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The Next Generation 対談 翔太郎

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.04.14
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ミスター日本の牙城を打ち破ろうと、若い世代の波が押し寄せてきている。昨年のミスター日本で4位と活躍した木澤大祐選手を筆頭に、5位の下田雅人選手、そして7位の鈴木雅選手ら、新興勢力の台頭が著しい。そしてもう一人、勢いに乗ったそうした若手選手たちに肩を並べ、次世代の覇者となろうと気炎を吐く選手がいる。その選手とは、丸みのある筋肉とパッケージに優れた体で注目されている須山翔太郎選手だ。
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04年ミスター東京

翔太郎がコンテストデビューした99年ミスター東京ジュニアの部

翔太郎がコンテストデビューした99年ミスター東京ジュニアの部

計画通りに強敵下田を破って優勝した04年ミスター東京。優勝者発表の瞬間は、思わずガッツポーズが出た

計画通りに強敵下田を破って優勝した04年ミスター東京。優勝者発表の瞬間は、思わずガッツポーズが出た

04年のミスター東京の舞台において、大会前の予想では絶対的な優勝候補と噂されていた下田雅人選手を破り、ミスター東京初出場で初優勝という快挙を遂げた翔太郎選手。その大会での翔太郎選手は、舞台上で自らの役柄を演じる舞台役者のような堂々としたステージングで観客を魅了した。それは、まるで翔太郎選手を主役としてキャスティングした演劇ではないかと感じられるほどの見事なものであった。そして、観客席には翔太郎選手を応援しようと駆けつけた仲間たちが40名。彼らの応援の相乗効果もあり、翔太郎選手一色といった様相の大会になったのだった。

吉田‥15歳の時に思い描いた、ミスター東京での“初出場初優勝”という計画を遂行するには、その大会に出場してくる他の選手たちに勝利しなければならないわけだけど、そうした選手たちに対する意識はなかったのかな?

翔太郎‥大会前も大会当日も、ただ自分のベストを尽くすだけだと思っていましたね。

吉田‥周りは気にならなかったという事?

翔太郎‥はい。周りがどうこうという事は全くなかったですね。

吉田‥あの大会では、下田君に大きな注目が集まっていたと思うんだよね。全日本クラスの大会にも出場してそれなりの結果を残していたし、前年度の大会でも優勝争いを演じていたという事もあって、絶対的な優勝候補であったわけだけど、下田君についても気にならなかった?

翔太郎‥まあ、実際そうした過去実績が下田さんにはあったわけですから、下田さんを倒さなければならないという気持ちはありました。下田さんどうこうという事ではなく、その時に出場するどの選手であっても倒さなければならないわけですからね。例えば、ミスター日本であれば、“合戸さん”というわけではなくて、その時の全日本のチャンピオンを倒すというだけの事であって、合戸さんという個人的な対象という事ではないんですよね。

15歳の決断

人生経験のまだ少ない思春期の頃に、その後の人生を懸けようとする何かに出会える事は稀であろう。しかし、翔太郎選手は出会ってしまったのだ。それは、様々な物事が自分の目の前を交差する日々の中で奇跡的な確率で起きる事象だったのかもしれない。そして、そこから翔太郎選手のボディビルを核とする人生が始まったのだ。

吉田‥中学生だった15歳の時に、学校の理科室を改造して作ったトレーニングルームでトレーニングを始めたとの事だけど?たまたまトレーニングルームを作った先生がトレーニングをされていた人だったようだけど、ボディビルダーだったのかな?

翔太郎‥いえ。ボディビルダーというわけではなく、トレーニング愛好家だったと思います。中野ヘルスクラブにも何度か行ったと言っていました。

吉田‥当時多くのトップ選手を輩出していた名門ジムの中野ヘルスクラブにトレーニングしに行くとは、かなりのボディビル通のようだね。

翔太郎‥そういえば、トレーニングルームにボディビル誌が何冊か置いてありました。確かリー・ヘイニーの記事を見たような記憶があります。

吉田‥そうしたボディビルダーの写真を見たり、トレーニング好きの先生の話を聞いたりしながらトレーニングを行っているうちにボディビルの世界に没頭していったんだね。

翔太郎‥そうですね。あの先生がいなければボディビルはやっていなかったですよ。

吉田‥最初からボディビルだったの? それとも、ただ体を大きくしたいとか、力を強くしたいとかいう意識だったの?

