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不世出の巨人 レジ・パーク

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[ 月刊ボディビルディング 1973年9月号 ]
掲載日:2017.11.07
高山 勝一郎

世界初のトリプル・タイトル・ホルダー

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 レジ・パークの人気はすごい。どこの国へ行っても”レジ”の名前を耳にする。国境のない幅広い人気が彼の人柄をあらわしているようだ。

 ロンドンのヴィクトリア・パレスでレジに会ったときも、彼の姿を見かけた群衆がドッとばかりに押しかけてきて、私も一緒にもみくちゃにされてしまった苦い、が楽しい経験がある。

 このとき、驚いたことに、黒いのや白いのや、さまざまの人種の男たちにまじって、妙齢のご婦人がたが「レジ!レジ!」とカナ切り声をはりあげ、それにつづいて何人かの老婆までがサイン帳を片手に殺倒してきたのであるから、彼の人気の層の厚さが知れようというものである。

 それもそのはず、彼がミスター・ユニバース・コンテストに英国から打って出て、初のビッグ・タイトルをつかんだのが1951年。そのとき彼はわずか23才の若さであった。

 そして7年後、1958年にはプロの部で再びミスター・ユニバースのタイトルを握ることになる。

 彼の偉大さとビルダーとしての人気が不動のものになったのは、さらにそれから7年後、1965年、37才にして三たびつかんだプロ・ミスター・ユニバースの栄冠である。

 7年ごとに、この世界最高のタイトルに挑戦し、しかもこれを手中にすることは容易なことではない。というより、むしろ不可能なことだといった方がいい。

 これは、たとえばシュワルツェネガーが、1967年から、68、69、70年と4回連続して優勝を遂げた快挙よりも、さらに困難なことであり、かつ価値ある快挙なのである。

 なぜなら、14年間という年月は、世界最高位の肉体を持続させるには長くかつ、その間のトレーニングは最高に厳しいものでなければならなかったであろうからである。

 しかも、レジはそのあと4度目の挑戦を1971年、43才になって行なっている。私がレジに会ったのはこのときだが、彼の巨大な体と豊色のある膚の色はとても年令を感じさせなかった。

 このときには、ビル・パール、セルジオ・オリバと闘って、ついに惜しくも3位にとどまったが、彼の不屈の闘志と逞しい肉体は、長く人々の印象にきざみこまれることになった。

耳に心よいパークの名

 PARK(パーク)という名のついた場所は、世界中いたるところにある。

 ニューヨークならセントラル・パーク、それにパーク・アヴィニューという美しい街路も有名である。

 ロンドンなら市中に横たわる広大な公園ハイド・パーク、アフリカには野生の動物を放し飼いにしている世界一のクローガー・パーク……等々その枚挙にいとまがない。

 そして人間レジ・パーク。

 レジは、このパークという名のつく世界の名所を訪れ、得意の健脚で歩き回ることを楽しみの一つとしている。そしていたるところで人々の熱狂的な歓迎を受けるのである。

 パークとは公園という意味だが、彼自身が人々に憩いを与えるオアシスであるかも知れない。

 ことしの初春にも、レジはニューヨークのW・B・B・Gの招きを受けて訪問旅行をしている。

 このときは、テレビ・ショウへの出演、ミスター・アメリカとミスター・ワールドのゲスト・ポージング、ニューヨーク警察でのトレーニング指導など、まことに忙しい毎日を精力的にこなしたといわれている。

 そして、次に紹介するようなインタビューをマスル・トレーニング誌の記者と交わしている。レジ・パークの人となりを理解する貴重な資料なのでここにその内容をサマライズしてお伝えすることにしようと思う。
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何が彼をボディビルへ走らせたか

ーー パーク氏の名は不滅ですが、あなたの若い頃のことはあまり知られていない。あなたがボディビルを始めるようになった動機はなんでしようか。

レジ 小さい頃からいろんな運動が好きでした。10才頃には、フットボール、野球、水泳などほとんどの競技に手を出していました。

 それが15才になった頃、なんとなく自分には基礎体力というものが欠けている、と自覚し始めたんです。ちょうどその頃でした。ある日、美術館でギリシャ絵画展を見ていて、そこに画かれている逞しいギリシャの格闘士に魅せられたのです。

