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「続」南海先生の独り言

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月刊ボディビルディング1976年12月号
掲載日:2018.08.16
"見せかけの筋肉"でないことを立派に証明してくれた
ルイス・フェリーノ
国立競技場指導係主任 矢野 雅知
 先日、久しぶりに南海先生のお宅へ遊びに行ってきた。例によって少々酔っぱらっていたが、あいかわらず威勢がいい。そこで、今回は再び南海先生にご登場願っていただき、言いたい放題のことを語ってもらおうと思う。
 まず、開口一番、南海先生は「ワシャうれしい!」とくる。何がうれしいのかと聞き返したら、「まあ、そこへ座れ。ジックリ話して聞かせよう」というわけで、結局夜明けまで酒を飲みながら、南海先生のありがたいご高説を聞かされるハメになった。
 それはザッとこんなものであった。

まだ解けぬ ボディビルディングの誤解

 ワシはボディビルディングの研究をはじめて数十年になるが、今だにボディビルディングに偏見を持っている奴が多いのに驚ろかされる。それも学識経験豊かな、したり顔をした連中にも遅れたのがいるのだから嘆かわしい。いや、嘆かわしいというよりも、はなはだ遺憾である。つらつら考えてみるに、ワシが戦前から「少年よ大志をいだけ、青年よボディビルディングでからだを鍛えよ」と機会あるごとに述べており、戦後は窪田教授らがボディビルディングを含めて体力トレーニング全般を確立してしまったというのに、何たるザマじゃろうか。これはどうもボディビルダーの逞しいからだつきをみて、劣等感をいだいている結果としかワシには思えん。

「あんなからだはなんにも価値がない」と批判することで、自分をなぐさめている、と考えられんこともないじやろうが。ひどいのになると、「ウェイト・トレーニングをやると太くて短かい筋肉になるが、細くて長いのが質のいい筋肉なのだ」と、さももっともらしいデタラメを吹聴するエライ人もいる。

 どうやらこれは、日本だけでなく世界的な傾向であるようだ。ウェイト・トレーニングに関する迷信は、科学的なメスが入れられて次々と打破されてしまったというのに、ヨーロッパやアメリカあたりでも筋肉の発達したボディビルダーを見ると、なんとなくウサンくさい顔をするのがいる。これはボディビルダーの態度その他にも責任の一端があるかもしれない。

 それはさておき、鼻を垂らした子供達が、ボディビルダーをみるとワッと集まってきて、眼をかがやかせて単純にうらやましがるじゃろう。実は、この子供達の純真な反応こそ人間らしい心のあらわれとワシはみとる。男は強く逞しくなけりゃいかん。それを外見ではっきり示しとる典型がボディビルダーだから、人間の本能的欲求を刺激するのじゃろう。

 そんな純情無垢な子供達も成長するにつれて、「ボディビルダーはただ筋肉が太いだけのもんで、まったく役に立たない」という考え方にそまってしまうのだから恐れいる。やはり社会的風潮がまだまだ進んでいないからじゃろう。

 ワシのようにこんな欝憤をいだいているボディビルダーも多い。ミスター・ユニバースの巨漢ルイス・フェリーノもその一人だ。フェリーノについては今さら申すまでもないほど将来を最も期待されてきたボディビルダーで、まだティーンエイジャーの頃から”第二のシュワルツェネガー”とか、”シュワルツェネガーを破れる男”とかいわれてきた。しかし、今のところシュワルツェネガーの軍門にくだっているが、彼の秘めたる素質はまだまだ伸びるじゃろう。そんな彼に「スーパースター」への参加招待状が届いたのじゃ。

ルイス・フェリーノ ”スーパースター”への参加承諾

 スーパースターはご存知のように、アメリカでテレビ放映されるビッグ・イベントで、各スポーツ分野のチャンピオンたちを一同に集めて、いろいろのスポーツを競争させるものである。フェリーノはこのスーパースターへの参加を承諾した。
 