翔太郎‥最初からボディビルという意識でしたね。もともとはサッカー部だったんですけど、部を引退してから卒業までの間の2、3ヶ月だったと思うんですけど、みんなでトレーニングルームに遊びに行きながらやっていたんですよ。その時は、ほとんどベンチプレスしかやっていなかったんですけど、卒業する時にはボディビルダーになるって決めていました。

中学の卒業時には、その後の人生をボディビルダーとして歩む事を決めていたという翔太郎選手。その意志は固く、15歳という若さでボディビルダーとして自らが辿るべきその後の道のりについての計画を立てる事となったのだ。

翔太郎‥15歳の時に07年までの計画を決めていました。前回のミスター日本までですね。

吉田‥東京ジュニアで優勝して、その後の全日本ジュニア優勝。そして、ミスター東京出場では、初出場初優勝するという計画を自分の中で決めて出場したという事だよね。

翔太郎‥そうですね。

吉田‥自信があったという事なのかな?

翔太郎‥自信…どうですかね…。

15歳の時に思い描いた将来のビジョン。自らが敷いた未来へのレール上に点在する目標は、翔太郎選手にとっての決定事項であり、必ず成し遂げなければならない必須なものと考えていたのだ。そうした強い思いは、翔太郎選手自身の潜在意識に働きかけ、その後の行動心理に大きく影響していったようだ。

翔太郎選手のように明確で強い目標設定を持つ事でその目標を現実のものとし、人生を成功に導く理論がある。それは、マーフィー理論というものだ。

マーフィー理論とは、潜在下に思い描いたものが顕在化するという理論であり、実現可能な方法論であろうと理解できるのだが、実際にその理論に則して行動し、目標を完遂するのはかなり困難な事である。潜在下に思い描くといっても、ただ夢を想像するというだけでは、もちろん顕在化しない。夢を現実のものとするには、自分で思い描いた目標に対し、必ず実現するのだと微塵の疑いも持たずに信じ、目的に向かって出来得る限り最大限の努力を継続し続けなければならないのだ。

大多数の人が、夢を現実から乖離して考え、実現可能なものだと信じ込むことが出来ずに、“夢”が文字通り夢で終わってしまう。しかし、極少数の人ではあるが、自分の夢を実現可能なものであると固く信じ、その夢の実現のために努力を惜しまず遇進する人がいる。夢の実現までの困難な長い道のりをどんなに辛く険しい道のりであろうとも諦めずに進んだ者だけが夢の実現を勝ち得るのである。

このような方法論を用いて夢を現実に結び付けた人物がボディビルダーの中にいる。それは、かつて7回のミスターオリンピアの栄冠に輝いた現カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーだ。

アーノルドは10代の頃から将来の明確なビジョンを持っていたという。そのビジョンとは、アメリカに渡りボディビルのチャンピオンになり、その後ハリウッドの映画スターとなり、さらに政治の世界へと転身し、行く末はアメリカ大統領になるという壮大な夢であった。アメリカ大統領への夢こそ未だ実現に至っていないものの、それ以外の目標に関しては、ほとんど実現しているのではないだろうか。

アメリカンドリームを地で行くアーノルドの順風満帆とも思えるこれまでの人生の軌跡も、実際には困難を極めていたはずだ。70年代に現役選手だった頃のアーノルドは、ボディビルのカリスマとして頂点に君臨し続けなければならなかった。その責務とプレッシャーは並大抵のものではなかったはずだ。そうして得たボディビルダーとしての実績と人気をハリウッドヘの足掛かりとしたのだ。

その後、ハリウッドスターとして多くの映画作品に出演する事になり、巨万の富を築く事になるのだが、そうした活躍の裏には“金と名誉”のためだけではなく、政治の世界に打って出るための戦略があったと言われている。映画の話題性や観客動員数などから、アーノルドの知名度と支持率を割り出し、その後に政治家へ打って出る時のための長期的なキャンペーンとしていた側面もあったというのだ。

つまり、アーノルドが描いた将来のビジョンは、それぞれの目標が独立して存在しているものではなく、全てがつながりを持って影響力を与えながら大きな目標へと向かって行くように計画されたものだと思われるのだ。そして、夢の実現を微塵も疑う事無く、計画に沿って最大限の努力を積み重ねた結果、現在の政治家としてのキャリアがあるわけだ。

翔太郎選手にもボディビルダーとしての実績をステップとする大きな夢があるという。その夢の実現は容易ならざるものであろう。しかし、それでもなお自分を信じ、夢に向かって最大限の努力し続ける事が出来るなら、アーノルドのように夢を現実のものとする日が来る事であろう。

海外留学

翔太郎選手の計画の中には、ボディビルに関する事だけではなく、“海外留学”も含まれていた。それは、23歳までに実現させると設定されたものであった。

吉田‥ミスター東京のタイトルを獲った後、海外留学へ旅立ったとの事だけど、どこに行ったの?

翔太郎‥カナダのバンクーバーです。

吉田‥雨が多かったんじゃないかな?

翔太郎‥そうですね。雨期が長いですからね。半年まではいかないですけど、4、5ヶ月くらいは雨期ですからね。

吉田‥それはたまらないね。留学中に体調を壊したという事だけど、バンクーバーの気候が合わなかったのかな?

