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海外ビルダー紹介 ~ ヒューゴー・ラブラ ~

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月刊ボディビルディング1969年6月号
掲載日:2018.06.10
 ヒューゴー・ラブラの堂々たる体格はコントラストのよい研究材料である。彼はヘラクレスのようなサイズをしていながら明確なデフィニションをもっている。また、ものすごい重量を軽くあつかえる大力なのに、練習にはごく軽い重量を好んで用いて、体格の向上発達に励んでいる。

 ヒューゴー・ラブラの堂々たる体格はコントラストのよい研究材料である。彼はヘラクレスのようなサイズをしていながら明確なデフィニションをもっている。また、ものすごい重量を軽くあつかえる大力なのに、練習にはごく軽い重量を好んで用いて、体格の向上発達に励んでいる。

HUGO LABRA ●軽いウェイトで大きな筋肉を作る異色のボディビルダー●

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●ーーここ数年というもの、私は週7日、毎日2時間ずつトレーニングをつづけています。1回でも練習を休む理由は私にはありませんでした。ーー

 スペイン語なまりのある英語で語るヒューゴー・ラブラのこの言葉に、人はまず、バーベルのシャフトからプレートがぬけ落ちて地ひびきを立てたときのようなショックを受ける。そしてそれから、この言葉をどう受けとるべきかにとまどう。

 ヒューゴー・ラブラーー彼は疾病、傷害、欠点、移り気などとはいっさい無縁である。彼は、威風あたりをはらいつつ静かに大海原を行く戦艦の偉容を思わせる。彼はいわば“抑止力”といった強大な力を内に秘めている。そしてときには、負荷の軽いトレーニングでつちかわれたとは思えない力の片鱗をのぞかせることがある。

 彼にとってケガは鬼門である。そしてそれを避けるために、それ自体が苦痛であるといってよいほどの細心の注意をはらう。人はどうあろうと、気ちがいじみた重量をやたらに使うトレーニングには目もくれない。

 1961年、32才のときアメリカで“モースト・マスキュラー・マン”のタイトルを獲得した彼の肉体は、いまではいちだんと磨きがかけられている。切れのよいカット、みごとな明暗のコントラストを画き出した筋肉の一つ一つそしてスカシ絵を見るようにあざやかに浮き上がった血管の数々ーーもう一つの次元をそこにかいま見るような幻影をつくり出す。彼は体の線をくずすバルク・アップを慎重に避ける。

 ゲームにおいてもビジネスにおいても、無数の理論が横行するなかで、彼は保守的な考え方に徹する。彼が用いる運動は基本的な種目だけであり、練習の場はジムオンリーである。それ以外の身体運動はトレーニングの妨げになるだけであり、元来が完全論者である彼にはこれは耐えがたいことなのだ。紙背に徹する眼光の持ち主である彼は他人を観察することにより自分の知識を深める。同僚のスタイル、トレーニング・スケジュール、錯誤、得失、傷害などを、コンピューターのように正確に解析する。そしてそれから、自分自身にもっとも適したシステムがつくり出されるのである。

 1929年、南米ペルーの首都リマ市で彼は生まれた。若いころ、148ポンド・クラス(ライト級)のウェイトリフターとして活躍。パン・アメリカン大会とべネズエラのボリバー・ゲームにも参加しており、1951年(22才)には後者の大会でタイトル・ホルダーとなった。1953年、24才のときアメリカに渡り、数年間を生産設備機械設計の勉強に没頭した。ボディビルを手がけたのが1957年(28才)で、その10カ月後には67.5kgの体重が90kgになった。現在は83kgである。
 ニューヨーク市の巨大なブルックリン音楽堂で、ヒューゴー・ラブラが最高の勝利を手にして観衆の万雷の拍手にこたえる栄光のシーンである。彼はこの夜、1963年度IFBBのミスター・アメリカ・コンテストのトール・クラス優勝とモースト・マスキュラーのタイトルをかちとった。

 ニューヨーク市の巨大なブルックリン音楽堂で、ヒューゴー・ラブラが最高の勝利を手にして観衆の万雷の拍手にこたえる栄光のシーンである。彼はこの夜、1963年度IFBBのミスター・アメリカ・コンテストのトール・クラス優勝とモースト・マスキュラーのタイトルをかちとった。

 1962年(33才)の3月、181ポンド・クラス(ライトへビー級)のスクワットで475ポンド(213.75kg)のカリフォルニア記録を作ったが、これを最後にスクワット記録への挑戦に終止符を打った。最近は徒手のシシー・スクワット25回×8セットを週2回行なっている。これ以上、重い重量によるスクワットで脚をいじめると、いつかはヒザを痛めることになると感じたからだ。それでも現在、101.25kgのスクワット10回×3セットをスケジュールにとり入れている。

 結婚を考える暇がないほど彼の生活は多忙である。軍需工場のミサイル・エンジニアとして働く彼は、8時間の勤務を終えると、さっそく5時30分にはジムに姿をあらわし、8時にはそこをひきあげる。トレーニングをパート・タイムの仕事とでも考えているのだろう。この間食事抜きである。

 直感に頼るトレーニングの信奉者であるヒューゴーは、トレーニングの重量日というものを決めていない。実際に練習を始めてみないと、いつが重量日になるのか自分でもわからないのだ。しかし、この重量日はめったにやってこない。しかし、重量日にしろ軽量日にしろ、1日の練習時間は2時間を越えることはぜったいにない。

 彼は調子の悪い日にはけっしてむりをしない。この誤りをおかしているビルダーが多い、というのが彼の意見だ。若く大きくたくましいデープ・ドレイパーは、ジムで初めてヒューゴーに会ったとき、ヒューゴ一の軽い練習内容を見てケゲンな顔をしていた。すでに中年にはいったヒューゴーは、ウェイトの選択と扱かいには慎重であり、自分のペースを守ることを忘れない。

