き切りこの階級で初優勝を果たした。余談ではあるが、チェンは北京オリンピック・ウェイトリフティング同階級の銅メダリストで、世界でも珍しいマルチリフターである。さすがに、北京でも立ちと引きは抜群であった。

11月4日 第2セッションBグループ 女子56kg級

女子56kg級3位の池谷あや子

女子56kg級3位の池谷あや子

女子56kg級は第2セッションBグループとして、Aグループの52kgの後に続いて進行され、ベテラン池谷あや子(静岡・東部トレーニングセンター)が出場した。56kg級はウクライナのプリメンチェクとベネズエラのブリエルの2強が500kg前後で頭一つリードして、450kgから480kgの中に4名が続き、表彰台への道はこの6名に絞られた。当日の出来次第で誰が表彰台に立ってもおかしくない状況であった。スクワットで優勝候補の一角ブリエルが185kgを3試技とも失敗して早々と失格した。200kgを成功したプリメンチェクとケッチャネン(フィンランド)がトップに立ち、池谷は180kgで5位につけた。ベンチプレスでは、メダルを狙っていた池谷に異変が起きた。シャツがフィットしていないのかスタート重量の110kgがなかなか挙がらず、第3試技まで追い詰められた。挙がればこの種目銀メダル獲得、挙がらなければ失格という状況だ。チーム全員が懸命に声援を送り、固唾を呑んで見守る中、これまでの試技がウソのようにバーは真っ直ぐ一気に挙上された。ここで息を吹き返した池谷は、勝負のデッドリフトを3本成功させ、トータル477.5kgでメダル圏内に留まった。最終的にケッチャネンに体重差でかわされて3位となったが、素晴らしい健闘であった。

優勝は、プリメンチェクがベンチプレス130kg、デッドリフト175kgと手堅くまとめ、下馬評通りの強さを発揮し、トータル505kgとこのクラスただ一人500kgオーバーで優勝を飾った。

11月5日 第1セッションAグループ 女子60kg級

女子60kg級11位の寺田幸枝、15位の立花和美

女子60kg級11位の寺田幸枝、15位の立花和美

60kg級には寺田幸枝(東京・パワーハウス)と立花和美(東京・ノーリミッツ)の東京勢2名が出場した。3年連続となる寺田はスクワットが自己ベストの160kg、ベンチプレス97.5kgと好調に試技を重ね、サブトータル257.5kgとした。デッドリフトでは第2試技で失敗した170kgを第3試技で成功させ、自己ベストをマークした。トータルでも427.5kgと前回のオーストリア大会より17.5kg自己ベストを更新する充実振りだった。60kg級は、女子最多エントリークラスで層が厚く、順位こそ11位であったが、これで世界のトップ10入りに王手をかけた。

立花はスクワットで第1試技の132.5kgと低迷し、波に乗ることができず、ベンチプレス77.5kg、デッドリフト137.5kg、トータル347.5kgと不完全燃焼の結果となった。

優勝は戦前からV ・バーチャウス(ドイツ)とノビアナ(インドネシア)の2人の力が抜きん出ていたが、シングルベンチプレスの世界チャンピオンでもあるV・バーチャウスがベンチプレス150kgと圧倒的なパワーを発揮して、トータル550kgをマークしてノビアナを一蹴した。

敗れたノビアナもよく頑張ったが、スクワット、ベンチプレスの2種目でそれぞれあと1本ずつ成功していれば、得意のデッドリフトでの追い上げが更に効果を上げたと思われた。

11月5日 第1セッションBグループ 女子67.5kg級

女子67.5kg級3位の北村真由美。ベンチプレスではマスターズIの世界新記録を樹立した

女子67.5kg級3位の北村真由美。ベンチプレスではマスターズIの世界新記録を樹立した

プレエントリー表で北村真由美(神奈川・アサマトレーニングクラブ)は、560.5kgで3位につけていたが、わずか3kg差でイタリアのオルシーニィが追っている状況であった。逆に直前の重量申告では、オルシーニィが北村に27.5kg差をつけて3位にランクされていた。上位2名との力には差があったため、今回の北村のターゲットはオルシーニィだった。いずれにしてもオルシーニィは過去2年5位(555kg)、2位(565kg)、と北村と力量は互角であった。取りこぼしを極力抑えることが今回表彰台を確保するためにはポイントだと思われた。

