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ボディビルと私 ~ まだまだ若い人には負けない ~

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月刊ボディビルディング1969年3月号
掲載日:2018.01.09
小寺金 四郎  日本ボディビル・センター会長
        日本ボディビル協会常任理事
記事画像1
 私が日本で最初のボディビル専門の練習場として、「日本ボディビル・センター」を開場してから早くも14年になろうとしております。当時生まれた子供さんは現在はもう中学3年生の年令になるわけですが、まったく月日のたつのは早いものと感無量であります。

 昭和の初め私がスポーツ用品店を開業してまもなく、鉄アレーのブームが起こったが、当時適当な指導者もなく誤った使用法等が原因で、すぐにそのブームも下火になってしまったことがあった等と、山中経雄氏(コンクリート製バーベル製造販売・アームストロングカンパニー社長)とボディビル談義で共鳴し、その数日後、山中氏が平松俊男氏(当時早大ボディビル部コーチ)と連れだって来社し、平松氏の当ジム専属コーチの話が決定すると同時に、当時新築したばかりのビルの3階のスポーツ用品店、センタースポーツの半分を練習場にあて、日本ボディビル・センターと名づけてその第1歩をふみ出した。ときに昭和30年10月4日であります。

 その頃テレビでプロレス中継が世間で大さわぎをされ、力道山が外人選手を相手に颯爽と空手チョップを振るってなぎたおし、我々日本人の体力のコンプレックスの解消にも大きく影響を与え始めた折も折、テレビでハロルド坂田をゲストに早大のボディビル部々員(現在の協会理事長玉利斉氏が当時主将であった)が『男性美をつくるボディビル』を数回放映し、ボディビル・ブームの火つけ役をはたした。
日本ボディビル・センター内部

日本ボディビル・センター内部

 当日本ボディビル・センターが開場するや、一般社会人、学生、自由業の方から、作家の三島由紀夫氏、映画俳優宍戸錠氏他多数の有名人も連日トレーニングに汗を流しに通ってきた。

 2、3カ月後には20数坪位のジムでは、とても収容しきれない程の会員数に達してしまい、大勢の方々に入会の予約だけをして帰っていただくという大変御迷惑をお掛けしてしまったこともありました。

 雑誌記者、新聞記者、ニュースカメラマン等が連日インタビューに押しかけて来て、派手に、新しい体力造りのスポーツ「ボディビル」を記事にしてくれたので、新宿や浅草あたりの繁華街のど真中のパチンコ屋がブームに目をつけて、金儲けを目あてに急処ボディビルジムに転業するという、まさに「雨後の竹の子」のように都内に30カ所以上ものジムが乱立したが、しょせんは金儲けにはならないことがわかり、1年ももたずにブームが去ると同時に全部つぶれてしまった。

 しかしながら、私は『良いものは必ず残る』という信念で、たとえ会員が1人になってもジムをやめない決心であったので、ブームの火が下火に向いつつあった中でも、昭和31年11月に60坪の本格的ジムを新築し、その落成祝を兼ねて当センター開場、1周年記念を関係者多数を招いて盛大に催した。その際衆議院議員川崎秀二氏(当時厚生大臣、日本ボディビル協会々長)が足の怪我を押して松葉杖姿で御来場いただいたことは私の終生忘れ得ぬ感激でありました。

 その後にミスター日本コンテストの開催すら危ぶまれるという、日本ボディビル協会もピンチに見舞われたこともありましたが、田鶴浜弘氏(スポーツ評論家、協会副会長)らの熱心な努力と、協会の事務所が当センター内にあり、当時協会の理事長の平松俊男氏がコーチでもあった関係から、いくたの苦難を乗り越えてついに今日迄ボディビルの火を消さずに燃やし続けることができました。

 ここ1、2年あちこちにボディビル・ジムが出来始めましたが、10年前と同じ結果にならなければ良いがと思っております。何故ならばボディビル・ジムは金儲けの目的でやったのでは採算が合わないからです。最近現実に、2、3のジムがつぶれたと、伝え聞いております。



 私がボディビル・センターを開場した当時、やっかみ半分からか、日本体育協会のお偉ら方達の中にはボディビルそのものを何ら理解しようとすらせず非難し、又ある有名なスポーツ・ドクターなどはまるっきり白眼視していたが、最近はやっとボディビルを認めざるを得なくなり、当時とまったく反対の事を言っており、とんだお笑い草である。

 外国のスポーツ選手は女子ですらバーベルでウェイト・トレーニングに励んでおるというのに、日本では筋肉が固くなるとか何とか言って科学的トレーニングを否定し、ただ昔ながらの練習と天才選手の出現のみを待っている状態である。

 日本の国技といわれていた柔道で、ウェイト・トレーニングできたえたオランダのへーシンクに伝統あるわが日本選手がまるきり歯がたたず、世界チャンピオンを取られてしまったのがその実例である。

 ウェイト制のない競技は、特に体力的に劣る日本選手が最初から不利に決っている。その不利を乗り越えるには外国選手に負けない体力をウェイト・トレーニングで造ることだと思います。

 オリンピック等で海外へ遠征していったスポーツ選手が、必ずといっていい程体力差、気候風土、食事の事等をその敗因にしてしまう。しかし他の国の選手も同じ条件で戦っているのであるからして、気候、食事のせいにはできないはずである。ましてや何カ月、いや何年も前から決定している大会については、少しは研究して出掛けて行っているはずである。

 私は巧い選手よりも強い選手を造れ、と言いたい。いざ試合というとあがってしまい、普段の実力の半分も出ないで簡単に敗けるのなどは、しばしばである。自己の持つ最高記録を上まわる記録を出して敗けたのなら、まだなぐさめはつくが、去年のオリンピックで、最初から敗けるのが分かっていながら、のこのこと出掛けて行って予選で最下位という競技もあったのには驚いたりあきれたりである。

 雑草茂る草原の中をライオンにおっかけられながら、走り廻ってトレーニングをしたという、どこかの国の選手もいたけれど、文明国日本にはライオンはいないので、そこ迄やれとは言わないが、その位の気持をもってウェイト・トレーニングに励めば、強い体力と気力を充分に養えると信じている。

 又、虚弱者はボディビルによって立派な身心を造り、健康で明るい社会生活を過ごそうではありませんか。

 『健全なる精神は健全なる身体に宿る』と言われているが、もし本誌を読まれた方の中で、まだボディビルをやってない方がいたら、1日も早くボディビルを始めるようおすすめします。

 私はまもなく70才に手がとどく年令だが、今だにスキーもゴルフも若い人に負けずに張切っております。これからも大いにボディビル界発展のためにも頑張り続けます。
月刊ボディビルディング1969年3月号

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