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ビル・パール物語<3> 勝利に続く苦闘

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[ 月刊ボディビルディング 1973年12月号 ]
掲載日:2017.11.28
高山 勝一郎
〔1961年ミスター・ユニバース・コンテストで優勝したビル・パール。左はジュニア・ミス・ブリテンに選ばれたジャネット嬢(18歳)

〔1961年ミスター・ユニバース・コンテストで優勝したビル・パール。左はジュニア・ミス・ブリテンに選ばれたジャネット嬢(18歳)

勝利ののち

 ビルはミスター・アメリカ・コンテストのステージに,まだ,茫然自失としたまま立っていた。
 足もとには黄金のトロフィーが置いてあったが,それが何を意味するのかさえも彼には判らなかったようだ。
「ビル,やったんだ。とうとうやったんだ」レオ・スターンが舞台わきからたまりかねたように飛んできて,しっかり彼の手を握った時,ビルは夢からさめたように,はじめて口をゆるめて笑った。ザボ・コゼウスキーも,3位の表彰台から手をさしのべてきた。
「おめでとう,ビル」
 そこには,鉄の塊をとおしてのみ知ることのできる男の友情があった。
 カメラの放列がはじまり,フラッシュバルブがいくつもはじけた。
「パールさん,おそれ入りますが,今晩すぐ飛行機でシカゴにおいでいただき,明朝のテレビ出演をお願いしたいのですが……」,放送局の報道マークをつけた男が,かけよって云った。「いや」レオはこれをさえぎった。
「今晩はインディアナポリス・アスレティック・クラブのご招待をいただいておりますし,ビルも1日休ませてやりたいので……」
「では,明晩は是非ともシカゴへ」
「いいでしょう」
 こうした喧噪の中で,ビルは徐々に自分に対する自信をとり戻していた。
 知らぬ間に,スターにされつつある自分の立場をさとっていたが,謙虚に「明日からのトレーニング」に再び献身する誓いを心に立てていたのだ。
 その夜のディナー・パーティーは,地元のファン大勢がつめかけて,心あたたまる楽しいものであった。
 次の日はすでにシカゴにあった。
 デイヴ・ギャロウェイ・ショウに出演したビルは,ここでも関係者のあたたかい歓迎を受けて,久しぶりに心をなごませたのである。

ミスター・ユニバースへの夢

「ビル,この余勢をかって,ひとつミスター・ユニバース・コンテストに出てみないか」
レオ・スターンは,この愛弟子を世界最高のタイトル保持者にすることをすでに心にきめていた。
「ミスター・ユニバースに?」
 ビルの目は遠くの景色を見るように自信なげにまたたいた。
「そうだ。NABBAのコンテストは,世界で唯一の,そして最高の権威を持っている。ひとつ,このアマの部に挑戦してみるのだ」
 レオは熱心にビルにすすめた。
 すでにその頃,NABBAのユニバース・コンテストは全米に知られていた。1948年,オリンピックと共催の形でロンドンで行われた第1回コンテストで,アメリカの誇る鬼才ジョン・グリメックとスティーヴ・リーヴスが一騎打ちを演じ,全米をわかせたものだ。
この時はグリメックが優勝,スティーヴ・リーヴスは1950年,第2回コンテストで,レジ・パーク(英)を破り宿願を果している。
 1951年はレジ・パークが優勝,1952年にはこのコンテストにはじめてプロとアマの2部制が採用されて話題となった。
 そしてこの年,1953年。ビル・パールは遂にレスリングの練習をやめ,ミスター・ユニバース・コンテストにそなえ,ウェイト・トレーニングに集中しはじめた。1日4時間,週に7日のフル・トレーニングだったが,ビルは耐えた。
 レオ・スターンの言葉を借りると,その頃のビルの形相は,まるで「悪魔」のようであった,という。

軍用機でロンドンへ

 9月のコンテスト期日が容赦なく近づいた。
 そして,レオとビルは再びミスター・アメリカ・コンテストのときと同様に,いや,もっと大きな問題に遭遇する。
 ビルの体質からいうと,コンテスト前にどれほど立派に体を作り上げておいても,コンテスト参加の旅行で必ずといっていいほど体調を落とす。
 しかも,今度はロンドンまでの長期旅行だ。さらに悪いことに,この頃の民間人の海外渡航には,やれ種痘だ,コレラだ,チフスだと,いろんな予防注射をうたれ,先ず10日間ほどはトレーニングなど出来る状態ではない。
 これには2人とも参ってしまった。
 これを知ったのが,ビルの米海軍での直属上官ラルフ・スタイル大佐である。
「ビル,いいことがある。民間人としてでなく,米海軍の軍人として,軍用機でニューヨークからロンドンへ飛ぶんだ。ロンドンの在英アメリカ大使館に軍の機密書類を届ける任務を君に与えよう」
「大佐,それでは大佐にご迷惑が」
「責任は私がとる。君の快挙は,米軍のプラスにもなることだ。大いにがんばってきたまえ」
 軍用機で旅行する場合は,時間的にも融通がきくし,だいいち予防注射でトレーニング不能になる心配もない。
 ビルはこの上官の好意を受けることにした。
 軍人として行く以上,当然ネービーの制服をつけていかねばならないし,私物の携帯も許されない。ビルは,トレーニング・トランクス1枚を鞄に入れて,単身ロンドンへ旅立ったのである。
 蛇足だが,このラルフ・スタイル大佐も当時米軍になりひびいたウェイトリフターであり,ボディビルのよき理解者だった。ビルはこの意味でも,周囲の人に恵まれていたといえる。
〔オスカー・ハイデンスタムとミス・ビキニに選ばれたリンダ・トーマス嬢〕