翔太郎‥違う土地に行く事で大きな風邪をひいたりすることがよくあるようです。

吉田‥環境が変わった事によるストレスかもしれないね。カナダヘの留学期間はどのくらいだったの?

翔太郎‥約1年半です。

吉田‥留学の目的は?

翔太郎‥これも15歳の時に漠然と決めていた事なんですけど、23歳までに海外留学するという計画をただ履行したという事なんですけど…。

吉田‥語学留学?

翔太郎‥はい。でも、15歳の時には語学留学という目的を決めていたわけではなく、とにかく海外に行くという事だけを決めていただけですけどね。それが、実際に海外留学が近付くにつれ語学留学という形になっていきました。

吉田‥23歳までに海外留学するという計画だったとの事だけど、それは10代の頃に実行する事にはならなかったのかな?

翔太郎‥その前に東京を獲るという目標がありましたので、それを果たしていない段階で海外には行けなかったんです。東京のタイトルも23歳までに獲る予定だったんですけど、無事東京を獲り終わったのでその翌年に海外に行く事になったんです。

吉田‥バンクーバーではトレーニングしていたの?

翔太郎‥朝から夕方まで学校に通って、その後にジムでトレーニングしていました。カナダに留学する前に、どこにジムがあるのか調べてから行ったんですよ。僕が住む事になっていたのがバンクーバーの西の方だったんですけど、北の方にゴールドジムがあったんです。そこへ行くのには途中でフェリーを乗り継いで行かなければならないので、1時間以上かかってしまうんですよ。ちょっと通うには厳しいなと思っていたんですけど、実際にバンクーバーに行ったら、僕の住んでいる家のすぐ近くに小さいワールドジムがあったので、そこで2週間のお試しのフリーパスでトレーニングさせてもらったんです。そうしてトレーニングしている時に、僕の住んでいる家からバスで10分くらいの所にゴールドジムがある事を知って、そこに入会して通う事になったんです。まだ出来て1年くらいの新しいジムで、ネットにも載っていなかったんですけど、凄くラッキーでした。

吉田‥ジムのトレーニング設備は良かった?

翔太郎‥ええ。まだ新しかった事もあって、とても良かったです。カナダではそこでずっとトレーニングして、そして地元の府中に帰ってきたら、僕が帰国する3ヶ月くらい前にゴールドジム府中東京が新しくオープンしていたんです。全てタイミング良かったんですよ。

吉田‥へえ、タイミング良く次々と翔太郎君を取り巻くトレーニング環境が整っていった感じがするね。

翔太郎‥そうなんですよ。思い起こせば、中学生の頃から自分の身の回りの環境には恵まれているんですよね。

翔太郎選手にとって、カナダヘの語学留学で得たものは大きかったという。留学前にはゼロだったという英語の語学能力だが、バンクーバーでの生活でカナダの文化と英語を学ぶ楽しさに目覚め、英語が好きになったという。英語が性に合うらしく、今では「英語を使った仕事をしてみたい」との思いがあるようだ。そして何より、バンクーバーで出会った仲間たちとの交流が、人生を豊かにしてくれる財産になったのだという。

07年ミスター日本

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04年のミスター東京優勝から3年の時を経てミスター日本の舞台に上がった翔太郎選手。15歳の時に思い描いた計画では初出場初優勝を決めていたという。

しかし、現実は翔太郎選手の計画通りにはいかなかった。04年のミスター東京では勝利した下田選手に大きく水を空けられ、さらに05年のミスター東京チャンピオンで、翔太郎選手と同世代の鈴木雅選手の後塵を拝する事にもなったのだ。

吉田‥ 07年のミスター日本についてだけど…。

翔太郎‥甘々でしたからね。話にならないですよね。

吉田‥調整の失敗という事なのかな?

翔太郎‥やはり、3年というブランクで、自分の食事の量が体に適していなかったんじゃないですかね。ちょっと誤算でした。大会の1週間前に風邪をひいてしまったため浮腫んだというのもありますけど、まあ、完全に判断が甘かったですね。9位で当然ですね。

吉田‥大会前に自分のコンディションについてある程度分かっていたわけだよね。自分がどの位の出来で、どの位の順位だろうと予想がつくと思うんだけど…?

翔太郎‥大会前には考えていませんでした。終わってからですよ。そういえばこういう感じだったなって…。でも、今思えば、07年なんかは全然優勝する心境じゃなかったですね。

吉田‥翔太郎君にとって、優勝する事が最優先事項なの?それとも自分にとってパーフェクトな体を作る事が目的なの?

翔太郎‥それは、優勝する事が目的ですね。自分の体の理想だけ追いかけてもしようがないんで…。

吉田‥それじゃ、極端な事を事を言えば、コンディションが甘くても勝てればいいと言う事なのかな?

