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世界パワーリフティング大会に出場して〈3〉
ケタ違いのパワー!重量級の迫力

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月刊ボディビルディング1975年3月号
掲載日:2018.04.18
国分寺トレーニング・ジム会長 関 二三男

――スクワット――
巨人ラインホート410kgに成功

 いよいよ2日目の午後からは,われわれがもう一つの楽しみとして待っていた重量級のパワーである。ベンチ・プレス200kg,スクワット,デッド・リフトそれぞれ300kg以上が見られるわけである。果たして世界一の力持ちは誰になるか。100㌔クラスのマクドナルド(アメリカ)が彼自身の持っているベンチ・プレス260kgの世界記録を更新できるかどうかも興味がある。
 正午から始められていた重量クラスの競技は,われわれが会場に着いたときはすでにスクワット250kgになっていた。アメリカに来てから言葉の不自由なわれわれに,何かと力になってくれたオーストラリアのローリー君はスクワット200kgで,へビー・クラスの最下位でしょんぼりしていた。
 それにしても強い。日本では250kgのスクワットを行えるのは仲村,足立の両選手だけである。それがこの大会ではほとんどの選手が250kg以上である。昨日行われたミドル級でも250kg以上が3名いた。
 ここでちよっと触れておきたいのはフル・スクワットの場合の腰の下がり具合の判定が日本の基準よりかなりあまいことである。大沼さんの見たところでも,昨日,因幡君と私が行なったスクワットは,全選手を通して最も深く腰を下ろしており,この大会の判定基準からいくと完全に下ろし過ぎだという。日本の選手を例にとるならばいつも僅かなところで失敗している後藤武雄氏のスクワットなどは,この大会では完全に成功である。
 それに引きかえ,ベンチ・プレスは日本の基準よりもはるかにきびしかった。デッド・リフトは日本と変わりなく,下ろす際に,ドーンとバーベルを下ろしても,それが故意でないかぎり成功である。いずれにしても,スクワットの非常にあまい基準,ベンチ・プレスのきびしい基準,この二つはおりを見て写真入りで改めて説明したい。
 スクワットでもう一つ気がついたことは,バーを肩よりずっと下の方で保持し,前傾姿勢でしゃがむ選手が多いことである。これでよく背筋を痛めないものだと感心した。窪田登先生の話では,「これは胴が短くて背筋の強い外国選手向きの姿勢で,胴長で一般に背筋の弱い日本選手には向かないのではないか」とのことである。
 それにしてもみんな強い。いよいよ重量は300kgになった。さすが世界選手権大会である。まだ9人の選手が残っている。さらに重量は上がって400kgを越え世界タイの410kgとなった。これに挑む選手は同記録保持者ドン・ラインホート(アメリカ)1人である。
 彼はスーパー・へビー級の中でもひときわデッカイ選手で,身長は2m,体重は170〜180kgはあろう。とにかく巨人という言葉がびったりである。顔はわれわれの1.5倍くらいだが,その手の大きさはまるでグローブなみ(これは決してオーバーではない),腕の太さはおそらく55cmはあろう。足の大きさもそれにともなって大きく,ただもうあきれるばかり。しかし,少し離れて見ると均斉がとれていて別におかしくはない。
 その彼が,われわれと同じサイズのバーベルをかつぐのだから「大きいバーベルが小さく見えマース」というわけだ。
 いよいよ巨人ラインホートの試技である。彼はバーの下にもぐるや,肩をガツンガツンと2〜3回,バーにぶつけてかついだ。バーがものすごくしなっている。ゆっくり後ろにさがった。私が見た感じでは,410kgはだいぶ余裕のある重量だと思われた。やはり彼は軽くこれをスクワットした。いよいよ次は世界最高重量に挑戦かと期待していたら,どうしたことか,3回目は棄権してしまった。あと10〜15kgは楽に更新できたろう,と思えたのに残念だった。
〔表彰式を終わって観衆の声援に感謝する因幡選手〕

