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<座談会>
1976年度NABBAユニバース・コンテスト
日本ボディビル界の夢 "世界制覇”ついに実現!!

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月刊ボディビルディング1976年12月号
掲載日:2018.08.28
出席者
JBBA理事長・玉利 斉
杉田 茂 須藤孝三 榎本正司

日本人同志の優勝争い

玉利 いや、おめでとう。今回の日本選手団の活躍は日本ボディビル協会としてもまったく夢のような感激なんですよ。協会が出来て今年で22年目ですが、我々が協会をつくったころはレジ・パークやビル・パール、映画スターで成功したスティーブ・リーブスたちが活躍していた時代であんな選手たちに、我々日本人がほんとうに手が届くんだろうかと、ただ遠い世界のあこがれだと思っていたんですが、今回の2クラス優勝、総合1・2位独占という快挙で、これが現実になってしまったんですがこれは日本ボディビル界にとって大へんなことだと思うんです。そこで今日は日本代表の3選手に大会の模様やら今後の抱負をひとつ大いに語ってもらいたいと思います。
 まず、どんなふうな大会だったかそのへんから話してください。

杉田 結果が示すとおり、僕らが出ていなかったら興味が半減していたんじゃあないかと思います。
 一番緊張したのは、やはり総合優勝を決める最後の審査でした。まず僕と須藤君が呼ばれて5分間ほど比較審査をされたんですが、24人の審査員の前で何回も何回もポーズをして、結果的には僕が優勝したんですが、この日本人同志の優勝争いをぜひ日本の協会の役員の方に見てもらいたかったですね。

玉利 日本の応援団はいたんですか。

杉田 僕のスエーデンとスペインにいる友人と、もう1人、須藤君を知っているという人がいたぐらいです。

玉利 ビクトリアシアターの観客の数とか質はどんなですか。ボディビル愛好者が多いんですか。それとも一般の人ですか。

杉田 一般の人もかなりいますが、やはりボディビル・ファンが多いですね。順位の発表は大会々場で行いますが、実際は前日の審査で決定しているんです。この審査会場に来ている人はほとんどボディビル関係者ですから、そのときの拍手や反響で順位はだいたいつかめますね。

玉利 つまり、観客の目もこえているんですね。
 須藤君も昨年に続いて2年連続してミディアム・クラスで優勝したんですが、こういう記録はいままでにあるんですか。

須藤 2年連続優勝というのは、これまでにもあると思います。昨年は始めての出場で、自分でも思ってもいなかった優勝ということで、何か実力以上のものがあったのではないかと思っていましたが、今年もまた優勝したということで自信もつきました。来年はぜひ総合優勝して、2年連続日本にタイトルを持ち帰りたいと思っています。

玉利 日本人同志のオーバー・オールの決勝になったんですが、我々としては2人のうち、どちらが優勝してもうれしいんですが、そのときの2人の気持はどうでしたか。

杉田 僕個人としては須藤君に負けたくなかったし、須藤君もおそらく僕に負けたくなかったと思います。お互いに1位になるつもりでかけひきしながらポーズをやっていました。

玉利 なるほど。勝負は勝負というわけですね。一歩、勝負を離れれば日本人同志の友情に戻ってガッチリとスクラムを組むというわけですね。

杉田 そうです。お互いに総合優勝を目指してきびしいトレーニングを続けてきたんですからね。あのとき、チラッと団体賞があればよかったなあと思いました。文句なく日本のものですからね。

玉利 榎本君も初出場で4位だったんですが、従来だったらこれも大へんな成績ですよ。たまたま2人の先輩が1・2位をとったんで、ちょっとカスんでしまったようですが、初参加の感想と先輩たちの活躍の様子はいかがでした。

榎本 私は最初から順位は度外視して大会に参加したんですが、4位に入賞できて自分としてはよかったと思っています。
 オーバー・オールの最終審査のとき、杉田さん、須藤さん、デール・アドリアンたちが呼ばれて何回も比較審査が行われたんですが、杉田さんのポーズがきまったときの反響が一番だったので、これで完全に勝負あったと思いました。