 筋力がついてくればくるほど、軽い重量を使用すべしーーと彼は説く。たとえば、体重90kgで最高重量180kgをベンチ・プレスできる人は、180kgを試みるのはせいぜい月1回にとどめよ。しかし、90kgの体重で最高135kgをべンチ・プレスする人は、週1回これを試みてもさしつかえない。そして、最高重量にとりくむまえに、軽い重量による長時間の準備トレーニングがぜったいに必要だーーと彼は力説する。

 彼は一種のサイクル・トレーニング(循環トレーニング)を示唆しているのだ。その練習内容をグラフで表わすと、波状の曲線になる。波の山(最高重量を表わす)から下降線をたどって波の底(普通量以下の重量)に達し、それからしだいに上昇線をえがいて次の波の山に達する。この間3~4週間の日時をおく。山をかさねるごとにその負荷量を増していくのである。

 重い負荷をたえずかけるトレーニングはヒューゴーの肌に合わない。パワー・リフト記録会にそなえるトレーニングは、1種目につき週1回に限っている。彼が好んで採用する記録会の準備トレーニングは彼独特のものだ。たとえば、

 スクワットーー記録会の1週間まえに、最後の仕上げとして173.25kgで10回。記録会までの7日間はスクワットとは縁切りである。それでも本番では適当なウォームアップを行なってから213.75kgをあげる。

 インクライン・プレスーー週1回。101.25kgで10回、114.75kgで5回、123.75kgで5回。123.75kgを5回やれば、1週間後の本番で141.75kgをあげる自信が彼にはある。べンチ・プレスもこのシステムでいく。

 カールーー2日おき。ワン・ハンド・ダンベル・カールを、18kgで5回×3セット、22.5kgで5回×3セット、27kgで5回×3セット。さらにラット・マシーン・プル・ダウンをワイド・グリップ(広い手幅)で10回×8セット。記録会のまえに7日間のレイオフ(休み)をおく。

 重い重量を試みるまえに、上腕二頭筋を十分にウォームアップする必要がある、と彼は主張する。上腕三頭筋ははるかに強靭で耐久力があるから、それほどのウォームアップはいらない。上腕二頭筋をいためるビルダーの数がふえていることは寒心にたえない。これはウォームアップ不足かオーバーワークのせいである。ボディビルディングを終生の伴侶としたければ、傷害の危険をおかさないことだーーと彼は喝破する。
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 もっぱら軽いウェイトを使用して練習しているといわれるヒューゴー・ラブラだが、これはどうしたことか。バー・ディップをやる彼の背中には、ディブ・ドレイパーの250ポンド(112.5kg)の肉体がのっている。ドレイパーはサンタ・モニカにあるワイダ―西部海岸支社でボディビル・コンサルタントをしている。上の写真はその事務所の近くでとったもの。

 もっぱら軽いウェイトを使用して練習しているといわれるヒューゴー・ラブラだが、これはどうしたことか。バー・ディップをやる彼の背中には、ディブ・ドレイパーの250ポンド(112.5kg)の肉体がのっている。ドレイパーはサンタ・モニカにあるワイダ―西部海岸支社でボディビル・コンサルタントをしている。上の写真はその事務所の近くでとったもの。

 ヒューゴーはまた、大きい重量を用いることにより最大の筋肉が生まれる、と信じている。そして、重いウェイトによるトレーニングのいくつかを厳選して、自分の比較的軽いシステムに控え目に組み入れている。

 その点、広背筋は鍛えがいのある筋肉であり、彼は毎日これを鍛練する。練習はラット・マシーン一本やりだ。せまい・グリップでウォーム・アップしてから、しだいに広いグリップに変えていく。

 彼は三角筋を細心の注意をもって扱かう。強いがデリケートな筋肉だからだ。大きい負荷でのプレス種目はせいぜい2日ないし3日おきである。ここでも彼は、三角筋を傷つけ、慢性的な痛みを訴えるビルダーの多いことに注目し、重いウェイトによるプレスのやりすぎが原因だと警告する。

 良識ある判断にもとづいて、ヒューゴーは最高重量をただ1回しか試みない。それが成功しようと失敗に終わろうと、その後数週間はぜったいに2度とやらない。成功か失敗かをほんとうに知るものは肉体ではない。それは頭だーーと彼はいう。

 彼のトレーニングは着実で、途切れることがない。運動のつ一つを彼は堪能するまでやる。重い重量に対する恐怖を知らぬ彼には、心理的な障害というものは存在しないらしい。最高重量をためしてみろといわれれば、いつでもたちどころに、恐るべき筋力を発揮してみごとやってのけるのである。軽い負荷で練習しているふだんの彼の姿からはとうてい想像できないことだ。

 パラレル・バ一・ディップに強い彼は、90kgの負荷で5回、112.5kgで1回の実績をもつ。しかし、練習のときはずっと軽い重量で、あるいは徒手で週1回、べンチ・プレスをやった直後まだ大胸筋、三角筋および上腕三頭筋が冷えきらないうちに行なう。

 彼はビタミンAとCを毎日とる。ビタミンCは小さな切り傷をなおすのに効果があるし、Aは目を酷使する仕事に従事する彼に必要なものである。酒とタバコはやらず、毎日8時間眠る。

 毎日、3~4個の半熟卵、450グラムのステ一キ、2切れの小麦パン、1リットルの脱脂牛乳、それに新鮮な果物と野菜を欠かさない。成長ホルモン剤には手もふれないが、成長途上のビルダーには補食品は大いに役立つと彼は信じている。
月刊ボディビルディング1969年6月号

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