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ミスター日本コンテストを見て
ボディビルと生きがい

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月刊ボディビルディング1971年12月号
掲載日:2018.05.30
野沢秀雄

コンテストの持つ意味

栄光・失望・泣き・笑い・友情・抗争……さまざまな感情をこめながらボディビル界最大の行事である、'71年ミスター日本コンテストが盛会のうちに終了した。

 ビルダーにとって、コンテストは最大の目標である。すべての誘惑をたち節制をかさね、ひたすら鉄のかたまりと取り組んできた。体力の限界ギリギリまでの戦いだった。”苦しい””つらい”――どの選手たちも懸命だった。スポーツが「人間の限界に対する挑戦」だとすれば、ボディビル・コンテストも、1つの大きなスポーツなのだ。
 
 各地のコンテストを勝ち抜いてきただけに、選手のレベルは最高水準にあり、12名の予選通過者を選ぶこと、また、その中から上位6名を選ぶこと、いずれもたいそう困難なことであったろう。

 予選からはずれた選手の中にも、すぐれたビルダーが何人もいたことを感じる。しかし、栄光の座は1つしかない。また、審査に主観的な感情が入るのは避けることのできない宿命であり審査のいい・わるい、公平・不公平といった問題は、どんなにべストを尽くしても、人間である以上多かれ、少なかれからんでくる問題だ。

 また、会場全体の雰囲気から、良い印象を受けて得をする選手が出てくることも大いにある。結局のところ「ボディビル・コンテストは参加できるところに意義がある。自分はベストを尽くしたんだ」と割りきらないと、やりきれない。

 ボディビルにも免許や資格、あるいは段位制度をつくろうとする動きが出はじめており、私自身もその必要性を感じている1人であるが、コンテストに出場した選手にこそ、まず認定証を与えるべきであろう。

 地方のコンテストでは、観客は無料なのに、参加選手から1200円もの参加費をとるという矛盾した運営のところもある。主体は出場選手であることを忘れては主客転倒だ。

 ミスター・コンテストはミス・コンテストとはちがう。天性の素質もあるが、それ以上に”努力””鍛練”という大きな成果をきそうわけだ。
 
 関係者の中には「コンテストがあるからボディビルが誤解される。やめてしまえ」と主張する人もある。だが、ビルダーの努力を評価する方法としてコンテストはそれなりの意味を持つと私は考える。ビルダーのその心意気にこたえることができるような、そしてなるべく出場選手がみんな報われるような、明るく健康的なコンテストであることを期待したい。年ごとによくなっていく傾向にあることは、まことに喜こばしいことではあるが……。

社会への広がりを

ボディビルの良さを知らない人たちは、「苦しいのにどうして」「物好きだなあ」「それほどまでにやらなくてもいいのに……」など、さまざまな好奇心の目でわれわれをみるようだ。

 実際やってみればわかるのだが、自分に力がつき、体がよくなる喜びはちよっと他にない。碁や釣でも、やらない人は「どうしてあんなものを……」と不思議に思うにちがいない。ボディビルが一般的でないのは、やはり団結した力がないためと考える。
 
 もちろん、先輩たちが尊い足どりを残し、道をつけてくれたが、ボディビルを1つの新製品と考えれば、もっと人びとに広げる方法が考えられよう。どこのジムでも協会でも、財政的な困難が大きいときく。

 ボディビルを知ったことにより、生きがいや幸福、自分らしい個性を見つけだしたビルダーのわれわれで、日本のボディビル界を支えようではないか。まずできることは自分の所属するジムやクラブに、友人や後輩など仲間を誘うことだろう。初心者にとって、マン・ツー・マンで教えてもらえることは、いちばんありがたいことだ。

 ジムの繁栄は、日本のボディビル全体の繁栄につながる。自分1人でやっている人たちも、なるべく友人を誘って、何人かでやってみよう。お互いの進歩に大きなプラスになるにちがいない。

 目を広く一般社会に向けて、ボディビルのパイを大きくすることが、ジムや協会をふくんだわれわれの使命であり、よき日本をつくる1つの方法だと、私は信ずる。
月刊ボディビルディング1971年12月号

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