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私のアルバム 《 遠藤光男 》

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[ 月刊ボディビルディング 1973年4月号 ]
掲載日:2017.10.10
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 18才でボディビルを開始してから、わずか6年目にしてミスター日本を獲得、翌年ミスター・ユニバースでも3位入賞と、ボデ・コン街道をまっしぐらにつき進んできた遠藤氏は、わが国ボディビル界を代表する本格的コンテスト・ビルダーであり、その実力、人気ともに斯界のナンバー・ワンであることは疑う余地もない。

 天性の素質と近代的トレーニングで磨かれた肉体は、”男性美の極致”として、ビルダーはもちろん、たくましくなりたいと願う多数の人々の羨望の的となり、マスコミに登場すること数知れず、ボディビルの普及、啓蒙に貢献した功績は偉大である。
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昭和24年4月、第一亀戸小学校に入学。最前列矢印遠藤氏。
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昭和17年9月23日、父・末一郎と母・たきのの三男として生まれる。
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写真左:昭和34年6月高校1年。ボディビル開始以前のからだはこのとおり貧弱だった。右は兄・常雄氏。
写真右:ボディビルがおもしろくなり始めた21才頃、ジムと自宅の両方でトレー二ングしていた。遠藤氏のたくましい体は父親ゆすりだということがよくわかる。
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写真左:生まれて初めてのコンテスト出場。大阪の服部緑地で行われた’64ミスター全日本コンテストで8位に入賞。
写真右:昭和41年7月、千葉県九十九里浜で行われた第1回ミスター東日本コンテストに優勝、初のビッグ・タイトルを獲得。
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昭和41年11月26日、日比谷公会堂で行われたミスター日本コンテストで待望の優勝を遂げ、24才で第12代ミスター日本となる。このときの体位は、身長170cm、体重84kg、胸囲125cm、上腕囲44cm、大腿囲64cm。
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両親に見送られて’67ミスター・ユニバース・コンテストが行われるカナダのモントリオ一ルへ出発。
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昭和43年10月27日、最愛の操子夫人と結婚、自身の経営する錦糸町ボディビル・センターに多数のボディビル関係者を招いて披露宴を行う
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ジム経営、健康器具の販売、広告写真のモデル等に加え、先頃発足したJFBB(日本ボディビルダーズ連盟)の理事長に就任、公私ともに極めて多忙な毎日だが、たまの休みには克弘ちゃん(4才)とまやちゃん(2才)を連れ、親子4人(まもなく5人になる予定)でレジャーを楽しむという、よき夫、よきパパぶりを発揮している。
[ 月刊ボディビルディング 1973年4月号 ]

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