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今月の主張 1971年5月号

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月刊ボディビルディング1971年5月号
掲載日:2018.07.22

ボディビルは縁の下の力持ち

JBBA理事長 玉利 斉
 過日、YMCA体育事業の強力な推進者である林輝児氏の結婚披露パーティーに招かれたおり、ウェイトリフティング協会の井口幸男副会長と久し振りにお会いした。そして、ボディビル協会創成期の頃の懐古談から、今後のウェイトリフティング、ボディビル両協会の密接な協力関係等に話がはずみ極めて有意義なひとときを過した。

 何よりも私が嬉しく感じたことは、井口副会長が、日本のウェイトリフティングに優秀な選手が多くなり、好記録が出るようになったのは、ボディビルの普及によって、バーベルに親しむ人口、つまり、底辺が拡大されたことに大いに原因があると思っている、と語られたことである。
 
 かつて十数年前、ボディビル協会創立をめぐって、ボディビル側と、ウェイトリフティング協会との間に、数々の意見の相違や、摩擦があったことを今はかえって懐かしく想い出す。

 当時のウェイトリフティング関係の人たちの考え方は、ボディビルをウェイトリフティング競技の予備運動と考え、ボディビル自体の独立した価値を認めていなかった。そして、ボディビル関係者の中にも、ウェイトリフティング協会に属して、ウェイトリフティング競技者に至る課程としてのボディビルを行なえばよいという考えの人もいたのである。

 それに対して、われわれボディビル協会を設立しようとした側は、ボディビルは、ウェイトリフティングだけに属するものではない。あらゆるスポーツの基礎トレーニングに有効なものであり、そればかりか、体の弱い人が体力を獲得するためにも、一般社会人の健康管理のためにも必要であり、またそこに大きな意義がある。そのようなボディビルに発展させるためには、ウェイトリフティング協会とわかれて独立し、ボディビル自体の価値を強調しなければならない、という信念に燃えていたのである。

 その結果、十数年を経た今日、周知のようなボディビルの発展になるのだが、ここで、忘れてはならないことはボディビルに対しての意見の相違こそあったが、同じバーベルを愛し、力強い肉体を求める心は、両関係ともいささかの喰い違いもなかった。

 ウェイトリフティングは、バーベルという重さを挙げることを目的とし、ボディビルは、バーベルという重さを手段として体を鍛えるのであり、つまり、一方は重さが目的であり、一方は重さが手段であった。

 こうして、目的と手段の違いが2つの協会を生み出したのであるが、もともとはバーベルという“重さ”から生まれたものであり、その意味からいえば、少くとも日本ボディビル協会は、ウェイトリフティング協会とは兄弟の関係である。

 われわれはウェイトリフティング協会という兄貴が、世界の檜舞台で活躍してもらうために、弟として底辺の拡大に大いに努力しなければならない。

 ボディビルの普及啓蒙の手段として青年の一時期、ボディ・コンテストやパワーリフティングに打ち込むことは結構なことであるが、ボディビル練習者のすべてが、ボディ・コンテストやパワーリフティングを唯一の目的として追うようなことになっては、目的と手段が逆になってしまうだろう。

 記録や勝負を追う競技は数多くある しかし、勝負に勝ち、記録を向上させる基になる体力をつくる運動というものはシステマチックになっていない。ボディビルの1つぐらい、華やかな頂点より、地道に体をつくる基礎体育として発展させたいという考え方が、ボディビル協会設立の目的であった。

 コンテスト結構、パワーリフティング大いに結構。その華やかな肉体や記録のみに酔うことなく、むしろ、スポーツ界全体の縁の下の力持ちとして各種競技団体に力を貸していくという姿勢が、われわれボディビル界全体の風潮として望ましいのである。

 それとともに、人生という土俵、社会というグランドに、有意義に自己を生かすのに必要な、体力と魂を養うのがボディビルの本質的意味だと思う。

 つまり、ボディビルは、いたずらな筋肉誇示のイメージから、スポーツ界を支え、人間を支え、民族を支えるものに成長していかねばならない。
月刊ボディビルディング1971年5月号

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