翔太郎‥いや、そういうわけでもないですね。もちろん完壁な体の上で優勝する事は理想ですし、おのずと優勝するという事はそういう事になるのだと思います。

昼夜運転

トレーニング環境を第一に考えたからなのだろうか、翔太郎選手の生活は、世の中の大多数の人たちが過ごす時間帯とは全く違った生活をしているのだ。

吉田‥今の生活が深夜から朝方にかけてトレーニングして、朝から夕方まで睡眠をとるという昼夜逆転の生活を送っているという事だけど、それには何か理由があるの?

翔太郎‥夜中は人が少なくてトレーニングしやすいという事と、夜型だという事からそうした生活になったんです。

吉田‥そうした生活が翔太郎君にとって合っているという事なのかな?

翔太郎‥そうです。

吉田‥それを何年くらい続けているの?

翔太郎‥海外留学から帰って来てからなので、2年くらいです。

吉田‥昼一夜逆転の生活をしていて体調はどうなの?

翔太郎‥どうなんでしょうか…。でも自分としては全然問題ないですね。

吉田‥不規則な生活をしているというわけではなく、完全に夜型にスイッチしてしまっているわけだから問題ないのかもしれないね。睡眠時間はどのくらい?

翔太郎‥6、7時間くらいは睡眠をとるようにしています。

トレーニング

撮影協力/東急スポーツオアシス新宿店

撮影協力/東急スポーツオアシス新宿店

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24時間営業のゴールドジム府中東京で行っている翔太郎選手のトレーニングだが、開始時間は深夜2時からだ。他の会員がほとんどいない空いた状態のジムを独占するようにトレーニングし、早朝6時までの4時間を休みなしで一気にトレーニングするのだという。

吉田‥トレーニングについては何か特別なことをやっているの?

翔太郎‥僕は他の選手との交流がないので、僕が特別な事をやっているかどうかということが分からないんですよ。ただ、自分の理想とする筋肉の形に近づけるトレーニングというのを自分なりに考えています。

吉田‥どういうトレーニングをやっているの?

翔太郎‥軌道の使い方にこだわっています。科学的根拠があるわけじゃないんですが、トレーニングの軌道とか、重心のかけ方で作られる筋肉の形が違ってくると思っているんです。同じトレーニング種目で同じようにレップスを重ねて運動していても、出来上がってくる筋肉の形は違うと思うんですよ。ただデカければいいというのは僕の理想とする体ではないんで、そういう部分を大切にしてトレーニングしています。

吉田‥筋肉の形にこだわりながらバルクアップしていこうと考えているようだね。ところで、トレーニング重量にはこだわりがあるのかな?

翔太郎‥高重量低回数、中重量中回数、低重量高回数のトレーニングを混ぜ合わせるようにトレーニングしています。低重量高回数だとかなりのレップで、50~100回はやりますよ。筋肉の表面的なカットや張り感を出すためにやっています。

吉田‥前回のミスター日本から丸一年オフを取っていたけど、その期間はどういう計画でトレーニングしていたのかな?

翔太郎‥弱点部分の改善と、体重を90kg前後において、後はひたすらトレーニングという事です。

吉田‥弱点というのは?

翔太郎‥よく言われていた下背部とカーフ。それから、肩の張り出しとか、肩のリア。何もやってなかったですから…。下背と肩のリアとカーフは何もやっていなかったんですよね。そこをやるようにしました。

吉田‥どういうトレーニングをやり始めたの?

翔太郎‥カーフについては、スタンディングやシーテッドのカーフレイズ。下背なら、ローイングの姿勢を変えたり、バックエクステンションやデッドリフトをしたりですね。肩のリアは、他の人がやっていないと思うんですけど、斜めに動くスミスマシンを後ろ手に持ってやるんですけど…。

吉田‥アップライトローの後ろ手版というイメージかな?

翔太郎‥ええ。本当は、ハンマーのシュラッグマシンでやりたいんですけど、それが無いので代用してやっているんですよ。

吉田‥前回のミスター日本への挑戦の時と、今回とではトレーニング方法に違いがあるのかな?

翔太郎‥基本的には何も変わっていないですね。ただ、やらなかった部分をやるようになったので、トレーニング自体がかなりハードになりました。セット数が増
えて、時間も4時間ぶっ通しですし…。

吉田‥4時間とは、凄いトレーニングボリュームだね。

翔太郎‥やれる事は全てやり尽くそうとしています。クエン酸はいいですね。それまではクエン酸は摂っていなかったんですけど、あれを摂り始めてから疲れ知らずです。

吉田‥そうした弱点克服のトレーニングをやって、その効果はどうなのかな?

