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JBBAボディビル・テキスト② 指導者のためのからだづくりの科学

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.11.09
日本ボディビル協会
指導員審査会委員長
佐野誠之

<3>基礎的事項についての考察

 前項にて,からだづくりについての基本的な考え方,心の持ち方について述べたが,本項では,具体的に基礎的な知識の概要について述べてみたい。
 精神の身体に及ぼす影響を「サイコマティック」,肉体の精神に及ぼす影響を「ソマトサイキック」といっているが,身体のある行為,または状態が知的,あるいは情緒的状態に影響を与えるということが「ソマトサイキック」である。このような言葉はともかくとして,肉体が精神に影響を及ぼすということは衆知の事実である。
 このような意味で,「健全な精神は健全な身体に宿る」という諺を通俗的に解釈されているのであろう。すなわち,身体を効果的に動かせるようにすることにより,知的,情緒的な心理面を有利に変えていかなければならないということを意味するものであろう。
 換言すれば,肉体的方法を用いることによって問題(知的,情緒的)を解決していこうとする方法で,体育の意義もここにあると考える。
 人の動きには,何か目的をもって行う意志運動と,胃や腸で行われる消化吸収活動のように,意志とは関係なく行われる無意識な活動とがある。
 また,眠っているときに寝返りをうったり,手足を動かしたりするような無意識な動きや,つまずいたりしたときに,体の平均をとるために反射的に動く動作,すなわち,刺激が脳中枢に伝わらないで反射動作として行われることもある。そのほか火事や地震,台風などのような危急な場合に,日常ではとても考えられないような動きをすることもなる。これは感情の激変に伴って行われる衝動的な動作である。
 以上のように,人は様々な異なった動作をするが,どのような動作であっても,これを行うときには,共通のいくつかの法則に支配されている。
 一つは解剖学的な原理に,二つには生理学的な法則に,三つには物理的なあるいは力学的な法則(後述<8>「運動における諸原則」参照)にそれぞれ支配されている。
 これらの諸問題を理解するために基礎的な知識として,解剖学,生理学,運動カ学等の知識が必要である。
 近年,身体運動に関するいろいろの問題を研究解明するために,基礎学から身体運動に関係ある事項,すなわち身体運動にあてはめられる諸法則を選択して,それらの応用等を体系的に整理研究したものが「身体運動学」(キネシオロジー,kinesiology)として,一つの分野を開拓している。また,各種スポーツの運動力学的解明がなされてきているが,ある程度の基礎知識がないと難解な点も見うけられる。
 いま一つ重要な事項は栄養の問題である。単位栄養素としてでなく,生命を維持し,運動のエネルギー源として見た栄養生理としての知識の必要性である。
 これら基礎知識の上に立ってこそ,はじめて人種民族による違いや,同性同年齡者(後述<6>「年齡的要因」參照)の体格の個人差等についての問題も理解されるのではなかろうか。
 また,運動をすることが頭の働きをよくすることなのか,それとも悪くすることなのかは,何人も重大な関心を示している問題であり,甲論乙駁の議論の中から,自から納得のできる理論的根拠も明らかにされるのではなかろうか。
 さらに,何が健康であり,何が不健康か,正常と異常の境界等も,体力面から考えられるのではないか。(後述<4>「健康と体力の概念」参照)
 こうすれば――このようになったというだけでなく「何故にこのようにするのか,何故にこのようになるのか」というように,問題を深く掘りさげて解明していく考えを養うことが大切だ
 すなわち,思考実践の体系化である
現象→疑問→解明→要項決定→応用→現象(発達)
の繰り返しで,疑問より発し,応用までが研究実践である。そのための基本的な,基礎的な知識が必要なのである。
A 解剖学とは

 生物のからだの正常なかたち(形態)とつくり(構造)について知ろうとする学問が解剖学であり,また,人体の形態や構造にひそむ自然の法則を知ろうとするのが人体解剖学である。
 解剖学の分野も非常に多く(肉眼解剖学,顕微鏡解剖学,系統解剖学,局所解剖学,外科解剖学,臨床解剖学等)に分けられるが,われわれは医者でも学者でもない。われわれに必要なのはからだの形態や構造にひそむ自然の法則を知ろうとする形態学である。別名を生体学とか,体表解剖学といわれているものである。
 すなわち,身体の構造により,動きの支配される諸原則を知るためでありその形態の正常,異常を知るために必要な知識を学ぶことにある。
B 生理学とは

