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日本ボディビル史
<その9>

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月刊ボディビルディング1976年4月号
掲載日:2018.07.26
日本ボディビル協会副会長 田鶴浜 弘
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画期的な大コンテスト
“1966ミスター日本”

 一本化路線が拓らけたボディビル界の動向を背景に、昭和41年11月26日、日比谷公会堂で開催された1966年度ミスター日本コンテストは、非常な盛会であったと共に、一本化最後の仕上げのためにも大きい役割を果たしたと思う。

 この大会は、日本ボディビル協会はじまって以来の画期的な構成演出の成功で、一本化路線に乗った西日本側関係者の間にも非常な好感を与えたようである。

 もちろん、まだ正式に一本化が成ったわけではないので、関西側(西日本所属)トップ・ビルダーの出場はなかったが、兵庫県(3名)、広島県(1名)、九州(4名)からの出場もあり兵庫県の小斉平選手は4位に入賞しているし、また、予選審査員に九州、関西側の参加があった他、本大会から行われたボディビル界功労者表彰には別項のとおり全日本ボディビル協会の首脳者を加えて、いたるところに一本化ムードを盛り込んだ。

 この大会の構成・演出はTBSバーベル・クラブによる専門家の手になるものであった。伴奏音楽もブラス・バンドの他に、ポージングはギリシャ的イメージの舞台構成にふさわしい高雅なハープ演奏が採用される凝りようであった。

 司会もTBS榎本アナウンサーによって進められ、決勝審査発表以降は三島由紀夫氏と共に現われた高橋圭三氏の特別出演で行われるという豪華なものになり、日比谷公会堂を立錐の余地無いまでに埋めつくした大観衆の熱気と共に、日本ボディビル史上かつてない格式高い大会となった。

 この大会の成績、審査員、本大会から行われた表彰功労者名は次のとおり

◇1966年度ミスター日本決勝成績

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◇予選審査員

 中大路和彦(本部)赤井一夫(神奈川)中西春政(滋賀)福井統(佐賀)永江孝嗣(石川)藤原勤也(宮城)継谷洋一(兵庫)松本宏夫(栃木)、湯川芳三(静岡)兼岩元城(静岡)竹内威(本部)日下裕子(愛知)

◇決勝審査員

 八田一朗(会長)田鶴浜弘(副会長)バートン・E・マーチン(顧問)平松俊男(顧問)藤本憲治(報知新聞)赤嶺茂(日本重量拳協会)

◇特別功労賞

 平松俊男(技術顧問)

◇功労賞表彰者

 土門義信(ユニバース4位)赤井一夫(神奈川)中西春政(滋賀)福井統(佐賀)永江孝嗣(石川)桃山和幸(熊本)田川悟(長崎)太田実(福岡)藤原勤也(宮城)金沢利翼(広島)継谷洋一(兵庫)菅又真治(栃木)湯山芳三(静岡)兼岩元城(静岡)小寺金四郎(常務理事)中大路和彦(常務理事)竹内威(プロコーチ)曽根将博(常務理事)浜田朝晴(東京)山中経雄(東京)岡村憲佶(東京)松山厳(全日本協会副会長)佐野誠之(全日本協会理事長)荻原稔(大阪)小野藤二(京都)

◇出場選手数と地域

 6名=東日本 5名=東京
 3名=宮城、神奈川、静岡、兵庫、実業団
 2名=栃木、熊本
 1名=北海道、福島、山形、山梨、三重、埼玉、広島、福岡、大分、学生

1966年第12回ミスター日本コンテスト

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1967年第13回ミスター日本コンテスト

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一本化正式発足は昭和42年

 東西の一本化は、すでに軌道にのったが、その最終的打合せを昭和42年2月9日、名古屋国際ホテルで行なった。

 日本協会側からは田鶴浜副会長、玉利理事長、浅野事務局長、遠藤常務理事、全日本協会側からは松山副会長、松本、小野、河の3常務理事が出席した。結局、この日の打合せによって決定の次の覚書きに基き、新協会発足の第1回理事会を3月9日に行うことを決定する。

