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日本ボディビル界の過去~現在~未来(中)
くジム運営の観点から問題を提起>

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月刊ボディビルディング1972年7月号
掲載日:2018.06.08
JBBA事務局長 '68ミスター日本
吉田実
記事画像1
 先月号では、体協が従来の選手中心の運営姿勢から、底辺の拡大、一般社会人の健康増進のためのスポーツ振興つまり、社会体育の普及推進を目標とするように変身した。
 これと呼応するかの如く、数年前から公立のトレーニング・センターが続々と開設され、体育館の付帯設備としても、ボディビル運動器具が多く設置されるようになった。
 現在の我が国では、高度経済成長の影響を大きく受けて、加速度的な機械文明と経済生活の豊かさのもたらす弊害のひとつである、栄養多摂取と運動不足のアンバランスから起こる、ぜいたくな健康障害が社会問題となっている、というところまで述べた。

健康保持には代価が必要

 これまでの日本の体育といえば、そのほとんどが学校体育であった。
 これは、学校教育の3本柱である、知育、徳育、体育の観点から、成長期に合わせた肉体成長を最大の目的としたものだ。そのため、体育施設および運営の費用は税金によってまかなわれ利用者は、体育・スポーツというものは無料で行うものと考えるようになっていた。
 ベスト・セラーになったイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」の中に、こんな意味の一節がある。
 ――日本人は、安全と自由と水は無償で保障されていると考えているが、ユダヤ人は、これらのものを得るにはそれ相当の代価を支払うことが当然と考えている――
 安全と自由と水ばかりでなく、健康も、これを維持するためには代償が必要とされることを忘れてはならない。
 いまや日本では、経済成長優先の政府政策の副作用ともいうべき公害問題が、極めて重要な社会問題、政治問題となっている。これはひとり日本だけに留まらず、世界の先進諸国の間でも同様で、地球の環境保全が本気で考えられるようになった。
 人里はなれた山奥で、文明と無縁の原始生活を送るのならばいざ知らず、この公害がつきまとっている社会で暮すためには、公害からの逃避を図る前に、まず公害に打ち勝って生活する強い体力を保有することが必要とされる
 つまり、公害などにより汚染された生活条件のなかで、積極的にこれを克服する強靭な肉体の所有者でなければ現在の都市生活はできないというわけだ。
 このため、世間では健康に対しての認識が深まり、健康を獲得保持するための、努力と投資の必要性を痛感してきた。そして、この需要に対応する健康産業という、新しい分野の産業が発達しつつある。
 すなわち、各種トレーニング・センター営業、健康食品、健康開発運動器具などの産業で、広義には医療をも含めて考えるべきだが、ここではこれを除外して話を進めたい。

