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ボディビルと私 
ボディビルひとすじに

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月刊ボディビルディング1968年7月号
掲載日:2017.11.07
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金子武雄
(スカイ・ボディビル・センター)
 私が運動を始めましたのは戦前で,柔道や剣道が学校の必修課目として義務化されていた時代のことです。
 終戦直後はご承知のとおりの食糧難で,とても運動などやっておられる状況ではありませんでした。当時私は明大に在学しておりましたが,日本に占領軍として駐留してきたアメリカ兵たちのたくましい身体を見るにつけ,私を含めて日本人の体格の貧弱さと体力のなさを,つくづくと感じさせられ,なんとかして彼らに負けないたくましい肉体と体力を身につけたいものだと思っておりました。
 ちょうどそのころでした。ある先輩から,ギリシャ神話の力の象徴であるへラクレスや,ボディビルの始祖といわれているドイツのユーゼン・サンドウの伝記を借りたのは。私は一読して彼らの力強さと男性美に満ちた肉体にすっかり魅了されてしまったのです。そして,男は何をやるにも,強い意志とそれを貫き通すためのたくましい肉体が必要だと痛感させられました。
 どんなスポーツ競技をやるのにも,これと同じことがいえます。ややもすると,当時のスポーツ界は根性や技術の練磨を重視するあまり,肉体の合理的なトレーニングによる筋力や体力の発達を無視する傾向がありました。
 私は当時,柔道や空手にうちこんでおりましたが,そのかたわら,基礎体力をつくるためにボディビルを行なうようになり,その結果,私の柔道はめざましい進歩をとげました。
 その後,力道山が日本にプロレスをおこしたとき,力道山の強い勧めで,裸一貫,力と意気を競うプロレスの道にはいることになりましたが,尋常一様の体力では通用しないこの世界で生きぬいていくのに,いかにボディビルによる鍛練が私の支えとなったか,はかり知れないものがあります。
 "ボディビル"というと筋肉隆々としたミスター日本などのイメージを頭にえがく人が多いのですが,それは一つの頂点を示すものであって,けっしてボディビルのすべてではありませんボディビルは,バーベルなどの器具を使用して行なう筋力づくりを中心として,柔軟性を養うための体操や,機敏性,瞬発力などを身につけるための"動き"も含めた幅広い体づくりの運動である,と私は思っております。
 このようなボディビルであってこそすべてのスポーツ競技に通用する力とスピードと柔軟性のゆたかな体をつちかうことができるのです。またこのような優秀な体をもつ者のみが,あらゆる障害をうち破って,着実な進歩をとげるのだと思います。柔道のへーシンクにしても,身長こそ恵まれていましたが,ボディビルをとり入れた合理的なトレーニングによって,伝統を誇る日本の柔道に打ち勝つことができたのです。
 私は,プロレスを引退してから,いろいろな事業をやるかたわら,蒲田に空手道場をつくりました。この道場で修業した者をアメリカに派遣して,アメリカでも道場を開かせております。そして,私の空手道場では,空手の練磨とともに,かならずボディビルを行なわせています。
 私のスポーツや体づくりに対する情熱は空手道場の開設だけではおさまらず,総合的な体づくりのためのジムを作り,スポーツマンだけでなく,体の弱い人や中高年層の健康管理にも役立ちたいというのが念願でしたが,昨年の11月,横浜駅東口正面スカイビルの中に100余坪の近代的な諸設備をそなえたボディビル・ジムを開設し,若い人たちといっしょに汗を流して指導にあたっています。
 私のジムの特色は,ミスター日本をねらう人たちばかりでなく,柔道,相撲,レスリング,空手,水泳,陸上競技など,あらゆるスポーツをめざす人たちが,楽しいふんいきの中で練習にはげめるということでしょう。
 また,姉妹施設として,隣りにはプールがあり,その指導には,古橋氏とともに日本の水泳界に一時代を画した橋爪四郎氏があたっていますし,さらに3000人を収容する体育館の責任者には六大学とプロ野球で鳴らした衆樹氏がおります。私はつねに,各分野の体づくりに不可欠な正しい方法を生み出すため,彼らと話し合い,より大きな効果をあげるべく努力しております。
 最後に,42才の今日までスポーツと体づくりひとすじに生きてきた者として,科学的に裏づけられたボディビルの発展を期待し,明るさとたくましさに満ちた日本人が1人でも多くなることを心から願うしだいです。
月刊ボディビルディング1968年7月号

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