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MR.JAPAN CONTEST ’69●観戦記

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月刊ボディビルディング1969年11月号
掲載日:2018.06.09
吉村太一選手

吉村太一選手

小沢幸夫選手

小沢幸夫選手

15年ぶりの会場

 今日は、全国ボディビルダーの期待と興味を一身に集めた’69ミスター日本コンテストの当日である。

 あたかも10月10日体育の日、まさに時宜を得たミスター日本コンテストというべきであろう。昨日までぐずついていた天気も、今日はまたさわやかに晴れわたった秋晴れ。観戦記をものせんと、少し早いが2時過ぎに会場の神田共立講堂に出かける。

 きてみておどろいた。午後4時開始だというのに、すでに100人近い人たちが会場の前にひしめいている。特別に通してもらって、受付や舞台や控室を歩きまわってみる。

 舞台にはTBSの芦田さんと神成さん、それに東京協会理事長の竹松さんが中心になって、何やかやと指図している。観客席はこれまた本誌でおなじみの曽根さんが、中野ボディビル・センターの栗山さんや山際さんらと忙しそうにかけまわっている。

 裏にまわって役員や選手の控室をのぞいてみると、マリのように丸くなった中大路さんが、遠藤光男さんや温井さんと打合せ中だ。入口に行くと、協会事務局のヌシ大林女史がたくさんの学生を指揮して受付の準備に汗ダクである。その中を玉利理事長があっちへ行ったりこっちへ行ったり。

 3時開場。どっとなだれこむ観客でアッというまに1階はうずまってしまった。控室に行ってみると、すでに審査員の方たちが勢ぞろいして、八田一朗会長を中心に、玉利理事長の審査方式の説明に耳を傾けている。

 隣りの選手控室はたいへんなさわぎである。あまり広くもない部屋に大きな選手ばかり70名近くが陣どり、その選手達をひと目見ようと、多くのファンがむらがっているので、人いきれでむせかえるようだ。

 中大路選手係長が大きな声で説明している。「選手はいわれたことをスポーツマンらしく守り、礼儀正しく堂々と行動すること」

 選手一同真剣にきき入り、やがてフタをあけるコンテストへ静かな闘志をもやしている。

 4時、開幕。

 舞台裏では芦田氏が右手を高く上げて、「スタンバイ、ハイ」自衛隊員ばりの服装をした農大応援団ブラスバンドのマーチにのって全国のビルダー代表60余名が舞台に整列する。

 例によって、八田一朗会長のあいさつ--

「体育の日に’69ミスター日本コンテストを開催することは、喜びにたえない。自分はボディビルはあらゆるスポーツの基礎だと思っている。皆さんも、見るだけでなく、ボディビルによってたくましい体をつくり、世の中で元気に活躍してもらいたい」
木滑彪選手

木滑彪選手

 次に、司会の榎本アナウンサーが玉利理事長を紹介。「15年前にこの共立講堂で第1回ミスター日本コンテストを開催し、それ以後あらゆる偏見、困難に打ちかって、ボディビルの発展につとめてきたが、いま15年ぶりにここでミスター日本コンテストを開くことは、当時をかえりみて感無量の思いです」と語り、JBBAの明日への抱負を強調した。

荘厳優美な舞台

 全員退場。ただちに予選開始。5名ずつ選手が舞台にあらわれ、1人ずつ規定ポーズとフリーポーズの計6ポーズを1分以内に行なう。

 舞台は、両サイドに青い古代ギリシャのドーリア調の柱を型どった太い柱が2本立ち、その前、一段と高くなったところに古代ギリシャの巫女(みこ)を思わせる衣裳をまとった気品ゆたかな松岡明美さんとかわいらしい吉岡かよさんが、幻想的な調べをハープでかなでる。

 正面には、暁の薄明をつらぬいてさしこむ光線を模した放射線状の銀のテープがキラリと光る。まるで、アポロの楽の音に合わせて、ヘラクレスやディオニソス等の古代ギリシャの神々がオリンパスの山で舞っているような荘厳で優美なフンイキがかもし出されている。

 これこそ、TBS神成プロデューサー苦心の作である。選手たちもこの本舞台に気おくれせず、それぞれ力いっぱいのポージングだ。1人1分間といっても、オーバーしている者も相当に見られたから、1時間半くらいは予選にかかったのではなかろうか。