 スーパースターが行われる前の月、すなわち1976年1月に「スーパースターに参加する中で、競技者でないといわれているのがボディビルダーなのである」とフェリーノは憤慨している。そして「ボディビルダーはウェイト・トレーニングをする前はだいたい不器っちょである。しかし、柔軟性を維持しようとしてウェイト・トレーニングをはじめれば、それは望み通りになるとボクは断言できる。ボクはこのスーパースターに参加して、昔からいわれているマッスル・バウンド(筋肉が硬くなって関節の柔軟性が低下すること)のイメージをぬぐいさってやろうと思っている」と言ってのけた。
 
 彼は、今まで競技スポーツなどやったことはないが「ボディビルディングで、出来ないことは何もない。どんなスポーツにもあてはまるということを、テレビを通じてみんなの前で証明してやろうと思う」というように、彼は自分の運命を変えたボディビルディングの力を信じていた。だからABCテレビからのスーパースターへの招待を受けたのである。

 フェリーノはボディビルディングをやる前は、身長こそ1m96cmと高かったが、体重は76kgしかないヤセッぽちであったそうじゃ。こんな体格だったので、数年前までのフェリーノはとても競技スポーツで活躍するような見込みなどありはしなかった。あまりにおそまつな体格だったので、ブルックリン地区のフットボール・チームに加入することができなかった。せいぜい駐車場の空地でボールでも蹴とばしてるしかしようがなかったのである。

 そんな彼を励ましたのは、ニューヨーク市警察に務める彼の父親だった。父親は、こんなからだつきではダメだといって、ウェイト・トレーニングをやらせたのである。そして、わずか数年のちにはティーンエイジ・ミスター・アメリカに選ばれたのじゃ。そしてミスター・アメリカになり、ミスター・ユニバースには2度も優勝している。それもコンテスト史上例がないほどの巨体をもったミスター・ユニバースである。

 フェリーノはスーパースターへの参加を決めると、さっそくフロリダの南サラソタへドライブして自転車で走り回り、砂浜をジョッギングしてみたそうじや。他のスーパースターの出場者たちも、もちろんこれにそなえて数ヵ月間の練習を積んでいた。しかし、フェリーノは招待状を数週間前に受けたので、十分な練習時間をとることができなかったという。
 
 参加者は多彩である。たとえば、走幅跳の前世界記録保持者で2度もオリンピックのメダリストになっているラルフ・ボストンや水上スキーのチャンピオン、20歳のウェイン・グリムディッチ。ナショナル・フットボール・リーグのニューヨーク・ジャイアントのスター選手タッカー・フレデリックソン、そして映画スターで昨年有名人の参加するスーパースターのチャンピオンとなったロバート・デュバルetc,etc。
 
 スーパースターのルールは、全10種目のうちから7種目のポイントを競うものである。ただし、野球のレギー・ジャクソン選手はバッティング競技はダメ、テニスのアーサー・アシューはテニス競技がダメ、ネルソン・バートン・ジュニアはボーリングがダメというように、各自の専門スポーツには参加できない。
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みせかけではなかった筋肉 予選を1位で通過

 こんなことで、いよいよスーパースターは開始されたのじゃ。フェリーノは競技が始まる前に、次のように言っていた。
「ボクはみんなが心の中で考えていることが解っていた。観衆は『面白い!筋肉だけのバケモノが、どんなことができるのか見てやろうじゃないか。奴は恐らく筋肉が硬くてスピードなんかない。ノロマな動きしかできないだろう。だいたいスーパースターで各界のチャンピオンたちと一緒に競争するなんてことはムリなのサ。まあ、あいつにそのオロカサをわからせてやるためにも、ここで闘うチャンスを与えるのもいいじゃないか』といっているのを知っているだけに、かえってファイトが沸いた。そんなことはない!そんな考えは全く違っていることを教えてやろう。ボクはボディビルディングを信じている。ボディビルディングの力をわからせてやる!!」