翔太郎‥だいぶ弱点が改善されました。全体的には、おそらく二回りずつはデカくなっていると思います。その状態で07年より減量を進めるので、かなり良いでしょうね。

吉田‥翔太郎君は力も強いと聞いているけど、ベンチプレスではどのくらいの重量を拳上できるの?

翔太郎‥脚を上げて普通のスタンスで190kgです。

吉田‥それは強いね。

翔太郎‥効かせるフォームでどこまで挙げられるかという事ですから、ビルダーとすると、強い方だと思いますけど…。

吉田‥筋肉に効かせなくちゃいけなからね。

翔太郎‥でも、重いのを挙げようとする時は、挙げようとこだわらないと挙がらないですからね。

吉田‥確かにそうだね。高重量を扱うと怪我のリスクもあると思うんだけど?

翔太郎‥今は大きな怪我は無いんですが、昔腰を痛めて立てなくなった事があったんですよ。

吉田‥ヘルニア?

翔太郎‥もともと分離症なんです。サッカーで捻りまくっていて…それから、ウエイトをやり始めてからヘルニアになりかけて立てなくなったんですよ。

吉田‥手術はしなかったの?

翔太郎‥しなかったです。針で治しました。今は腹筋をよくやるようになって…。それから、腰の抜き方を覚えたんですよ。それを覚えてからだいぶいいですね。あとは肩ですね。それはある程度誰でも持っているような、それほどたいした怪我ではないです。肘にも痛みがあるので、三頭のトレーニングでは重たいのを使っていません。

大きな怪我こそないとは言うものの、ハイボリュームでトレーニングする翔太郎選手のトレーニング強度は肉体の限界と紙一重のところにある。それでも、怪我が少ないところを見ると、ただ闇雲に高重量を扱いバルクアップを図るのではなく、求める筋肉の形を考えながら上手にトレーニングしている事が窺える。

食事と減量

翔太郎選手の減量時の食事は独特なものがある。一般的には、摂取する栄養素のバランスとカロリーの計算をしながらダイエットするものだが、翔太郎選手はカロリー計算を一切しないのだという。

吉田‥食事について聞かせてくれる?

翔太郎‥食事ですか? いたって普通ですね。肉食べて、ご飯食べて、野菜食べて…。

吉田‥1日何食?

翔太郎‥1日3食です。それにプロティンとサプリメントが2回ですから、全部で5回ですね。

吉田‥サプリメントはどんなものを摂っているの?

翔太郎‥プロティンとかアミノ酸、BCAAとかグルタミンとかです。

吉田‥基本的な栄養素の補給といった感じだね。大会前には食事はどう変わるの?

翔太郎‥量は何も変わらないんですけど、食べる物の質だけ変えます。

吉田‥量っていうのはカロリーの事?

翔太郎‥僕はカロリーを計算しないんで、グラムの事です。食べるグラムが基本的には変わらないんですよ。例えば鶏肉なら「もも肉」が「胸肉」に変わり、さらに「ささみ」へと変わっていきます。基本的に減量中は鶏肉とマグロの刺身以外は食べません。それと、胚芽米と野菜ですね。牛肉も豚肉も食べないんですよ。

吉田‥蛋白源として鶏肉とマグロ以外は摂らないというのは何故?

翔太郎‥淡々としているのが好きなんです。減量中はただの栄益摂取と考えているので、減量中の食生活は何も辛くないんですよ。

吉田‥カロリー的にはどのくらい食べているの?

翔太郎‥計算した事がないので、カロリーとか全然分からないですね。

吉田‥減量期間と減量幅はどのくらい?

翔太郎‥5ヶ月で10kg欠けるくらいですね。ただ、前回は失敗しているんで、今回は10kgきっちり落そうと考えています。

翔太郎選手は、減量期間に入ると食事内容を変える他、深夜2時からの4時間のトレーニングの後にトレッドミルによる1時間のウォーキングを始めるという。有酸素運動も入れたトータルのトレーニング時間は5時間というから驚きだ。

趣味

ボディビルダーとしての強いマインドを持つ翔太郎選手だが、ボディビルだけに興味があるわけではなく、多くの仲間との交流を大切にしながら、多彩な趣味も持っているようだ。

吉田‥趣味はピアノ演奏だったっけ?

翔太郎‥いえ、ピアノに触れる事が好きなだけで、それほど弾けるわけではないんですよ。母親がピアノの教師だったので、ピアノのある環境に育ったものですから…。

吉田‥それじゃ、趣味と呼べるものは何?

翔太郎‥何でしょうね。特にこれといった趣味はないんですけど…。

吉田‥ “ボディビル一筋”という事なのかな?

翔太郎‥まあ、適当に遊んでいますよ。

吉田‥どんな遊びをしているの?

