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今月の主張
アポロとディオニュソス

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月刊ボディビルディング1971年7月号
掲載日:2018.06.11
JBBA理事長 玉利 斉
 最近でこそ女性の美しく均整のとれた体や、男性の野性的な逞しい肉体がひとつの風俗として、あたりまえに世の中から受け入れられるようになっているが、戦前に生まれ戦中の教育を受けた人たちは、海岸のビキニ姿はもちろん、まさか町のまんなかを太腿が濶歩するホット・パンツの出現なぞ予想もしなかったであろう。
 つまり、人間の赤裸々な肉体の健康な輝きに満ちた美しさは、芸術の作品上においてこそ賛美されても、生きている人間の肉体としては、現実に肯定されなかったといえる。
 しかし、西欧ではギリシャ以来伝統的に素直に肉体美を通して人間を賛美する歴史がある。古代ギリシャやローマに残る彫刻の数々を見てもヘラクレスやアポロ、さらにはビーナス等の神々が、人間らしい肉感をもって逞しくあるいは美しく刻まれているのは周知の事実だ。
 
 さて、今月はそのギリシャ神話の神々のうち、アポロとディオニュソスについてふれてみたい。アポロは太陽だ。すべての人や物に明るさと熱を与えるエネルギーの神だ。同時に知や音楽も愛する優美な神でもある。
 ディオニュソスは別名バッカスである。バッカスはご存知のとおり酒の神様である。本来バッカスはギリシャの神でなく、東洋に近い方の神だったらしいが、いつの頃からかギリシャの神々の一員に加えられたらしい。
 つまり農業を主として生活していた古代の部族たちが、実りの豊かさを祝って酒を飲み、理性を乗り越えて生命の根元からもり上ってくる情熱に身をまかせ、狂喜乱舞したときに祈る神であったらしい。

 つまりアポロが力に溢れてはいてもあくまで知性と美を愛する調和のある神であるのに対し、ディオニュソスはよくいえば素朴であるが奔放で衝動的であり、地の底からどよめいてくるような、野生の呼び声のままに行動する破壊的な力の神であるといえよう。
 ところで、実存主義哲学の先驅者であったニーチェは、元来、比較文献学者であったが、古代ギリシャを研究することにより、ついに独創的な思想に満ちた”悲劇の誕生”を始め、多くの著作をのこし現代のわれわれにも強烈な光を投げかけている哲学者である。故三島由紀夫氏は晩年こそ表面的には日本の歴史と伝統を踏まえた発言や行動ばかり目立ったが、三島氏が思想的に強く影響を受け、かつ尊敬していた思想家としてニーチェをあげている。

 このニーチェが著作の中で、アポロとディオニュソスの二神をとりあげ、それぞれの神の性格を論じながら、文明批評を展開していることはまことに興味深い。
 それによれば、現代こそディオニュソス的エネルギーの必要な時代だ。機械文明が発達し、民主主義やキリスト教が人々の生活や心を支配している。科学は利益をもたらす反面、人間の限りない欲望を助長し、人間生活を怠惰と安逸に導いている。そして、民主主義は、うっかりすると自分の責任を避け、集団の中に自分を埋没させて生きることになる恐れがある。
 キリスト教も”あの世”という虚構を設置して、それに人びとの生甲斐を見出させ、現実に力強く生きることを避けている。
 人間はもっと現実を肯定し、まず生きている存在そのものである肉体を信じ、破壊さえも恐れず人間らしく力一杯生きぬかなければいけないのだ、というような意味のことを強調し、アポロの明るさと知性と美と調和というものは、ひとつ間違うと単に表面的に無難に世の中にさからわずに生きるという”ことなかれ主義”になりかねないと断じている。

 このニーチェのアポロとディオニュソスを通した文明批評は1970年代に生きるわれわれにとっても、あまりにも身近なこととして実感をもって迫ってくるではないか。われわれはディオニュソスの野性を持ちつつ、さらにアポロの明晰さと調和のある生きかたをせねばならないだろう。
月刊ボディビルディング1971年7月号

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