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吉田進のブラリパワー旅 イランいいとこみんなで行こう! 2013年男子アジアパワーリフティング選手権大会

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レポート&写真/吉田進[ 月刊ボディビルディング 2013年8月号 ]
掲載日:2017.07.28
2013 ASIAN MEN'S POWERLIFTING CHAMPIONSHIPS・5月1日~6日/アーワズ・イラン

2013 ASIAN MEN'S POWERLIFTING CHAMPIONSHIPS・5月1日~6日/アーワズ・イラン

どうしてイラン?

2013年のアジアパワーシーンは、いつも5月のアジア選手権から始まる。今年が例年と少し違うのは2013年男子のみのアジアパワーリフティング選手権大会だということだ。中東のイスラム諸国では、女性が肌を見せたり顔を見せたりすることが宗教上の理由から禁止されている国が多い。私の知る国で自由なのはUAEくらい。我々が訪れても何の違和感もない。

APF(アジアパワーリフティング連盟)は昨年のカザフでのアジア会議で、今年のパワーリフティング選手権大会はイラン開催と決めた。なぜか?APFではアフガニスタン、オマーン、イラクなど加盟国が増え大会が大型化してきた。アジア選手権参加者は2011年の神戸大会でついに300人を超え、この数をこなすのに正味6日でも苦しくなってきた。よって、こういう大きな大会を開催するには、政府の後援や大きなスポンサーを持つ国でないと難しい。

ということで、最近では日本、台湾、インドに開催国が偏ってきていたのだ。インドは平均すれば毎年何らかのアジア選手権を開催してくれている。台湾は最近ちょっとおとなしい。日本でも次はなかなか開催できない。

そんな状況で、あと1年を割った昨年の8月になっても次の開催国がなかなか決まらなかった。ようやくイランが「男子だけなら…」ということで開催に名乗りを上げてくれた。そんな理由だったのだ。

イランに行く人、行かない人

決まったのはよかった。しかし国によってはイランにはいきにくい状況もあった。いろいろあって、結論としてAPFの強豪国カザフスタンは参加を見送った。それにつられてカザフの隣国、ウズベキスタンとキルギスタンも不参加になった。

日本はアメリカの友好国。だからアメリカの敵(?)イランへ行くというのはちょっと不安だった。まずビザが取れるのか?実際はかなり難しかった。

イランパワーユニオン(今回の大会の主催連盟)は「各国がビザサポート用紙を送ってくれれば、各国の大使館に手回しする」と言っていたが、それもうまくいかなかったようだった。結局、「イランの通関に情報を入れておくから、安心してビザなしで来てくれ。空港でランディングビザが発給されるから」ということになった。

多くの国がビザなしで出発し、イランの空港でビザ申請して入国するということになった。

我々日本チームは?テヘラン空港で1時間ほど待たされてやっとビザ発給。やれやれということで通関しようとすると、同じ飛行機に乗ってきた人はとっくに入国しているので、係員がいない。声をかけてやっとやってくれたが、今度は一人ひとり指紋をとるから、ということでさらに1時間待たされた。これは嫌味か?

テヘラン空港では連盟の若者たちが待っていてくれたが、さすがに2時間待たされて、「いったい何があったの?」と言って不思議がっていた。後でわかったが、待っていてくれた彼らは実に面倒見の良い若者たちだった。

参加国はだいぶ減って9か国。参加選手は実質80名。イランのいつもの例により、参加申し込み締め切りをはるかに過ぎてからもどんどん申し込みがあったが、そういう選手たちは一種のゲストリフターとした。つまり記録を認め、参加賞も与えるが、メダルなし、正式の結果報告書には名前も記録も出ない。彼らとしてはそれを理解してくれただけでも、今回は大人だった。
記事画像2

今大会中いろいろと面倒見てくれたイランの若者たちと(写真上)。アワーズで一番の高級ホテル。今回の滞在先(写真下右)。ホテルから歩いて10分ほどのところにあったバザール

街を歩けば人にあたる

日本を出て30時間。よれよれの我々はアーワズ市のパースホテルに到着した。その30時間の行程はこうだ。

まず成田と関空をほぼ同じ時間に出発して約12時間。ドバイに到着。ここで3時間待ってテヘラン行きに乗りかえる。テヘランまでは約2時間。テヘランでイラン連盟派遣の若者たちの案内でショッピングモールで昼食。日本のモールとほとんど違わない。ここは本当にアメリカの敵イランなんだろうか?遠くに見える巨大な山々が不思議な感じ。イランにもアルプスがあった?