玉利 観客の反応というものが、専門家である審査員の判定と同じだったわけですね。

杉田 さっきもいったように大会の前日に行われるこの審査では、観客といってもほとんどボディビル愛好者とか関係者ばかりですから、目もこえているんです。
 僕はユニバースに出たのは今回で3回目ですが、いつも観客の反応とだいたい一致していますね。ビクトリアシアターの場合は、一般の人が多いのと、会場が大きすぎて、遠い席の人にはよく見えないらしいので反応はあまりあてになりません。

玉利 観客は何人くらい入っていましたか。

須藤 審査会場は500人くらいで、ビクトリアシアターの方は3000人くらい入っていました。
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好成績の原因はデフィニションとポージングとバランス

玉利 日比谷公会堂より大きいわけですね。あれが約2000人ですから。
 ところで、ご本人たちに語ってもらうのもなんですが、日本の選手がこれだけ好成績をあげたポイントはどこにあると思いましたか。

榎本 デフィニションの良さとポージングのうまさですね。これは外国選手と比べて群を抜いていたと思います。それに下半身の良さですね。

玉利 写真なんか見ると、バルク、とくに上半身のバルクという点では、一般に日本人よりまさっているように思えるんですが、それにもかかわらずこのような好成績をあげた原因は、いま榎本選手のいったほかに何かありますか。

杉田 それにバランスの良さですね。

玉利 ポーズの問題ですが、日本選手もうまい人はずばぬけてうまいが、一般的なレベルではどうかなあと思っていました。というのは、協会が過去に招いたボイヤー・コーやクリス・ディカーソンなんかは個性的で流れるようなポーズで日本人より上だと思っていたんですが、いざ勝負してみると、ポージングの面でも日本選手の方が上だったとは驚きですね。
 外国選手のポージングはひと口にいってどんな感じですか。

杉田 やはり順位の上の人はうまいですね。自分の持味を生かしてポーズしています。

玉利 実際に順位を決定する審査会場は非公開だそうですが、具体的な審査の方法はどんなふうですか。

杉田 ここでミスター・ユニバースの順位が決まるわけですが、ショートマンの場合ですと、私と2位になったジェラルド・ヴィノードがピック・アップされて、日本でやるような規定ポーズを何回もして比較審査をするわけです。それが終ると今度はその次に良さそうな選手をピック・アップして審査員が納得するまで、同じような比較審査をくりかえすわけです。
 オーバー・オールのときも、僕と須藤君の2人だけで最初やり、次に僕とアドリアンを比較しました。結果的には僕とアドリアンの順位は相当開いていましたが、いろいろ組み合わせを変えて比較するわけです。

玉利 須藤選手は審査会場で他の選手と並んでみて、今年も優勝するという自信はありましたか。

須藤 ありました。練習もよくやったし、実際に体も昨年より良くなっているという自信もありましたので、クラス優勝はできると思いました。結果は審査員が決めることですが、ベストを尽せばいけると思っていました。

玉利 ミディアムの場合は2・3位にはどんな選手が入りましたか。

須藤 昨年出場した選手ではアドリアンくらいでメンバーはずいぶん変わりました。人数も昨年より少なかったですね。
 昨年出場していなくて今回出てきた選手では今年のミスター・ブリテンになったバーティル・フォックスが目立ちましたね。結局、彼がミディアムの2位に入りました。3位になったアドリアンも昨年よりぐっとカット・アップしてきました。

杉田 そのアドリアンは以前から私もよく良く知っているんですが、昨年と比べて顔の大きさがまるで違うんですよ。カット・アップとコンテスト前の神経戦がかなりこたえたようでした。笑ったときの顔なんかシワだらけで別人のようでした。

玉利 選手はみんな同じホテルに泊るんですか。

杉田 地元の選手は別ですが、他は同じホテルです。

玉利 選手同志の交流とか交換はあるんですか。

杉田 コンテストが終ってからは一緒に写真をうつしたり、住所をお互いに知らせあったり、ほんとうに打ちとけた交換をします。

玉利 コンテスト前はそんな余裕はないんですね。

杉田 とてもありません。あの手この手と相手の実力をさがそうとしていますから、とてもそんな余裕はありません。
 いろいろな情報が飛ぶんですが、ショートマンの2位で総合3位になったフランスのジェラルド・ヴィノードのカーフは、おそらくディカーソンより良いからアマで総合優勝するだろうなどと、彼の親分格でプロで総合優勝したフランスのサージ・ヌブレにおどかされたりしました。そんなような情報がいろいろあるんです。
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ボディビルに一発逆転はない ふだんのトレーニングが勝負