北村は、スクワット第3試技の200kgをねばりで成功させた。ベンチプレスではマスターI・世界新記録となる157.5kgを挙上し、この種目銀メダルを獲得した。対するオルシーニィもスクワット212.5kg、ベンチプレス140kgと両者譲らず、サブトータルでは北村が257.5kgで僅かにリードし、表彰台はデッドリフト決着へもつれ込んだ。

オルシーニィは、先に200kgを引いて北村にプレッシャーをかけたが、北村は着実に試技を積み上げ、第3試技に195kgを完壁に引いてトータル552.5kgで並んだ。北村に並ばれた時点でオルシーニィは力尽きた。ヨーロピアンスタイルのオルシーニィは第2試技で腰、背部分を痛め、重い重量を先に引いていくことで北村にプレッシャーをかけていったが、それ以上に北村は浅間コーチとの絶妙なタッグで、この局面を乗り切り9試技成功で世界3位に花を添えた。

優勝は、USAのリビックで、スクワットとデッドリフトで種目別1位となる232kg、140kg、240kgのトータル612.5kgであった。

ベンチプレスで163.5kgの世界新記録を樹立したソロボヨバ(ウクライナ)は、サブトータル378.5kgでリビックを6.5kgリ―ドしていたが、デッドリフトが217.5に留まり逆転を許した。

11月5日 第2セッション 男子75kg級

男子75kg級9位の奥谷元哉

男子75kg級9位の奥谷元哉

このクラスには、奥谷元哉(大阪・k's GYM)が初出場した。奥谷はトレーニング歴、競技歴が1年にも満たない非常に浅いキャリアにも拘わらず、初出場の全日本で結果を残し、一気に世界デビューを果たした。結果は全日本よりトータルを50kgも下げて660kgで9位に留まった。しかし、k's GYM所属の選手らしくベンチプレスでは210kgを成功させ5位と健闘した。奥谷に今後必要なことは、多くの大会に出場しそのために行うべきことをたくさん経験していくことであろう。多くの経験を積んでいくことで、世界でも上位を狙える選手になることを期待したい。

優勝はポーランドのオレックがスクワット360kgの世界新記録を含むトータル880kgという驚異的な世界記録をマークしてこの階級2連覇を達成した。ちなみにオレックのトータルは82.5kg級及び90kg級の優勝記録をも上回る異次元的数字であった。

11月5日 第3セッション 男子82.5kg級

男子82.5kg級6位の小早川渉

男子82.5kg級6位の小早川渉

男子82.5kg級に出場した小早川渉(東京・ノーリミッツ)は、スクワットを3本成功させて、317.5kgで16人中6位であった。ベンチプレスは207.5kgでスタートしたが第2試技でこれをクリアし、この種目も6位につけた。デッドリフトは275kgからスタートし、285kg、290kgと順調に3本取って、種目5位につけた。トータルは815kgで、前回オーストリア大会より17.5kg伸ばしたものの、総合順位では前回と同じ6位であった。しかし、強豪がひしめくこの階級での6位は立派である。小早川の数字は、全種目ともバランスよく力を発揮して、苦手種目のないリフターであることを証明している。今後更なる飛躍を目指すには、少なくても1種目を大きく強化していくか、これまでの通り3種目の全体の底上げを図る必要がある。日本82.5kg級最強のリフターという使命感を持って今後も頑張って欲しい。

