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NSCA国際カンファレンス ファイナル #元フェンシング日本代表 太田雄貴氏

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掲載日:2017.07.07
NSCA国際カンファレンスの最後の講座を飾ったのは、フェンシングのオリンピックメダリストである元フェンシング日本代表 太田雄貴氏。
フェンシングといえば、マイナー競技というイメージがありましたが、太田雄貴氏の大活躍により、一気にメジャー競技へと駆け上がりました。

日本にフェンシングという競技の面白さを伝えてくれた太田雄貴氏による講義は、
フェンシングとの出会いから、オリンピックに4回出場しメダル獲得に至るまでのオリンピアンの苦労、
また2020年の東京オリンピックに向けてのビジョンなどをお話されました。
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太田雄貴氏とは

1985年11月25日生
平安中学・平安高校(現:龍谷大学付属平安中・高校)、同志社大学出身。

小学校3年生からフェンシングを始め、小・中学と共に全国大会を連覇。
平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成。
高校2年生で全日本選手権優勝。

2008年北京オリンピックにて個人銀メダル獲得。
2012年ロンドンオリンピックにて団体銀メダル獲得。
2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たすなど、数多くの世界大会で優秀な成績を残す。

4大会連続となるリオデジャネイロオリンピックにも出場。

2016年には日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟 理事に就任。
同年に現役引退。
2017年6月、日本フェンシング協会 理事に就任。

2020年の東京オリンピックに向けて、日本の顔として日本フェンシング界を牽引していく。

フェンシングとの出会い

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フェンシングと太田氏の出会いは、お父さま自身がフェンシングをされていたのもあり、
「子どもにもフェンシングをさせたい」という熱い思いがきっかけとなりました。

そんなお父さま、最初にお兄さんにフェンシングをやらせてみるも3日でギブアップ。
次にお姉さんにやらせてみると、記録は更新したものの10日でギブアップ。
残るは一人、もう失敗はできないと末っ子である太田氏にお父さまが、考えて打ったその手とは…

「雄貴…スーパーファミコンを買ってあげるから、フェンシングをやらないか?」

そのひと言に、太田氏は「いいんですか、お父さん!やります、やります!」と、まんまとその手に乗ってフェンシングを始めたのだそう。

太田氏は、そのスーパーファミコンと一緒にお父さまから大切な言葉をもらいました。

それは『継続は力なり』と…

元々はスーパーファミコン欲しさでフェンシングを始めた太田氏でしたが、試合が勝つにつれて、すっかりその魅力にハマっていったそうです。

ちなみに、お父さまは、小学校の教員をされていて、物で釣ったことを数年後に太田氏に謝られたのだとか。
それにしても、お父さまが、スーパーファミコンで太田氏を誘ってくれていなければ、
日本で、ここまでフェンシングが発展しなかったのではないかと思います。
そして、太田氏のオリンピックへの道がスタートしました。


「僕は、フェンシングを始めてから、4300日間1日も練習を休むことはありませんでした。
13年という年月練習を続けてきたのですが、ある日、フェンシングの練習をピタッと辞めたくなった日がやってきました。

それは、勝つための手段だったはずのことが、練習を続けるという目的にいつしか変わってきたことに気づいた瞬間でした。
いつしか、手段が目的にすり替わったっていたのです。

そして父親に『あくまでも勝つために練習を辞めたい』とお願いしました。
いつもいっしょに練習をしていた父親に
『やっとお前も、自立したな』と喜んでもらえると思いきや、父親は剣を投げてめちゃくちゃ怒りました。
それほど父親は僕とフェンシングをするのが楽しかったのだということを知りました。

そして、それを機に、手段だったものに対して、もう一度勝つことを目的としようと決めて動き始めました。」

オリンピックとメダル

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「初めて出たオリンピックが2004年18歳の時、2008年が22歳の時、2012年26歳の時、2016年が30歳の併せて4回出場しています。
2004年のアテネオリンピックの時に、開会式に出たのですが8万人の観客が声援をくれるのですが、地鳴りがしました。
あの感動は今でもすぐに思い出すことができます。