 予選終了。明るいライトがついて幕が降りる。現実世界につれもどされたように、ホッとしたため息が思わずもれる。
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上から後藤、大石、糸崎、海野の各選手たち

上から後藤、大石、糸崎、海野の各選手たち

 やがて、功労者表彰が始まった。全国各地約30名の人たちが舞台に整列、田鶴浜副会長から、代表として横浜スカイ・ボディビル・ジムの金子武雄さんに賞状が授与された。次いで、特別功労賞が玉利理事長に授与される。これら功労者たちの地道な努力があったればこそ、今日のボディビルの発展が約束されたのであろう。

 次に、関東学生連盟理事長が、ミスター・日本コンテストを祝って、八田会長に花束贈呈。

 ふたたび幕があく。

 軽快な音楽とともに、男女5名の体操選手たちがとび出してきた。プロ体操チーム、ゴールデン・アームズの面面だ。アッというまにトランポリンを組み立てると、リズムにのって跳躍を始めた。あざやかな身のこなしだ。高くとび上がった選手たちがとるさまざまなポーズは、ボディ・コンテストのポーズが静的な陰の美しさなら、動きの中の陽の美しさだ。1人でとんだり男女のペアでとんだり、奔放な姿態が舞台せましと躍動する。

 やがて、昨年度ミスター日本の吉田実選手が登場、体操選手といっしょにとび出した。ミスター・ユニバースに挑戦のため、アメリカ、ヨーロッパと転戦し、本日帰国したばかりだが、さすがは日本一、疲れも見せず元気にとびまわる。だが、しろうとの悲しさ、ころんだり倒れたり、満場大爆笑のうずのうちに終了。

新ミスター日本誕生

 さて、決勝進出の15名が発表される。さすがに、なるほどと納得のいくみごとな選手ばかり15名が選ばれていた。

 いよいよ決勝開始。こんどは選手がポーズ台にのってリラックス・ポーズをとると、直立姿勢のままポーズ台がゆっくりと1回転する。彫刻が動いているような錯覚がおきる。1回りしたところでポーズ台が止まり、それから1分以内に自由に好きなポーズをとるのである。さすがにベスト15だけに、いずれおとらぬ強豪ぞろい。審査員の苦労が思いやられる。

 2000有余の観衆が息をとめて見守るうちに、決戦終了。にぎりしめていたこぶしを思わずひらくと、汗でびっしょりだ。

 採点票集計の間に、身体障害者のボディビルの実験が行なわれる。

 車イスにのったり松葉杖をついた身体障害者約20名が舞台に出て、竹松理事長の号令のもと、準備体操をして、ダンベルやバーベルをもって元気にカールやベンチ・プレスにとり組む。強い人は70kgくらいのものを10回軽くべンチ・プレスで上げている。

 これは、昨年8月から、玉利理事長の発案で協会が福祉センターとタイアップして行なっている身体障害者のためのボディビル指導の実演である。ボディビルはコンテスト一辺倒ではいけない。弱い人たちをより健康にすることと、社会に役立たせることだという理念のもとに、竹松、飯塚、遠藤、福田、小野里氏らの協会のメンバーが週2日指導した成果である。その結果、いちように体力や機能が向上し、何よりもうれしいことは、気持がじつに明るくなったそうである。地方協会の関係者はもちろん、観衆に深い感銘をあたえ、こんごのボディビルの発展に1つの方向を示して、実演は終了した。

 いよいよ’69ミスター日本の発表だ。ファンファーレが高らかに鳴りひびくなかで、榎本アナウンサーが声をはりあげる。

「’69ミスター日本、大阪の吉村太一選手」

 歓声と拍手のどよめきがしばしやまない。それぞれの入賞者たちの発表とともに、表彰式が始まる。八田会長、田鶴浜副会長等、協会のお歴々が行ったりきたりして、金色や銀色に輝くトロフィーや楯を選手に手渡し、おめでとうと握手をかわす。バンドは勝者の栄光をたたえる曲を静かにかなでる。

 最後に、役員、選手、観客全員が起立して君が代斉唱。’69ミスター日本コンテストは新しいミスター日本吉村太一選手を送り出して、めでたく幕をとじた。

 新ミスター日本に幸あれ。
   (太陽児)
月刊ボディビルディング1969年11月号

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