優勝は、力が抜きん出ていた75kg級から1階級上げたフーパー(USA)と、ウエジェラ(ポーランド)の2名で争われた。

スクワットのフーパーに対し、ベンチプレスのウエジェラと両雄の持ち味も異なるが、デッドリフトに難がなるフーパーが勝つためには、サブトータルまでにウエジェラにどれだけリードを保てているかがポイントだった。スクワットは、ウエジェラが2本成功させて、320kgとしたのに対し、フーパーはスタート重量の345kgであっさりと潰れ、我々はビックリさせられた。この重量は第2試技で成功させたが、結局1本のみに留まった。それでも種目別では1位と面目を保った。ベンチプレスは予想通り3本成功させたウエジェラが262.5kgでこの種目1位、フーパーも健闘して250kgを挙上してこの種目2位で終えた。その結果、サブトータルではフーパー595kgに対し、ウエジェラは582.5kgと、その差12.5kgで、デッドリフトの実力を考えるとややウエジェラ優位で最終種目に入った。両者第1試技を成功した時点でその差が、7.5kg逆転し、ウエジェラ857.5kg、フーパー850kgとなった。第2試技、ウエジェラが280kgを成功したのに対し、フーパーは262.5kgを失敗し、その差が更に12.5kgに広がった。第3試技、追い詰められたフーパーは重量を更に2.5kg増量して、体重差で優勝を狙う最後の賭けに出た。フーパーがこれを成功するとトー
タル862.5kgで両者が並び、ウエジェラが次の試技を失敗すると体重の軽いフーパーの優勝となる。

私の記憶に間違いなければ、フーパーは過去にデッドリフトで260kg以上を引いていない。私は第2試技に失敗した262.5kgの状況から考えて、この262.5kgは難しいと考えていたが、フーパーは凄い集中力で引ききってしまった。さすがに、多くの修羅場を経験してきた彼の底力が発揮された瞬間だった。フーパーに並ばれたウエジェラは、冷静だった。申請重量をミニマムの2.5kg増量に変更して、これを確実に成功させフーパーの追撃を振り切った。

11月6日 第1セッションAグループ 女子75kg級

女子75kg 級には私のジムPOWER SPORTから照屋利恵が初出場した。照屋は2004年にアメリカ、クリーブランドの世界ベンチプレス選手権に初めて国際大会を経験後、妊娠、出産と暫く競技を離れていたが一段落付いて、2007年の後半から競技活動を再開し、久々の全日本出場で優勝して今大会を迎えた。セントジョーンズ到着時に預けた荷物が行方不明となるハプニングにも見舞われた。その照屋、スクワットのスタート重量175kgで大苦戦し、第3試技でやっとクリアするというハラハラ、ドキドキの幕開けであった。私はセコンドとして二―ラップを巻いたが、巻きの強さがかみ合わずに本来の力を発揮できなかったのが苦戦の原因であった。通常二―ラップは強力に巻く程、それが挙上をスムースにするが、照屋には、強く巻くことで逆効果になっていたようだ。簡単にいうともう一人のPOWER SPORT所属選手の中井のニーラップ強度の50%位の強さでも「痛い」という。彼女の可能性からすると190kgから200kgは可能な重量だが、それを行うにはまずニーラップの強さに慣れなければならない。

ベンチプレスに入っても照屋はリズムを取り戻せなかった。スタート重量140kgの挙上が不安定で第1、第2試技と立て続けに失敗し、あっという間に第3試技を迎えた。サブセコンドの中井と照屋が気持ちを切らさないように勇気付けて送り出す。崖っぷちの第3試技はこれまでの不安定な試技がウソのようにあっさりと挙上した。2度あることは3度あるかも、と思い、デッドリフトは1番目の試技者ということもあって、スタート重量を変更し、130kgに下げて申請した。第2試技以降も140kg、147kgとリズムよく成功させ、トータル462.5kgで全試技を終了した。終わってみれば、ベンチプレスの日本新記録を含む全種目で自己ベストであった。ラッキーなことに、このクラス8人中強豪3選手が失格する波乱もあり、照屋は5位に入賞した。

優勝争いは、サブトータル370kgの優勝候補筆頭のイバナバ(ウクライナ)のデッドリフトでの失格もあり、マスター選手のブリッカラ(ノルウェー)が587.5kgの平凡な記録ながら優勝を飾った。ブリッカラは長年の選手活動の功績が認められて今回、IPF殿堂入りを果たした。