 からだの機能や,あるいは生体のあらゆる現象を理解しようとする分野の学問である。
 体育が身体に対するものであるかぎり,それは身体の構造や機能の知識なしに遂行されるものではない。
 人体生理学は体育の基礎として「人体の機能の科学」であり,とくに運動による影響を考えるとき,運動生理として,エネルギー発生体としての研究分野の概念が生まれ,エネルギーからみた人体の機能の分野も開拓されてきた。すなわち,運動生理学である。
 筋の生理は,なんといっても運動生理の中心である。しかし,神経の生理も極めて重要なテーマであり,呼吸,循環の生理もエネルギー代謝の面で重要な役割を果しているもので,一般に筋生理が表面に出て,その陰にかくれがちであるが,いずれも重要な意味をもっている。
 すなわち,全身持久力を考える場合①呼吸機能 ②循環機能 ③血液の性状 ④内分泌の適応状態 ⑤解毒排泄機能 ⑥筋持久力 ⑦精神力等の増強が必要であるが,運動のこれらに及ぼす影響や適応を,適確に知っていなければならない。
 これらの必要な知識を得るために生理学は極めて重要で,その範囲は広く深いものである。簡単なことではないが,努力する喜びを味わおうではないか。
C 栄養学について

 たんに単位栄養素の問題としてでなく,栄養生理として学びとることが必要である。
 人体の各臓器の機能を明らかにするのが生理学であり,栄養の体内における役目を明らかにするのが生化学であり,健康を維持するために,何をどのくらい食べたらよいかを明らかにするのが栄養学である。以上の3点を,別々でなく有機的に結びつけて考えなければならない。
 「適当な運動を身体に与えることにより,身体の発育を促し,また体力を養うということは,原則的に正しい」ということは周知の事実である。
 原則的にといったのは,運動のみが発達を促すとは限らないからである。運動がなくても発達するときがあるからである。すなわち,発育期の乳幼児は,運動(意識して与えたり,行なったりする運動)とは関係なく,成長発育があるからである。栄養の補給がその要因である。
 人体は外界から栄養物を取り入れ,絶えず体内において合成と分解を繰り返しながら,動的平衡を保っている。つまり,恒常性の維持である。分解過程で生じた化学的エネルギーは,熱や運動のエネルギーに使われている。
 消耗したエネルギーは,食物から補給された新しいエネルギーによって収支のバランスを保っている。ゆえに適当な栄養の摂取によって,身体の生理的機能を正確に保つことになる。この際,栄養生理学の必要性を確認すべきである。
 以上,解剖学の諸原理,生理学的諸法則,運動力学的事項,栄養生理の知識等をマスターし,これらを平面的思考でなく,帰納的思考や,前進発展的思考で,綜合的に組立てることにより「体力とは何か」とか,「正常な形態とは」さらに「適度適量の運動とは」等がおのずと明らかにされ,その具備すべき諸条件を理論的に認識できるようになってくるであろう。すなわち,各人の個々の好みとは別に,純理論的な解答が得られるのである。
 指導者は,これらの基礎知識をマスターしてこそ,たんなる経験主義や構神主義ではなく,何人をも納得せしめ得る合理的,科学的方法の諸条件を明示し,指導に確信をもってあたることができるのではあるまいか。

<4>健康と体力の概念

 健康とか,体力とか,よく使われる言葉であるが,さて,それでは健康とは何か,体力とは何か,と聞かれると適格に答えることはなかなかむずかしく,人によってずいぶん異なった解釈が出てくる。
 たんに「病気をしないことが健康である」とする人もあろうし,「すぐれた体力のある身体をもっていることが健康である」という人もあろう。さらに体力ということになると,なお一層いろいろの答えが返ってくるにちがいない。
A 健康とは

