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★ミスター・アメリカ、ミスター・ユニバース
チャック・サイプスの思い出

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月刊ボディビルディング1969年2月号
掲載日:2018.01.17
海外ビルダー紹介
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 世界各国で多数のボディビルのコンテストが催され,それぞれたくさんのタイトリストが輩出している。だが何といっても,最も有名で重要視されているのは,ミスター・アメリカとミスター・ユニバースのコンテストであろう。その両方にみごと優勝し,光栄あるタイトリストとなったチャック・サイプスが,まれに見る出色のビルダーであることは,多くの認めるところである。
 彼はコンテストに出場するのさえ大いに躊躇したほどの弱気な男で,まったく予期しなかった優勝と決ったときに,喜びのあまり,舞台の上で不覚の涙を流した。自信を得た彼も,「自信過剰になれば,もはや進歩はない。一流になるには90パーセントの自信と,同時に10パーセントの卑下心をつねにいだいていることが必要である」と説いている。
 彼は,カリフォルニアで経営する大きなジムで,自分の肉体の発達に力を注ぐ多くの後輩たちを懇切に指導して感謝信頼されている。彼の指導の特長は,既成の練習法だけに満足せず,絶えず有効な方法を創意工夫していることである。長年のボディビル歴を有する彼は,過去をふりかえって,次のように述懐している。
「御存知のように,私はほとんど1年中ボディビルのデモンストレーションやフィットネスの福音を伝え広めるために,全米の各地に出かけている。行きつく先々でいろいろのことをきかれるが,その中でも一番多いのは,いつごろボディビルを始めたかという質問である。
 1948年に初めてウェイトに手がけたので,今ではかれこれ20年になる。このように多年ボディビルと取り組んできたので,それに関するたくさんの思い出をもっている。
 私には,初めてウェイトに手を触れたその日が,あたかも昨日のように思われる。当時私は高等学校の2年生で,好成績だったフットボールのシーズンを終了したばかりだった。来シーズンにそなえて,体重をふやそうと,好評のチンズ・アンド・パラレル・バー・ディップスを実行していた。
 それからある日のこと,砲丸投げの選手の一人が,ウェイトを持ってやってきた。ウェイト・トレーニングの効能を説き,それによっていかに自分の体格が向上し,腕力がついたかを語った。彼はまた「マッスル・パワー」(今日の「マッスル・ビルダー」の前名)を手にしていた。私はそれを読んで,ウェイト・トレーニングがそんなに他人に効果があるのならば,自分の体位向上にも役立つに相違ないと思った。
 私はさっそくその場で,雑誌の指示通りにウェイトを使用して,少しばかりエクササイズをやって見た。
 練習を終えたときに,自分の筋肉がじつに固くなり,非常に紅潮しているのを知って,ウェイト・トレーニングこそ,私が終始打ち込んでやるべき運動だと悟った。それからシャワーを浴びてすばらしい気分になったとき,ますますその感を深めた。
 その晩,家に帰る途中,近くの本屋で「マッスル・パワー」を買い求めたこの雑誌を初めから終りまで注意深く読み終わってから,ワイダー〝ビッグ16〟ジム・ウェイト・セットを手にれ,ワイダー・システムを採用しようと決心した。そうすれば。自分自身の家庭ジムを始められるようになれると考えた。幸いに,父は非常に物わかりのよい人だったので,私が頼んだときに,私の考えに全面的に賛成してくれた。
 注文したウェイトが到着するまで,学校で簡単なプログラムを練習していた。しかし到着してからは,滅法に猛練習をやった。到着したすぐその晩に,ハッスルして自分のセットでやれるあらゆるワイダー・コース中のエクササイズを試みたのだった。
 翌日身体の方々が痛んだが,私はワイダーの教えるトレーニング法が最高に効果的であるのを承知していたので,くじけず,そのままワイダー式をできるだけ守って練習を継続した。その上自分の練習が最良の実績を上げるためにと,食事に細心の注意を払った。他の生徒連中が,コークやハンバーガーを好んで飲んだり食べたりしていたときに,私は売店に行き,牛乳と果物を求め,プロティン丸薬とともに摂ったものである。