11月6日 第1セッションBグループ 女子82.5kg級

このクラスはカルポバ(ウクライナ)と75kgから階級変更してきたビリン(USA)の2強の争いになった。両者スクワット、デッドリフトはほとんど互角の戦いであったが、ベンチプレス147.5kgのビリンに対し、165kgを成功させたカルポバが世界チャンピオンの座を射止めた。

11月6日 第2セッション 男子90kg級

男子90kg級の岡村聡晃、4位の荒川大介

男子90kg級の岡村聡晃、4位の荒川大介

男子90kg級は全階級中最多の19名のエントリーがあり、2グループでの進行となった。このクラスには日本から荒川大介と岡村聡晃の東京・ノーリミッツの2名が出場した。当初プレエントリーリストでは、ベンチプレス285kgの世界記録保持者クリモフ(ウクライナ)はトータル870kgで別格であったが、845kgから20kg差の中に2位以下10位までの選手がひしめいており、大混戦が予想された。4年間の大学生活を終え、今大会を社会人一年生として迎えた岡村は4年連続での出場だ。スクワットは第2試技に285kgを成功させ、順調に滑り出したかに思われたが、ベンチプレスで波乱が待ち受けていた。

岡村は、235kgスタートで最後から2番目に登場した。しかし3回とも失敗し無念の失格を喫してしまった。重量選択のミスか、あるいは余程調子が悪かったのか、推測は尽きない。

荒川は今回が3年連続での出場だった。過去2回は8位であったが、795kg、810kgと世界大会での記録は伸ばしてきている。荒川はスクワットで全日本で失敗した292.5kgを3本目で成功させ、3本取ってスクワットを終えた。ベンチプレスも3本取り232.5kgを挙上し、岡村をはじめ、上位2選手が失格したことも手伝ってこの種目銀メダルを獲得した。ベンチプレス終了時点で出場19人中6選手が失格したこともあり、サブトータル525kgは、5位という位置であった。荒川はデッドリフトも慎重に3本を成功させ、一人をかわしてトータル822.5kgで4位と大躍進を果たした。

優勝争いは大波乱含みの展開となった。優勝候補筆頭のクリモフが得意のベンチプレスでスタート重量の270kgを3回失敗して失格するという番狂わせも起こった。本命不在の中、デッドリフトでクラス2位の327.5kgを成功させたウィリアムス(USA)が、サブトータル3位から逆転優勝を飾った。

11月6日 第3セッション 男子100kg級

100kg級には、日本選手のエントリーがなく、このクラスは気楽に観戦できた。優勝はピベネフがスクワット372.5kg、ベンチプレス280kgと2種目で1位を取った勢いで、トータル975kgで予想通り圧勝した。

2位は、イアック(ポーランド)945kg、3位はデコインブラ(ルクセンブルグ)925kgと、このクラスはプレエントリーのトップ3がそのまま金、銀、銅を獲得した。その他、総合4位に入ったハルトマン(USA)は、このクラスで350kgのデッドリフトを成功させ注目を集めた。

11月7日 第1セッション 女子90kg級

女子90kg級9位の加藤みどり

女子90kg級9位の加藤みどり

女子90kg級には加藤みどり(岐阜・きくいけ整形外科)が2年振りに出場した。加藤はスクワットの第1試技160kgを成功させた後、172.5kg、182.5kgと増量したが残念ながら成功出来なかった。ベンチプレスは85kg、95kgと2本を成功させ、第3試技に自己ベストの100kgに挑んだが、これは失敗した。デッドリフトは2本成功させて175kg、トータル430kgで9位となった。

優勝は予想通りストリク(オランダ)でスクワット260kg、ベンチプレスは今回、1本のみの成功だったが165kg、デッドリフトは230kgでトータル655kgの圧勝だった。

世界選手権が男女合同開催になって今回が3回目になるが、男子顔負けの圧倒的な肉体には毎回驚かされる。それにしても彼女のソフトボール大に盛り上がったカーフは圧巻だった。

