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ウェイト・トレーニングは心臓をそこなわない

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月刊ボディビルディング1969年3月号
掲載日:2017.12.12
横浜国立大学教授
小野三嗣
 ウェイトリフティング競技の試合でたとえばジャークのときなどに、選手が立ちすくみを起こして倒れるのを見かけることがあります。

 これは、一時的な脳内血流減少による失神発作であるとされており、その原因は、努責にともなう胸腔内圧上昇にあると見られています。つまり、この胸腔内圧の上昇が、静脈系から心臓への血液の還流をさまたげて、二次的に脳に送りこまれる血液量を減少させるからだ、というわけです。

 このような事実から、ウェイトリフティングばかりでなく、ウェイト・トレーニング全体が、心臓に悪い影響をあたえる、と考えている人がおります。そして、この人たちは、以上の事実を裏づけるもう一面の資料として、一流のウェイトリフターたちが全身持久力測定法として行なうステップテストの点数で劣っていることなどをあげています。

 しかし、はたして、このような批判は妥当なものでしょうか。この問題について、考えてみたいと思います。

努責の意味

 私たちがある程度以上の力を出そうとするときは、呼吸を一時的にとめるのがふつうです。これは、力を出しやすくするためもありますが、それ以上に、二次的に腹圧を上昇させて、脊椎とくに腰椎にかかる圧力を軽減させて、これを保護する役目をはたしているのです。つまり、多少にかかわらず少なくとも重筋作業のばあいは、努責する(息をとめる)ことが、生理的な人体の合目的な仕組みである、と考えることができます。

 一方、心臓周辺部の肋膜間腔は、開放性の自然呼吸のばあい、大気圧に対して陰性となっており(そのためにこそ、肺が呼吸機能をいとなむことができるのです)、これが、低い血圧(10~ー10mmHg)しかない大静脈から心臓への血液還流を容易にしているのですから、たとえわずかな呼吸停止でも、そのさまたげとなることは、疑いありません。

 筆者がロンドン大学のデーヴィス教授の研究室にあるラジオピル(この器械は、日本では最近神奈川県立体育センターで輸入したもの以外にはありません)によって測定した結果では、100mmHg程度の努責は、ほんの少しの呼吸停止努力で得られることがわかりました。ですから、努責にともなう血液還流の多少の阻害は、日常茶飯の現象であって、とくに重大なことがらではないといえます。

 次に、外呼吸の場である肺胞内血流について見ると、肺動脈圧が低い(大動脈圧の約1/6程度)ということもあって、努責したとき、血流への機械的障碍が認められます。これも、ほんの一時的な呼吸停止にもかならずともなう症状ということになります。

 こんなふうに考えて、どんなばあいでも肺の血流や心臓への血液還流を乱しうる努責は有害なものであるという理論をすすめるとすれば、すべての筋作業はもちろん、あらゆるスポーツはすべて悪い、ということになってしまいます。とくに水泳にはそうとうの呼吸制限があるし、100m疾走にいたってはほとんど無呼吸といってよく、ともにぜったいに好ましくないスポーツの烙印を押されてしまいます。

 私たちのいくたの経験的事実と照らし合わせて考えてみても、これは、理に走りすぎた、きわめて不条理な意見であることに気づくでしょう。

トレーニング効果ということ

 元来、トレーニング効果というものは、生理的範囲(安静的という意味での)から逸脱した刺激が加えられた結果、それへの応答という形でいとなまれる生命現象によって得られるものです。アイソメトリックな筋肉トレーニングは筋力を増大させる効果が大きいといわれていますが、この効果も、筋肉内血流が阻害された結果として生じるものと信じられています。

 スポーツ・トレーニングというものは、すべて、いわゆる安静状態では見られない異常な刺激があたえられたとき、臓器組織がこれに耐え、さらに反発して、己れの機能を高めようとする働きがあらわれて、形態的適応変化を起こすというプロセスなのです。

 上述した肺や心臓に対する努責の諸作用も、これとまったく同じ現象なのであって、それによってはじめて、肺や心臓機能が苛酷な生活条件にも耐えていく力を獲得することができます。ほんのわずかの呼吸停止をも避けるというような生活をつづけたとしたら、私たちの身体は、日常生活にさえ不自由を感じるようなものになってしまうことは、自明の理であります。

過度のウェイト・トレーニング

 自己の最高記録にいどむような試合の場で、立ちくらみをおこして失敗した選手にその原因をただしてみますと、たいていのばあい、息の吸いこみが悪かった、と答えます。

 大きく深く吸いこみすぎてから努責すると、立ちくらみをおこしやすいのです。過度の吸気は、胸内圧陰性度の増大を意味し、心臓への還流血量の増加をひきおこすことになります。しかも、その次の瞬間、最大の努責を行なうのですから、急激な胸腔内圧の陽圧上昇、ひいては心臓圧迫・心内圧の上昇という形をとると考えられます。