 ウーム、りっぱじゃ。フェリーノという青年が気に入ってしまったワイ。この心意気にワシは心を打たれた。もしこの会場にワシがいたならば、ねじりハチマキで大声援を送ってやる。そして、観衆に向って「ボディビルダーの筋肉は見せかけではない」と英語で一席ぶってやまぬところじゃった。ま、そんなことはともかく、出場選手は彼のとてつもない筋力とスタミナにビックリさせられたことは確かであったようだ。

「ボクにとっては初めての競技種目が多かったが、ボクの筋肉は動きは早いし、弾力性に富んでいることがわかった」とフェリーノはのちに語っている。

 予選は、まずボート・レースから始まった。フェリーノはペンシルバニアの花形プロフットボーラーであるレイン・スワン、ボクシングのへビー級のケン・ノートン、その他3人の選手と対戦した。

 スタート前は、童顔でもの静かなミスター・ュニバースはまるで負け犬の役割をおおせつかっているかのように思えたそうじゃ。観衆は彼には注目していなかった。が、しかし彼はボート・レースでは37秒84のコース・レコードを記録した。リフティングではもちろん簡単に勝った。半マイル・レースも大きな男としてはすばらしい速さであった。自転車でもベテランのようにウマかったし、ベース・ボールでは打ったタマが見えなくなるほどの勢いであった。ボーリングでも166点を出して第3位となっている。

 とにかくフェリーノは予選を第1位で通過するという勢いであった。ボーリングのチャンピオン・プレーヤーであるスワンは「フェリーノは恐ろしい男だ。彼は我々を吹きとばした。私が3位になれたのは、まったくラッキーであった。ミスター・ユニバースは明らかに競技者である」と語っている。

 彼を「恐ろしい」と表現しているが、フェリーノが闘争的なファイトマンであったからじゃろう。フェリーノは「ボクはイタリアとユダヤの混血として生まれたせいか、子供の頃はひじょうに闘争的だった。それでずいぶんトラブルを引き起したほどききわけがなかった。だが、ボクのオヤジさんは、先生が特別学校に送れという意見をガンとしてはねのけた。だから、ボクは一番前の席に座って先生の話を聞かなくてはならなかった」といっていることでもうなずけよう。
【障害物レースでは見事優勝】

【障害物レースでは見事優勝】

【ボート・レースではコース・レコードを記録】

【ボート・レースではコース・レコードを記録】

決勝では失敗つづき それでも総合7位に入賞

 そして2月21日~22日の決勝でのフェリーノは、ダラスのサッカーチームのチャンピオンであるキュール・ロート・ジュニアや、ナ・リーグのホームランバッターのフィラデルフィア・フィリップスのマイク・シュミットと共に目立つ一人であったという。

 フェリーノは再び半マイル・ランニングをやる代りにテニスを選んだ。というのは、彼は次の自転車レースのために脚のエネルギーを温存しておこうと思ったからじゃ。しかし、彼はサッカーのニューヨーク・コスモスのボブ・リグビイに敗けてしまった。ボート・レースは次だった。身長で15cmも低く、体重でも30kg以上も軽いスキージャンパーのウェイン・グリムデッチと接戦のすえ第2位となった。フェリーノは広い肩が風をもろに受けてしまい、彼の重い体重でアルミ製のボートはズシリと沈んで抵抗が大きかったこともある。それにひかえてグリムデッチはうづくまるようにボートを漕いで風の抵抗を少なくして、ストロークもフェリーノと違って短かくウマかったそうじゃ。

「ボクの腕は死んでいた。まったくテクニックがなっていなかった」とフェリーノはしきりと反省したそうじゃがそれもそのはず、「今までボートなど一度も漕いだことなどなかった」という。ということは、ボディビルディングが生んだパワーで第2位となったわけである。その効果は今さらながら大きいと思ったようだ。

