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'68
ミスター・ワールド
ミスター・ユニバースをかえりみて

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月刊ボディビルディング1968年12月号
掲載日:2018.02.06
武本宣雄
ミスター・ユニバースの前夜祭でごきげんの武本選手

ミスター・ユニバースの前夜祭でごきげんの武本選手

「9月20日」17時羽田発ニューヨーク行にのる。美しい空の色,幻想的にまで美しい雲海,嫌いな飛行機がこんなに素晴しい乗物だったかと思いながら,午後8時15分,ニューヨーク着く。いよいよニューヨークなのだ。明日が,ミスター・ワールドである。まずタイムズ・スクエアのトム氏を訪ねた。
 近くのYMCAホテルに泊りたいと話すと,すぐに電話をかけてくれたが,あいにくだめであった。しかたなくタイムズ・スクエアの46番街にあるキング・エドワード・ホテルをとってくれた。彼とは初対面であるが非常によくしてくれた。
 ホテルに入ると明日の大会のため,すぐに床についた。
「21日」デミの車で,バド,パーカートム,私の4人でアカデミーホールに行く。3時30分,いよいよ大会の幕が切って落された。選手各10名ずつ,ポースを取り,決勝では,一人一人ライトの中で,ポーズを取る。ミスター・ワールド,ミスター・アメリカ,ミスター・オリンピアの順だった。
 選手がよく心得ているのか,大会の進行が実にスムーズだった。選手達のマナーもよく,オイルをこぼしたり,ゴミを散らしたり等は絶対にしなかったのに感心。大会は,エンエンと続き,午前1時頃,いよいよ発表。ここで気が付いたのは,観客が,実に多く,また最後まで皆が声援を送っている。熱狂的なふんいきである。
 ミスター・ワールドはチャック・サイプス,ミスター・アメリカはフランク・ゼーン,ミスター・オリンピアは,セルジオ・オリバーが挑戦相手がなく文字どおり不戦優勝。部分賞はほとんどチャック・サイプスが独占してしまった。わずか,ベスト・バックが英国のロイ・キャレンダー(リッキー・ウェインのトレーニング・パートナー)ベスト・レッグは,私がいただいた。
 9月28日,ミスター・ユニバースはフロリダ・マイアミで行なわれた。3時30分頃はじまり,各10各ずつ3組に別れ,ワールドと同じように行われた部分賞は全部一度に審査された。アーノルド・シュワルツェネガーが,肩をたたいて大丈夫とウィンクをして彼は合図した。
 7時より決勝だ。例により1名ずつ。スポットライトの舞台でポーズを終え,いよいよミス・アメリカーナが始まった。美しい彼女達!「グッドラック」と顔見知りのお嬢さんに声をかけてやると,サンキュと笑顔でウインクして,彼女は舞台へと消えて行った。
 ガラガラ声がするので,ふりむくとセルジオ・オリバーがゲスト・ポーザーのため,ウォーム・アップをしており,彼は,ウォームアップを手伝ってくれといった。その力の強いこと,実に力が強い。マッスルも怪物そのものだ。デブ・ドレイパーも婦人同伴で来ていた。今夜のゲスト・ポーザは,ドレイパーとセルジオの2人だった。そして,ミスの発表。入賞した彼女達,涙をぼろぼろこぼして泣いている。何か,こちらも,じーんと,くるものがあった。
 さていよいよ,ミスター・ユニバースの発表だ。フランク・ゼーン,アーノルド・シュワルツェネガー,ロイ・キャレンダー,クリスフォード,ドック・ダウン,マルドナルド。とにかく12名の中に私も残れた。ミスター・カナダ,ミスター・カルフォルニアの連中が皆,予選で落ちたのに,私は,とにかく,高い台にのせられたので,入賞したことが分った。残念ながら,詳しいことは知ることができなかった。
 とにかく大会を,かえりみて,圧倒的にバルクが違う。私は,小笹君に代ってのピンチヒッターとしての参加であるので,少々気が楽ではあった。特に,大会の進行状態,照明,審査の方法,選手達のポーズ。その他の種々に注意を払った。
 私は,今大会に,実に,愉しく参加できたことを協会及び日本のビルダー諸兄に心より感謝しながら,日本に帰る飛行機のタラップを,勢いよくかけ登った。
月刊ボディビルディング1968年12月号

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