〔表彰式を終わって観衆の声援に感謝する因幡選手〕

――ベンチ・プレス――
圧巻200kg以上がずらり

 2種目はベンチ・プレス。われわれがまだ見たことのない200kg,それもいったん完全に胸上に止めて挙げるのが見られるわけである。この重量級のベンチ・プレスでは,ジャマイカの選手がただ1人150kg以下で,あとはすべてそれ以上である。
 ベンチ・プレスの判定基準のきびしさは前にも書いたが,みんな実に正確な試技をする。腎部が浮けばもちろん失敗だが,ピクッと動いたくらいでも失敗にとられる。バーがほんの少しでもかたむくと失敗。挙上中,一瞬でも静止すればこれまた失敗。スクワットの判定に比して,ベンチ・プレスは異常なほどきびしい。
 重量が200kgになって最初の選手はミドル・へビー級のアメリカ選手だ。彼は202.5kgを成功させ,続いて207.5kgも成功。1人おいて登場したのが,全選手中もっともスタイルが良く,おまけにハンサムで,精悍な感じのアメリカの黒人選手だ。彼は215kgを成功させたが,場内は彼が退場するまで黄色い声援が鳴りやまなかった。
 さっきスクワットで410kgの世界タイ記録をマークした巨人ラインホートは意外にふるわず255kgに終わった。さあ次に登場するのが100kg級世界記録保持者マイク・マクドナルド(アメリカ)である。彼は一昨晩,われわれの部屋に遊びにきて夜遅くまで歓談したとき,必ず世界記録を更新してみせると公言していた。
 かくて255kgを終わって残るはこのマイク1人である。次は100㌔クラス世界新の260kgである。早やくも場内からは「カモン,マイク!カモン,マイク!」の大声援。一昨晩おどけて力コブをつくって見せてくれたが,腕の太さは43〜44cmぐらいだった。だからおそろしく太いという腕ではなく,むしろ,この腕でほんとうに260kgのベンチ・プレスが出来るのだろうかと私は思った。しかし,現実に彼はいま挑戦しようとしている。私は8㎜を廻しながら成功を祈った。
 マイクはふだんは実に冷静でものやわらかい男である。それが緊張のためか,少し青ざめた感じでステージをウロウロしている。
 気を落ちつけて彼はベンチに寝た。補助の手を借りずに,意外にアッサリバーベルをラックからとった。胸に下ろして完全に止めた。主審の手拍手でバーが上がり始めた。重そうである。バーがほんの心持ち左下に傾き,一瞬止ったのではないかと思われるほどギリギリの力で押し上げられた。
 果たして成功か失敗か。昨日,因幡君が失敗と判定されたのとほとんど変わらないように思えた。ただ,マイクの場合は,下半身が微動だにしない。この点,因幅君の場合は,腎部のあたりがピクッとほんのちょっと動いた。私も8㎜を下に置いて拍手を送りながらなりゆきを見守った。
 白ランプ3つ。成功である。マイクは両手をあげて観衆の声援に体いっばいの表現で答えている。よほどうれしかったのであろう。
 私もすぐステージの後ろにまわり,彼の成功を祝福した。彼は大きなチェスチュアで何かいっている(たぶん,私が一昨晩,彼の肩をマッサージしたお陰だといっていたのだろう)。私は「実にいいベンチ・プレスだ。そして強い」とほめた。彼は「サンキュー,サンキュー」といいながら私の手を固く握った。
 マイクのベンチ・プレスを見ると,ほとんどテクニックらしいテクニックはない。手首や肘にサポーターもしていない。そこにあるのはパワーだけである。世界の水準の高さに,いまさらながら感心した。
〔完全優勝を喜び合う遠藤氏(左)と因幡選手と私〕

〔完全優勝を喜び合う遠藤氏(左)と因幡選手と私〕

――デッド・リフト――
クック385kgで世界新記録更新

 最後はデッド・リフトである。パワーリフティングが予定よりかなり長びいているらしく,パワー終了後,直ちにこのステージでミスター・ワールド・コンテストを行うとアナウンスされた。そしてコンテストに出る選手はすぐ控室に集合させられた。
 ミスター・ワールドに出場する37名の選手中,パワーリフティングにも出場したのはライト級で優勝したブルーと私の2人だけだった。ブルーは笑顔でさかんに話しかけてくる。しかし,残念ながら内容はよくわからない。
 ちょっと時間があったので,ブルーと一緒にデッド・リフトのウォーム・アップを見にいった。他のボディコンテストの選手はパワーリフティングにあまりなじまないのか全く興味を示さない。
 やってる,やってる。スーパー・へビー級の前述したあの怪物が,年のころ30歳くらいの女性に叱咤されながらウォーミング・アップの際中だ。ブルーが近づいていって一言二言,何かアドバイスをしている。45歳のブルーはどうやら米国チームのキャプテン格らしい。そういえば,米国選手の試技のときそばにいて何かとアドバイスをしていた。
 長いボディビル歴をもつブルーは,実に風格のある好人物である。私も好感をもった。米国チームの中でも,パワーの選手,ボディコンテストの選手を問わず,みんなから尊敬されているようだ。アドバイスされた怪物も,二度,三度軽くうなずきながら素直に聞いていた。
 しばらく時間が過ぎて,ステージからワーッ!ピーッ!という歓客の声援が流れてきた。どうやらデッド・リフトも大ヅメにきたらしい。とんでいって見ると,へビー級のジョン・クックが385kgの世界新をマークしたのだった。彼は引き続いて400kgに挑戦したが,これは惜しくも失敗であった。これをもってパワーはすべて終わった。
 やがて表彰式に移ろうとするとき,役員席で何かもめているらしい。それがスピーカーから流れてくるのだが,ときどきイナバという声がする以外はさっぱり分からない。あとで聞いてみると,ベスト・リフターにわが因幡君と,さっきデッド・リフトで385kgの世界新記録を出し,へビー級で綜合優勝したアメリカのクック選手の2人が候補となり,どちらにするかでもめていたのだった。その結果,惜しくもベスト・リフターの栄誉はクックにさらわれてしまった。

