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☆ボディビルと私☆
ボディビルと共に歩んだ二十年 1976年8月号

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月刊ボディビルディング1976年8月号
掲載日:2018.04.13
パワーリフティング全日本フェザー級日本記録保持者
富永 義信(税理士)

◇日本新記録と努力賞◇

 昭和48年第8回全日本パワーリフティング選手権大会は大阪府立体育館で行われた。私は神奈川の吉田好一郎選手と一緒に行く事にしていたが、彼は仕事の都合で参加できなくなった。彼とはとても気が合うので一人で行くよりも心強くもあった。しかし彼の不参加で、私はかえって、彼の分まで頑張ってくるんだ、そして、日本記録で優勝して神奈川県協会の面目を保とうと闘志が湧いた。
 
5月19日午後から大阪に向かい、大阪駅の案内所で近くにサウナのあるホテルを捜してもらった。試合前日の夜と当日の朝は無論食事はとれない。自宅からだと弁当を持っていけるが、宿泊ではそれができない。明日のために、検量が終ってからの食事の確保をしていよいよ私は最後の減量にかかった。試合前の自己との厳しい闘いをしなければならない。ここで挫折しては一年間の練習の成果も果たせない。試合当日の午前9時までに、自分のエントリーしたクラスに体重が落ちていなければその場で失格してしまう。勝負の世界は実に厳しい。
 
 私の入ったサウナは今まで見た事もない大きなサウナで、プールやゲームコーナーもあり、飲み物の販売コーナーもあった。サウナ室にはテレビが置かれ、サウナの客はほとんどレジャーで入っているようだった。プールで楽しそうに泳ぐ者、仲間同志でビールを実にうまそうに飲みながら楽しげに語り合っている者、この時ばかりは彼らの自由がとても羨しかった。
 
 喉がカラカラにかわき、水を飲みたくてしようがない。しかしここで水を飲んでは終りだ。毒には毒だ。彼らがうまそうにビールを飲んでいるのがよく見える所にわざと坐り、欲望との葛藤をあえて押さえた。明日は必ず日本記録で優勝しよう。そして明日の夕方になればうまいビールが飲めるのだ。もう一日の辛棒だ。
『忍耐とは自分を押さえる事ではない。希望をもって耐える事である』
 
 ホテルに戻った私は脱水状態で、ほとんど無気力である。カーテンを開けて、明日試合の行われる大阪府立体育館を眺めた。私の宿泊しているホテルのすぐ近くに体育館がある。試合前日の私は、常に忍耐の一夜を過ごさねばならない。
 
 検量の結果、減量もうまくいった。そして私は第8回全日本パワーリフティング大会にベンチ・プレスとトータルで日本記録を作り、優勝した。表彰式で『努力賞、神奈川県の富永義信選手』と呼ばれた時は大きな喜びが湧いてきた。努力という言葉が私はとても好きだ。私はその努力賞にふさわしい人物にならなければならない。実業団に続いての全日本の努力賞は、私に大きな自信をつけてくれた有難い賞であった。

◇不屈の精神◇

 3月という月は税理士にとって一年中で一番忙しい月である。食事をする時間はもとより、最高に追われた時はトイレに行く時間すら惜しいときもある。その一年中で一番忙しい3月初めに、父危篤の連絡を受けた。父の事が気になりながらも、遠い長崎故に直ぐに帰る訳にいかず、日夜仕事の山に追われていた。
 
 父の容体は日一日と悪化し、もう時間の問題となってきた。人様の大切な財産の鍵を預けられている私には、父との最後の対面よりも仕事をとるよりいたしかたなかった。複雑な気持で経理と取り組む私にとって、これは言葉ではいい表わせないつらい心境であった。一日も早く仕事を済ませるために睡眠時間は毎日2、3時間であった。焦る気持、張り詰めた気持の日夜に、電話の度にもうだめかと思う実に嫌な気持の連続であった。
 
 3月12日、予定より4日も早く全部の仕事を完了した。長崎に発つ12日の朝電話がかかった。てっきり仕事だろうと思って取った受話器であったが、その時非情にも父の死が告げられた。
 