 トーガスという編み靴からはみ出した脚がとくに印象的でした。自分もあのように逞しい四肢があったらなー、とフト思ったものです。

 それから1カ月ほど経って、とある本屋でウェイト・トレーニングの雑誌を見つけたんです。それにはジョン・グリメックの写真が載っており、バーベルによる練習方法が書かれていました。

 その日から私はウェイト・トレーニングをはじめたのです。両親に頼んで器具を買ってもらったのですが自分の気持を理解してもらうまでにはずいぶん説得の時間がかかったのを覚えています。

 ウェイト・トレーニングで得た基礎体力は、フットボール、水泳、陸上競技等のスポーツにどんどん生かしていくようにしました。おかげで高校時代にはかなりの記録保持者になっていましたよ。

 もちろん体も逞しくなってきたし、18才頃からは各種のコンテストに出場するようになりました。

 あらゆる機会をとらえて自分の実力を試す、これはいいことだといまでも思っています。

朝の5時からトレーニング

ーー 毎日、厳しいトレーニングを続けておられるとうかがいましたが、とくに朝は5時にトレーニングを始めるそうですね。その理由は何なのでしょう。また、朝食はどうされているんですか。

レジ 何も好きこのんで早朝5時のトレーニングを励行しているわけではありません。そうせざるを得ないからなのです。

 ジムの経営やトレーニングの指導それに旅行、書きものなどで、毎日仕事が終わるのが夜9時になってしまいます。それで10時半には就寝するようにし、最低6〜7時間の睡眠をとります。5時には必ず目が覚めるので、それから軽い早朝食をとって30分ほど体を休めます。

 早朝食の内容ですか?これはスイスではムスリといわれているもので、ドライコーンにミルクをかけたものに、フルーツをそえただけのものです。

 それから2時間強のトレーニングを行うわけです。トレーニングは原則として週6日、スプリット・システムで同筋群に対する刺激は週2回というやり方です。

 そして8時半になると正式の朝食をとることになります。これはステーキを含むかなりの量のものです。そうしないと138cmの胸囲と48cmの腕囲を維持していくのがむずかしくなるんですよ。とくに私のような年令(現在45才)になるとね。

 体重は100kgを上下していますがこれ以上は増やさないように気をつけています。

ーー お好きな食べものは?

レジ そうですね、豊富な野菜に肉を盛りこんだミート・サラッド。これは私に必要なビタミンとミネラルの補給の意味でも欠かすことのできないものです。

 それから肉と魚の料理。これはとくに毎日味を変えて、食欲を助けるように工夫しています。飲みものではフルーツ・ジュースにビール。ビールはカルスビアなどのヨーロッパ製のビールがいいようですね。仕事疲れのあとなどは最高にリラックスさせてくれますよ。度を越さない程度に飲めば、お酒はとてもいい薬だと思いますね。

 逆に蛮白同化剤やプロティーン補食剤は一切とっていません。栄養は日常の食事でとるのが最も自然ですね。
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四つのジムのオーナー

ーー アメリカでは著名ビルダーがジムを持つようになっても、せいぜい1つか2つですが、パーク氏は多くのジムを経営なさっているとか。

レジ 現在南アフリカに4つのジムを持っています。たんなるボディビル・ジムとしてだけでなく、ほかのいろんな運動競技が同時に行えるよう苦心して作っています。

 たとえば、ヨハネスブルグの郊外にあるジムには、陸上競技用のトラックやフィールド等も備えてあり、ここでオリンピック選手などのコーチも行なっています。最近ではミュンへン・オリンピックで活躍した南アの陸上競技選手がこのジムから出ました。