数時間の待ち時間の後、テヘランの国内空港から約1時間でアーワズに到着。石油がふんだんに取れる工業の町。ホテルは「地球を歩く」のワフワーズ(発音はアーワズと聞こえるから、私はアーワズと書く)で一番の高級ホテル。インターネットもつながるが、yahooやgoogleにはつながらない。メールも一部届いていなかった。やっぱりアメリカ文化が入ってこないような仕組みになっているようだ。到着は日本を出た次の日の夜。くたくたのなのですぐに寝る。

次の日、本当はアジア会議の予定だったが、アジアの事務局長であるスブラタ・ダッタ氏が深夜でないと到着しないということで、1日延期。ということは我々は何もすることがない。

というわけで日本チームはこわごわアーワズの街へ繰り出した。女性はほとんど黒いベールで全身を覆っている。顔を出している人も多いが頭は黒い布で包む感じ。日本チームのメンバーの吉田寿子と古城団長の奥様は日本からベールのようなものを持ってきてかぶっている。最初は違和感があったが、二日もするとなじんでしまうのはなぜ?最終日は二人ともとても似合っていた。

歩いて10分ほどのところにバザールがあった。バザールというよりは、街区全体が商店街。魚を売っていたり、果物、雑貨、洋服屋などが軒を連ねて延々と続いている。

人々の気さくなこと。みんな笑顔だし、声をかけてくれる。つい数年前まではアーワズで働いていた石油関係の日本人も結構いたとか。アメリカとの関係が悪くなってから、日本人は全員引き揚げたらしい。昔からイラン人は日本人が好き。そんな雰囲気を感じることができた。物価は日本の半分以下か。
イランの人たちはみんな気さくで良い人ばかり。女性は頭にベールをかぶっている

イランの人たちはみんな気さくで良い人ばかり。女性は頭にベールをかぶっている

予定があるのかないのか?

次の日。すでに日本を出て大分経過している。いったい今日は何曜日?日本を出たのは4月29日深夜。アーワズ到着が4月30日夜。街をぶらぶらしたのが5月1日。

そうか今日は5月2日。昼ごろにアジア会議。しかし全然時間のアナウンスがないし、大体場所がわからない。

そうこうするうちに、ようやくアジアの各国代表がバスに乗って移動開始。ホテルじゃないところでアジア会議らしい。到着したのはNIDCというイランきっての大企業。正確に言うと国有の企業。30年ほど前、欧米が支配していた石油掘削事業を強引に国有化したその会社。それ以来、イランは独自の歩みを進め、今日のアメリカの敵にまで育ったという。

その会社は立派だった。いくつもの中庭を抜けて会議室に到着。会議は予定時間を少しオーバーして会議はスタート。IPF(国際パワーリフティング連盟)からの要望である、「役員は兼任してはいけない」という議題を審議。結果、ダッタ事務局長は会計を降り、ジョセフ氏が専任の会計担当、ジョセフ氏が担当していた技術委員会はイランのコスラビ氏が委員長ということになった。

そして、今後のアジア選手権は次のように決まった。

●2013年9月 モンゴル・ウランバートルでアジアベンチプレス選手権(ただしまだ開催要項が出ていない)
●2013年12月 フィリピン・マニラでアジアクラシックベンチプレス選手権、および女子パワーリフティング選手権大会(すでに開催要項は出ている)
●2014年5月 インドにて男女パワーリフティング選手権大会。場合によっては女子クラシック、女子ベンチプレスを併設する可能性もあり。
●2014年8月か9月 再びイランで男子ベンチプレス選手権(予定)
●2014年12月 オマーンにて男子クラシックパワーリフティング選手権大会(検討中)
記事画像4

1日遅れでようやく始まったアジア会議。右手前に今回の団長・古城さんの姿が(写真上)。大会会場は大きく、立派であった

開会式

会議の日の夕方に開会式。場所は比較的大きなオーディトリアム。「おお、立派な会場だ!」お偉方がたくさん来ているが、あまりしっかりと紹介してくれないので、誰が誰だかよくわからない。わからない方々がペルシャ語であいさつするので、ますますわからない。