翔太郎‥クラブに行ったり、飲みに行ったり、アウトドアに行ったり…。

吉田‥結構いろいろあるようだね。

翔太郎‥趣味と呼べるほどやっているわけじゃないんで…。でも、山登ったり、海に行ったり、キヤンプにもよく行きます。地元の仲間連中と集まって、みんなでワイワイやっているんですよ。

吉田‥アウトドア派なんだね。

翔太郎‥かなりのアウトドア派ですね。毎年夏はキャンプに行きますし、冬はスノーボードに行きます。多摩川が近いので、河原でバーベキューやったりもしています。でも、ピアノは本当に上手くなりたいんですよ。

吉田‥少しは弾けるの?

翔太郎‥まあ、「エリーゼのために」くらいだったら…。それから、料理もしますよ。ピアノも弾くし料理もするし…。ちょっと女の子の習い事みたいな感じでしょ?

吉田‥習い事のレベルであればね。

翔太郎‥確かにピアニストは男性が多いですね。僕はピアノのクラシック鑑賞が人好きなので、コンサートにまで行っちゃうんですよ。

吉田‥相当のマニアだね。ビアノの音が好きなの?

翔太郎‥ピアノの音、たまらないですね。自分が赤ん坊の頃から聴いていますから…。小さい頃は母親がピアノを弾いているそばで遊んでいるという家だったので、やはり親しみがあるんですよ。

ピアノに対する思い入れの強い翔太郎選手。以前、映画「おくりびと」に主演している本木雅弘さんにチェロの指導をしたチェリスト界の第一人者である柏木広樹氏の母親である有名なピアニストに会う機会があり、その時に直接ピアノの指導を受けた事もあるのだという。楽器についてはピアノだけでなくバイオリンも弾くとの事で、クラシック音楽全般に造詣が深いようだ。

このような芸術的な.面を見せる一方、クラブにも足を運び、激しい音楽も聴くのだという。そうした事から、自分の趣味を「夜遊び」と笑う翔太郎選手だが、昼夜逆転の生活を送っている現在の生活スタィルを考えると、あながち間違っているとも言えないようだ。

大応援団

07年ミスター日本にあわせて作ったパンフレット

07年ミスター日本にあわせて作ったパンフレット

04年のミスター東京と07年のミスター日本では、翔太郎選手を応援しようと仲間たちが大挙して押し寄せ、大応援団を形成していたのだが、そうした仲間たちはボディビルを観た事のない、いわゆる一般の人たちだったという。翔太郎選手はそうした仲間たちにボディビルの基礎知識などを解説するパンフレットを自作して手渡していたのだ。

吉田‥翔太郎君が優勝した04年のミスター東京は会場で観戦していたんだけど、周りに翔太郎君の仲間たちが大勢陣取っていて「翔太郎!」「翔太郎!」って声を張り上げて応援していたのを憶えているよ。

翔太郎‥そうだったんですか。

吉田‥応援に来てくれた仲間たちに自作のパンフレットを手渡していたとの事だけど、そのパンフレットにはどのような内容が書かれていたのかな?

翔太郎‥だいたいの今までのキャリアと流れを書きました。04年のミスター東京の時のパンフレットはちょっとダサいんですけど、07年のミスター日本の時のは凝って作ったんですよ。

吉田‥どう違うの?

翔太郎‥カラーにしたり、写真を取り込んだりしたんですよ。これまでのキャリアだったり、これからのフィーチャーだったりというのを具体的に書いたのは07年の時のパンフレットです。まあ、僕からの観に来てくれる人への一つのエンターテイメントですね。

吉田‥とても良い試みだね。ところで、もの凄い人数の応援団だったけど、何人くらい応援に来てくれたの?

翔太郎‥ 04年のミスター東京では40人。07年のミスター日本では80人の仲間が応援に駆けつけてくれました。今年のミスター日本では100人越えを目指しています。

吉田‥それは凄いね! 翔太郎君の仲間たちに与える影響力に感心するよ。

翔太郎‥最近、僕の周りの連中がボディビルの話をし始めたんですよ。昔はボディビルの事など全く知らなかったわけですけど。それが、ボディビルのDVDを見せたりしたら、合戸さんがどうだとか、谷野さんがこうだとか言い始めるようになったんです。

吉田‥目が肥えてきて、評論できるまでになったんだな。

翔太郎‥ 「お前にはまだ無理だよ」なんて言われちゃって、面白いですよね。

吉田‥大会に大勢の仲間を呼ぶなど、仲間うちでかなりの影響力を持っているようだけど、トレンドを作りたいと思っている?