Mr.ワールド・コンテスト

 いよいよ今大会のフィナーレはミスター・ワールド・コンテストである。すでにプレ・ジャッジで順位は決まっている。したがってここではただ観客に見てもらうだけである。
 選手全員がステージ横に集められ,改めて各選手10ポーズ行うよう指示された。
 ステージの幕があき,まずショートマン全員が横一列に並び選手1人1人が簡単に紹介された。つづいて,今度はゼッケン順に1人ずつポージング台上でスポット・ライトを浴びてポージングを披露する。
 ここでおもしろいことに気がついた。それは,選手を紹介するアナウンスの最後に,必ず未婚者であるとか既婚者であるとかいうのである。コンテストであるから体のサイズとか経験年数は必要であろうが,結婚しているか否かはあまり関係がないような気がする。あるいは外国では観客にとってもそれが大きな関心事なのかも知れない。
 そうこうしているうちに私の番がきた。午前中のプレ・ジャッジのときから,外国選手たちのすごいバルクにショックを受け,自己嫌悪に陥っていた気持をとりなおしてポージング台上にとびあがった。
 日本風に軽く一礼して,足に力を入れ,ポージングに移った。話は前後するが,他の選手のほとんどがポージングの最後をマッスル・ポーズでしめくくっている。私も急きょそうすることに決めた。すでに順位はまったくあきらめていたので落ちついてポージングすることができた。規定どおり10ポーズやったが,1つ1つのポーズをきめるたびごとに,観客から大きな,そして温い拍手が送られた。
 ここでちょっと書いておきたいのはパワーもボディコンテストもそうであるが,激励や志気を高めるための声援や拍手はあっても,ひやかしや,ふざけてヤジる観客はただの1人も見当らなかったことだ。日本の観戦者たちもこの点大いに見習うべきである。
 ポージング台を降り,ステージ横に消えたとき,私は「アー,これでアメリカへ来てやるだけのことは全部やった」と急に緊張がとけ,張りつめていた気持から解放された。そして,何となく屋外の空気を胸いっばいすいたくなり,急いで会場を出て大きく深呼吸をした。
 日本を発つ前,あわよくば部分賞の1つもとってやろうと思っていた野望はもろくも消えた。私ごときがこんなことをいうと笑われるかも知れないが日本へ帰ったら,実際にこの目で見た外国選手と日本選手の差を,ありのままにみんなに話してやろう。私の感じた最も大きな点は,まずバルクの差である。ショートマン・クラスで上腕囲が確実に45cm以上と思われる選手が2〜3人はいた。それにデフィニションもかなりある。体質の違いだろうか,トレーニング方法や,食事の摂り方の違いだろうか。あと2週間近く滞在するので,できるだけ多くの人に会って勉強して帰りたい。
[ミスター・ワールド・コンテスト,ショートマン・クラスのプレジャッジ。左から3人目が私]

[ミスター・ワールド・コンテスト,ショートマン・クラスのプレジャッジ。左から3人目が私]

すごいパワーリフティングの人気に驚く

 表通りをブラブラしていると,会場の入口から4,5人の男女が出てきて,私に笑顔で何か一言二言語りかけながら通りすぎていった。続いてまた何人か出てきた。後から後からポツポツ帰っていく。ポージングは私が3番目だったから,せいぜい5人ぐらいしか終わっていないはずだ。まだ30名の選手が残っているというのにどうしたことだろう。
 不思議に思って会場に戻ってみるとあちこちでボツボツ席を立つ人があとをたたない。日本のボディコンテストではポージング中に観客が帰っていくのを見たことがない。プレ・ジャッジで順位が決まっているとはいっても,まだ発表はされていない。まことに不思議なことである。
 そのわけは後でわかった。アメリカでは最近パワーリフティングの人気が急上昇しており,きょうの観客の大部分はボディコンテストよりもパワーを見るために来たのだ。
 それを聞いた私はホーッと思わずため息をもらしてしまった。何がしかの入場料を払って遠くからわざわざやって来た観客はパワーが目当てだったのか。日本のパワーリフターたちが聞いたらきっとびっくりするに違いない。そして,みんなますますヤル気を起こすだろう。因幡君に送られたワーワーピーピーの大声援,ドナルド・ブルーのあの人気,日本ではとても考えられない。
 次に,日本のパワーリフティングも一度,ホールのステージ上で行なってみるべきだと考えた。日本ではパワーリフティング大会は入場無料と決っており,開催すれば必ず赤字である。アメリカにおけるパワーの人気,運営面を知っただけでも,今度のわれわれの参加は有意義だったといえる。
 こんなことを考えているうちに,ショートマンが終わり,続いてミディアム・クラス,トールマン・クラスがそれぞれ紹介され,同じようにポージングを行なった。
 最後のトールマンが終わるとすぐ表彰式である。まず部分賞の発表。続いてクラス別,最後に総合順位が発表された。結果はつぎのとおりである。
記事画像4
 表彰が終わったときはすでに夜10時を廻っていた。それからすぐホテルに帰り,背広に着替えて同ホテルで行われたレセプションに出席し,すべての行事はつつがなく終了した。(おわり)
月刊ボディビルディング1975年3月号

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