11月7日 第1セッション 女子90kg超級

女子最重量級は過去2年連続2位と今一歩で優勝を逃していたオッドネル(USA)が、9試技全て成功させ、267.5kg、177.5kg、240kgのトータル685kgで念願の優勝を果たした。2位には、ベンチプレス金メダルとなる187.5kgを含むトータル670kgでオロベッツ(ウクライナ)が入り、3位は640kgのシェーファー(オランダ)だった。

11月7日 第2セッション 男子110kg級

男子110kg級14位の上田真司

男子110kg級14位の上田真司

110kg級は16人がエントリーした。世界オープン初出場を果たした上田真司(兵庫・チームカ人)は、スクワット第1試技320kgを軽々と成功させ、第2試技に20kg増量の340kgに挑んだ。立ちは軽かったもののしゃがみが微妙に浅くて惜しいところで失敗となった。余程調子がよかったのか、上田は第3試技を更に17.5kg増量し、357.5kgの日本記録に挑戦したが、これは重過ぎた。ベンチプレスは、230kg、242.5kg、250kgと確実に取った。デッドリフトは、第2試技に280kgを成功させトータルは全日本より10kg下げたが、850kgで14位となった。

優勝は、ロコチェイとカルポフの両ウクライナ勢がサブトータル647.5kgで並んだ。決着はデッドリフトに持ち越され、クラス1位の350kgを引いたロコチェイがトータル997.5kgで優勝を飾った。

11月8日 第1セッション 男子125kg級

シピル(ウクライナ) は、スクワットで415kg、デッドリフト372.5kgとスーパーヘビーを上回る圧倒的な数字でこの125kgを制した。

2位となったタクスチェラー(USA)のスクワット405kg、デッドリフト365kg、トータル1035kgもスーパーヘビーを超える結果であった。

ちなみにベンチプレスでは、地元カナダのマーデルが290kgを挙上して、この種目金メダルを獲得した。

11月8日 第2セッション 男子125kg超級

男子125kg超級3位の三土手大介

男子125kg超級3位の三土手大介


大会が始まって1週間、毎朝早朝から夕方或いは深夜まで続いたコンテストウィークもとうとう最後のセッションを迎えた。日本チームの前半組は既に帰国の途につき、当初22名いたチームは半分になった。

さて、男子+125kg級には、三土手大介(東京・ノーリミッツ)が出場した。三土手はプレエントリーリスト12名中、4番目につけていた。スーパーヘビー級は1試技の成功で数十キロの重量が動くため、三土手が表彰台に立つためには、得意のスクワットとベンチプレスで成功試技をどれだけ重ねられるかがポイントだった。

スクワット第1試技の375kgは深さもスピードも十分で立ち上がったものの、フィニッシュで前方にバランスが崩れ、失敗した。三土手はこの重量を第2試技で成功させ、第3試技は一気に25kg増量の400kgを申請した。この400kgを成功させるか否かでその後この展開が大きく左右される大変重要な試技だった。その400kg、三土手は重量を感じさせないスピードで立ってきたが、主審の″ラック″の合図の前に一瞬バランスを崩し、無情にも赤判定となった。結局スクワットは、1本成功のみの5位と苦しいスタートとなった。ちなみにスクワットは、5選手が400kg以上の挑み、415kgをサイダース(USA)が、400kgをドルナー(ドイツ)とマーティカイネン(フィンランド)がクリアした。

ベンチプレスに入っても三土手の苦戦は続いた。スタート重量の320kgでバーを下ろす位置、フィニッシュの未完了が失敗と判定された。同重量を第2試技で成功させたものの、2対1という際どい判定であった。15kg増量した第3試技の335kgも挙上はしたものの、同じ理由で不成功となった。結局ベンチプレスは300kgからスタートしたウォールクビスト(スウェーデン)が予想外の強さを発揮し3本成功させ、332.5kgの好記録で1位を獲得した。また、優勝候補筆頭のサイダースは、327.5kgでスタートし、軽々と挙上していたものの、最後まで腹ベンチを修正できずに失格した。

サイダースの失格で優勝争いは混沌としてきた。サブトータルはベンチプレスで頑張ったウォールクビストが唯一700kgオーバーとなる722.5kgでトップに立ち、三土手は695kgで2位につけていた。

