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(今月の主張)
ボディ・コンテストの審査基準

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月刊ボディビルディング1971年1月号
掲載日:2018.02.15
・理事長という執行部の中心にいると頭の痛い問題に多々直面するが、なかでも、毎回のことながら常に批判の対象になるのは、ミスター日本コンテストの順位や、採点に関する、もろもろの意見や、批判である。
 しかし私は、ボディ・コンテストが続く限り、この種の批判や、意見は永久に無くならないと思う。
 何故ならば、ボディ・コンテストで競う肉体の逞しさや、美しさというものに対して、絶対に客観性のある測定基準は存在しないと思うからだ。
 スポーツ競技のほとんどは時間、距離、得点等によってはっきり順位が決定するが、ボディ・コンテストの場合、絶対の判定基準はどこにあると言えるのだろうか。
 最もわかりやすく、物理的に測定できるのは各部分のサイズ、つまりバルクだけである。だが、サイズさえ大きければ勝者になれると思うものは誰1人いないはずだ。
 サイズだけなら幕内上位の力士や、プロレスラーには絶対かなわない。しかし、彼等には、デフィニションとか全身のバランスというビルダーを評価する重要な他の要素は皆無といってよいだろう。
 それならば、均勢ということはどうか、これも、いかに身体各部のバランスがよく、プロポーションにすぐれていても、これだけではまた極め手になり得ないだろう。
 では、コンテストで大きな評価の対象になっているデフィニションについてはどうだろう。辞書によると、デフィニションとは”定義”とか”明確”にすることであり、ボディビルにおいては筋肉に脂肪が付着せず、筋肉のくぎりがはっきりしていることをいう。
 しかし、デフィニションがあるというだけなら、体質的に、筋肉が未発達でも素晴しいデフィニションを持っているものもいる。
JBBA理事長 玉利 斉
 このように考えてみると、デフィニションもまた、バルク(筋量)や均勢と同時に絶対の基準になり得ないことは明らかで、他の諸条件と重なり合ってこそ、デフィニションも大きなウェイトを占めるのである。
 さて、バルク、均勢、デフィニションという、コンテストで優劣を決定する最も重要な要素も、それ自体単独ではその価値を発揮し得ないものでありしかも、ボディ・コンテストの場合、これに加えてポージングという、自分の肉体を、より逞しく、より立派に見せるという表現力の問題もからんでくるのである。
 ここまで考えてきて直面することはボディ・コンテストは、選手の優劣を決定する絶対の判定基準が成立せず、果して、スポーツ競技といえるかという疑問にぶっつかる。私自身、ボディコンテストは勝敗を争い、ジャッジがある限りスポーツ競技に違いないと思うが、スポーツ性プラス芸術性がボディ・コンテストの本質であると思う。
 ということは、スポーツの場合は、あくまで客観性のある基準によって優劣が物理的に測定されるが、芸術の場合の優劣は、見る人の好みや、審美眼によって評価も異り、また、その作品のもつ個性の輝きを認めるか、否かによってその評価も大きく変化してくるわけだ。
 ボディ・コンテストに出場する選手の肉体は、頂点を争うような高いレベルであり、高い芸術作品の評価に似た現象が起るのではないだろうか。
 いずれにしても、ボディ・コンテストにおいて厳密に順位を決定することは至難といわなければならない。終極は多数の審査員の最大公約数に従うより他にない。ひとたびコンテストに出た以上、全力を尽し、あとはジャッジの判断にいさぎよく服するのがスポーツマンではないだろうか。何故ならばスポーツというものは、常にルールを認め、ジャッジの判定にしたがうのが前提であるからだ。
月刊ボディビルディング1971年1月号

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