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アメリカで活躍する“三人のミスター日本”〈その3〉土門義信

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月刊ボディビルディング1975年12月号
掲載日:2018.06.26
田端ボディビル・アカデミー会長 河合 君次

“ヒゲのサムライ”土門義信

 土門君は第1回ミスター日本コンテストから連続出場し、年ごとに累進して、ついに1961年の第7回コンテストで念願のミスター日本の栄冠を獲得した。当時の彼は土門義信という名前で神奈川県代表として出場していたが、実は、アメリカ国籍をもつジョージ土門というのが本名である。当時、アメリカの駐留部隊に所属しており、朝鮮戦争にも参加している。
 彼のスポーツ歴は古く、すでにアメリカにいるときから柔道、空手、陸上など、なんでもこなす万能選手だったという。駐留部隊時代は、部隊のトレーニング・ルームに備えられていたバーベルやダンベルを使って、もっぱらウェイト・トレーニングに精を出していた。彼の軍隊時代の友人の話によると、実に合理的で規則正しい鍛練を重ねる模範的なビルダーだったという。
 ミスター日本の座を勝ちとった後、間もなく除隊となり、勤務中に結ばれたアメリカ人の奥さんと共に本国に帰り、アメリカでも代表的なロスアンゼルス・アスレチック・クラブに勤務し柔道と空手部の指導員となった。先年武道館で行われた世界空手選手権大会にはアメリカ選手団の監督として来日したほどで、アメリカでは“ヒゲのサムライ土門”として斯界の名物男である。
 土門君がアメリカに帰った当時は、まだ日米間の往来は今日のように普及していなかったので、スポーツ仲間では土門君を頼って渡米する者が多かった。中でも力道山を始めプロレスリングの連中は、アメリカ西部で興行する場合、土門君のコネと英会話に頼ることが多かった。ボディビル界も同様でアメリカの大会に出場した選手や、本場のボディビル界を視察に行った人たちは、まず土門君に連絡し、彼の自宅を中継に利用する例が多かった。こんなとき土門君はいやな顔ひとつせず、多大の犠牲を払って多数の来訪者の面倒を見てきた。彼の好意にはまったく敬服のほかはない。
ロスアンゼルス・アスレチッククラブの前で土門君(右)と私。

ロスアンゼルス・アスレチッククラブの前で土門君(右)と私。

ロスアンゼルス・アスレチック・クラブの理想的な運営

私もアメリカに着いてすぐ、「アメリカの代表的なアスレチック・クラブを見学したい」と、土門君に連絡をとった。彼は「それでは私の勤務するロスアンゼルス・アスレチック・クラブをご案内しましよう」と心良く私の希望を聞き入れてくれ、ホテルに車で迎えにきてくれた。折角のチャンスなので大学野球のコーチと新聞社の特派員も一緒に見学することにした。
 土門君は日本でも珍しい古武士的な風格を備えていながら、クラブの仲間とは洗練されたアメリカ風のマナーで応対し、さすが日本武道の指導者にふさわしい貫録を見せていた。
 このクラブの創立は90余年前とのことである。建国200年のアメリカではもちろん第1級の古い歴史をもつ由緒あるクラブである。場所は市内の中心地にあって、地上9階、地階3階建でおおよそ日本の一流デパートくらいの大きさである。地下は駐車場で150台の収容能力があるという。
 1階から5階までが社交用の大ホールで、会議室、談話室、スタンド・バー等、あらゆる社交用の設備が完備している。ホールの壁や階段等に飾られている絵画や仕器は、すべて世界的な名画や美術品が多いとのことであった。6階から9階までがトレーニング場になっており、各階にはそれぞれ最新式の練習器具が広いフロアーにゆったりと置いてある。そして屋上には日光浴とテニスの練習設備がある。
 練習場を見てまず感じたことは清潔なことだった。使用した器具は必ず利用した人が元の位置に戻す規定が励行されており、どこもよく整頓されていた。練習時間は午前10時から午後9時までだが、中・高年の利用者は正午ごろから集まってくるし、青年の部は夜間が主体となっているので、混雑することもなく順序よく平均して利用されているとのことだった。
 練習時の服装は意外に簡素である。真剣な練習で汗まみれになると、すぐに予備の練習着に着替えて次の練習にとり組む。すべてがこんな調子で、練習者のマナーの美事さに感嘆すると同時に、日本でもぜひ見ならわなければならないと思った。
 6階の窓に沿ったところに1週200メートル、幅5メートルのランニング・コースがある。コースはグリーンでソフトな感じの敷物だから走っても跳んでも騒音がない。私も少し走ってみたが足の当りが至極感じが良かった。コースには歩く人、走る人、男女とり混ぜて20人ばかりがいたが、混乱もなく秩序よく利用されていた。
 中年の婦人が薄いピンクの上下揃った練習衣でコースを走っていたので、カメラを向けると背中をシャンと伸ばしたポーズをとり、「うまく写してください」と、笑いながら語りかけてきた。自ら年は60才と告げ、毎週3回、このコースを20周するのが楽しみだと語っていた。50才を越えた婦人の足もとはおおむね危かしく見えるものだが彼女のシャープな足どりは年を感じさせないほど軽快そのものだった。こんなところにも規則正しい運動の効果がよくあらわれている。
 このように社交場とトレーニング場を併せもつ立派なクラブであるが、年会費は500ドル(約15万円)。日本の最近できているアスレチック・クラブに比べてはるかに安い。その理由は、建物は持主が提供し、備品の大半は会員の寄付による結果である。
 これだけ立派な設備を1年間500ドルで自由に思う存分利用できるというわけで、必然的に入会希望者はあとをたたないが、会員の質の向上と、会場の混乱を避ける意味で会員数を制限し厳格な資格審査をパスしたものだけが入会を許可されるという。また、情実による入会者は皆無とのことだ。
 さらに、会員たちはクラブをより良くしようとみんなで努力しており、優れた仲間にだけ入会をすすめる習慣があるから、クラブの内容はますます向上するというわけである。これがクラブの理想的なあり方であると教えられた。
ロスアンゼルス・アスレチック・クラブの内部とランニング・コース

ロスアンゼルス・アスレチック・クラブの内部とランニング・コース

月刊ボディビルディング1975年12月号

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