 厚生省公衆衛生局栄養課が,昭和45年に発行した保健衛生学級テキストに「健康とは,体力を形成している人間の,生存および活動の基礎になる身体および精神のすべての能力が,バランスのとれた完全な安全の状態にあることだ」と表現している。
 健康という概念を定義づけるとすれば,このように表現するより方法がないのかもしれない。
 病気にかかっていないから健康である,といえないと同様に,異常があるからといって必ずしも不健康であるともいえない。観念的にはともかく,具体的にはその判定の基準はまことに曖昧である。しかし,それがいかに困難なことであろうと,人間の体力や健康を考え,指導的立場に立とうとする者は,判定容易な技葉未節の事項をもって,一面だけに注意をひかれ,真の健康を洞察する努力を惜しんではならない。
 人がいかに生きていくべきかという人生の価値観や,何をもって幸福とするかというような人生観に立脚せずして健康を論ずることは,生ける屍に対する健康を論ずるにひとしい。低次元の問題でなく「無病長寿で,それぞれ異なった日常生活や,社会活動において,快適にすごし得る充実した心身の力をもつこと」に留意すべきだろう。すなわち,「健康なからだ」という単的な表現に含まれている深い内容を知らねばならない。
B 体力とは

 体力づくりとひと口にいっているがでは体力の実体とはなんであろうか。
 体力とは,すなわちこういうものであるという定義よりも,どういう状態を体カがあると判定するか,ということを先ず考えるべきだろう。
 体力を分類的に考える場合,一般的には次のようになされている。
◎体カの分類
 ①行動的体カ――積極的にからだを動かす能力。
 ②防衛的体カ――環境の変化や,ストレス,疲労等に耐える身体的能力。俗にいう抵抗力。 以上の2つに大別される。さらにこれを細かく分類すると,
①行動的体力
 ○イ:形態的能力――身長,体重,胸囲比体重,比胸囲等の体型的なもの
 ○ロ:機能的能力――筋機能,呼吸機能神経機能,感竟機能,閱節機能,循環機能等。
 ○ハ:運動能力――筋力,持久性,敏提性,平衡性,柔軟性等
 以上の3つに分類して考えられるがこれらはそれぞれ独立したものとしてではなく,複合的関係において考えるのが実際的であろう。
②防衛的体力
 ○イ:物理的化学的ストレスに対する抵抗カ――暑さ,寒さ,重力,アレルギー等に対するもの。
 ○ロ:生物的ストレスに対する抵抗カ――寄生虫,細菌,ウイルス等に対するもの。
 ○ハ:生理的ストレスに対する抵抗カ――空腹,不眠,疲労等に対るもの
 ○ニ:精神的ストレスに対する抵抗カ――苦しみ,悲しみ,怒り,緊張,恐怖等に対するもの。
 以上のように,体力とは種々な要素を持っている。そして,行動体力と防衛体力とは多くの場合平行するが,ときには平行しないこともある。
 目的論的にいえば,これらすべての項目について傑出した能力を備えているものが,体力が強いとか,すぐれた体力を持っているということになる。しかし,現実の問題として,われわれはこのようなすべての能力を持つ,理想的な体力を具備し得るものであるかどうかということは,軽々しく断定することはできない。
 一つの体力項目を増強する刺激が他の体力項目に対しても,同じような効果を及ぼすものかどうか。また,個々の能力(機能)を発達さす刺激の相互関係はどのようなものであるのか等についても知る必要がある。
 体力を次のような項目に分類する学者もある。これはあくまでも分類的な事項の問題で,本質的に相違があるものではない。ただこの分類からも体力の要素の複雑性を知ることができる。
記事画像1
 体力の内容も,このように複雑な要素が考えられ,これらのバランスのとれた発達が要求されるのであり,その調和点をどこに求めるかということが問題であろう。それと同時に,改めて基礎知識がいかに必要であり,重要であるかを認識しなければならない。
 すなわち,体カづくりは具体的な目標の相違によって,おのずとその処方も異なり,効果も異なることを知るべきである。
 現代人の必要とする体力とか,健康とはどういうものなのか,いま一度考える必要がある。また,それをどのようにしてつくっていくべきか,ということも,たんなる経験主義だけでは不充分であることを理解すべきである。このためには広い基礎知識を,あるいはまた最新の成果を駆使してはじめてその目的に近づくことができるのではなかろうか。
C 身体は資本

