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SPOT LIGHT 澤田めぐみ(2014 ジャパンオープン女子優勝者)

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.10.05
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さわだ・めぐみ/ 1961 年6月15 日生まれ/東京都出身/血液型:A 型/トレーニング歴:3年9か月・コンテスト歴:5か月/職業:販売/家族構成:夫と娘/身長164cm、体重オン53kg・体重オフ55kg/趣味:サイクリング/ゴールドジムイースト東京所属

シンデレラ・ウーマン誕生

 今年のボディビル界のシンデレラ・ウーマンといえばまさにこの人、澤田めぐみ選手は「ボディビルを始める前の人生とは、まったく変わってしまいましたね」と瞳を見開きながら言う。

 もともと身体を動かすことは好きだった澤田選手だが、ここのところ体を鍛え始めたのは2011年、当時高校2年生になった最愛の一人娘が、1年間のニュージーランド留学に旅立ったのがきっかけだった。それまでの澤田選手は、子どもの活躍を何より楽しみにしている、自称〝ステージママ〟だった。彼女の娘さんはダンスが得意で、子どもの頃からスクールに通い、熱心に取り組んでいたという。

「いつも一緒にいた娘が側にいなくなったことで正直、淋しかったですね。娘第一の生活が長かったので、自分の中にぽっかり穴があいてしまったんです。でも淋しがってばかりでは何にもならないから、とにかくその日からジョギングを始めたんですよ。小雨が降っていても自宅近くの河沿いのランニングコースを毎日走りましたね」

 ときには感情が高ぶって、走りながら涙があふれ出ることもあったが、当時はまっていた韓流ミュージックを聴きながらランニングをするうちに、

「娘に負けないように自分自身も輝きたい」と強く思うようになっていた。「普通のおばさんでは終わりたくなかった」と笑う。子育てに手が離れかけた女性が、「自分が自分を認めてあげられるものをもちたい、一人の人間として成立したい」と思うのは、よくあることだ。まずは、10代の頃親しんだことのある〝走ること〟にその端を求めた澤田選手。子育て後、自己実現を成功させるにはパワーと実力、努力が必要になる。澤田選手の口から出る言葉たちを拾っていくうち、物腰はやわらかいが、かなり強いこころを持った人であることがわかってきた。

 ジムでトレーニングも行いながら、しばらくマラソンをやっていた澤田選手だが、フルマラソンで4時間台の記録を出し、さらに翌2012年になって、ひょんなことから「ベストボディという大会があるので出てみないか」と誘われる。「出場者は少なかったのですが、そこで優勝できたんですね」

 自分の体で理想の体を追及してみたいという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。
デビュー戦の東京オープン

デビュー戦の東京オープン

 そういう背景を知ると、2014年の今年、彼女がボディビルコンテストで快進撃を飛ばしているのも〝必然〟という気がしてくる。

 ベストボディの大会から入ったが、途中、筋肉がつきやすい自身の特性に目覚め、躊躇はあったが新しい世界に飛び込むことになった。男性の〝マッチョ〟は好きだったが自分がやることになるとは思っていなかった。しかし、ボディビルで好成績をあげている女性の選手たちに会って「強い人たちも決して筋肉もりもりではなく、普段は普通の女性なんだな」と思い、やがて「自分にもやればできるかもしれない」と感じるようになった。

 さて高校時代、ニュージーランド留学をした娘が、今度はアメリカの大学への正規留学が決まった。娘は将来、その道のプロとしてやっていくべく、ダンスの道を目指すことになった。娘に負けてはいられない。2014年4月は、澤田選手の「子離れ記念日」となった。

目標を意識すれば花開く

 澤田選手は、デビュー戦の5月から東京オープンで、いきなり古豪を破る。これにはコンテスト審査員もびっくりである。ビギナーズラックかと思いきや、日本クラス別、東京クラス別、ジャパンオープン、東京選手権と次々とタイトルを手にしたものだから、周囲は唖然というほかないであろう。

