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ジム紹介
札幌ボディビル・センター

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月刊ボディビルディング1972年4月号
掲載日:2018.03.03
NHK番組広報 山本 謙吉
狭いようで日本は広い。南ではもう春の息吹きがいっばいに感じられようというのに、北ではまだ冬の寒さが,がっちり根を張っている。
しかし、そんな気象条件をはね返し室内運動の利点を十分活用できるのがボディビルではないか。
その北国にまたひとつ。若さと理想に燃える新しいジムが誕生した。場所は、ついこのあいだオリンピックで世界の目をひきつけた北海道札幌市。ジムの名は札幌ボディビルセンター(会長・山田清治、日本ボディビル協会公認、47年1月5日オープン)。まずはこのニューフェイスを誌上紹介してみよう。

若い会長さんの手づくりの器具

ジムの所在は札幌市南4条東3丁目さらにくわしくは、そのあとに「中通り東向」と続ける。初めてきた人でも迷わないですむのがこの街の長所だ。
札幌は「何条何丁目」で、場所の位置をはっきり示す。碁盤の目のように計画的に開発された街づくりだからで不案内な他所者にはありがたい。
こうした街並みは、住む人びとに合理性を身につけさせるのではなかろうか。そんな人びとは、ボディビルをどんなイメージとして受けとめているのだろうか。
考えるともなしに、そんなことを思い浮べながら、札幌ボディビル・センターの前につく。ちょうど「青少年第1ホーム」の裏手で、これを目標に行けばいい。ジムは2階建ビルの1階部分を使い、道路から少しひっこんだところが入口になっている。

戸を開けると、あるある。器具がずらりと並んで、なかなかの充実ぶり。入口横の受付に声をかけるより早く。器具の陰からユニフォーム姿の童顔の青年が近づいてきて、人なつこい笑みを浮べ「わたしが山田清治です」といった。
スポーツマン・タイプ、明るく気さくな会長さんである。しかしこの若さ26才だという。弱冠にして立派なジムを開いたのだから、うらやましくも思える。初めての訪問者は皆、山田さんの若さにびっくりするそうだ。
ジムの面積は30坪(約100平方メートル)。うちトレーニングに使える部分は約25坪、残りはロッカーやシャワーなど。こじんまりとまとめられ、むだがない。
器具はなかなかどうして、こじんまりどころではない。このまま東京で開業してもヒケをとらぬほど。聞けばほとんどは山田さんが自分で図面をひき、鉄工所に持ちこむなどして、つくりあげていった労作という。
「なにしろ、こちらでは鉄工所にトレーニング用具の知識はないし、わたしもつききりで指示するわけにもいかなくて...。できあがりを見てガックリきたことも何回となくありました」
苦労のかいあって、堂々とした内容で発足できたわけだが、器具の充実ぶりは、最近訪れた川崎市のビルダーや国立競技場トレーニング・センターの会員も、おどろきかつ喜んでトレーニングしていったというほどである。
見聞きだけではと、ご自慢の器具類を試用させてもらう。シャフトをにぎると、やはり札幌、鉄が手にジーンと冷たい。しかし。さすがに苦心の結晶使いやすくピタリときまってむだがない。
東京・後楽園ジムからこの道に入った山田さん、最近ますます快調で、160kgをベンチ・プレスしたのもつい先日のこと。そのベンチも、もちろん当ジム製作だ。ラット・マシーンやコンセントレーション・カール台にも、くふうのあとがうかがえる。

バーベルがとりもつロマンス
まさにボディビル一家

「このカール台は木製ですが、彼が図面も引かず、パッパッと作りあげたんですよ」と、山田さんが指さす方をふり向くと、指導員の伊藤五郎さんがニコニコ笑っている。いかにもビルダーらしく逞しい体格、目鼻立ちのくっきりした青年だ。
この伊藤さんの新婚ホヤホヤの愛妻節子さんが、山田さんの妹なのだからまさにボディビル一家。ジムの写真ポスターにトレーニング・ポーズで写っているのも伊藤夫妻。もっとも撮影当時はまだ結ばれていなかったというから、まずはベーベルがとりもつロマンスがあったに違いない。
指導員は、ほかに千田清一、中根紀一、荒木千代江の皆さん。女性指導員がいるのは、このジムの大きな特色のひとつとして、女子会員専用の練習日があるためだ。
つまり、火・金・日曜は女性コースなのだ。ビューティーサイクル・マシンなどもあるほか、男子と同じ器具を軽めに調節して使う。
男・女コースとも、初級者には各自の体力に応じたプログラムをジム側が作成、これに従ってトレーニングをすすめる。こうした行きとどいた管理と十分な設備のジムだが、会員数のほうはまだわずか。1月末現在、40名足らずで、もったいないはなし。
訪問への道すがら気になった札幌市民一般のボディビル観について山田さんに聞いてみた。
「いやあ、まだまだですね。奇形的な片寄ったイメージを持たれています。普及には、一歩一歩底辺を広げていかなくては...。女子コースを設けたのは、その含みもあるからですよ」
女性に対して、新しい美容と健康への道を開いたわけだが、「いやーだ。ボディビル?」と、名称を聞いただけで敬遠し勝ちなのは、道産娘も同じ。
もっとも、ジムへ通うようになった女性は熱心そのもの。ちようど女子練習日だったので、居合わせた数人に感想を聞くと「たしかに効果がある」と異口同音なのだから、彼女らのクチコミと、実際の身体の変化ぶりが、女子会員数を増加させる日も遠くないかも知れない。
男性のほうも、入門希望者続出というわけにはいかないようだ。それでもポスターを見、話をきいて問い合わせてくる人が、ぼつぼつ目立ってきたという。
現メンバーは張り切りボーイぞろいで、年長格で指導員でもある千田さんなどは十数年からのキャリア、職業は銀行員という。一見ボディビルに縁遠そうな仕事にたずさわりながらがんばってきたファイトマン。
職業といえば、山田会長も昼はウェス(再生布)関係の仕事をやり、夕方ジムへ現われる。ボディビルでは儲けるどころか、持ち出しになっているそうだ。まだまだ、ジム経営だけで生活していくことは、とくに地方都市では難しいのだろう。
ジムそのものも、商売としては勉強の余地がありそう。札幌ボディビル・センターも、壁はコンクリートがむき出し、ブロックの継ぎ目がそのまま見えるし、照明もいま少し明るさが欲しい。トレーニング場にもムードは必要だろう。とくに、女子会員を増やすためには。
しかし、全体としてこのジムの雰囲気は“いい感じ”だ。伊藤夫妻のエピソードにもうかがえるように、暖かさと青春の楽しさをかもし出しているようだ。ともかく、ボディビルが好きで好きでたまらないという山田さん。そのひたむきな意欲と情熱が人をひきつけ、自然にこういうムードができあがったのだろうか。
「札幌にいらした折には、ぜひ立ち寄ってください」と、山田さんはボディビル誌に全国の仲間を歓迎することばを寄せてくれた。
女子コース指導中の山田清治会長(中央左)と伊藤五郎コーチ

女子コース指導中の山田清治会長(中央左)と伊藤五郎コーチ

月刊ボディビルディング1972年4月号

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