一通りのあいさつが終わり、選手代表が入場する。ここで写真撮影会。イラン人が写真大好きなのは前から知っていたが、開会式も写真撮影会で中断するとは思わなかった。

一通り写真撮影が終わって、民族ダンスでもあるのかと思ったら、それで終わりだった。ところ変わればイベントも変わる。

日本マスターズは不滅です

次の日。たぶん5月3日。もう何曜日だかよくわからない。

いよいよ試合開始。会場はまた変わって、大きな体育館。巨大な敷地の中に体育館らしい建物がたくさん立っている。タクシーの運転手もどれが何の体育館だか知らない。NIDCの巨大なスポーツセンターだという。イラン最大の運動施設群とも言っていた。向かい側がレストラン棟だといっていたが、何もやっていなかった。やっぱりイランは少し不思議。

まずは59kg級。日本からはM3丸本選手が参加。国際大会に長く沢山参加してきている。スクワットが好調で2本目180kgを軽く成功させた後、アジア記録の203kgに挑戦するが惜しくも失敗。しかし続くベンチプレスで108kg、デッドリフトで173kgのアジア新記録。当然のようにM3のベストリフターも獲得した。

66kg級。日本からはM1丹羽選手。スクワットはいきなり200kgスタート。目標は220kgぐらいだと言っていたが、イランまでの長旅が堪えていた。一本目、立ち上がれない。我々もあせったが、一番焦ったのは本人。気を取り直して2本目。しかしダメ。同じ状態が3本目も続いて、失格。長旅で水分を失ったり、神経を使いすぎたり、眠れなかったり。選手にはつらいことが多い。ぜひ次回にリベンジを!

74kg級、M4。大沢選手72歳。歩いている姿は年齢相応。しかしバーベルを担ぐと別人。スクワット175kg。本当は2本目190kg、三本目で200kgを目指していたというからびっくり。やっぱり長旅は堪えたか。トータルは450kgで2位に200kgの大差をつけて圧勝。ほとんど倍だよ。M4のベストリフター獲得。

83kg級、M2。この前までM1だと思っていた山口選手が出場。みんなどんどん上がってくるなと思っているのは自分の年齢を忘れているせい。私もいつの間にかM3だわ。さて山口、M2では圧倒的に強い。一般クラスに出ても優勝する記録で堂々優勝。ついでにM2のベストリフターも獲得。ここまででM2、M3、M4すべてのベストリフター賞獲得。日本のおやじ&おじいさんたちは強い。

この辺りまで見ているとイランの選手があまり強くない。イランは昨年ドーピングテスト陽性者多数でIPFから1年の出場停止を食らっていた。今回の大会で再び陽性を出すと、また停止。だから選手選考には相当気を使ったのだろう。

93kg級、ジュニア。市野選手が参戦。マスターズでは日本圧勝だったが、ジュニアは中東が強い。このクラスはイラン、オマーン、イラク、フィリピン、そして市野がいい感じで混戦状態になった。この大会を社会人になるけじめ大会にしようという市野は少しトレーニング不足?スクワット300kgの力を持つが今回は270kg。ベンチプレスまで混戦だったがデッドリフトでちょっと差をつけられ3位。良い思い出になりましたと満足げだった。

今回の日本チーム。団長の古城さんはアジア会議で毎回アンチドーピングの重要性を強調して存在感を増している。選手や役員にもこわもての医学委員長として認識されてきているので、一緒に写真をねだられたりしていた。

選手たちはそれぞれ個性的でイランの文化の違いにびっくりするどころか、その違いを楽しんでいる様子。皆たくましいというのが実感。
59kg級M3で優勝した丸本選手。ベンチとデッドでアジア新記録を樹立した