ウォールクビストはデッドリフトが苦手なため、試技の展開によっては三土手に追いつくチャンスがあった。しかし、下位からの追い上げも考慮に入れ、まず表彰台を確実にすることが先決だった。

デッドリフト第1試技を終えた時点でウォールクビストが1002.5kgでトップをキープした。2位には前回大会で三土手に体重差でかわされたマーティカイネンが340kgを引いて995kgとし、サブトータル4位から一気に浮上してきた。3位には285kgを引いた三土手が980kgで続いた。第2試技、ウォールクビスト290kgを失敗し、三土手は10kg増の295kgを成功させ、990kgとした。デッドリフトで追い上げを図るマーティカイネンは347.5kgを成功して、ここで体重差でウォールクビストをかわしてトップに躍り出た。第3試技ウォールクビスト再度290kgに挑み、逃げ切りを図るが失敗。マーティカイネンに逆転され、3位に落ちた三土手は体重差逆転を狙って307.5kgを申請した。これを成功させると、3名の中で最軽量の三土手が暫定1位となる。しっかりとグリップを決めて、三土手は勝負の307.5kgに挑み、何とか引き切ったが、フィニッシュが未完了として赤判定となった。優勝が確定したマーティカイネンは5kg増量の352.5kgに挑み、迫力の試技でこれも引き切って、自らの優勝に花を添えた。

今回のスーパーヘビー級は1tオーバーが2名だけと、7名いた前回から大幅にレベルダウンした。サイダースの失格があったにせよ、大会最後のセッションとしてもう少しハイレベルな戦いで締めて欲しかったと思うのは、私一人ではあるまい。
こうして1週間前にIPF総会で幕開けした今大会の金競技が終了した。夜8時からは試合会場として使用されたバンケットルーム(宴会場)で大会恒例のパーティが行われた。

パーティの席上、男女のベストリフターや団体戦の成績が発表された。女子のベストリフターは既にお伝えした通り、福島友佳子が日本女子で初めて受賞した。男子は75kgでスクワット、トータル世界新記録を樹立し、圧倒的な強さを見せ付けたポーランドのオレックが受賞した。団体戦では男子が29カ国中4位、女子が27カ国中4位と日本チームは全員の頑張りで大健闘した。

また今回、男子はUSAのマイク・ブリジス、女子は75kgで優勝したノルウェーのビリッカラ・インガーが選手として、インドのスブラッタ・デュッタが役員としてIPF殿堂入りを果たし、表彰された。

今の若い方々は知らないと思うが、マイク・ブリジスは1970年代後半から80年代に最も活躍した選手だ。1979年私が26歳で初めて世界選手権に出場した際、22歳の彼は既に世界の顔として大活躍していた。記憶に間違いなければ、75kg級で優勝しているはずだ。その後82.5kgに増量している。何度かドーピング検査で陽性にもなったが、1982年に全米選手権において82.5kg級でマークしたスクワット379.5kgとトータル952.5kgの世界記録は今なお健在だ。

今大会は、宿泊と試合会場が同じホテル内で行われた理想的な形であった。ただ、開催地のセント・ジョーンズは日本からはかなり遠く、沖縄を発って、現地入りするまでに成田、バンクーバー、卜ロント(1泊)と3回も乗り継ぎを強いられた。乗り換えの飛行機の便も少なくおまけに毎日便がなく、大会後も余計な宿泊を余儀なくされた。10月31日に沖縄を発って、11月10日に帰国するという過去最長の遠征であった。

大会終了後、私は優勝に王手をかけながら自滅した自分の不甲斐無さに落胆もしたが、今は冷静にその原因を分析し、来シーズンに向けて少しずつトレーニングも再開している。
2009年は、4年に1度のワールドゲームズが7月台湾の高雄で開催される。私にとっては1985年に初出場して以来、5度目の出場となる。まずは恐らくいや絶対に最後の出場となるワールドゲームズに最大限の準備をして挑みたい。
レポート&写真:
伊差川浩之(POWER SPORT)
[ 月刊ボディビルディング 2009年4月号 ]

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