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理事長に就任して

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月刊ボディビルディング1971年9月号
掲載日:2018.03.10
日本ボデイビル協会理事長 小寺金四郎
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 このたび理事長という大任をおおせつかり、責任の重大さを痛感しております。
 ややもすれば筋肉づくりだけのように見られていたボディビルも、ようやく社会体育の一環として、広く一般大衆にも理解されてまいりました。
 第1次のボディビル・ブームが、軽薄なうわついたブームだったのに比べて、今日の隆盛は、地味ではあるが、地中に深く根を下ろした落付いたブームだといえましよう。ボディビルは元来、このように健康増進と体位向上を目的としたものであり、決して華やかなものではないのでありますが、逞しい筋肉を誇り、ボディ・コンテストに出場することが唯一の目的であるかのような錯覚にとらわれ、一部の人たちから偏見をもって見られたようです。
 もちろん、これからもボディ・コンテストは実施してまいりますが、これは、あくまでも、ボディビルを実践しているうちに、とくに逞しく筋肉の発達した人、すなわちボディビルの頂点に立つ人たちのコンテストであって、これだけがボディビルの真の目的でないことは申すまでもありません。
 戦後二十数年をすぎ、いまやGNPが自由諸国第2位という経済大国に発展したわが国も、その反動で、公害問題とか人間尊重の政治ということがさけばれてまいりました。そしてその根元をなすものは、人間の健康を確保することにあるといえましよう。
 国の施策をまつまでもなく、自分の健康は自分で管理しなければなりません。そして、いかなる環境にもうち勝つことのできる、力強い肉体と精神を鍛えあげることが要求されるのであります。
 われわれが推進しようとするボディビルは、このような時代に、もっともマッチしたスポーツとして、ますます発展していくものと信じております。私といたしましても、玉利前理事長が日頃提唱しておりました、社会体育の推進役としてのボディビルを、さらに強力に押し進めていくつもりであります。どうか、皆様がたの積極的なご指導と、ご協力をお願い申し上げます。

理事長を辞任するにあたり

日本ボデイビル協会相談役 玉利 斉
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 去る7月10日のJBBA全国会議で新規約が制定され,それに基づいて新役員が選出されたのを機に理事長を辞任した。全国10地区から選出された新役員の諸公は、満場一致で再度私の理事長就任を要請してくれたが、私自身このあたりが理事長としての引き時と、固く腹を決めていたので、わがままを通させていただいた次第だ。本誌をかりて改めて理事長在任中、陰になり日なたになって、力の至らぬ私を助けてくださった全国のボディビル関係者に心からお礼を申し上げたい。
 顧りみると、東京オリンピック後、潮のように盛り上ってきたスポーツの底辺拡大、体力づくり運動等のムードの中にあって、わがボディビル界は、歴史の浅さから、なんら組織的な活動がなされず、全国に散在するボディビル・ジムが、各個バラバラにボディビルの必要性を力説する状態に止まっていた。
 東西に、日本、全日本の2つのボディビル協会があるにはあったが、協会らしい計画・組織・行事等を推進する実行力に欠け、1年に1回それぞれミスター日本コンテストを開催しているだけだった。
 これでは、昭和30年に国民の体位向上と健康増進を目的に、つまり今日でいう社会体育の振興を旗印に出発した、われわれボディビル協会の理想はどこに行ってしまったのか。世間でもボディビルというとコンテストのみ連想し、体育としての価値と効用はなんら理解せず、はなはだしきは男性の美容体操と同一視する者も少なくなかった。
 われわれが求めたボディビルは、こんなものではなかった筈だ。よし、もう一度みんなで力を合わせて協会を再建し、新しいボディビルのビジョンと、それを現実化する力をそなえようではないかという考えのもとに、関係有志が集まって協議したのが、私が理事長に就任するきっかけだった。
 以来、事務局の設置にはじまり、機関紙”強く逞しく”の発行、実業団協議会の設立、全国ボディビル界の組織化東西協会の一本化、パワーリフティングの実施、選手の国際大会派遣、ミスター・ユニバースの招聘等、少なくとも他のスポーツ団体並みの事業の実施をしなければならないと思い、しゃにむに驀進してきた。さらに、これらを現実化するための財政的苦労は大へんであったが、このことについては後の機会にゆずることにする。
 新生JBBAが何よりも強調したことは、ボディビルがコンテストやパワーリフティングに取り組む選手たち一部の人のものではなく、あらゆる人の体づくりに役立つものとして認識されるように、とくに意を注いだ。つまり体の弱い人たちが、ボディビルによって体力をつくり、人生に挑む自信を養ってくれることを根本の念願としたわけだ。それと同時に、社会人となってからの健康管理としてのボディビルも、新しい時代的意義として強調してきた。
 おかげで、私の理事長就任当時は、全国で40カ所程度だったボディビル・ジムも現在では150カ所を数え、実業団クラブも100余りになり、県協会も30近い県に設立されたその他、ボディビルという名前は使用しなくとも、国立や公立のトレーニング施設でも、それぞれウェイト・トレーニングやサーキット・トレーニングの名称で、ボディビルをとり入れている。また、体協はじめ各種競技団体も、ボディビルの基礎トレーニングとしての重要性を充分認識している実状だ。
 ここまでくれば、初期の目的は一応達したわけだ。これからはJBBAが強力なリーダーシップを発揮できるように、全国の役員、関係者が一丸となって、さまざまな具体的施策に取り組めばよい。たとえば、ジムや指導者の公認基準問題、コンテストやパワーリフティングの競技規定問題、国際交流の問題等、ボディビルの普及発展に大いに関連のある課題である。
 さらに、民間体育として勃興したボディビルと、アカデミックな権威をもつ体育専門家たちとの協力もこれからの課題だ。
 小寺金四郎新理事長は、日本で始めて東京の渋谷にボディビル専門のジムを設立した誇りと情熱に満ちている人だ。長い経験と円満な人柄で、これからボディビルが前進するために直面する数々の諸問題をさばいてくれるだろう。
 そして、小寺新理事長を盛り立てていく、次代をになうボディビル界のヤング・パワー諸公に一言申し上げたい。まず、ボディビルを正しく大きく発展させる責任の大半は若い諸公の肩にかかっているのだということを自覚していただきたい。ボディビル丸という運命共同体の船に乗り込んでいる以上、ボディビル界の発展のために、強力な団結と情熱を注ぎ、ボディビル丸に一ぱいの風をはらませ、はるかかなたの目的地につくよう努力して欲しい。
 最後に皆様方の長い間のお力ぞえを心から感謝するとともに、私自身もそろそろ玉利丸をどう進めるか考えねばならない時がきたようです。私も皆様方と同様ボディビルによって育てられ、鍛えられた人間です。ボディビルによって得たものを今後も精いっばい世の中に有意義に生かすべく力を尽すつもりです。
 しかし、親船のボディビル丸を離れても親船のより一層の発展のためならば、いつでも私のできる限りの協力は惜しまないことを皆様にお約束いたします。
月刊ボディビルディング1971年9月号

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