 張り詰めた気持が一瞬ゆるみ、悲しみよりも父との対面ができなかった事が残念でならなかった。それから10分後、私は元の自分に戻り、仕事先の連絡、仕事上の洩れがないか否か素早く見直し、羽田空港に向かった。夕方6時に長崎の家に着いた。黒幕が張られ、静まり返った家に変っていた。父は布団に寝せられていた。私は今日まで育ててもらったお礼を父に感謝し、そして税理士としての責任を果すために帰れなかった事を父にわびた。そして気持を冷静にもち、男兄弟のない私は喪主としてやらなければならない事を打ち合わせした。悲しみがこみあげ、父にすがって泣きたい私であった。しかし泣くのはいつでもできる。今自分がやらなければならないのは何か。冷静さを保つ事を懸命に努めた。
 
 私は静かに永い眠りについた父に語りかけた。「お父さん、僕はこの世でまだまだやらなければならない事が沢山あります。満足のいくまで、最後の最後まで努力を尽します。そして、富永家をこの僕がしっかりと築いていきます。それがいつわりのない僕の気持です。お父さん、今度の全日本大会では日本記録で必ず優勝してみせます。もしそれが果せなければ、この僕の誓いは嘘と思って下さい。しかし僕は必ずやります。一度心に誓った事は必ずやります。お父さん、どうぞ安らかに眠って下さい」
 
 独りになって泣きたい夜が幾晩もあった。しかし私は、一人前になるまでは涙は流さないと心に誓った。私はサウナでの減量を思い出していた。水を飲みたくて飲みたくてしようがない。しかしそういう時飲み出すと立て続けに飲んでしまう。涙も同じではないか。泣くと止まらなくなる。父の初七日を済ませ、私は上京した。そして次の目的に希望をつないだ。
〔試技の前にはこうして必ず精神統一する〕

〔試技の前にはこうして必ず精神統一する〕

◇最優秀選手賞に輝く◇

 私は会計事務所を大きくしなければならない。父を亡くした私はこれから勝負していかなければならないと、改めて闘志が湧いた。そして住居も今までよりもっと駅に近い便利な所に構え仕事拡張に目を向けなければならないと思った。長年、住み馴れた家も売りに出した。しかし不動産の買替にまたまた多大の神経を使わされた。全日本大会の数日前まで、仕事の他に家の買替に予想以上に時間がかかり、本格的トレーニングができなかった。そして体重調整がうまくいかず、一日に3キロも減量せざるを得なくなってしまった。非常に辛い減量であったが、私は父との誓いを思い出して耐え忍んだ。
 
 この全日本の大会が昭和50年6月15日の『父の日』に行われたのは何かの因縁なのだろうか? 午前9時の検量ではパスしたが、日本記録を狙う私にはまだ試技が終るまでの空腹に耐えねばならなかった。それは忍耐と根性の何ものでもない。
「パワーリフティングの名物男、富永義信選手が登場致しました。挑戦する重量は155キロ、これに成功しますと同選手のもちます日本記録を更新し、ここに日本新記録が誕生致します。皆様方のご声援を富永選手におくって下さい」
 
 名司会者、山際昭アナウンサーの声が場内に響いた。私は全神経をバーベルに集中した。闘志をむき出して凄い気迫で試技に入った。ラックからバーベルをはずすのに手間取った私は、この分では失敗しそうだと、一瞬焦った。厳しい減量のためかバーベルの重さがずっしりとこたえ、バーベルを胸にもってくるまでに潰れてしまいそうだった。
 
 しかしこの時、ほんの僅か10秒足らずの時間であろうが、いろいろなことが私の頭の中をよぎっていった。苦しかった減量のこと、父の死、その父に誓った優勝、日本記録更新の夢、それらが一瞬のうちにはっきりと頭の中に浮んでくるのだった。ここで潰れてはならない。もう後は無我夢中だった。
 
 私は渾身の力を体中から振り絞った。実に重く感じたバーベルは、ただただその根性によって力強くさし挙げられたのである。ついに、ベンチ・プレス155キロに成功した。場内からは沢山の拍手が湧いた。日本新記録であるためすぐ再検量が行われた。記録にのみこだわると体重がオーバーするし、体重に気をとられると空腹すぎて記録が出せず、この点、日本記録樹立は非常にむづかしい。
 