 時日が経つにつれて,私の体格は立派になっていった。そのある日,エイブ・ゼサップという当地のボディビルダーに紹介された。私たちはすぐに仲よしになった。それから,しばらくして彼は私にヤリクの催す「ヤリクの大規模なマッスル・ショウ」を見物するために,サンフランシスコに行ってみないかと誘った。私はこの申出にスリルを感じ,もちろん喜んで応じた。これは私の最初の大きなショウで,今でも生き生きと思い出すことができる。レグ・パーク,ジャック・デリンジャー,それにフロイド・ペイジなどの大スターをこの目で見たとき,どんなに感動したことか!
 プログラムが全部終了してから,オークランド市で有名なジムを経営し,太平洋岸におけるボディビルディングの最高の権威者の一人であるエド・ヤリクに会った。私たちがすごく楽しかったと述べると,喜んで,近い中に自分のジムに練習にこないかといってくれた。私たちは大喜びした。特に私は喜んだ。そして,私たちは,2週間以内に再び訪れる計画をたてた。
 帰途の自動車の中で,ボディビルダーたちが,どんなにすばらしく映ったか,どんなに心をおどらしたかを思い出してみた。そして,ワイダーが氏の発行する雑誌上で,合理的方法でけんめいにトレーニングすれば,誰でもチャンピオンになれると述べた言葉に深い感銘を覚えた。そして真剣に自分で試みようと決意した。
 それから2週間後に,私たちはまたオークランド市に行った。ランチをすましてまもなく到着し,ジムの中にはいったとき,世界超一流の肉体の所有者を周囲に見出して,肝をつぶした。
 レッグ・プレス・マシンの下で額から汗をたらたら流していたのは,不朽の名声を持つスチーブ・リーブスであった。このときが彼を直接目にした最初であった。



 当時エドのジムは小さかったので,どうしてこのような巨体の所有者の多数を一堂に集めることができるのかいふかった。リーブスが練習しているときに,他の一方のコーナーでは,レグ・バークとジャック・デリンジャーがショウルダー・タイトを練習していた。周囲一体が肉体また肉体である。
 私はこの情景にたいへん印象づけられ,これら大スターたちの誰かと話してみたいと思って,見まわしたところ,いずれも自分の目下の練習に打ち込んでいる。リーブスは熱心にレッグプレスのハイ・レピティションを実行している。回数を数えるとまさに30回である。彼は厚いセーターを着ていたが,みごとに発達した腿とふくらはぎがうかがわれた。
 ジャックとレグは何をしているかと,その方に目を移すと,そのとき彼らは,へビー・ダンベルのセットを行なっていた。彼らは回数を6回に減らし,非常に丹念に行なっていた。このときエド・ヤリクが近づいてきて「チャック,この場所をどう思うか?」とたずねた。
 私はどんなにこのジムに感激したかを述べてから,ここのメンバーは全部が全部このように猛烈な練習をやっているのかときいたところ,エドはうなずいてから,話を続けた。彼はたくさんの熱心な練習生を持っている。そして自分は各人の欠点を見出し,何を必要としているかという点に細心の注意を払っている,と語った。私たちはたっぷり15分間ボディビルについて論じ合った。エドはただ一つの方法では立派な体格の形成は望めない。練習プログラムの作成には,各人の元来の身体の構造,気質,多数の他の練習生に対する配慮等の基本的要因を十分に考える必要がある。ボディビルはプログラム,食事に対して綿密な計画が要求される真の科学であると主張する。それに,一流になるには,インスティンクティブ・トレイナーにならなくてはならないとつけ加えた。
 私たち両人がなおも話を続けている折に,大きな連中がセット間に休息して,軽い冗談をいい合っているのに気がついた。エドがこの休憩時間に,私を彼らに紹介してくれたので,一人一人と真のボディビルについて話し合うチャンスを得た。
 私はスチーブに向かって,今どんな種類のトレーニング・プログラムを行なっているかと尋ねると,彼は腿により良いカットと形を附与しようと努力していると答えた。それを達成するために,レッグ・プレスを1セットに30回やる。レッグ・プレスが好きなのは,プレスの下で,楽な体勢が得られ腿の発達に専念できるからだと告げた。スチーブは,たいへん控え目な人物のように見受けられたが,それでも心から他人に対して好意と助力を惜しまない。彼は魅力的な個性を持つ,健康とエネルギーを発散する人間であった。
 また私はパークとデリンジャーと,ちょっとばかり言葉をかわした。そしてどんなタイプのトレーニングをやっているかとたずねると,両人は異口同音に「ワイダーのスプリット・ルーティン・システムを遵守している。これは1日に脚を鍛え,1日には他の部分にもっぱら力を注ぐ。今日は特に上体を鍛えていたので,自分たちは特別の三角筋・肩の練習を今終了したばかりで,腕の鍛えにとりかかる前に,一休みしているところだ」といった。
 レグは,重いウェイトを使用して,6回以下のロー・レピティションを行なってから,その後で軽いウェイトを使って,同一の動作を高回数制で行ない,同一の体部を最高にパンプ・アップさせる。この方法は,筋肉の発育を促す。特に肩の筋肉の発達に有効である。
 その時自分たちは,目下ワイダーの調査研究所のために,4セット4回のエクササイズを行ない,自分たちの肩の筋肉の発育ぶりを見る私的な実験をやっているのだと話した。彼らはシーテッド・プレス・ビハインド・ネックを開始し,次にダンベル・プレスに移り,さらにスタンディング・サイド・ラタレル,そして最後に,ベント・オーパーの姿勢で,リヤ・ラテラルを行なった。
 それから彼らは,へビー・ダンベル・カールに着手した。そこで,私はエド・ヤリクと話すために立ち戻った。