 ウェイト・トレーニングで基礎体力をつけて、これを自分の仕事とか他のスポーツに生かす、このへんに私のジム経営の目的と苦労があるわけです。

 たんなる数の多さではなく、その質と内容を高めることに努力しなければなりませんからね。

映画スターとしてのパーク

ーー 映画にも何度か出演されていますが、ビルダーとしての映画出演について、どう感じていますか。

レジ 私の映画出演は6回を数えるのみです。へラクレス映画が2本、キング・ソロモン、サムソンなどが4本、数からいくとほかの一部のビルダー・スターより少ないでしょう。

 というのは、私には映画出演よりももっと興味をもてるほかの仕事があったからです。

 一部のビルダーがローマでへラクレス映画に出演して、そのギャラでマセラティ(イタリーの高級スポーツ・カー)を買ったり、はでな遊びに金を使ったりしていたことは知っています。また、彼らがいまだにローマに残っていて、夢よもう一度とばかり、新しい映画出演の機会を待っていることも知っています。

 しかし、その意味でのローマ映画界が世界のビルダーの最終目標であり、あこがれ的存在になっていることにはどうも賛成できないのです。

 私を例にとってはずかしいのですが、私は映画出演で得たギャラで、ささやかながら私の夢であったジムを作り、仕事のための事務所を設け、あとは家族と共に南アでの日常生活を豊かにしました。

 映画界は魔界です。ビルダーはこれに魅せられているようですが、あまり深入りするのは考えものかも知れません。
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パークの家族とその環境

ーー 奥様は著名なバレリーナだとうかがいましたが

レジ 著名かどうか判りませんが、バレリーナとしては一応完成していると思います。それもやはりウェイトトレーニングに負うところが多いのです。

 最初は私が指導していましたが、だんだん自分で自分にあったトレーニングを研究するようになり、いまでもときどき行なっているようです。

 私のジムは、男性用と女性用のトレーニング日が1日おきになっておりますので、そのためにもよかったのでしょう。

 これは私の持論ですが、女性といえどもやせ細っているのはよくありません。女性美の究極の目的は、やはりそのふくよかな肉体にあるのですから。

 いまのビルダー諸君は、その妻や恋人をどんどんジムにひっばって来るぐらいでなければいけません。

ーー 子供さんもスポーツはなかなかのものとか。

レジ 息子のジョンは、学校でもいろんなスポーツのレコード・ホルダーだそうです。とくに水泳が得意だそうですが、大会ではたいてい優勝しています。

 もちろん、すでにボディビルを始めています。一番うれしいのは、彼のボディビルが水泳やその他のスポーツばかりでなく、学業の成績の面でも効果を示していることです。

 トレーニングも無理じいしたことは一度もありませんが、彼は自発的に毎日続けており、男らしい根性というものも出来つつあります。

 青少年全般にウェイト・トレーニングを普及させることが私の夢でもあるのです。

若きビルダーへのアドバイス

ーー では、現在世界に散在する若きボディビルダーたちに何かアドバイスを。

レジ 一言でいうなら、ハード・トレーニングの励行と、その続行ということですね。

 ボディビルは始めるに易く、続けるに難い自己鍛練です。といってもボディビルに何もかも打ちこんで、他をないがしろにするようではいけない。ボディビルで得たものを人のため、社会のために役立てる……そういう目的意識を持ってほしいと思いますね。

 これは難しいことだが、真のボディビルダーなら出来ることなのです。
X X X

 以上の彼の言葉の中に、私は真のビルダーの哲学をみた気がする。

 レジ・パークは、世界最長の現役ビルダーであり、まさに不世出の巨人である。しかも、ビルダーとしてのみでなく、1個の人間として、すなおに人生を生き、しかも自他ともに最高の領域に生き得るよう努力してきている。自分の家族を愛し、スポーツを愛し、仕事を愛し、そして何よりも人間を愛して生きている。

 7年ごとのトリプル・タイトルの保持もすばらしいことだが、25年以上もの間、世界の一級ビルダーとして、この道の指導と後進育成に献身していることの方がより輝かしい。

 おそらくレジは、死ぬまでボディビルへの愛着をやめないだろう。ボディビルをお墓の中へ持っていける数少ないビルダーの一人だと私は思う。

 その意味で、彼はやはり「不世出の巨人」なのである。
[ 月刊ボディビルディング 1973年9月号 ]

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