翔太郎‥そうですね。自分の体がデカくて、美しくて、素人が見てもこの体凄いなっていうのがあるじゃないですか…。

吉田‥“憧れの体”というやつだね。

翔太郎‥ええ。そういう体っていいですよね。そして、それをトレンドというなら、僕がそうなってそういう流れを作りたいですね。

吉田‥体のトレンド、スポーツとしてのトレンド、そして、そうしたものを全て含んだ生活スタイルのトレンドを作り出して脚光を浴びるとするならば、それが大きな潮流を生み出し、若者文化全体のトレンド・リーダーとなるかもしれないね。

翔太郎‥そうですね。例えば、格闘技なら魔裟斗だったり、ハンドボールなら宮崎大輔だったり、そういう事ですよね。僕を通して世の中に広まったら最高ですね。

翔太郎選手の応援のために直接会場に足を運んでくれる仲間の数には驚かされる。そうした仲間たちは、翔太郎選手にとって大きな力の原動力となる大切な存在であろうが、ボディビル界全体にとっても貴重な存在だと言えるのではないだろうか。

ボディビルはとてもレアな競技スポーツであるため、一般の人たちが普通に生活をしている状態でボディビル大会に関するインフォメーションを目にする事はまずないだろう。さらに、アマチュアのスポーツ競技であるボディビル大会の4千円~5千円という観戦料金は決して安くない金額だ。実際、彼女を誘って二人で映画館に行き、グローバル配信の最新のハリウッドのエンターテイメント作品を観て、なお釣りがくるという金額だ。そんな中、一選手の個人的な尽力により多くの一般の人たちが大会観戦に足を運んでくれているのだ。

そうした大会観戦に足を運ぶ一般の人たちを楽しませ、ボディビルに興味を持ってもらえるかどうかは、大会を主催運営する側の手腕に掛かっていると言えよう。ボディビル競技を関係者だけが集まる発表会的なものではなく、一般の人たちを惹きつけ、楽しませるというエンターテイメントとしてのエッセンスを加える事が出来るかどうかが、大会を主催運営する側の今後の課題であり、そうした要素を取り入れる事がボディビル界全体の発展につながっていくのではないだろうか。

海外挑戦

吉田‥今後は、どういう計画を考えているの?今年のミスター日本での優勝は考えていると思うけど、その後は海外の大会へ挑戦という事になるよね?

翔太郎‥今年の世界選手権はドバイで開催との事なんですが、今のドバイには是非行きたいですね。

吉田‥世界経済を席巻したドバイマネーの発信源を見る事になるわけだから、面白そうだね。

翔太郎‥今はちょっとバブルがはじけた感がありますけど、それでも、今行ったら面白いと思うんですよね。

吉田‥ドバイでの世界選手権では、07年の時の計画と同じように予選通過というのが目標になるのかな?

翔太郎‥僕はまだ世界選手権に行った事がないし、観た事もないですから80kg級の世界選手権がどの位のものなのか分かっていないので、闇雲には言えないんですけど、予選通過というレベルでは考えていないんですよね。

吉田‥すると、6位入賞というのが一つの目安になると思うけど?

翔太郎‥そうですね。狙っていきたいですね。でも、世界選手権については何とも言えないです。

吉田‥アジア大会については考えている?

翔太郎‥東アジアとバリ・ビーチゲームズにはあまり興味がないですけど、アジア大会は流れがあればおそらくチャレンジすると思います。アジア大会については、自分のキャリアの中にあってもいいタイトルだと思いますので。

アラブ首長国連邦のドバイに興味を示し、目を輝かせる翔太郎選手。アメリカのサブプライムローン問題を発端とする世界的な経済危機に見舞われた現在、ドバイの投機マネーも大打撃を受け、経済成長の低迷が伝えられるが、それでも遠い未来を見据え、石油だけに頼らず外国企業の誘致や観光事業などにも力を入れており、巨額なオイルマネーを投じて作り出した計画都市国家の巨大なエネルギーの息吹を目にするのは興味深い。翔太郎選手は、ドバイでそうしたエネルギーのほとばしりに触れる事で自らのモチベーションを高めようと考えているようだ。

JBBFプロへの思い

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翔太郎‥イライラしますよ。この2年間は。

吉田‥それは、07年のミスター日本以降の2年間の事だよね。そのイライラ感は具体的にはどういうものなの?

翔太郎‥自分がこの業界で何も結果を残せていないっていう毎日の生活の中の心境ですね。1円も稼げていない。13年経ってまだ日本一になれていないっていう焦りが強いですよ。

吉田‥稼ぐという事を成功の一つの指標にしているのかな?

翔太郎‥稼がないと話にならないですからね。ちょうど、歳も歳で、周りは会社に入ってしばらく経って仕事が出来るようになって、会社からお金がもらえるようになってきている、そういう時期ですから、そういう事と重ねて考えてしまいますよね。でも、もう一方では、まだ20代ですから、やりたいようにやっていけばいいと思っているんですけどね。

吉田‥ミスター日本で優勝してJBBFプロの資格を得たいという話をしていたけど、そのJBBFプロ資格を得て何をやろうと考えているのかな?