 最初の検量後少し食べ物を口に入れたので、再検量の結果が心配だった。せっかくマークした日本記録も体重オーバーでは非公認になってしまう。なんとかオーバーしないよう心の中で祈りながら体重計にのった。リミットちょうどで実にきわどいところだった。あと10グラムでも重かったら非公認になるところだった。10グラムというと水を一口飲むとそれで終りである。
「富永選手が只今検量を終って帰って参りました。検量の結果、富永選手の体重はリミット以内でしたので、ここに日本新記録が誕生しました。皆様の温かいご声援をもう一度富永選手に送って下さい。富永選手本当におめでとうございました」
 
 山際アナウンサーの最後の声が聞こえないくらい、場内から声援がとんだ。その好意が非常に嬉しかった。そしてトータルでも日本新記録を作る事ができた。
 
 全選手の試技が終り緊張に包まれた会場も表彰式に変った。各クラスの表彰の後、最優秀選手賞に2つの日本記録を出した私が選ばれた事を知った時私は云いようのない深い喜びに包まれた。私は最優秀選手賞の大きな楯をがっちりと受けた。ずっしりと重みのある、名誉ある賞であった。
 
 帰りの電車の中で、私はここ数カ月の辛かった日々を思い出していた。3カ月前、私は父の写真を胸に抱き、出棺の挨拶で悲しみをじっと我慢していた。その時、私はふとこの全日本大会の事が頭に浮んだ。そして無理にも自分の心に明るさを取り戻そうと努力していた。時は過ぎ去り、忍耐と努力の蔭に、最優秀選手の輝ける賞が待っていた。ボディビルで受けた喜びは限りない。そしてまたこの日の喜びは一生私の脳裏から離れる事はないであろう。私は自分の生涯に、忘れ難い、深い思い出を残す事ができた。車窓から入るタ風が、とても心地よかった。
〔家族旅行〕

〔家族旅行〕

◇ボディビルと家庭生活◇

 昭和50年度全日本パワーリフティング大会の最優秀選手賞に輝けたのも、その陰に何かと心を配ってくれた妻の力があったことを私は感謝している。
 
 全日本大会より2週間前に行われた実業団大会では、日本記録を出しながら体重オーバーで非公認となった。妻にその話をしたのは無論であるが、全日本大会の時、ボストンバックをあけると、トレーニングシャツと一緒に少々厚味のあるタオルが1枚余分に入っていた。私はすぐにそのタオルの入っている意味がわかった。そのタオルを首に巻き、体を冷さず、疲れないで少しでも汗が出るようにと思って、妻が入れてくれたものであった。その1枚のタオルで体がかなり温まり、程よく汗をかき、リミットちょうどで日本記録公認となったのである。
 
 また、実業団の内田彦一事務局長の招介で「われら夫婦」のテレビ番組に出れたのもいい思い出となった。私は家族でテレビに出たいと思っていた事が内田彦一事務局長のお蔭で実現でき、思い出の録音入りのフィルムもテレビ局より送ってもらった。また長崎放送のラジオのインタビューを受け、私と家族のことが紹介された。その時の司会者が妻の知人であった。
 
 私はこれからも妻の協力を得て、家庭円満のためのボディビルを続けていきたい。
〔パパの勝利を喜ぶ長女と次女〕

〔パパの勝利を喜ぶ長女と次女〕

◇より高い記録を目指して◇

 昭和51年6月13日、第11回全日本パワーリフティング選手権大会は、名古屋の愛知県体育館で行われた。前日午後5時に愛知県スポーツ寮に着いた私は、長野選手、市丸選手、足立選手たちとなつかしく再会した。みんな遠く九州から来たにもかかわらず疲れも見せず元気はつらつとしていた。私と同じ九州出身の彼らを見るとなんとなく兄弟のように思える。
 
 寮には体重計も風呂もあった。3年前の実業団、全日本大会と比較してこんなに有難い事はない。スポーツ寮には50名の選手が宿泊していた。体重計のまわりには入れかわりたちかわり明日出場する選手がきていた。明日は共に闘わねばならない。しかし皆とても和やかであった。共通の趣味に生きる人々の胸には、自ずから相通じるものが感じられた。練習方法、仕事との両立、共に悩みをぶつけ合い、いろいろな話をした。そこには、温かな、そして厚い友情がほとばしっていた。
 