 私はその頃栄養に興味を持っていたので,セット間に,練習生たちがすすり飲んでいるのは何なのかとたずねた。エドは,あれは牛乳,蜂蜜,バナナ,なつめやしの実とプロティンをミックスした飲料で,筋肉の急速な発達に大変効力があると告げた。
「だが練習中にこの飲料を摂ることは,彼らの体力を低下させませんか」と質問したところ,多くの練習生は,摂取後は以前よりもすみやかに体重を増やした経験を持っている。そして補強剤として,特にプロティン補強剤が効能があると主張し,「食事は戦いの半分である」と語った。この大胆な声明が20年近く前になされたのは,まさに驚嘆に価いする。
 私は辞去する前に,上半身を裸にして,自分の肉体の発達工合に対して,エドの意見を求めた。彼はワイダーのコースを忠実に実行していることを賞め,大変立派だと賞めてくれた。そして今後も同コースを続けて行くように勧告した。私は前にもまして熱心に練習し,優秀なボディビルダーになろうと決意して家路についた。



 私は今,当時のことを回顧する。私はいつも,その時を,私のボディビルディングのキャリヤー中最も記憶に残る時として,また以上の大スターに対していかに感激を覚えたかに思い及ぶ。これらの人たちの何人かは,例えば,フロイド・ページのように,もはやこの世にいない。
 私はいかに適切な助言を受けたか,またいかに素晴らしいボディビルのキャリヤーのスタートを切ったかに,つねに思いをはせる。私は全く幸運であった。しかし今日の若いビルダーたちは,私よりもいっそう幸運である。
 偉大な宇宙時代の今日の高度に合理化したトレーニングのテクニックや,エクササイズ法に較ぶべくもない初歩の一端の知識しかもたないで,私は自分のボディビルを始めたのである。
 環境に恵まれた現在の若いビルダーたちは,ワイダー式の方法に従って,練習に励むならば,昔の倍の速さで,ミスター・アメリカ級のたくましく,力強い肉体を作り上げることができる。私はそれを保証する」
月刊ボディビルディング1969年2月号

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