 こうなると、むろし、べーングリッジ反射がおきて、心搏出量増加がおこると考えたほうが理解しやすいでしょう。つまり。立ちくらみ発作を貧血と見るよりも、むしろ、過度の充血症状と見るほうがよいということです。事実、ウェイトリフティングの試合の場で生じた立ちくらみからの回復時間は一般的に観察できる脳貧血症状からの回復よりも、きわめて短かいという事実も存在するのですから。

 体力測定項目の1つである息こらえのときに散見する事故、あるいは、水泳初心者の面かぶり泳ぎにともなう水死事故などを考えますと、心臓が努責に耐える能力をもっていなかったための事故である、といえるはずです。

 事前にそのような傾向が観察されたとき、私たちは、これらの人たちに漸進的に増大する呼吸停止トレーニングを課することによって、たいていのばあい、必要な能力を付与することができるものです。ウェイトリフターで立ちくらみをおこしやすい人たちについても、水銀血圧計を吹き上げて、努責圧を計るというようなことをくりかえしていると、最初は180mmHgでも悪心頭重を訴えたものが、240mmHgにまで高めても異常を感じなくなるというトレーニング効果が観察されました。

 つまり、過度の努責にともなう諸症状は、心内虚血というような無気力な状態によるものではなく、むしろ、心内圧上昇といったトレーニング効果が期待できるような現象によるものと見られるのです。こうなれば、たとえばそれが強大なウェイト・トレーニングのばあいであったとしても、合理的なトレーニングをつみかさねることによって、心臓が内圧上昇に耐えられるような能力を増大させる方向の効果が得られるものと期待できます。

心臓の能力の2要素

 心臓の強さのとらえ方には、大ざっばにいって、少なくとも二通りあります。その1つはマラソンのような全身持久的なスポーツをくりかえすことによって高められる機能であって、いっぱんに〝スポーツ心臓〟という概念で説明されているものです。これには心筋の肥大、心容積の増大が認められるのがふつうですが、少なくともスポーツ実施中は、心筋内血流量が十分に増加するという特徴をもっています。したがって、長時間の大きな酸素需要をともなう運動を持続させるという意味での能力がすぐれているわけです。

 もう1つの心臓の強さは、胸腔内圧の変化によって、循環血流があまり影響を受けず、その定常状態を維持できる能力です。

 この2面の能力は、それらが兼ねそなわってくる可能性よりは、むしろ競合する可能性のほうが強いのです。つまり、持久的に強ければ努責の点で弱く、努責圧に対して強ければ持久的な能力が十分でない、というばあいのほうが多いようです。これは一つは心冠状動脈の拡張ということと心筋の代謝機能が中心的役割をはたしており、他は、おそらく反射的なしかけにおける神経機能が主役を演じているのであろうということです。

 このことは、世界一流のウェイトリフターたちが、ステップテストでよい点数を示さなかったとしても、かならずしも異とするに足りない、という意見の根拠となります。ウェイトリフ
ティングでは、それほどの持久的な心機能は必要でないといえます。オリンピックのような場で、ベスト・コンディションを保っておかなければならない時間が半日、あるいは1日に及んだとしても、その意味での持久性、スタミナであって、マラソンの持久性とは根本的に異っているのです。

 ウェイト・トレーニングが心臓を悪くする、という考え方は誤りです。どんなスポーツにしても、トレーニングの方法が適切でなかったり、身体に合わないものであったりすれば、いろいろな障害が生じてくるのは当然であり、危険を招く原因となります。

 医師から禁じられているばあいは、もちろんウェイト・トレーニングは避けなければなりませんし、少しずつ強度を上げるなど、どんなに工夫してもどうしても立ちくらみを生じる人やふだんから最小血圧が異常に高い人も、やってはいけません。

 しかし、一般の健康人なら、トレーニングの一般原則のうちの漸進性と計画性という点を守っていきさえすれば、心臓の努責に対する適応性を高めるという可能性こそあれ、心臓を悪くするようなことはない、と申し上げておきます。

今月の表紙の人物

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 吉田実選手は昨年ミスター東京に続き、ミスター日本を獲得、日本中に吉田旋風を巻きおこしたが、今年はいよいよ世界の吉田となるための第1関門ミスター・ユニバースでの活躍を大いに期待したい。

 写真は2月のあるうららかな日曜日、湘南江の島で撮影したものである。外国の一流ビルダーに比べても決してひけをとらないスケールの大きさを持ち、大きく引いた腕は、天に向かって弓を射るへラクレスの日本版というところだろう。
月刊ボディビルディング1969年3月号

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