公立施設の大半は遊休状態

 この健康産業への投資は、いままでの金額に比べれば数十倍、数百倍にふくれあがると予想される。その投資も始めは国、都道府県、市区町村という官界主導型であろうが、ゆくゆくは必ず民間主導型に移行するはずである。
現在の情勢は、いままでほとんど民間の手によって推進されてきた社会体育を、官界が莫大な資金力と組織を最大限に活用してリードしていこうとしている。
 社会体育という認識が高まってきた昭和45年頃から、文部省、厚生省などが調査して驚いたことは、一般社会人が利用できる体育施設の圧倒的多数は民間のものであるということだ。すなわち、ボディビル・センター、スイミング・クラブ、柔道場、剣道場、卓球場などがそれだ。
 学校の体育施設は、学生、生徒、児童以外の一般人には、ほとんど使用できないシステムで運営されている。
 かといって、社会体育を推進している民間の施設は、一部を除いては、営業採算面での逼迫と資金力不足から、これから大増加することが必定の需要に、十分に応ずる体勢はとり難い。
 現状では、社会体育施設の営業は、採算がとり難いということだ。
 そこで、国民の健康で豊かな生活を送るための投資の大部分は、税金によってまかなう、つまり官界主導型の社会体育が推進され始めた。
 しかし、現在の公立トレーニング場について、卒直な意見を述べるならば東京の国立競技場トレーニング・センターなど、ごく一部の施設を除いてはほとんどがその機能の1/3ない1/4程度しか発揮しておらず、遊休といっても過言でないものが極めて多い。
 これは“仏つくって魂いれず”といわれる典型的なお役所仕事の欠陥だ。施設はできたが運用する者がいない。つまり、指導者がいないのだ。
 運動したいと思ってトレーニング・センターの門をくぐってはみたもののさて、どんな運動をしてよいのやら見当がつかない。手当りしだいにいろいろな器具にさわって、ボディビルの真似ごとはしてみるものの、そこは素人の悲しさ、筋肉を痛めてスゴスゴ帰るのがオチだ。
 公立のトレーニング・センターは,ごく一部を除いて、ウェイト・トレーニングの長期経験者が指導にあたっていることは稀で、短期間の講習を受けた、理論のみ先行する者が指導しているのが実情だ。
 各人の目的、体力などに適合した指導を行えるようになるには、かなりの経験を積まないと難しいものだ。
 しかし、これも長期的展望にたつならば、指導者層の拡大、経験と研究の積み重ねなどにより解決され、ゆくゆくは公立施設もフル活用されることは必至だ。

公立センターの存在意義

 もともと公立の体育施設の設置というものは、公立のもののみで需要をまかなう、という目的で作られるとばかりは限らない。
 民間の事業として成り立ち難いときは、時代にさきがけて、公立の施設として採算を度外視して運営することにより、国民の間にその意識を高め、新たに換起され増加した需要に追いつくように、民間の資本をこれに参加させる。そして最後には、民間のみで需要と供給のバランスをとらせる。このパターンは、社会体育施設のみでなく、すべてに通じる政治の一面だといっていい。
 その観点からすれば、理想的とはいえない運営方法であっても、現在の公立トレーニング・センターの持つ意義は十分にあるといえる。
 国民が健康的な生活を営むための体育施設は、100%公立のものによって満され、無料または低料金で利用できることが望ましいが、現実には、社会体育以外のあらゆる政治分野でも、これと同様のことが要求されるので、この理想は達成されない。
 そこが、民間の資本がこの健康産業に注入されるゆえんだ。

既存ジムの強敵は民間大資本

 現在でも大手の企業がこの健康産業への参加を意図している。現に企画されている大規模トレーニング・センターの設立計画は、東京だけでも十指をくだらない。
 既存のボディビル・ジムにとって、最大の強敵は公立のものではなく、この同じ民間の大資本によるトレーニング・センターだ。
 役所が運営するものと異なり、競争の激しい産業界で切礎琢磨された大企業が、豊かな資本力、企業のネームバリュー、優秀なスタッフを動員して営業するセンターは、密度の濃い、血のかよったものとして、多くの会員を獲得吸収するはずだ。

ボディビルの本場はアメリカ

 ここで1歩も2歩も引き下がってボディビルが社会体育という大きな流れの中で、はたして必要とされる運動であるかどうかを考えてみたい。
 近代ボディビルは、ドイツのユーゼン・サンドーによって、約百年前に行なわれ始めたが、その後は欧米を中心に発達し、近年ではアメリカが本場とされている。
 アメリカは、国民性がもともと陽気でスポーツ好きというところから、各種スポーツ競技が盛んに行われておりボディビルも実践の歴史が古い。
 また、早くから豊かな経済生活を享受しているため、日本よりはるかに前から、栄養多摂取と運動不足のアンバランスがもたらす肥満、ぜいたくな健康障害がクローズ・アップされていた。このため、若年者よりも、むしろ女性を含めた中・高年者たちの間にボディビルが盛んに行われるようになっていた。
 これは、純然たる体育の見地以外、つまり美容面、外形面での動機からくるものが多かったとも考えられるが、練習者を着実に増加させ、運動方法の研究がアメリカで発達したことは事実だ。その膨大な練習者層をバックにして、ピラミッドの頂点を形づくる専門ビルダーが出現し、高度のコマーシャリズムと結びついたコンテスト・ビルダー、およびスター・ビルダーが多数輩出された。
 以上、諸々の要因から、現在ではアメリカがボディビルの本場と考えられているが、社会体育としてのボディビルが本当に育ち、最も繁栄する国は、実は日本ではないかと私は考える。