「彼(グリムデッチ)は十分に休んでいたが、ボクはわずか15分間の休憩しかなかったので、まだ疲れが残っていたので大きなマイナスになった」といっているが、それにしてもフェリーノは健闘したといってよかろう。

 ウェイトリフティング競技は、ミスター・ユニバースと砲丸投げの世界記録保持者グライアン・オルドフィールドの勝負となった。結果は140kgでケリがついた。フェリーノはこの重量に失敗したが、オルドフィールドはみごとに差し上げた。「ボクはオルドフィールドに比べたら、あまりにウェストとヒップが小さすぎた」と説明している。また、「オルドフィールドは砲丸投げのパワーをほとんどこのプレスで獲得しているのだから、いってみれば専門種目だ。ボクはボディビルダーで彼はウェイトリフターのようなもんだ。彼は砲丸を投げるためにいろいろのプレス運動をしているからボクは2位になっただけで満足さ」とも言っている。
 
 このオルドフィールド選手は、肩からのジャークでは180kgを楽々とやるそうじゃ。たしかに砲丸投げの選手というのはすごいパワーを持っている。へたなウェイト・リフターよりも素晴らしいリフティング記録を樹立できるじゃろう。
 
 ワシは以前、オルドフィールド選手のトレーニングをみたことがあるが、ケタはずれのパワーを持っておった。ワシも往年のパワーを持っとったら挑戦してみたくなるところだ。なにしろ彼は身長2mを超える巨漢だから、インクライン・ベンチ・プレスでも200kg近くを差し上げていたと記憶しとる。それだけすごい世界記録保持者がフェリーノについて次のように語っているのが印象的じゃった。

「彼の信じられないほど発達したからだを見たとき・・・・・・私は畏敬の念さえいだいた。それはまるで、オリンパスの丘からゼウスが現われたような衝撃を私に与えた。このとき、ボディビルディングは素晴らしいものだとつくづく想ったものである」

 彼はまた、「私は自分の専門スポーッでチャンピオンになったのは、ボディビルディングによるものだった。ウェイト・トレーニングによるボディビルディングなしには、とてもチャンピオンにはなれなかっただろう」とも述べている。よき言葉じゃ!ボディビルディングのよさは、この彼の言葉に集約されよう。味のある言葉じゃのう。

 さて、次のボーリング競技は、フェリーノにとってはまったくの悲劇となった。ウワーッという観衆の熱気の中で動揺したのであろうか、フェリーノはたった119点しか出せなかった。予選では166点も出しており、練習では200点以上もマークしていたのである。まったくパッとしない成績となった。しかし彼は、「ボクはもっと練習を積めばケッコウ目立ったボウラーになることができると思う」と述べて、あまり気にしていないようすであった。

 ベースボールのバッティング競技は最終日の最初の種目である。ここで彼フェリーノは失敗をやらかした。簡単に凡フライを打ち上げてしまい、ファールになればよかったのだが、風に吹きもどされて内野に入ってしまうというもったいないものだった。フェリーノは「ボクは力みすぎていた」と嘆いたそうだが、「彼はあれだけ筋肉が発達しているのにもかかわらず、ベースボールのようなスポーツに必要とされる弾力性をもっている。バッティングのスイングはとてもスムーズであった」とオークランド・アスレティックスのホームラン・バッター、レッギー・ジャクソンは語っている。

 フェリーノは半マイル・ランニングでは、2分21秒25の記録で第5位となった。

「ボクは他の人よりも大きな体格をしているが、この種目では優勝してやろうと狙っていたので、5位では満足できなかった。ボクはもう少し長い距離の練習をやれば、この記録はカンタンに破れると思う」と説明している。しかし、各界のチャンピオン達と闘って第5位とは、たいしたものである。競技スポーツの選手でランニングをやらない者はまずない。それも、それぞれのスポーツ分野でのチャンピオン達ばかりである。そんな中で第5位とはたいしたもんだといってよいとワシは思う。