翔太郎‥メディアに売り込みたいんですよね。

吉田‥メディアに売り込んで何をやるの?

翔太郎‥ボディビルダーである僕がフィーチャーされるという事がまず一番で、そこから広げていこうと考えています。

吉田‥そのためにはミスター日本優勝というのが必須条件になるのかな?

翔太郎‥必須です。ここで優勝できるかどうかっていう話もしたくはないんですよ。そういうレベルでやっていたら話にならないですからね。今の日本のレベルで…。

吉田‥それは、どういう意味で言っているのかな?

翔太郎‥世界大会で成績を残すためには、今の日本のレベルが高いとは思えないので、そこで優勝できるかというギリギリのラインで争っていては、僕の今後も無いという事です。自分がそこまでのレベルに達しているかどうかは別として、自分がそういう状態にならなければ今後がないという意味です。今から世の中の色々な業界やメディアに出て行くためには、“ボディビルの日本チャンピオン”という肩書では面白くないわけですよ。色々な競技のスポーツ選手が世界で活躍しているわけですから、おそらくメディアからしたら“日本チャンピオン”という事ではインパクトが薄いと思うんですよね。そういう事から、世界で活躍するそうした選手たちの一人に加わりたいという思いがあるんです。

吉田‥翔太郎君はボディビル競技を足掛かりにして、その先に何か大きな計画を考えているようだね。

翔太郎‥そうですね。ちょっと言い方が悪いかもしれませんが、ツールなんですよね、一つの。みんな人生を生きている中で何かに出会うじゃないですか。僕が出会ったのがボディビルなんで、自分のツールがボディビルという事になるじゃないですか…。

吉田‥ツールとは言いながら、ボディビルに対する思い入れもあるわけだよね?

翔太郎‥もちろんあります。好きじゃなかったら続きませんからね。

吉田‥ボディビルダーとしての今後はどう考えているの?

翔太郎‥ボディビルに関しては世界大会に出場し続ける事です。まあ、たやすく結果を残せる世界ではないと思いますから。いかにステロイドまみれの世界で戦っていくか…。それが日本のメディアの心をくすぐると思うんです。僕からすると、ナチュラルで薬漬けの大男たちに向かって行くというのが楽しいんですよ。もしそこで勝ったら、最高のドキュメンタリーでしょうね。

15歳の時に思い描いた07年ミスター日本優勝へのビジョン。そして、その夢を果たす事が出来ず、止まってしまった翔太郎選手の2年間の時間。今年、07年に叶わなかったミスター日本チャンピオンヘの夢を果たす事で、その先の世界大会への扉を開け、さらなる大きな夢の実現に向けて新たな一歩を踏み出そうとしているのだ。

運命の予感

新年を祝う年明けの恒例行事として、各地でカウント・ダウンのイベントが開催されている。翔太郎選手もそうしたイベントに参加しようと、昨年の大晦日から今年の年明けにかけて芝公園に隣接している増上寺に足を運んだのだという。そして、その場所は、奇しくも“09年ミスター日本”が開催される会場のすぐ目と鼻の先の場所だったのだ。

翔太郎‥今年、人生で初めてのカウント・ダウンのイベントを増上寺で体験したんです。そこでは、風船に願い事を書いて飛ばすというイベントがあるんですけど、「日本一になれますように」って書いて飛ばしているんですよ。

吉田‥今年のミスター日本が開催される会場の上に広がる空に、優勝への想いを乗せて飛はしたんだね。

翔太郎‥偶然そうだったんです。増上寺の近くでミスター日本が行われるのを知ったのは、今年の3月頃だったんですよ。なんか運命のようなものを感じるんですよね。

15歳の時に思い描いたボディビル人生 のシナリオ。それを現実のものとするために自分を信じ、努力を重ねてきた翔太郎選手。07年のミスター日本から止まってしまった時間を再び動かし、翔太郎選手か思い描く人生のシナリオの第一章の幕を引き、その後に広がる夢への入口である第二章の幕を開ける事が出来るだろうか…。その行く末は、10月に開催されるミスター日本の結果に懸かっているのだ。

風船に込めて飛ばした「日本一」への翔太郎選手の思いが通じるか…。運命のカウント・ダウンはすでに始まっている。 (了)
  • 須山翔太郎(すやま・しょうたろう)
    生年月日:1981年9月26日
    出身地:東京都調布市
    血液型:O型
    身長:172cm
    体重:89kg(オフシーズン)、79kg(大会時)
    趣味:アウトドア全般
    戦績:99東京ジュニア優勝、99全日本ジュニア優勝、
    04年ミスター東京優勝、07年ミスター日本9位

[ 月刊ボディビルディング 2009年7月号 ]

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