〔オスカー・ハイデンスタムとミス・ビキニに選ばれたリンダ・トーマス嬢〕

ユール・ベイコン

 この年から数えてちょうど10年前,すなわち1943年のミスター・アメリカ・コンテストで,なみいる強豪をくだして優勝したビルダーにユール・ベイコンがいた。
 その後ユールはヨーク・バーベル社のコーチとなり,この年,プロのミスター・ユニバース・コンテスト参加の目的でロンドンへ来ていた。
 NABBAの本部では,レオ・スターンからの依頼もあって,ビルのホームシック病を予防するため,このユールをビルと同室に宿泊できるよう手配していたのである。
「君がビル・パール君か。いつも会いたく思っていたよ」ビルが部屋へ入っていくと,ユールは大手をひろげて歓迎した。
「大先輩にお会いできて感激です」ビルもこの同室を大いに喜んだ。
「しかし,その格好はヒドいな。それじゃ町も歩けないし,コンテストの会場へ行くのも気がヒケるぞ」ユールはビルの軍服姿にあきれていた。
「しかし,これしか無いんですよ。ナニ,町を歩くぐらい平気です」
「マア待てよ。僕の服を貸してあげよう。君の体格は,僕とよく似ているからおあつらえむきだ」
 ビルはこうして,コンテストが終わって帰国するまで,ユールの借り着でロンドンを闊歩することになった。
 ユールは自分の一帳羅をビルに貸し与えて,自分は替え上衣を着ていたが2人の友情はこうして固いものとなった。
 あれほど恐れていたビルの旅行先ノイローゼも,ユールのおかげで逐に一度も出ることはなかったのである。

オスカー・ハイデンスタム

 オスカー・ハイデンスタム。NABBAの会長,1日14時間フルに働く男,世界のボディビルの発展に生涯をかける男,コンテストの総責任者……ビルがオスカーに会うまでは,それぐらいの知識しかなかったといってよい。
 この偉大なる巨人オスカー・ヘイデンスタムにビルがはじめてあったのは,コンテストの2日前である。
「どうですか。ロンドンの居心地はよろしいですか」
 背の高いこの英国紳士はそうきいた
 ビルの滞在するホテルの一室である
「お蔭さまで快適です」
「それはよかった。どうだろう,今夜あたり私の家へ来てみませんか。妻の手料理でも食べていただけたらありがたいが……」
 思いがけない誘いの言葉だった。
 ビルは喜んでその言葉に甘えた。
 ロンドン郊外の大きな邸宅にこの巨人は住んでいた。その日,ビルは久しぶりで家庭的な雰囲気にひたることができたのである。
「明日は裏審査がある日です。固くならないで,ベストをつくすことですね」オスカー・ハイデンスタム氏の言葉はひとつひとつビルの胸にしみた。
 おそらく,遠く異郷の地にあるビルの気持ちを察して,レオ・スターンがハイデンスタムに個人的に頼んだものであったのだろうが,この配慮があってこそ,ビルは優勝できたのである。
 そう,翌日,そして翌々日,ビルは自分の持てるすべてをステージに吐露して,そして,優勝した。
 後日談になるが,ビルは米国からよく自分の写真をオスカーに送った。もちろん,無料で送ったのだが,オスカーはこの写真に対して多額と思われる金銭をビルのために積み立て,ビルがロンドンに来るたびに小遣い用に使わせたという。
〔写真は現在ビル・パールが経営するパサディナ・ジムのトレーニング場〕

