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1968年度(第3回)ミスター東京コンテスト & ミスター・アジア日本代表選抜コンテスト

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[ 月刊ボディビルディング 1968年8月号 ]
掲載日:2017.11.22
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 前日まで降りしきっていた雨はカラリと晴れあがった。ミスター東京、ミスター・アジア日本代表選抜コンテストを祝福するかのように、太陽がさんさんと輝き、絶好のコンテスト日和である。

 6月30日、第3回大会を迎える会場のハタ・プール・センター(協賛)には、コンテストを見んものと、朝早くから入場者がおしかけ、大盛況をきわめている。

 午後1時、日本ボディビル協会主催報知新聞社後援によるミスター・アジア日本代表選抜コンテストは、大会宣言のファンファーレとともに、幕が切っておとされた。

 たくましい60名の選手たちは、優勝旗を先頭にプール・サイドを一周して会場に入場する。昨年の優勝チーム後楽園ジムより優勝旗の返還が行なわれ日本ボディビル協会会長八田一朗氏の開会のあいさつがあって、選手は退場。ついで、報知新聞社遠藤氏の司会で、審査員の田鶴浜日本協会副会長、平松日本協全顧問、中大路日本協全技術坦当理事、佐野大阪協会理事、日本協会技術参与クラーク・ハッチ、報知新聞社潮崎事業部長とゲスト審査員沢知美姫之宮ゆりの紹介。そして、コンテストの採点方法についての説明がこれにつづく。

 いよいよ、待ちに待った予選審査の開始である。

 この大会は、ミスター・アジア日本代表選抜を兼ねている。昨年のミスター日本入賞者12名が招待選手として、ミスター東京大会出場選手にまじり、代表の栄誉をあらそうのである。日一日と選手のレベルが向上している現在、勝敗の帰趨の予測はまったく許されない。

 プール・サイドをうずめた大観衆は北村英治クィンテットのかなでる軽快なメロディにのって、次々と入場して演技する選手たちの躍動するすばらしい筋肉と均整のとれた体に驚嘆のまなざしを投げ、熱心に観戦。各ジムの応援団からはさかんな声援がとぶ。

 予選終了後、採点のため約30分間の休憩。真夏を思わせる陽光のなかで観衆はほとんど席を立たず、予選の結果発表を待つ。採点の結果、招待選手7名、東京大会出場選手5名の計12名が決勝に進出、ミスター・アジア日本代表の座をきそうこととなった。
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ベテラン東京の鈴木正広選手の得意のポーズ
 決勝。日本のトップ・クラスの選手12名は、それぞれ自分の得意とするフリー・ポーズでダイナミックな演技を次々と披露。いずれとも優劣のつけがたい激戦となったが、採点の結果、ミスター・アジア日本代表にコンテスト初出場の吉田実選手(第1ボディビル・センター)、2位に吉村太一選手(大阪)が入賞した。

 ミスター東京にはやはり東京の吉田実選手が初優勝。2位に小島一夫選手(錦糸町ボディビル・センター)、3位に飯富幸夫選手(後楽園ジム)がはいり、団体戦は優勝者を出した第1ボディビル・センターが初優勝した。

 決勝審査終了後、プロ・ビルダー遠藤光男選手(1966年ミスター・ユニバース第4位入賞)の模範ポージングがあり、ひきつづき本大会の呼びもののアトラクションで、ゲスト審査員として来場した沢知美、姫の宮ゆりの両歌手が甘いムードたっぷりの歌を披露、観衆の喝栄を浴びた。

 大会終了後、ハタ・プール・センター梅の間で、役員選手の交歓パーティが開かれ、コンテストの批評や反省、意見の交換が行なわれ、ミスター・アジア日本代表選抜コンテストは、大成功裏にその幕をとじたのである。

《 総 評 》

 まずはじめに、ミスター・アジア日本代表のチャンスをものにした吉田実選手についてふれてみよう。身長178cm、体重94kgというミスターは、日本のボディ・コンテスト史上もっとも大型の選手だ。日本のボディ・コンテストも、14年目で、大きさの点では国際的スケールをもつ選手を生み出したわけである。

 しかし、より完全に発達した肉体を望むなら、さまざまな欠点が指摘できる。筋肉的には、他の筋肉にくらべ、やや三角筋と広背筋の不足が目についた。次に、全身についてもいえることだが、とくに大腿部の筋肉のデフィニションが弱い。最後に、ポージングがまるでなっていないということだ。

 しかし、これらの欠点を克服したときは、すばらしい大ビルダーに成長する可能性をもっていることは明らかである。なお、吉田選手が、ボディビルのみならず、重量あげ、陸上競技、相撲などで相当の実力と実績をもつスポーツマンであるということは、ボディビルのトレーニングとしての優秀性を立証する意味からも、頼もしいかぎりである。