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玉利 他のスポーツの場合は競技だから、雰囲気にのまれて実力が発揮できずに小物が大物を食うというようなことがありますが、ボディビルの場合、そういうことがあると思いますか。

杉田 僕はいままで緊張してポーズを間違えたということはありません。僕はボディビル・コンテストはマラソンでいえばゴール寸前だと思っているんです。実際の勝負はコンテストの前にすでについているということです。

玉利 つまり、ふだんの練習が試合というわけですね。
 さっき記者会見のとき、元三段とびの全日本選手権者で陸連の強化副本部長をしておられる小掛さんの質問の中に「スポーツ選手は節制が大切なんだけれど、ボディビルの選手はどうなんですか」というのがありました。それで私は「ほかのスポーツでは一発逆転というのがあるが、ボディビルの場合にはまずそういうことは考えられない。だから練習不足とか不節制は歴然としてすぐ体に表われるから、コンテストの当日迄のトレーニングと節制が勝負の大部分だ」と答えたんですが、いま杉田選手のいったことはそういうことでしょう。

杉田 そうです。練習はコンテストの7~8ヵ月前に入りますから、試合はそのときから始まっているといってもいいですね。そのときがマラソンでいえばスタートというわけです。

玉利 7~8ヵ月前といっても、さらにそれから前に何年という積み重ねがあってのことですからね。
 ところで、3選手ともまだ年令が若いんだし、これからも選手として活躍していくんですが、今度は追われる立場になってみて、来年あたり伸びてきそうな選手をあげてみてください。

須藤 私は来年はなんとしても総合優勝をしたいと思っているんですが、ライバルとしては今度の大会でショートマン2位になったフランスのジェラルド・ヴィノード、それからミディアム2位のバーティル・フォックス、それに来年AAUミスター・アメリカなどに選ばれる無名の選手たちだと思っています。

玉利 あなたたち以外の日本の選手で外国に行って活躍できそうな選手はいますか。自信をもってもらうために、いたらあげてください。

須藤 ミスター日本コンテストで上位6位以内に入るような人なら、向うに行ってもかなりいい成績を残せると思います。それくらい現在の日本のレベルは高くなっています。

玉利 なるほど、ところで3選手ともまた来年も出場しますか。

杉田 NABBAではいままでの例ではアマチュアで総合優勝した選手が二度出ていませんので、僕は今度出るとすればプロの部しかないわけですが、プロの部はアマよりかなりレベルが高いので、2~3年準備期間をおいてから出たいと思います。

玉利 そうなれば今度は須藤選手がミディアム3年連続優勝、そして総合優勝をねらうわけですね。

須藤 来年のアマ総合優勝を目標に1年がんばります。そして2年連続このタイトルを日本に持ち帰りたいと思っています。

玉利 榎本選手は行く前から、ともかく勉強のつもりで出場します、なんていっていたんですが、初出場で4位という好成績を収めて、もう一度チャレンジしますか。

榎本 出場してみて、やはりバルクが足りないことを痛感しました。私の場合、日本人の中でもあまりバルクがある方じゃあないですから、とくにそう感じました。2~3年バルクをつけることに専念して、それからもう一度挑戦したいと思っています。

玉利 しかし、さっき記者会見のとき3人ではだかになったの見たが、2人に負けない立派なバルクだったんじゃあないですか。

榎本 コンテストが終ってから、ホッとして少し食べ過ぎたので脂肪がついたんですよ。(笑)
【記者会見で総合入賞のトロフィーを披露する杉田と須藤】

【記者会見で総合入賞のトロフィーを披露する杉田と須藤】

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優勝を目指してのトレーニング
ランニング併用、1日5時間(杉田) 上半身に重点(須藤)

