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今月の主張 無筋力人間の脅威

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月刊ボディビルディング1971年4月号
掲載日:2018.07.09
JBBA理事長 玉利 斉
 1カ月ほど前の「週刊朝日」に“無筋力人間の出現”というタイトルで、人間の生活様式の変化にともなって今後はほとんど筋力を必要としなくなるから、人間は全身の筋肉が退化してしまう。しかし、頭脳労働のため頭は異常に発達し、消費経済の向上から、過度の美食の摂取により腹がふくれあがった、何ともブザマなスタイルの人間が出現するであろう、とカリカチュア化されて描かれてあった。

 たしかに、文明の発展は、数々の恩恵を人間に与えてくれるけれども、方向性のない無規制な発展は、逆に人間の生活を脅かす存在となって迫ってくる。

 例えば、最近の公害問題等はその顕著な事実だ。公害問題は外から人間生活を破壊する危険材料であるだけに、個人の努力だけでは克服できず、関連企業や、公共団体、国家の協力が当然要請されなければならない。

 しかし、文明の発展にともなう内的な危険材料も存在する。それが冒頭の無筋力人間だ。

 最近の生活様式は機能的であることと、省力化を極端に追うので、日常生活の中で、肉体を活動させることがほとんどなくなってきている。つまり、文明は効率の上ることを求めたために生活を機械化したが、その結果、人間の肉体を退化させ、同時に人間の精神を安易さと遊惰に導く恐れも生み出したのである。

 だが、これらの内的危険材料は、自分自身の意志と生活態度ひとつで、どのようにでも克服できるのである。けっして大企業や政府の協力を必要としない。自分自身に対する厳しさと、建設的な生活態度さえあるならば、この内的な脅威に対し勝利は疑いない事実である。

 真の脅威は、肉体を活動させなくなる生活環境、つまり、科学の発達ではなく、それに狎れ親しんで自分自身を鍛えあげ、環境を開拓していこうとする行動的な精神の欠如である。

 中国では数千年の歴史の間に幾度か王朝の興亡をくり返してきたが、常に爛熟したその文化に酔い、建設への意欲と推進力が弱まったとき、必ず北方の野性的なエネルギーに満ちた蛮族に亡ぼされていった。

 現在八億の人間をまとめあげた中国の巨星毛沢東が、歴史の貴重な体験を意識してか、しないかはともかくとして、体育の振興に大きな情熱を抱いていることは、文明の発展のエネルギーの根元としての人間の肉体の鍛練を捕えているからであり、それは、弱冠27歳のときに書いた「体育の研究」をみても明らかだ。

 話は飛躍したが、要は、個人でも民族でも、安易さと便利にとらわれ、自らが行動して開拓していこうとする精神を失ったら、すでに創造のエネルギーは枯渇したとみてまちがいはないだろう。

 さて、ボディビルは無筋力化しつつある現代人の肉体と精神に、最も適した処方箋であることは、ボディビルを多少とも経験した人なら、いまさら強調するまでもあるまい。

 運動の場所を多く必要としない。他のスポーツやレジャーのように経費がかからずに済む。年令や体力に応じてトレーニングできる。時間や日数を多く必要としない。動作が単純で誰にでもできる。等々ボディビルが現代人の要求に適している面はまことに多い。それだけに、今後のボディビルの発展は社会的、時代的な要請であるといっても過言ではないだろう。

 しかしながらその社会的な要請に完全に応えるためには、ボディビル側も幾多の成長と脱皮が要求される。

 例えば、ボディビルの主たる手段であるウェイトトレーニング中心のみだと、心肺機能や循環器系統の強化が得られないので、如何にこれを補足する運動を取り入れるかという問題、さらに、運動選手が補助運動として行なう場合に、巧緻性や柔軟性、あるいは瞬発力等について、よりプラスさせるための研究、年令・体力に適したトレーニング方法の変化の研究、また、単調な運動であるため、いかにして持続させるかの研究、さらには、それらを綜合した社会体育のジムとして成功させるための経営的な研究等、今後ボディビル側の施設や指導者に要求される問題は非常に多い。

 このような問題を多くの関係者と協力して解決していってこそ、ボディビルは文明の進歩にともなう無筋力人間の脅威の克服に絶対の信頼をかちとることだろう。
月刊ボディビルディング1971年4月号

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