 ミスター・アジア日本代表の補欠選手となった2位の大阪の吉村太ー選手は、昨年の全日本コンテスト時にくらベ急速な成長ぶりを示した。のびのびと発達したプロポーションのよい四肢、鍛えた筋肉を表現するポージングの巧さ、さらに、むだのないひきしまった筋肉、いずれは近い将来、ミスター日本を獲得するだろうと思われる。しかし、それには全身のバルクをひとまわり大きくするとともに、上半身にくらべ極端に細い下半身を充実させなければならない。
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 3位の小島一夫選手は、こんごの努力したいでは、どこまでのびるかわからない恐るべき底力を感じさせる選手である。

 4位 中村鉄郎選手は、昨年よりひとまわり大きくなり、ベテランらしい重厚味のある筋肉とポーズを見せたが、いまひとつの迫力を望みたい。

 5位 重村洵選手は、若竹のようにすなおにのびたさわやかな体をもったビルダーだ。このままバルクがふえれば大物になることはまちがいない。

 6位 武本宣雄選手については、いまさら云々する必要はあるまい。昨年の全日本コンテストで日比谷公会堂4千の大観衆をわかせ、堂々2位を獲得しながら、今回は6位に甘んじた。しかしコンテストもスポーツ競技と同じく、そのときのコンディションや判定によって左右されることは否定できない。やはりたいへんな実力をあらゆる面でもっているだけに、きたるべき今年のミスター日本では不気味な存在となるであろう。

 7位の後藤武雄選手の活躍は、ただみごとというよりほかはない。35才で日本一流の筋肉を維持するということは、なみたいていの努力ではできないことだからだ。

 さて、ミスター東京の選手たちの順位に目を向けてみよう。1位は吉田実選手なので、いまさら述べる必要はないだろう。2位の小島一夫選手も同様である。飯富幸夫選手が東日本と同じく3位にくいこんだのはりっぱである。

 4位 手塚正禧選手は、今年になって東日本コンテストで入賞し、急速に成長してきた選手である。細身ながら切れ味のよいシャープな筋肉は美しい。

5位 末光健ー選手のバックのデフィニションのすばらしさは、小笹和俊選手にくらべても遜色はないだろう。

 今回はミスター東京コンテストとミスター・アジアの日本代表選抜コンテストとをいっしょに行なったので運営が複雑になり、いろいろと困難が生じた。この二つを重ねることの可否については意見が多いので、来年度は充分に検討して、選手や観客すべての人がより共感をもてる方式をもって開催しなければなるまい。(竹松孝ー)

ー チャンピオンの横顔 ー 吉 田 実

 コンテスト初出場の身で、なみいる強豪をしりぞけて、みごとミスター東京のタイトルとミスター・アジア日本代表の資格を獲得した吉田実とはどんな男性だろうか。

 東京都出身、昭和18年3月26日生れ、中央大学経済学部を卒業後、各所のボディビル・ジムのコーチを歴任し、現在は東京小岩の第1ボディビル・センターで、運営と指導にあたっている。

 吉田選手のボディビル歴は、スポーツ歴を抜きにしては語れない。というのは、中学2年陸上競技の選手だったとき、筋力を強くするために、当時コンクリート・バーベルの始祖山中ジムでバーベルをにぎったのがやみつきで、以来スポーツ競技の記録向上を目的として、産経ジムや山中ジムでボディビルをつづけてきたからだ。

 高校1年のときは、高校の陸上競技選手権でヤリ投げに入賞しているし、100mは12秒フラット、走り高とびが1.55m、走り幅とび6.5mの実力をもっていた。
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 その彼が重量あげに転向したのは高校2年のとき。全国高校選手権にライト・へビー級で優勝。高校3年のときはライト・へビー級までしかクラスがなかったので、体重オーバーで出場できず、恨みをのんだ。トータル350kgという当時としては超高校級の力をもっていた。

 中大に進学後、重量あげの練習で腰を痛め、重量あげを断念。以後ボディビルに専念。

 何事もやる以上一流をめざし、自分で納得するまで、徹底的な研究と努力をひとりつづける執念と根性の持ち主だが、むき出しの闘志のため、しばしば人の誤解をまねくことがある。しかし、ほんとうは現代には珍しい節度のある明るい好青年である。

 こんご、ますます自分にうちかって心身ともにさらにスケールの大きい国際的なビルダーに成長してほしいものだ。現在の体位は、身長 178cm、体重 94kg、胸囲 128cm、腕囲 47cm、大腿囲 68cmである。

 最後に、吉田選手はまだ独身である。ことをつけ加えておく。(T)
[ 月刊ボディビルディング 1968年8月号 ]

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