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素敵なサンバティ~ナッサー・エル・サンバティとの思い出~

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文/ Ben [ 月刊ボディビルディング 2013年7月号 ]
掲載日:2017.08.08
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 今では考えられないが、1970年から1990年代は多くのボディビルファンにとってまさしく夢のような時代であった。それはアーノルド・シュワルツネッガーやセルジオ・オリバ、リー・ヘイニーやドリアン・イエーツのようなオリンピアンを始めトッププロが我を我をとこぞって来日を果たし、彼らの肉体を間近で見ることができたからだ。私も、編集部員という特権をかって、来日してきた多くのプロビルダー達に取材同行し、仲良くさせてもらってきた。そんな中でも特に親しくなったビルダーのうちの一人がナッサー・エル・サンバティだ。

 ナッサーと出会ったのは、彼が優勝した1995年のナイトオブチャンピオンで、大会後に泊まっていたホテルのロビーで出くわしたのが初めだった。既に東京クラス別にゲストで来日することを知っていた私は、まだ英語もろくにしゃべれなかったが勇気を出して「今年の夏に日本へ来ますか?」なんてしゃべりかけたのを覚えている。そんな私の問いかけに「君は日本人か? そう、日本へゲストポーズに行くよ。ミロス・シャシブから日本は良い国だっていつも聞いているから、今から行くのがとても楽しみだ。また、向こうで会おう!」このようなことを言っていたと思う。

 そして、東京クラス別にナッサーは初来日した。当時は森永製菓の健康事業部がゲストポーザーを招聘し、来日中の通訳と世話はそこの社員の方が行なっていたが、当時の東京連盟理事長の磯村さんから「明日、一人で成田まで送らなきゃいけないから、一緒に付いてきてよ」と頼まれ、翌日磯村さんの運転する軽自動車に5人鮨詰め状態で成田まで。その成田でのエピソードをひとつ。

 当時、彼女だったビッセラと来日したナッサーだったが、飛行機の席はナッサーはビジネス、ビッセラはエコノミーと別々だった。普通、恋人同士だったら同じ席で来ると思うのだが、と不思議だった。そして事件は起こった。チェックイン後、最後の寿司を食べようとレストランへ向かう途中で、ビッセラが叫んだ。何やら、さっき行ったトイレに忘れ物をしたらしい。あわてて私の妻と一緒にトイレへ行ったが、既になかった。「パスポートもエアーチケットも現金も全てあのポーチに入っているの。どうしよう~」一人テンパるビッセラをよそにナッサーは何も話さず、ただ睨みつけている。

 結果、何分か後に行ったインフォメーションにポーチは届けられていて事なきを得たが、事が収まったと同時にナッサーがビッセラに罵声を浴びせ始めた。私の英会話能力がなかったからか、はたまたドイツ語でしゃべっていたのかは分からないが、とにかくもの凄い形相で一方的にしゃべっているので、良いことではないのが分かる。しかも、その途中途中で「そうだろ、Ben!」と自分に同意を求めてくるのだ。彼の罵りをかいつまんで言うと「ここが日本だったから良いようなものを、これが他の国だったらお前のパスポートは返ってこなかったんだぞ! チケットが見つからなかったらお前どうするんだ。一人で日本に留まるのか! 俺は先に帰るからな!」といったところだろう。その口撃は寿司屋に入っても、食べているときも止まず、ついにビッセラは泣きだしてしまったのだ。

 そんな光景に磯村さんが、「もうこれ以上怒るな、と言ってくれ」と私に言う。まだ英会話教室に通い始めたばかりの私に、だ。そして、考えに考えて私の発した言葉は「no more angry!」。あまりにも直接的表現だったのか、それとも別の意味に取ったのか、ナッサーはそれ以上怒ることはなかった。

 出発前にまだ時間があったので、我々はお土産屋を一通り見て回ることにすると、ナッサーは漢字の書かれたT シャツと和菓子に興味が惹かれたらしい。そう言えばマイク・クインやクリス・カミアー等過去に来日したビルダー達も皆和菓子を美味しい美味しいと食べていたのを思い出す。機嫌直しにと、1箱人形焼きを買って「機内で食べてくれ」とナッサーに渡した。そして、別れ際にも私は「no more angry!」と言うと、ナッサーは「分かっているよ」と言いたげに親指を立てて笑っていた。

 以後、私がアメリカへ取材へ行き、ホテルや会場で顔を合わせると必ず「部屋へ遊びに来い」と声をかけてくれた。いわゆる社交辞令だろうと訪問をしないでいると、翌日「なんで来ないんだ。ジャパニーズスィーツ持ってきてくれたんだろ。あれ、大会終わったら食べたいんだよ」どうやら目的は私ではなく、人形焼きだったようだ。

 ナッサーとの面白いエピソードはまだまだ沢山あるが、誌面の都合上それを書くのはまたの機会に譲りたい。欧米人に対しては違ったかもしれないが、我々日本人に対してはいつも歯に衣着せぬ言動で、時には驚かされ、時には考えさせられたりもした。そんなひと味違ったプロビルダー、ナッサー・エル・サンバティはとても素敵な奴だった。

 安らかな眠りをお祈りいたします。
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96 年に来日した際にくれたサイン入り写真。私にではなく、その冬に生まれる私の息子へだ。このようなささやかな気遣いが、ナッサーにはいつも見られた
文/ Ben


[ 月刊ボディビルディング 2013年7月号 ]

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