社会体育としてのボディビルが日本で発展する背景

 アメリカは日本の何十倍という広大な国土に人口2億人。この広大な国土と豊かな自然、大きな緯度差から生じる気候の地域変化。こんな風土のアメリカでは、ボディビルのように室内に閉じ込もって行う運動で、しかも、アクションとレジャー性に乏しいものは本来普及され難いスポーツと考えられる。
 朝は雪山でスキーを楽しみ、昼に焼熱の太陽を浴びながらのサーフィン、夕に涼風に吹かれながら高原でキャンピング。広く地価の安い土地を思うままに使えるゴルフ。未開拓の原野を突っ走るラリー。アメリカでは室内競技よりも、スケールの大きなスポーツが育ち易い土壌があるはずだ。
 ところが日本では、狭い島の中に人口約1億人。その多くが一握りの都市に密集して生活している。この狭い都市に、広い場所が要求されるスポーツ競技施設を多く設置できるわけがない
 野球場を1面作っても、同時にプレイできる人数は両チーム合わせてわずかに18名。それと同じ面積を用いたらボディビルの場合は何千人もの人が同時に練習できるはずだ。
 狭い土地と人口密集。この条件下では当然ながら室内スポーツが主力とならざるを得ない。その中でも、短時間で相手がいらず、練習できて、しかも、各人の体力と各人の体力と目的にピッタリ合った運動ができ、体育効果の抜群なボディビルがこの中心になるのは必然の成り行きだ。
 既存のスポーツ・センターで、利用人口の最も多い運動種目は、ボディビルと水泳だ。しかし、水泳は小・中学生など子供が多く、大人の練習者は予想をはるかに下まわる。それに比べボディビルは高校・大学生以上の一般人の練習者が多く、社会体育という見地からは、一頭地を抜いている。
 そうしてみると、日本における社会体育の運動方法としては、ボディビルが最有力のものと断定しても過言ではないはずだ。これと同じ見通しに立脚するからこそ、他種企業がボディビルを中心としたトレーニング・センター営業に目を向けてきたのだ。

ボディビル界ー致団結のとき

 過去18年間、ボディビルに対する無理解から、世間の白眼視にも耐えて、普及につくしてきたのは我々ボディビル界の者だ。とくに、実践の場としてジムの果した役割は極めて大きかった
 こうして、苦しい丹精の時期が終って、いまやっと収獲できるときに至った。その収獲が、ともすれば新規参加の大資本に吸い取られようとしている
 できるものならば、長年にわたり損得勘定を度外視して、ただひたすらにボディビルの普及発展に尽力された既存のジムに、収獲してもらいたいと願うのは、私ばかりではないはずだ。
 ところが現実は厳しいもので、既存のジムが単独の力で大資本に立ち向うことは至難のわざといえる。
 もちろん、既存のジムの中にも、新規競合ジムと互角以上に大刀打ちできるものが少なくない。しかし、大多数のジムは平均面積35〜45坪。乏しい資本力を、ボディビルに対する情熱で補なって運営しているところが多い。
 これらの弱少ジムが、今後、社会体育の嵐の中で生き残り、主導権を握る方法はただ1つしかない。つまり、ボディビル界が一丸となって、いままでどおり社会体育の先達としての指導力を発揮して、ボディビル界全体のレベル・アップにより、社会体育そのものをリードする道だ。
 それ以外では、社会体育という大きな気流から乗り遅れ、現在のボディビル界の存立基盤が全面的に失われ、新しく参加する大資本の前に、枕を並べて討ち死にすることは目に見えている。
月刊ボディビルディング1972年7月号

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