59kg級M3で優勝した丸本選手。ベンチとデッドでアジア新記録を樹立した

74kg級M4で優勝した大澤選手

74kg級M4で優勝した大澤選手

83kg級M2で優勝した山口選手

83kg級M2で優勝した山口選手

66kg級M1の丹羽選手はスクワットで失格

66kg級M1の丹羽選手はスクワットで失格

83kg級M3で優勝した北野選手

83kg級M3で優勝した北野選手

93kg級ジュニア3位の市野選手

93kg級ジュニア3位の市野選手

M4に出場したイランの選手

M4に出場したイランの選手

重くなるにしたがって目つきが変わる

ここまで淡々と続いてきたアジア選手権。重たいクラスの選手が出る最終日、急に雰囲気が変わった。

まず会場の奥の方にイランの地元応援団が来ていた。約20名が巨大な旗を持ち、鳴り物をガンガン鳴らして騒いでくれる。サッカーの応援を小さくしたようなもの。

105kg級はジュニアがすごかった。イランのランジバー・モスターファがトータル891kgで優勝。

台湾の新人、ヤン・センは親戚一同がウェイトリフターかパワーリフターというだけあって、経歴が浅いにもかかわらず850kg。末恐ろしさを感じさせた。応援団は盛り上がっている。いい感じだ。

120kg級。イランのダリール・マジッドがトータル930kg。すごかったのはスクワットの380kg。応援団の声もどんどん大きくなっているし、いつの間にか会場は満員だ。

さらに、正式記録に残ってはいないが後から申し込んできたイラン選手が数名。こいつらも強い。場内はガンガンヒートアップしてきているが、後一クラス残して、すでに夜の8時をはるかに過ぎている。いったいどうなるんじゃ?
記事画像12

地元アーワズの期待の星メヘディ。観客の声援も大きくなる(写真小上)。380kgを軽々挙げるが、しゃがみが高く失敗。結局スクワットを3本とも失敗し、あえなく失格。審判の吉田寿子の頭にはベールが

ついに暴動!

午後9時。この大会最後のクラス+120kg級のスタート。ここにはイランの英雄、モジタバ・マレキがいる。2004年のアジア選手権で驚異のジュニアとしてデビュー。体重145kgの逆三角形。今回はイランでのアジア大会というので、最高の状態に仕上がっているという。

もう一人地元アーワズの期待を一身にしょった選手がいた。メヘディ・マフィゴラミ。聞いたことのない名前だ。スタートはメヘディ380kg。ものすごく軽いが、ものすごくしゃがみが高い。失敗。地元応援団がワーワー怒っている。選手に対してではなく審判員に。

マレキ、スタートは397.5kg。なんとなく中途半端な重量だが、軽々成功(面倒だから400kgやってくれ)。

2本目。メヘディまたもや軽いがまたもや高い。失敗。応援団の騒ぎ方が半端じゃなくなってきた。やばい!

マレキ。425kg。重くなってきて、体がしなってしまったせいかラックアウトできない。さんざん苦労してスタートポジションにつくが疲れ果てて失敗。これまた応援団というか場内の騒ぎ方が異常なレベルになってくる。ちょっと怖い。

3本目。地元の英雄メヘディはたくさんのセコンドに囲まれて、気合を入れている。なかなか出てこない。その間に時計はどんどん進む。人に囲まれてしまって進めない感じだ。だいたい、選手の周りになぜそんなたくさんの人がいるんだ! とうとう時間に間に合わずタイムアップで失敗、失格。その瞬間は怒号で埋まった。

そんな雰囲気の中、マレキが出てきた。重量は461kg。「ええええっ??」本当にやるのか?世界記録更新?

マレキ、ラックを下げたので、今度は意外と楽にラックアウトしスタンスを決める。レフリーの合図後、じわじわしゃがむ。安定している。ボトムから切り返し、じわじわ立ち上がる。ものすごい形相。しかし10センチほど上がって止まった。その瞬間私は嫌な予感がした。「バーベルを投げるぞ!」そう思った瞬間マレキは461kg(昔の軽自動車並み)を後ろに投げ捨て、前にすっ飛んだ。イランの補助団は予想していたように飛びのき、誰も怪我がなかった。これはやってはいけない。普段の練習でもこれをやっているのだろう、イラン以外では考えられない展開だ。

でもこれでスクワットは終わらなかった。マレキ側が抗議。「2回目の失敗は選手のせいじゃない。ラックのせいだ。だから再試技」陪審員の私は断ったが、隣の陪審員ダッタ事務局長は、「ここまで来たら、もうショーだよ。成功するとまずいが、今の失敗から見て成功はありえない。観客のためということで特別ルールでやらせよう」