1.名称 第1回理事会において正式に決定する。
2.組織 原則として1県1協会主義、それまでの暫定措置としてブロック別事務局を置く。
3.人事 新協会設立までの暫定措置として、日本、全日本からそれぞれ5名宛の理事を選出し(理事長のみ員数外)新協会推進母体とする(会長副会長は出席して発言できる)。

 新協会会長は八田一朗、副会長は複数制とし、田鶴浜弘、谷口勝久、松山厳、理事長は玉利斉、以上の各氏を承認する。なお、川崎秀二、中村広三両前会長を新協会の最高顧問とする。

 続いて7月3日、午後1時から大阪毎日新聞本社会議室において、日本協会玉利理事長、全日本協会松山副会長荻原、河、松本各理事立会の上、記者会見を行い、次のような一本化発足の正式声明書を発表して、新たに日本ボディビル協会を設立、ここに新組織が発足した。

 本部は東京だが、当面、事務上の便宜のため大阪事務局を設置する。

 一本化初のミスター日本コンテストは、8月5日、東京・日比谷公会堂で行われるが、以後、東京、大阪で隔年に開催のこととした。

 新協会の役員、規約、組織の詳細は第2回理事会で決定する。
声明書

 日本ボディビル協会(会長八田一朗)と、全日本ボディビル協会(会長中村広三)は、今迄それぞれの立場で我が国の体育界のために努力してまいりましたが、かねてから両協会を一本化する話合いが行なわれてきました結果、今日ここにいよいよそれが実現しました。
 両協会は、両者対等の一本化を基本条件とし、その一本化のために、ここに両協会は同時に発展的解消をし、新しく日本を1つにする新協会「日本ボディビル協会」を設立しました。東京に本部事務局を置き、大阪には当面西日本を担当する「日本ボディビル協会大阪事務局」を置き、今後一丸となって、より一層強力にボディビルの普及と発展に努力することとなりました。
 また、今まで両協会が毎年各々東京と大阪で開催してきました全国的コンテストは、今後一本のものとして、年1回開催することになり、開催地は東京と大阪で1年毎に交互に行うことになりました。話合いの結果、今年は東京で行い、来年は大阪で開催します。
 今後ますますボディビルによって国民の体づくり、人間づくりに貢献する所存であります。
昭和42年7月3日
日本ボディビル協会
  会長 八田一朗
全日本ボディビル協会
  会長 中村広三
 一本化成って第2回目理事会は、大手町の永楽クラブにおいて8月4日に開催。新役員、規約、組織、事業、事務局等の重要事項を決定した。

 新役員は、会長、副会長、理事長はすでに第1回理事会で決定しており、新しく理事として次の各氏が決定した

◇理事 小寺金四郎、浅野亮、中大路和彦、岡村憲佶、遠藤英夫(以上東京)、河啓一、松本茂、今西浩、山口寿彦、荻原稔(以上大阪)、竹松孝一、曽根康信、芦田光長(以上実業団)なお、各県協会から1名宛理事を選出する。

 また、東京協会、大阪協会が新体制の下に新たに発足する。東京協会は当面従来の日本協会役員がそのまま東京協会役員となり、大阪協会は会長・山口寿彦、副会長・佐野誠之、理事長・荻原稔の各氏が就任した。

其の他昭和42年度主要事項

①一本化初のミスター日本コンテストは11月5日、東京日比谷公会堂に全国から60選手の参加で盛大に開催。3000名を越える大観衆を集めた。結果は別表のとおりであった。

②この年のミスター・ユニバースは5月27日、モントリオールで行われ、41年度ミスター日本の遠藤光男選手を派遣、4位になった。

③昭和39年度ミスター日本の多和昭之進選手は7月7日、米国留学に出発。

④八田会長就任以来、重量挙協会との友好関係が密接となり、今後両協会の具体的協力方法を改めて検討することとなる。(つづく)
【1967年度ミスター日本コンテストに優勝した小笹和俊選手】

【1967年度ミスター日本コンテストに優勝した小笹和俊選手】

月刊ボディビルディング1976年4月号

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