オリンピックというのは、1億2000万人のうち350人くらいしか出ることができません。
しかし、アテネオリンピックから帰国した時に、メダルを獲れないと、どういう現象が起きるのかを知りました。

まず日本に戻り空港に到着した時に、線が引いてあるのです。
メダルを獲った方は右側へ、メダルを逃した方は左側へ…と。
当然、僕は左側だったので誰にも見向きもしてもらえませんでした。
もちろんニュースにもなりません。

その時に強く決心しました。
『オリンピックは参加するものじゃない。メダルを獲るものだ!』と。
それから、
4年後の北京オリンピックで、僕はメダルを獲ることができました。」
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「北京オリンピックでメダルをとって、メダルとは一体何だろう。と考えるようになりました。

最終的に出た答えは“メダルとは通行手形”みたいなもので、資格や学位のようなものだと考えました。
なぜなら、メダルを獲ることによって、今まで行けなかったところに行けるようになったり、会えなかった人たちに会えるようになったりします。

メダルそのものを目標とするのもいいのですが、
『メダルを獲って何をしたいのか』と考えているアスリートと、
『メダルを取って終わり』と考えるアスリートでは大きな違いがあります。

僕の場合は、メダルを獲って、より多くの人々にフェンシングを知ってもらいたい、ということを考えていました。

メダルを獲れたからこそ出来たことの1つに、東京オリンピックの招致がありました。

“メダルを獲り”、“何をしたいのか”ということをセットで考えられるアスリートがもっと増えない限り、国際舞台で活躍できるアスリートは増えないだろうと考えています。」

フェンシングの競技特性

「フェンシングというのは、道具を使う競技です。
道具を使わず、フィジカルの影響が大きな競技というのは比較的番狂わせが少ないと僕は仮説を立てています。

例えば、競泳や陸上というのは毎年優勝者や上位にいるメンバーはだいたい同じで、順当に来ている場合が多いのです。
それに対して、柔道などもそうですが、道具を使わない対人競技では番狂わせが多いのです。

フェンシングの場合は、対人競技な上に、剣を打ち道具も使います。
また、ポイントが根元にあれば安定もしていますが、ポイントが剣の先についているため、とても複雑な条件が絡んできます。

また、動きが速いため、判断しづらい場合もあり、そこに審判の気持ちも入ってきます。
そのため、フェンシングというのは勝ち続けるということが難しい競技なのです。

これが、フェンシングがマイナー競技である所以でもあるのですが。
ここ9年を見てみると、同じチャンピオンは出ていません。」
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「僕は、明確な逆算と準備。一喜一憂しない」
ということを大切にしています。

オリンピックで金メダルを狙うために、目標設定を選手がすること、また、トレーナーも目標を明確にさせることが非常に重要だと思います。

僕の場合は、世界のトップ選手と、今の自分と比較して何が足りないのかを全て書き出していました。
身長や、手の長さ、年齢など動かせないことは別として、技術、スピード、動き、筋力などは補うことができるからです。
また、目標までどのくらいの速さで進んでいくのかも重要なポイントです。

オリンピックまで早く着き過ぎてはダメなのです。早く着き過ぎたのが僕のリオのオリンピックだと思ってください。

僕は、2015年の世界選手権にフェンシング人生において最後のピークがやってきました。
世界選手権がきた瞬間に、僕は『今日優勝する』と思いました。
そして優勝しました。

2016年のリオのオリンピックの時には、動く感覚も全て含めて、そのような感覚はありませんでした。
自分の中で負けを処理するのは大変でしたが、僕の話を参考にして、みなさんに成功して欲しいと思っています。」

東京オリンピックを盛り上げよう!