ということで、例外的再試技。よくこんな重量を二度も担ぐ気がするなあと驚きながらも見ていると、やはり失敗。でも観客は満足したようだった。

すると380kgを3回失敗した選手の父親が出てきて強烈抗議。
「応援はうるさいし、セコンドは邪魔で、時間に間に合わなかったのは選手のせいじゃない。もう一度やらせろ!」
「時計は見えていたはずだ。自分の責任で失敗した試技に再試技はない!」

こんなやり取りを約5分。試合は止まったまま。最後に私も切れて机をたたきながら「駄目、駄目、駄目、ダメーーー!!」。
これでようやくスクワット終了。
記事画像13

世界記録に挑戦するイランの英雄マレキ。しかし、さすがに461kgは重く、挙上途中でバーベルを後へ投げ捨てた(写真小下)。さらに、失敗をめぐって猛抗議するマレキ陣営(写真小上)

尻切れトンボ

事はその後順調に進んだように見えた。しかしベンチプレスが終わった段階で(夜の11時半ごろ)前のクラスの表彰式をやっている最中。場内から怒号が飛んだ。複数のイラン人がつかみ合ってもめている。喧嘩だ!

人数がどんどん増えて、最後には数十人がもめる大喧嘩に発展。さすがにここまで来ると場内に配置されていた警察官たちが出てきて徐々に騒ぎは収まったが、表彰式は途中で中止。もう真夜中なので、いそいで最後のデッドリフトに入る。

こうして最後のセッションが終わったのは午前1時すぎ。さすがに疲れ果てた私と吉田寿子、ダッタ事務局長、ジョセフ会計は一足先にホテルへ。

この日に予定されていたさよならパーティーは次の日に延期。

喧嘩の原因ははっきりわからないが、380kg失格の父親とマレキ側の数名が言い合っているうちに喧嘩に発展したようだ。やっぱりイランは危険な国なのか?

イラン人は優しい

次の日。帰国し始める国が多数。これはやばいことになったというスポンサーやお偉方の配慮で、帰国する国の選手にはメダルや参加賞が個別に手渡された。そして、参加国が極端に減ってしまったさよならパーティはキャンセルという事態にもなった。

1984年にアジア連盟が結成されて以来、初めてのさよならパーティなしの事態。やはりイランでは何が起こるかわからないのか?

急に1日空いてしまったわれら日本チーム。イラン連盟にお願いして、半日の観光ツアーを企画してもらった。そこに昨日試合に出たばかりの選手と、3年前にアジア大会でサブジュニアとして優勝した若者がバスに添乗して我々の相手をしてくれた。試合を離れると実にお行儀がよく、よく気が付き、人がいい。

観光案内所に出ていない、昔の水道施設を見学させてくれたり、4000年以上前のピラミッドのようなジグラッドの遺跡を案内してくれたり。観光の合間に立ち寄ったイランレストランでは、イランに来て最高の料理を食べさせてもくれた。街中を歩いていても感じるが、実はイラン人は本当にやさしい。人懐っこい。ただひとたび火が付くと、とことん行ってしまう性癖はあるみたい。
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大会後、イラン観光を楽しむ日本選手団。後方に見えるのがピラミッドのような遺跡(写真上)。旅行ガイドには載っていない遺跡をイランの選手が案内してくれた。イランの伝統的なレストランは屋外だ(写真下左)

アジア連盟の決断は正しかったのか?

アジア連盟の使命の一つに、「アジア各国でパワーリフティングが盛んになるように支援する」ということがある。今回のイランでのアジア大会。難しいのは分かっていた。参加しにくい国が出てくるかもしれないことも予想した。しかし、イスラム圏で実際に国際大会が出来ることをどこかの国が先鞭をつけてほしいとも思っていた。

男子だけだったが、まずはイランがその難しさを破ってくれた。アーワズでは初めての国際大会ということで、連日テレビ局が入っていた。

カザフが妙に反発したのか、実際にイランに入国しにくい事情があったのか?彼らは参加を見送った。各国の考え方が違う中、徐々にメンバーが増えていく国際スポーツ組織を引っ張っていくことの難しさも感じた、イラン大会だった。

大会の結果はAPFのオフィシャルホームページに出ているので、参考にしていただきたい。
http://powerlifting-asia.com/results/


色々あったけれど、実際にイランに行ってみると、まったく平和な生活が続く住みやすそうな国だった。またぜひ行ってみたい。
レポート&写真/
吉田進
[ 月刊ボディビルディング 2013年8月号 ]

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