 自転車レースは自動車レースを想わせるほどスピード感にあふれていた。技巧派のバイシクル・レーサーは先頭には立たない。先頭に立ってしまうと風圧をもろに受けてしまうので、はなはだ不利である。しかし、フェリーノはそんなことにはおかまいなしに、脚のパワーではじめからトップに躍り出て、ぐんぐんスピードを上げた。彼は3周目までラップを取ったが、ラスト4周目でサッカー・プレーヤーのボブ・リグビイに抜かれて2位となった。彼のタイムは2分38秒16であった。とにかくフェリーノのハイペースに引きづられて、上位5人までがコース・レコードを樹立するという激しいものであった。

 最後の障害物競争では力闘して勝利を得た。ミスター・ユニバースは胸でテープを切ると、高々と手を上げて勝利のVサインを示して、すさまじい歓声を受けたそうじゃ。

 輝けるオーバーロールのスーパースターの座にはサッカーのロート選手がついた。ハードルで勝利を得たスワンは第2位となった。彼は予想していたよりもリッパな成績を残してくれた。「ボディビルディングを7年以上やることで、ボクは世界で最も発達した完成したからだのゴールに近づいてきた。ボクはこの自分のからだで、どんなスポーツにも挑戦できることを証明できるだろう。そして、ボディビルダーは世界で最もパーフェクトな競技者であることを証明したい」と言っていたフェリーノは、ミゴトにその大役を果たしてくれた。

 戦いすんで、フェリーノは「ボクは自分の能力を確かめることができた」と言っている。そして、「もしボクは1年間その種目の練習をしたら、全てに勝つことができると確信を得ることができた」とたのもしい発言もしたそうじゃ。オーバーロールのスーパースターとなったロート選手は、これに同意するかのように、次のように述べている。

「私はフェリーノにバインシクル・レースで35ヤードも引き離されたとき、後ろから彼のパワフルな動きをみて、彼は素晴らしい競技者であると知った。彼は私を驚ろかせた。私もボディビルダーは筋肉だけが発達したものだと考えていた一人であった。しかし、それはまったくの誤解であることを、彼に思い知らされた」

 こうしてフェリーノはリッパに目的を果たしたといえよう。ボディビルダー諸君は、彼の努力に拍手を惜しんではならんじゃろう。

 ところで、スーパースターでフェリーノが活躍せずとも、やはり彼の鍛えられたからだは専門家の眼には注目されていたようじゃ。パワフルな攻撃で有名なアイオア州立大学を含むいくつかの大学から、フェリーノにフットボールへの勧誘があったが、これまでそれには応じてない。彼はプロのフットボールでもプレイできるとさえ考えている。またプロレスからも誘いがあり、ハリウッドからも話しがあった。フェリーノは次のように言っている。「ボディビルディングは、最大の精神安定剤だ。ボクは自分自身と戦っている。それが好きだ。とてもボディビルディングをやめる気にはならない」

 また、彼はミスター・ユニバースに優勝したときにもこのように述べている。

「ボディビルディングこそボクの血をにえたぎらせる人生で最も大切なものである。ボクはボディビルディングをやっていることに誇りをもっている」

 えらい!彼こそボディビルダーの鏡じゃ。ワシャうれしい。「ボディビルディングをやることに誇りを持っている」と堂々と言えるように、全てのボディビルダーは誇りをもって取り組んでもらいたいとワシは思っとる!

× × ×

(このあたりから、がぜん声が高まってきて、一段と酔いがまわってきたようなので私は退散した。あの調子では、南海先生は一人でもしゃべり続けたことであろう。それにしても、ボディビルディングをこよなく愛し続ける南海先生のような飄逸な奇人は、今の世の中に絶対に必要な存在であると感じたものである)
【自転車レースのスタート前の一瞬】

【自転車レースのスタート前の一瞬】

月刊ボディビルディング1976年12月号

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