 夜10時過ぎると寮のおきてを守り寮内は静まり返った。私は3年前の大会をなつかしく思い出した。宿泊がホテルだったために、誰も仲間がいなかった。無論、体重計もなかった。空腹のために一睡もできなかったあの日の事がよみがえり、懐かしく、またそれに耐えた自信のために私の心は妙に落ち着いていた。苦しみを耐えた人間は、知らず知らずのうちに何事にも強くなるように思えてならない。
 
 午前9時から検量が行われた。今大会で私はどうしても日本記録を作る決心をしていた。日本記録の出る大会は盛り上がり、活気に富んだいい大会になる。並み並みならぬ協会役員の方の努力に報いるには、大いに奮起して大会を盛り上げなければならない。私はいつの大会も、自己の勝利とそして大会を盛りあげるために闘っている。大会を開くには協会役員の力が大きく、それを盛り上げるのは選手各自の試合態度にかかっていると思う。そこには一つの大きな和があり、人間としての美しさがある。
 
 パワーリフティング研究グループ代表の鈴木正之選手たちの熱心な努力により、アンケートが選手に配られたり、また試合の進行と共に記録表がガリ版刷りして渡されたり、とても心温まる思いであった。
私はベンチ・プレスで157.5キロの日本新記録を樹立でき、そしてトータルも日本新記録であった。日本記録を作ると、次はまたそれ以上の記録を狙う事になり、より以上頑張っていかねばならない。追われる者は常に努力を尽していなければならない。それに、記録のみの向上に溺れてしまう事なく、真のチャンピオンなら幅広い心と、強い意志と、そして優しさを兼ね備えた人物でなくてはならない。そうでなければボディビル界の発展のための存在ではなく、自己満足の単なる記録保持者に過ぎなくなってしまう。
 
 スポーツマンは人の和を決して忘れてはならないのだ。今や日本のボディビル界も世界的になってきたと云って過言ではあるまい。パワーリフターの数名は、すでに世界のレベルに追いついてきている。私は日本のボディビル界のために、そしてチャンピオンを守り抜くために、今後も苦しみと闘っていきたい。練習の辛さ、日常の節制、ただ努力による前進あるのみである。チャンピオンは決して弱音をはいてはならない。目的のためにひたすら突進していかねばならない。それがチャンピオンの宿命かも知れない。その苦しみの立場におかれた私のただ一つの救いは、日本ボディビル界の発展である。
〔思い出のカップ、トロフィーの数々〕

〔思い出のカップ、トロフィーの数々〕

◇忍耐と集中力◇

 私は以前、ボディビルをやると不器用になりはしないかという疑いを否定するためにもと思い、税理士には珠算1級までは必要ないと知りながらも、珠算1級に挑戦する事にした。ボディビルというものを人に納得してもらう為には、まず身をもって体験しなければならない。バーベルと細かい仕事は両立しないものか。私はその解答を出すためにも意地でソロバン1級の練習をした。
 
 問題集の12ケタの数字を見て、何度か1級挑戦を断念したくなったが、逆にボディビルをやる忍耐があればその意志の強さでやれる筈だと思って、その苦しみにあえて挑戦した。いろんな事を同時に手につける私にはかなりの年月がかかった。しかし幾度もの失敗にもめげず頑張り抜いた。不合格にいしゅくするどころか、そういう時、かえって私は闘志が湧いてくる。次は満点で合格してやろうと思ったものだ。努力の甲斐あって3年目に念願の1級に合格できた。
 
 また、昭和39年に私は盲腸の手術をした。病室で隣にいた人が、盲腸を手術すると力は確かに弱くなると云っているのが私の耳に入った。この時私は、退院後トレーニングに励み、盲腸を手術して力が弱くなるどころか、さらに強くなった事を証明しようと凄く闘志が湧いたものである。そして退院半年後にブリッヂ・ベンチ・プレスで150キロを挙げる事ができた。今から12年前の話である。
 
 それはベンチ・プレスのチャンピオン出川昇選手と一緒に練習していた頃で彼との温かい友情が生まれた事も決して忘れられない。要は気持の持ち方である。やるんだという意欲と行動力は偉大な力を発揮するものである。
 