玉利 ところでこんどの栄冠を勝ちとるまでには、いろいろ苦しかったこともあったと思いますが、どうでしたか。

杉田 去年のコンテストの審査結果が雑誌に発表されたのを見て、総合優勝したイアン・ローレンスと私が1位票は同数だったんですが、2位票が少し私の方が少なくて、ほんの僅かの差で負けたことがわかったんです。それで、頑張れば必ず優勝できるんだという確信がわいたんです。こういう目標があったので、あまり苦しいと思ったことはありませんでした。

玉利 練習はどのくらいやりましたか。

杉田 1日3回に分けてやりました。バーベルを使った運動はジムで3時間ぐらいです。朝はほとんどランニングです。50mダッシュを主体に約1時間。そして寝る前に1時間くらい。合計1日5時間平均です。

玉利 ランニングは何を目的としてやったんですか。1時間もランニングをするということは、いままでの考え方ではバルクを落としてしまって運動能力はつくが、形態を争うコンテストでは一見不利のようにも思えるんですが?

杉田 脚にカットをつけてシャープにするためです。ランニングでバルクが落ちたということはありませんでしたね。

玉利 食事の面ではどうでした。

杉田 レストランをやっていますので須藤君や榎本君よりは比較的安く仕入れが出来ますのでその点は恵まれていました。脂肪のつきやすい食物をセーブするのが大へんですが、それも昨年の経験があったのでそんなにつらいとは思いませんでした。

玉利 須藤選手は去年につづいて2回目の出場だったわけですが、とくにどういう点に注意してトレーニングしましたか。

須藤 脚はまあだいたい満足していましたので、上体に重点をおいてトレーニングしました。
 ことしはコンテストの前にゲストポーザーをたくさん頼まれましたのでトレーニングの時間を調整するのに苦労しました。近いところならいいんですが、遠い場合は前後3日間影響します。そんなときは寝る時間をけずっても練習するんですが、それがつらかったですね。

玉利 さっきちょっと聞いたんですが来年、杉田選手と須藤選手がヨーロッパにゲストとして招待されているそうですが。

杉田 そうです。こんどのユニバースの審査員の1人で、ヨーロッパで「アスレティック2000」という雑誌の編集長が、来年2月から4月の間にドイツ、フランス、オランダ、ベルギーの4ヵ国のコンテストをやりたいので、僕らの都合に合わせて開催日を決めるから都合を知らせて欲しいといっていました。

玉利 いままで我々は外国の一流選手をゲストに招くということが大へんだったんですが、逆に日本の選手が外国に招かれるようになったんだから日本のボディビル界のレベルも上がったもんですね。
 ちょうど日本のお家芸の柔道が外国選手にやられているのと逆に、ボディビルの場合は、外国のお家芸を日本がとってきた。これはうれしいことですね。
 では次に3選手の今後の抱負をお聞かせください。

3年後にプロ優勝を・・・・・・杉田

来年こそアマ総合優勝・・・・・・須藤

もう一度チャレンジ・・・・・・榎本

榎本 さっきも申しあげましたように3年後を目標にバルクづくりに専念して、もう一度ユニバースに挑戦して、もっといい成績を残したいと思っています。

玉利 榎本選手はとても謙虚な人柄でさっきから控え目なことばかりいっていますが、もう一度、3年後にやりますね。期待していますよ。
 杉田選手はどうですか。あなたはトップに立ち今度は追われる立場になったわけですが、プロを目指すとなるとこれからまたたいへんだと思うんですが、生活設計も含めてお話しください。

杉田 今年のコンテストに出る前までは、コンテスト・ビルダーとしてはこれが最後だというつもりだったんですが、優勝したとたんに欲が出てきました。こんどはプロを目指すわけですが、ぜひ、アマ・プロ両方のタイトルをとりたいと思います。

玉利 須藤選手はどうです。

須藤 来年は三度目の正直ですから、なんとしてでも総合優勝を目指して死にものぐるいで頑張ります。

玉利 日本のボディビル界、およびあなたたちに続くビルダーに対するアドバイスをひとつ。

榎本 私はまだ人にアドバイスする資格はありませんが、お願いとして、ユニバース・コンテストにぜひ日本人のジャッジが1人でも2人でも入ってもらえれば、選手にとってはどれだけ心強いことかと思います。