〔写真は現在ビル・パールが経営するパサディナ・ジムのトレーニング場〕

母の手紙

〝ビル・パール,ミスター・ユニバースに優勝す!〟この報はいち早く全世界に届いた。
 アマの部とはいえ,文句のない総合優勝であった。
 プロの部は地元イギリスのアーノルド・ダイソンが優勝を飾った。ビルと同室だったユール・ベイコンは惜しくも3位にとどまったのだった。
 アメリカに帰国する日は,ロンドンのヒースロー空港に多くの人々が見送りに集まった。今度は軍用機ではなく,パン・アメリカン機で堂々の凱旋である。
「今度来る時はプロで優勝だね」
 オスカー・ハイデンスタムはこういってビルの手を握った。
「いろいろとありがとう」ビルは万感を胸に帰国の途についたのである。
 帰ってみると,海軍の友兵も,ジムの友人たちも大変なさわぎであった。
 次から次へ祝いにかけつける人々にとりかこまれて,ビルは大切な母への報告を忘れてしまっていた。
 ある日,その母からの手紙が届いてビルははじめてそれに気がついた。
「ビル,あなたがミスター・ユニバースになったという記事が,新聞に出ていました。母はまだ半信半疑です。これは本当なのでしょうか」
 筆不精のビルは,それからあわてて返事を書いて母へ送っている。
「ご報告が遅れて申しわけございません。新聞の記事は本当です。ようやく国際コンテストで優勝ができました」
 その母からの次の私信はさらにユーモラスであった。
「母はあなたのために洋服を全部とってあります。帰ってきたら着てもらおうと,仕立てた服もあります。でも。あなたは毎日のように大きくなって,もう合う服はないでしょうね。新聞であなたの体位を知りましたが,それですべての洋服がムダになったことが判ったのです。でも,おめでとう」

自分のジム

 ビルは海軍を1954年に除隊した。かねてからの望みであった「自分のジム」を持ち,より多くの人々にボディビルを普及する,その夢を実現したかったのである。
「ビル,それはいいことだ。是非サンディエゴにジムを作りたまえ,及ばずながら私も協力するよ」
 レオ・スターンはわが事のように喜んでビルを励ました。
「いや,サンディエゴだけは避けたいのです。サクラメントあたりに作ろうと思っています」
「ビル,私のジムと競合したくない君の気持は判る。でも,私は君を手離したくないんだよ」
 レオは熱心に説いたが,ビルの気持は変わらなかった。サンディエゴにはレオ・スターンのジムがある。ビルのジムを作ることで,ここの練習生の数が1人でも減ることをビルは恐れたのである。
 海軍時代の友人に,ドン・ファーワースという男がいた。彼はサクラメントに家があった。「ビル,サクラメントにはまだトレーニング・ジムは1つもない。それにここの青少年にとって,君の指導はどんなにうれしいことか。是非ここにジムを作ってくれ。ジムが出来上がるまで,私の家を拠点に使ってくれていいんだ」
 彼の申し出にビルは感激し,その言葉を入れて,サクラメントにジムを作ることを決心したのである。
 ビルが,海軍時代コツコツと貯金していた額と,友人たちからの献金を全部合わせてわずか2800ドルが,その資金となった。もちろん,ジム建設にはほど遠い金額だったから,貸しビルを探すほかない。

苦闘

 資金はともかくとして,ほかに2つの難問があった。サクラメントは,結構住居が建てこんでいてなかなか空きビルが見つからないこと,そして,この時まだ24才というビルの若さが,ジム経営という信用になかなか結びつかなかったことである。
 ビルはもともと童顔で,年令よりさらに若く見えたから,「ジムを作るのでビルを貸して欲しい」と頼んでも,誰も実際に信用しなかったのだ。
 ドンもこの点を心配して,地元の親籍を動員して探してくれた。
 ビルも足を棒にして歩き廻った。
 そして逐に,サクラメント市郊外のある古ビルの中に,何とかジムに使えそうな空き部屋を見つけた。
 手持ち2800ドルの大半は,6カ月分の保証金と1カ月分の前払家賃に消えて,あとわずかな残金で施設をととのえなければならない。
 やむを得ず,バーベル,ダンベル,トレーニング器具は中古品を安くゆずってもらって,ほそぼそとそろえるほかはなかった。部屋の汚なさと,中古の器具は,まるで古道具屋のような雰囲気を作り出し,「これがウェイト・トレーニング・ジムか?」と,訪れる人をおどろかせた。
 それでも,ビル・パールの名を慕って,練習生はたくさん集まってきた。彼らは中古の器具に文句も云わず,ビルの懇切な指導に喜々としてトレーニングをはじめたのである。
 あとで気がついたのだが,このジムのすぐそばをサクラメント貨物列車線路がとおっていて,20分おきにものすごい振動をおこして,貨物車が走りぬける。そのたびに,ダンベルはころがり,プレートは躍りはね,練習生の私語は一切きこえなくなる,というありさまであった。
 ビルは,入ってくるわずかずつの収入を全部あたらしいトレーニング器具の購入と,シャワー・ルームなどの施設に投入した。彼自身は当時,ほとんど飲まず食わずの状態で,ミスター・ユニバースの鍛えこまれた肉体は,目に見えてやせ細ってきた,という。
(つづく)
[ 月刊ボディビルディング 1973年12月号 ]

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