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「東京オリンピックの招致は、僕なりの信念がありました。

日本でオリンピックが開催されれば、うつむいている人たちが顔を上げるのではないか、人々が笑顔になり希望が持てるのではないか。
開催が決まれば、決まってからの7年間、みんなで楽しむことができるのではないか、
そのように考えました。

また、スポーツを通した街づくり、テニスといえばウィンブルドンと言われるような、世界の人たちにも認識してもらえるようなものをつくりたい。
そして、スポーツを通して街づくりを行い、
オリンピックが終わった後にも、高齢者の方々も若者に交じってスポーツを楽しむようなことができれば、
高齢化社会の健康促進にも貢献できると考えています。」

こちらの動画をご覧ください。


「この映像を作ったのは、リオオリンピックの閉会式で流した映像のチームが制作をしています。
フェンシングのように分かりづらい競技は、分からない人たちを放置するのではなく、
分からない人たちにテクノロジーの力を借りてより分かりやすくする、
これが大切だと考えています。

最も成功したオリンピックは、ロンドンオリンピックだと言われています。
なぜならマイナー競技に関係なく、オリンピックもパラリンピックもどの試合もどの会場も、常に満員で盛り上がったからです。

通常、自分の国の選手が出ない時には、観に行かないということが多いのですが、
イギリス国民は、どの競技のどの試合も満席にしてくれたのです。

日本のように、成熟した国が行うオリンピックは、世界のお手本になるようなことをするべきだと思います。

『ガラガラの会場で選手たちに競技させるのは、恥ずかしいよね!』
『俺たちが応援しようぜ!』『子どもを連れて行こうぜ!』と、
日本国民がみんなで盛り上げ、スタジアムをパンパンにするということができればいいと思います。

それが、選手たちにとっても励みとなり、勇気になります。
みんなで、東京オリンピックを盛り上げていきましょう。
フェンシングは、幕張で行われます。ぜひフェンシングも皆で盛り上げ応援していきましょう!

フェンシングは、幕張で行われます。ぜひフェンシングも皆で盛り上げ応援していきましょう!

最後に…

いかがでしたか。東京オリンピック開催が決まった日、日本が湧いてみんなで盛り上げたいという気持ちでいっぱいになった喜びのニュースでした。
しかしその後、様々な問題が次から次へと出てきて、東京オリンピックへの純粋な喜びが少しずつ曇ってくるようなことも。

太田雄貴氏のお話を聞きながら、ハッとしました。
ロンドンオリンピックで、イギリスの国民がオリンピック、パラリンピックを盛り上げ、みんなで応援し会場を満席にしたからこそ大成功したのだと。

私たち、日本人は大切なことを忘れていないでしょうか。
平和の祭典であるオリンピックだからこそ、
今、私たちも心をひとつにして平和に希望を持って、オリンピックのお手伝いや、準備をしていかなければならないのではないか、と目が覚めた気分でした。

私たちの住む日本に、世界中から一流のアスリートが集まり、磨きに磨かれたその技を競い合うその瞬間を間近で見ることができる、この素晴らしい機会。
考えただけでワクワクしてきます!

太田雄貴氏を始め、このように裏で東京オリンピック開催のために全力を尽くす人たち、
日本のアスリート、アスリートを支える人達、様々な人たちが着々と準備を進めています。
私たちも、自分のできることで世界の人たちをお迎えする準備をしないとですね!

太田雄貴氏のお話は、本当にいろいろな面において心に突き刺さりました。
また、フェンシングというルールを知らなかった競技も、知れば絶対に面白いものです。

マイナー競技と言われている競技も含めて、世界の人たちに「東京オリンピックは素晴らしかった」と言っていただけるようなものにしたいですね!




文:カナ
太田 雄貴

1985年11月25日生
平安中学・平安高校(現:龍谷大学付属平安中・高校)、同志社大学出身。

小学校3年生からフェンシングを始め、小・中学と共に全国大会を連覇。
平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成。
高校2年生で全日本選手権優勝。

2008年北京オリンピックにて個人銀メダル獲得。
2012年ロンドンオリンピックにて団体銀メダル獲得。
2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たすなど、数多くの世界大会で優秀な成績を残す。
4大会連続となるリオデジャネイロオリンピックにも出場。

2016年には日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟 理事に就任。
同年に現役引退。
2017年6月、日本フェンシング協会 理事に就任。

2020年の東京オリンピックに向けて、日本の顔として日本フェンシング界を牽引していく。


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