 人は経済生活において,その要因の第一に資本をあげるだろう。資本には有形(金銭などの物質的なもの)と無形(信用)なものとがある。しかし,身体が資本であると自覚している人は少ないのではないか。プロスポーツの選手等の特殊な職業の人を除いては,案外このことに気づいていないように思う。
 身体は何物にも変え難く,何人からも借りことも,貸すこともできない。本人自身の無限大の可能性を秘めた資本なのである。そしてこの資本は,いつでも,どこでも,自由に活用でき,また活用してこそ意義がある。
 資本の蓄積,活用に無関心であってはならない。体力の低下は資本の損失消耗である。われわれが運動によって身体を鍛えるということは,たんに行動的能力を増すだけでなく,身体の抵抗力をも強くするという効果をも含めて願っているはずである。
 適正な栄養によって,身体の生理的機能を正確に保つことも必要である。栄養が一つでも不足したり,栄養の配合が不完全な食事を続けたりすると,体内の代謝機能が完全に行われず,病的な徴候が現われ,生理機能の低下を生じ,種々の能力面が劣ってくる。
 ただし,質的にも,量的にも完全な栄養をとっているからといっても,適度の身体的運動が伴わない場合にはやはり器管機能や運動能力を向上させることは望めない。運動(正しい運動量と休養を含む)とバランスのとれた栄養を摂取し,積極的な健康管理,体力づくりの配慮が必要である。
 最近の青少年の体格はよくなったが体力的に,持久力や敏捷性等の運動能力が伴っていないといわれている。このことは,栄養は良くなったが,運動不足のため,バランスが保たれていないからであろう。すなわち,食べる割に運動が少ないことが原因である。モヤシッ子や肥満児などが問題になっているが,その対策は運動以外にない。
 運動はこうした望ましからざる状態を防ぎ,あるいは,これをなおすのに役立つのである。(後述<9>「体育の必要性」参照)
 規則正しい系統的な運動は,よく均整のとれた精力的で魅力のある身体をつくり,それを維持するために役立ってくれる。女性の場合には,それが美容にも通じているのである。
 玉も磨かざれば光を発しないと同様に,体力という資本も,活用し蓄積しなければ無意味である。あらゆる可能性と希望を実現してくれる唯一無二の資本は身体(知的精神的活動をも含めて)である。健康や体力の概念をはっきりと認識のうえ,資本の活用を考えるべきで,経済活動における資本活動の要諦を学ぶべきであろう。