「結果が出るたび、まわりの人が『次の目標はこうだね』などと口ぐちに言ってくれるようになり、そんなの無理だと思う自分もいたけど、悔いがないようにぎりぎりまで頑張りましたね」という。

 人は、誰かと比べることによって優劣を決めたがるものだ。目に見えやすい〝かたち〟はそういうものなので、注目され話題に上るとき、自分以外の誰かを意識せずにいることはとても難しい。

 澤田選手は、周囲の期待とプレッシャーを受け止めながらも「自分の目標をクリアできたらきっといい評価が出る」と踏ん張った。「人との比較でなく自分が純粋に楽しみたい」それが澤田選手の思いだったからだ。それが〝吉〟と出た!
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「絶対落とせないね」と周囲から特にプレッシャーをかけられていた東京オープンの前は、コンテストが待ち遠しくて、日々、わくわくして過ごしていたという。パーソナルトレーニングを受けている本野卓士氏にも、「眼がきらきらしているよ」と言われることが多く、かなり調子がよかったことがわかる。〝苦手〟だというフリーポーズについても、ポージング練習などを重ねるうち、「こういうふうに踊ればいいんだ」とひらめいた瞬間があったという。そうすると、コンテストに出場することが楽しくなってきた。

「私は今、52歳で、まだまだこれからだと思っているのに、たとえば始めたばかりの30代の人が早く結果を出したいと焦っているのを見ると、不思議で、全然まだまだ大丈夫だよって思います」と言う。

 たとえば、と澤田選手は言う。自分自身の人生を振り返ってみると、澤田選手は30歳頃、ちょうど出産をしていたという。そして、もし彼女がその後すぐにボディビルを始めていたとしたら、はたして50歳まで第一線でできただろうか、と問いかける。

 30代には30代、50代には50代に、人にはそれぞれの人生のステージでそのときにやるべきことがあるということだろうか。人に惑わされることなく、自分の道を堪能しながら歩めばいいということだろう。

 ちなみに本野トレーナーには、自分から連絡をとった。

「自分自身のトレーニングでは限界が見えていたので、指導してくださる人がほしかった」と言う。希望と決断、そして行動が一致した人だから、スピーディにものごとが進んでいく。
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己の限界を打ち破るために本野氏のパーソナルを受けることにしたと言う澤田選手。本野氏の指導で彼女の実力が開花したことは言うまでもない

撮影協力:ゴールドジムさいたまスーパーアリーナ

トレーニングと食事

「筋肉がつきやすい」という澤田選手の食事は「牛肉中心」。6時半頃起床し、朝から肉を500g食べてしまうというから、かなり丈夫な内臓の持ち主のようだ。

 仕事柄、トレーニングは深夜に行うことも多いので、いきおい夜ごはんをとる時間が午前0時を過ぎるなど遅くなっていたそうだが、最近、朝方に変えた。それで、朝から肉を食べることになる。

「肉は好きで1kgでも食べてしまいますね。ただ、深夜に食べなくなったことで、食べる量は同じなのに、自然に体重がぐんと減ってしまいました。だから減量に苦労することはあまりないのです」

 何ともうらやましい限りだが、脚に肉がついているのが悩みだった時代もあると澤田選手は言う。「脚を出して歩けるようになりたい」と念じながらスクワットなどに取り組む日々が続き、現在の脚線美はコンテストでも光っていた。しかし決して満足しているわけではないといい、さらにシャープな筋肉をつけたいと思っている。

 すでに述べたように、澤田選手は現在、朝にボリュームのある食事をするので、昼はオートミールなどの軽食をとることが多く、夜もトレーニング前に塩麹漬などの肉を少し食べる。プロテインは豆乳に混ぜて毎日3回、きっちりと摂っている。多くのことは〝動物的カン〟で習得していくことが多い。トレーナーの指導についても、言葉から聞いて理解するというよりむしろ、実際にやってもらって、その姿を視覚的にとらえることで腑に落ちることが多いという。イメージを描けるということは、創造的になれるということにつながるので、今後の可能性も広がるというものだろう。

