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南海先生ヨーロッパ旅行
随行記

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月刊ボディビルディング1977年9月号
掲載日:2018.07.02
国立競技場指導主任 矢野雅知
「旅に出る」こういって南海先生は,突然立ち上った。
「旅って,どこへ行くんですか?」
私はいささか驚いて尋ねた。南海先生は, とにかく何をやりだすのか,常人では理解できない人だ。
先日も、「ちょっと邪馬台国まで行ってくる」というと,西日本を数カ月ほど歩き回って、「やはり卑弥呼の基は見つからんかった。卑弥呼め,どこへ行きおったか!」と酒を飲みながらブツブツいっていた。
 かとおもうと,翌日は,ある大学のキャンパスにのり込んで,ゲバ学生を相手に「貴様らは,からだも鍛えんで国家を論じるとは,ふとどき千万だ。そんな貧弱なからだをしとるから,脆弱な思想に走ってしまうのだ……」と一席ぶって,一般学生にヤンヤの喝采を受けた。かと思うと、「ワシは大統領に話しがあってまいったものじゃ」と某国大使館にのり込んで,ひと騒がせしたとも聞く。
 だが,南海先生はやはりボディビルディングのことになると,一段とそのマナザシがするどくなるし,燃えもするようだ。
「どこへ行くんですか?」
私はもう一度尋ねた。
「ウム,まだ決めておらん……」
と答えながら,フロシキ包みを肩にかついで,スーッと庵を出た。私もあわてて後を追った。
 そのままなんとなく羽田空港までくると「そうじゃのう。ひとつヨーロッパでも行くとするか」。ということで2人は機上の人となった。

チボリ公園で怪気焔

まずデンマ ークのコペンハーゲンに着くと,すぐ有名なチボリ公園に出かけた。中央駅と隣り合せのようになっているこの公園は,子供のみならず,大人の遊園地ともいえるところで,夜になるとギッシリ人でうずまってしまうほど賑やかである。ここには,かの有名な「のみのサーカス」があるのだが,現在はすたれて「ねずみのサーカス」となっている。サーカスといっても,小さな小屋の入口に風采のあがらないオッサンが突っ立っており,客が入ればネズミがチョロチョロと動き回るのをみせるだけである。

 以前,窪田教授もこのチボリ公園について述べていたが,その力技のところが面白い。たとえば,太い角材に太いクギが少し打ち込んである。これをハンマーを振り上げて根本まで打ち込めれば賞品がでるというものである。ところが,簡単なようでこれがなかなかウマクいかない。みんなクギをひん曲げてしまう。

 これを見て南海先生,「どりゃ, ワシがやってみよう」とハンマ ーを手に持って,「キェ!!」という何やら神がかり的な気合をはっして,ただの一発でクギを根本まで打ち込んでみせた。まわりで面白そうに眺めていた見物人は,この「キェ!!」という気合にビックリ驚天して,思わずあとずさりした者も何人かいたほどである。店の女性は, 一発でたたき込んだ怪力よりも,老東洋人の不可思議な気合のせいか,しばらく呆然としていた。

 次に,若いヤンキーが5, 6人でワイワイいいながら遊んでいるところがある。ここは重たい鉄製の車輪を手で押して,いっきに突き離すと,それがジェットコースターのように,グルングルンと回転してくるというものである。身長1m90を越えるような大男が力一杯やってみても,2回転までしか出来ない。なかなか3回転はできないようだ。
 ところが,どこにでも力自慢はいるもので,ボディビルディングでもやっているようなイギリス人の若者が,見物人の中から半袖をまくり上げながら出てきた。それが見物人の女性達に投げキッスを送って挑戦。太い腕に満身のカをこめて鉄の車輪を突き出して,美事に3回転させて見物人から拍手がわきおこった。

 これを見ていた南海先生。「どれ,ワシもいっちょうやってみよう」と,スタスタと中央に進み出た。見物人は,東洋から来た小柄な老人を興味深げに眺めている。3回転を成功させた若者が,ゼスチュアたっぷりに「あんたのような年寄がやるもんじゃない。重いからやめとけ!」と,ニヤニヤして言ったからたいへんである。南海先生は烈火の如く怒って「シャラップ!黙って見とれ!!」と鉄の車輪に手をかけると,
「トリャアァ!」
気合一閃。ものすごい勢いで突き飛ばした。老人とはいっても,かつては怪力無双として天下にとどろいた南海先生である。車輪はグルングルンと回って,なんと5回転もしたのである。さすがにこの怪力には私もビックリした。

 「ウォー!?」と見物人はどよめいて,意気揚々として引き上げてくる南海先生のために道をあけた。誰れかが「あなたは何をやっているのだ?」と不思議そうに,みんなまわりに集まってきて.「空手の先生か?」といろいろの質問がとぶ。すると南海先生,大声で「アイアム・ア・ボディビルダー」
と答えた。

震え上がったブラック・ベルト

今やヨーロッパはどこもかしこも空手やカンフー・ブームであるかのようだ。街の本屋の店先には,ブルース・リーの写真集が並べられており,格闘技の映画があちらこちらで上映されている。アムステルダムのオリンピック・スタジアムの正面入口には,「 J UDO」の大きな看板がかかげられているが、それよりもさらに大きな看板で「KARATE」の文字が見える。しかも,「六段○○先生がコーチする」とありがたく書かれている。