<5>姿勢について

 俗に「姿勢を正す」とか「姿勢を正せ」とかよく使われる言葉である。また,「襟を正す」という言葉もあるが同じ意味である。
 公害問題にしても,補償問題以外に発生源会社の姿勢が問題だとか,何党の政治姿勢を追求するとか,というように使用されているが,この姿勢という言葉の中には,見せかけだけの問題ではなく,いろいろな内容を含めて意味していることが多い。
 では,この姿勢ということについて考えてみよう。姿勢とはたんに固定したものではなく,動的姿勢と静的姿勢があるが,まず,良い姿勢とはどんな状態をいうのだろうか
 ①力学的に安定していること。
 ②筋に加わる負担が少なく,しかも片寄らないこと。
 ③内臓諸器管の機能を妨げない体勢であること。
 ④見た目に無理なく美しいこと。
等の条件が考えられる。
 運動(動作)は,要するに姿勢の変化の状態または過程である。すなわち立つ,歩く,坐る等,千差万別であるが,日常生活では健康に良い姿勢を保ち,能率よく仕事できる方法を会得することが大切である。
 良い姿勢は心理的にも意気高く,適度に緊張したよい精神状態が得られる
 運動の効果の中に「姿勢の矯正」ということがうたわれているが,これには目的意識の堅持が必要である。すなわち,常に性別,年齢,発育の程度を考えて,適当な運動を与えて姿勢を良くするように努力すべきであり,日常生活から生じる歪の修正を常に心掛けるべきである。
 悪い姿勢であっても,一定の姿勢に馴れれば,その人にとってはそれが一番楽に感じる。したがって,健康の上からも能率の上からも,さらに外見上からも,良い姿勢を保つ習慣をつけなければならない。
 人体は,寝ているときを除いて,常に重力の引きに抗する筋肉の働きによって一定の姿勢を保っているが,筋肉のこの努力がくり返されている間に一つの習慣となり,その人にとって一つの特徴をあらわすようになる。すなわち,姿勢とは一つの習慣である。
 よい姿勢についての理解は必要である。しかし,理屈を知っているだけでは正しい良い姿勢は身につかない。
 習慣とは,同じ動作を繰り返し繰り返し行うことによって身につくものである。
 毎日何分間か,姿勢を良くしようと練習しても,ただそれだけでは良くならない。なぜならば,身体は意識的なことだけに反応するものではないからである。前かがみの姿勢で字を書いたり,何か仕事をしているときは,無意識的に前かがみの姿勢を練習しているものと考えられる。意識的に行う何分間かの練習よりも,無意識的な数時間の姿勢の方が,身体に与える影響が大きいかも知れないからである。それゆえに,日常生活にいかにとけこんで活用するかが大きなポイントである。
 日々いろいろな動作をしている間,姿勢が保たれ,運動が行われる機構についての知識と,運動を支配する諸原理を,自分の動作に応用する能力と,身体を動かす能率の良いエネルギーの使い方等を理解し実行することが必要である。
 以上に述べたことがらからもわかるように,指導者の課題もここにある。姿勢に関しては,時間をかけて絶えず練習すべきことを理解徹底せしめ,日常生活に直結せしめるべく指導すべきである。
 身体は一つの固体ではなく,多くの自由に動く部分(関節)からなっている。たんに立っているときでも,多くの筋肉が働いて支えている。したがって,平均がよくとれていて,不必要な緊張のない生理的に無理のない,最も経済的な状態が良い姿勢である。つまり,リラクゼーションがバランスよくなされることが大切である。
 姿勢をよくするための要点としては
 ①姿勢を良くする練習は一日中連続的に行われること。
 ②一つ一つの筋肉が充分にリラックスしていて,楽に動きができること。
 ③各関節が可動範囲いっばいに楽に動くこと。(関節の柔軟という)
 ④姿勢を整える筋肉が強く,充分の動きができること。
 ⑤良い姿勢を保とうとする意欲が強く,しかも継続的であること。
 以上5つのポイントを理解すべきである。
 姿勢に関する問題は「常に新しくて古い,また,常に古くて新しい」問題である。
 姿勢に関連して,コンテストにおける選手のポーズや姿勢についてふれてみたい。
 俗に「流れるポーズ」とか「決めるポーズ」とかの表現をされているが,この表現の間違いを正したい。
 「流れるポーズ」とは,動きのある表現のことをいってるのであろう。また「決めるポーズ」とは,一つ一つの瞬間的なポーズを一定時間止めて強調して見せることをいっているものと思う。これらポーズとポーズのつなぎに無理がなく,自然な動きによってつないでいくのが「動きのあるポーズ」である。単一固定的な姿勢をいかに上手につないでいくかによって,ポーズの良否が決められるのである。
「決めるポーズ」といっても一つの固定した瞬間的ポーズを表現するのに,必要以上にリキみ,怒責をみなぎらせ,次の動作や姿勢になめらかに移れないようでは,決して良いポーズのあり方とはいえない。瞬間的に写した写真をポージングにおいて見ようとしているのではない。屍のポーズではなく,生きたポーズこそ大切である。このような意味から「流れるポーズ」などという表現は適切ではない。流れてしまえば何ものこらない。
 自分の長所を十分に強調しながら,動きの中に美しさ,逞しさを表現するとともに,要所要所における強調とがー体となり,バランスが保たれてこそ最上のポージングではあるまいか。
 ポージングの問題は,いずれ機会をみて見解を述べたいが,姿勢に関連して一応呈言しておく。


(筆者は大阪ボディビル協会々長,堺ボディビル・センター会長)
[ 月刊ボディビルディング 1973年9月号 ]

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