玉利 ユニバースのジャッジはどんなふうな人が基準になって構成されているんですか。

杉田 詳しいことは知りませんが、いろんな国から出ています。だいたいヨーロッパが主体に選ばれているようですね。
 選手のからだのレベルとかポージングについては、すでに世界のどこにも負けないと思いますので、特別にアドバイスすることもありませんが、榎本君もいっていたように、日本からも何人かぜひジャッジとして参加して欲しいと思います。
 日本のコンテストのやり方とはだいぶ違う点もありますし、どちらが良いとか悪いとかは別にして、国際コンテストのジャッジの仕方を実際に経験してもらえればいいと思いますね。

玉利 須藤選手なにかひとつアドバイスを。

須藤 私は小さいとき体が弱かったので、なんとか人並みに体を強くしようとしてボディビルを始めたんですが、もちろん世界最高を争うようなビルダーになれるとは夢にも思いませんでした。人間なんでもコツコツ真面目にやっていれば夢のようなことでも必ずいつか達成できるということを痛感しました。そして、それが人間的に大きくなることにもつながると思います。

玉利 さっきも体協の千葉事務局長の質問に対して「一般にボディビルといえば一部の選手だけのものというふうに誤解されているが、決してそうではないんだ」と答えたんですが、いま須藤選手の話を聞いていると、弱い体を強くしようとしてコツコツやっているうちに、世界のトップ・ビルダーといわれるようになれたというところに、ボディビルの特殊な性格があると思うんです。こういう面が日本のボディビル界にとっても、スポーツ界にとっても大きな教訓だと思います。
 他のスポーツでは生まれつき運動神経が発達している人とか、体力的にすぐれている人がやるという傾向があるんですが、こういう面でボディビルとは大きく違いますね。

杉田 話はちょっと変わりますが、今度の大会のプロで優勝したフランスのサージ・ヌブレが、NABBAの加盟国で連絡をとり合って、ミスター・ユニバース、もしくはこれに準ずるような大会を各国持廻りでやりたい。できたら第1回大会を1978年には実施したいといっていました。

玉利 そうですか。それはぜひ実現したいですね。私は理事長としての立場上、軽々しいことはいえませんができたらその1978年の第1回大会を日本で開催したいですね。
 いずれにしても夢は大きくなければいけない。つねに前向きの姿勢で夢をもって進みたいですね。とくに現代は青年にロマンが欠けているといわれています。皆さんは裸一貫でそのロマンを勝ちとってきたんだから、大いに胸を張って、後につづくビルダーたちに同じような夢を与えるとともに、選手としての勝利を今後の現実社会の闘いに生かして真の人生の勝利者になることを期待します。
 これで一応、ユニバース・コンテストの帰国座談会を終りますが、最後に、直接ボディビルとは関係ありませんが、ファンの皆さんも気にしていると思いますので3選手の結婚の見通しなどについてひと言ずつお願いします。
【総合審査で比較審査を受ける杉田とデール・アドリアン】

【総合審査で比較審査を受ける杉田とデール・アドリアン】

ボディビルー筋 当分結婚はしません

杉田 結婚については、いまはまったく考えていません。僕がいま一番大事にしているのは自由なんです。結婚することによって、いい面も悪い面もあると思いますが、なんといっても、いくらかは生活が束縛されると思うんです。当分、ボディビル一筋でいきたいと思います。

玉利 なかなか面白い意見ですね。自由というと、普通は何ものにも束縛されないということなんだが、杉田選手は1日に5時間もボディビルに束縛されているのに、それを少しも束縛されていると思わないというのは、杉田選手自身がボディビルが好きで、自分の意志で選んだものだから、これは束縛ではないというわけですね。
 次に須藤選手、お嫁さんはいつごろもらうんですか。

須藤 私はおやじと2人っきりの生活ですし、年令からいってもボツボツ考えなければいけないんですが、まだユニバース総合優勝という目標もありますし、その辺、いろいろと頭を悩ましています。

玉利 最後に榎本選手は?

榎本 ここ2~3年はほとんどボディビルを主体にやってきましたし、昨年、父を亡くしていますので、ここらで仕事の方にも力を入れなければならないので、いまのところ結婚ということは考えていません。

玉利 帰国早々、お疲れのところをありがとうございました。これからもひとつ日本のボディビル界のために大いに頑張ってください。
月刊ボディビルディング1976年12月号

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