 現在、澤田選手のトレーニングは8分割で、週6回、3~4時間、がっつりと行う。ホームとなるのは住んでいる町田市にあるジムで、さらに週1回、本野トレーナーの指導を受けるため都心の大塚まで通う。とくに肩を鍛えるのが好きで、三角筋の形をよくすることを目標にした時期もあった。
今年のジャパンオープン

今年のジャパンオープン

この半球体はいったい何だ !?

この半球体はいったい何だ !?

 毎回、本野トレーナーから、筋肉の細かい部分に意識を向けて行うやり方を納得のいくまで聞き、それを忠実に守る。疲労したら週1回は積極的休養日を設け、ゆるやかな有酸素運動、ウォーキングにあてている。フルタイムで仕事をし、このトレーニング量は驚くが、聞くとレップ毎の負荷はそれほどかけていていないのだそうだ。それでも筋肉がついてしまうという。周囲の人からは「筋肉をつけるために、必ずしも重いものをあげる必要はないのですね」と驚かれる。ただこの先は「もっとインパクトのある身体になり、一回り大きくなるのが目標」というから、方法も変わってくるかもしれない。

 来シーズンに向けて、冬の間はバルクアップに勤しみたいという。夜に肉を食べる生活をすれば、増えにくい体重も増えていくだろうと楽観視している。目下、肉体的にも精神的にも発展途上な彼女は、ウェイトコントロールについても自然体でどこか楽しんでいる風が感じられる。こんなことから考えて、この先どれだけの伸びしろをもつ人なのだろうと末恐ろしくなるのだった。

ポジティブ生き方メソッド

 もともと前向きな性格だ。たとえば失恋をしたとして、泣いて落ち込んで悲しんで、もう立ち直れないと思うことがあったとしたら、鏡にうつった自分の顔をじっと見る。

「そんな顔して生きていたらだめじゃない。もっと輝ける!」
と言い聞かせられるときがくる。そう言えたらきっぱり、前を向く。待っている「すてきなこと」を目指して進んでいく。自分が輝いて生きるために。そうして次々と未知なる自分に出会っていく。これが澤田選手の強さなのだろう。

 ボディビルダーとしても今の自分に満足せず、また新しい自分に出会っていきたいのだそうだ。

 ところでボディビルで連勝を続けていることをアメリカで勉強中の娘にメールなどで写真とともに報告すると、現地でできた友だちともども祝賀メッセージを送ってきてくれるそうだ。日本ではボディビルをしているママというと「変わっているね」などと珍しがられたが、アメリカでは女性ビルダーはいっぱいいるよ、と言っているという。「すごすぎ~」という娘からのメールが届くたび、さらに前向きになる澤田選手であった。
左より昨年のJO優勝者の石澤選手、本野氏、澤田選手

左より昨年のJO優勝者の石澤選手、本野氏、澤田選手

◆インタビューを終えて

 2013年8月、本誌はさいたまスーパーアリーナにあるゴールドジムで、石澤静江選手のインタビューと撮影を行いました。筆者(佐藤)は気づかなかったのですが、実はそのとき澤田めぐみ選手も、同じ場所にいたということでした。「石澤さんが取材されているのを憧れながら遠巻きに見ていたんですよ」とおっしゃいます。1年後の8月22日には、澤田選手の撮影が行われました。このことに〝何かの縁〟を感じると澤田選手は話されます。1年間でずいぶん変わったことがわかる象徴だとも。よい波動が波動を呼び、うねりのようにパワーを発揮していく、そんな流れを創りだすことのできる、光を発する女性ビルダーが日本にも、もっともっと増えてほしいものですね。
[ 月刊ボディビルディング 2014年11月号 ]

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