 私の趣味の1つに手品がある。力を出し切ってのんびりしたい時は、いろいろな手品の道具を広げる。すると税理士という職業からの神経も和み、気分壮快になる。バーベルに取り組む私は無心になり、手品をやる時の私は童心に返り、人生が非常に楽しい。ボディビルは器用な人間を作ってくれる。バーベルに一心に取り組む姿は禅の姿と思う。それは凄い集中力を必要とするからであろう。世の中を渡るのに大切な、忍耐と集中力はバーベルによって養成できる。
〔第11回全日本選手権でベンチ・プレス157.5キロの日本新記録を樹立〕

〔第11回全日本選手権でベンチ・プレス157.5キロの日本新記録を樹立〕

◇ボディビルに思う◇

 幾たびか挫折しそうになる私の心はボディビルに支えられ、そして逞しくなった。ボディビルと取り組んで20年になる。ひ弱な男は、強く逞しい男に成長した。しかし私は肉体のみの逞しさに満足する事なく、それに比例して精神も大きく逞しく成長していきたいと常に考えている。
 
 人間には体と心のどちらも欠かす事ができない。その両方が共に均衡を保って大きく成長する事は実に素晴らしい事である。一本のシャフトの両方にプレートがついて初めてバーベルとしての価値がでてくる。左右アンバランスの大きさなら、ボディビルの正しい練習はできない筈である。人間の正しい姿というものも、それと全く同じでなくてはならない。
 
 本業の税理士の実務も、人が10年かかるものなら1年でマスターしてみせるという気迫でやり、バイクで走り廻る私に大型ダンプが近づいてきたら相手を逆にふっ飛ばしてやる。そして税理士富永義信のサインがなされた申告書は、必ず税務署に通す。常に強気強気でやり抜いた。それというのは、申すまでもなくボディビルで体を鍛えたお蔭である。
 
 人生は喜びと苦しみが常に存在していると思う。いつまでも続く喜びも、またいつまでも続く苦しみもないはずだ。楽を求めて苦しみに出合うなら、苦しみとがっぷり四つに組んで喜びの深さを味いたいと思う。長い間趣味としてのボディビルを続けられるのは、ボディビルにそれだけの魅力があり、喜びがあるからである。

◇ボディビルこそ我が人生◇

 私は精神的にも肉体的にも強く逞しくなりたいという気持が人一倍強かったのでここまでなれたと思う。いじめられた事しか記憶にない小学校時代の自分を振り返って、今の根性があれば誰も恐くない。また私は多くの親切な方のお蔭で立派なスポーツマンになれた事を感謝している。
 
 日本記録を出した私を、実業団の内田彦一事務局長は、「富永さん、よく頑張ったね」と誇らし気に、実業団はこんな立派な看板選手を持っているんだと云わんばかりに堂々と胸を張って私を検量室に引卒する姿に、私はなんだか他人とは思えぬ兄弟愛のようなものを感じる。また、実業団理事の木口一朗氏に暫らく振りに電話をしてみると、彼は勤めを変っていた。夜、自宅に電話しようと思って家に帰ると、彼から電話があったとの事である。全く不思議な事に、私が電話をした同じ日の同じ時刻に、彼は私に電話をくれていた。ボディビルを通じて立派な友情が生まれる事は何とありがたい事であろう。
 
 日本ボディビル協会の玉利斎理事長の存在はボディビル界にはもちろん、私にとっても非常に大きい。理事長の理論と行動、私のボディビル熱も増々盛んとなった。理事長、役員の方々の力の大きさにより、ボディビルの発展が正しく、急速に進んでいる事に感謝を忘れない。そのためにも、私は私なりの努力を尽して、ボディビル発展に貢献したいと思っている。
 
 苦しみの中に喜びを見出す事が出来れば、それは素晴らしい人生ではないか。苦しみの中から感じる喜びこそ、本当の、そして深い喜びに違いない。
 
 運動不足の者の多い事、毎日事件の多い事、自分の事のみの主張。幸せというプレゼントを大自然に受ける前に努力を尽そう。ボディビル人口も今や相当数に達している。せめてボディビル愛好者だけでもみんな友になり、そしてこの日本をお互いの力で築いていければどんなに素晴らしいことか知れない。
 
 太陽が光り輝いている。私の人生もあの輝ける太陽のように、強く輝きたいと思う。家の庭で今日も私の気合がかかっている。常に私は努力を尽していきたい。そして限りなく、また変わる事なくボディビルに情熱を持ち続けたい。あの輝ける太陽のように。
月刊ボディビルディング1976年8月号

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