 へーシンク,ルスカを生んだオランダですら空手の方が盛んになっているようだ。ローマ などを歩いていると,何かにつけて「空手をやっているのか?」「ブラック・ベルトか?」などと話しかけてくる。
 「ボディビルディングをやっているのか?と尋ねてくる奴は1人もおらんのお」南海先生はつぶやいていた。「どりゃ,ひとつ空手道場でものぞいてみるとするか」というわけで,西ドイツはハンブルグの駅近くにある「空手・柔道・フィジカル・フィットネス」の看板をかかげたトレーニング場に行ってみた。

 ちょうどこの日は空手の練習日であるらしい。50畳ほどの道場では茶色帯のドイツ人のインストラクターの号令で,突き蹴りの練習をやっている。ズラリと並んだ生徒は, 50人近くもいるだろうか。盛況である。なかには10人ほどの女性も加わっている。

 「基礎となる筋力トレーニングをせにゃ, 空手の技は生きてこん。あんなからだつきのものが手足をふり回したとて, しょせんは単なるスポーツ遊戯じゃ。真に武道として空手をやるからには,ボディビルデイングのように,基礎的な体力を十分に養っておかなくてはならん……」
 南海先生がブツブツ言っていると,そんな気配を察っしたのか,ブラックベルトのドイツ人インストラクターがヌーッと前に立ちはだかった。そして「おまえたちは,何やら分ったような顔つきをしているが,少しは空手をやるのか?」というようなことを聞いてくる。それに対して南海先生が,「空手はやらんが,少々のことでは動じないようなからだをもっとる。そんなことより,あの生徒達は,もっとからだを鍛え上げて強くせにゃならんじゃろう」といったので,黒帯先生「この老人が何をいうか!」という顔つきをして,「ではその強いからだを見せてみよ」ということになった。

 私は南海先生のものすごさは過去に何度となく見聞しているので,「あの人は日本では名の通った方である。あまり刺激しないでほしい」とこのドイツの黒帯先生にささやいた。これを聞くと黒帯先生,「何をたわけたことを」と思ったらしく,まず自分の力がいかに強いかみせるといって,フィジカル・フィットネス場,つまり,ウェイト・トレーニング場に入って,50kgほどのバーベルに両手をかけて,クリーンしてみせた。これを2,3度プレスして,ガチャンと下に落とすと,「どうだ!」といわんばかりの顔でみる。

「なんだそんなもの」
 南海先生は,そのバーベルを片手で握ると,サッといっきに頭上に差しあげて,それを上にほおり投げるや,落ちてくるバーベルを両腕を前に突き出して,ガッチリと受止めてみせた。さらに,ベンチ・プレスでいきなり重たい重量にセットして,「このぐらいの重要を受けとめられなくては,相手の攻撃を受けたらのびてしまうぞ」といってベンチにあお向けになってバーベルを差上げるや、それを胸の上にドーンと落とした。むろんケロッとして「どうじゃ、君もやってみたまえ」という。
「NO!NO!」
黒帯先生の態度がガラリと変って、「あなたはスゴイ!」を連発しはじめた。やがて空手の練習をしていた者がみんなまわりに集まってきた。そのため南海先生,ますます熱気をおびて,「ワシのからだをなぐってみろ」と,幾人もの人に胸や腹をなぐらせて,「そんなことで相手を倒そうなどと,夢々おもうな。もっとボディビルディングでもやって太い筋肉をつくって,パワーを増大せにゃならん」と,みんなを叱咤激励する。一同神妙な顔つきで、東洋の怪老人のあやしげな英語に聞きいっている。

 「ことのついでじゃ」といって,サンドバックの方にヅカヅカと歩みよって,ボディビルディングの威力をみせる,といわんばかりに, 「キェッ!」の気合もろとも, ものすごいパンチをサンドバッグにたたき込んだ。バッグは天井近くまではね上って,大きくゆれかえった。
 このものすごい迫力を見せつけられて,彼らはしばらく茫然として立ちつくしていた一一一。

肉体の美学

「古代ギリシャ,ローマ時代の肉体の審美学など観てみるのも一興じゃろう」
 ということで,世界で最も華麗なローマはバチカン宮殿の美術館や世界最大の建造物であるパリのルーブル博物館,そして世界最大規模のコレクションを誇る大英博物館などを観て回った。南海先生はいう一一

「西洋と東洋の肉体美観の大きな相違は,上体もそうじゃが『脚』にあるとワシはみる。たとえばじゃ,日本の肉体美観の典型として,鎌倉時代の金剛力士像,つまり仁王像をみた場合,ひじょうに『脚』がどっしりとして力強い。これだけ迫力ある脚は,西洋の文化には見い出せないじゃろう。

 だがしかし『上体』となると話が変ってくる。さしもの仁王像にしても,肩,とくに僧帽筋などはよく発達して,力強さがみられるが,上背の筋肉が強調されてないものとなっておる。とくに定慶作の金剛力士像などにみえる胸部は発達不足だし,人体解剖学の見地からみて,やや不可思議に思えるところもある。だいたい五頭身ぐらいのプロポーションで脚や肩(とくに僧帽筋)の発達した肉体美観というものは,日本古来の角力取りの肉体に通ずるものであり,その肉体が強調されたから,上背,胸部がやや不均衡なものとなっているのであろう。

 それにひきかえ,すでに古代ギリシャの彫刻にみられるように,胸部がじつに自然な形で発達した表現がなされている。全体的にも機能的な美しさが感じられる。上背部もよく表現されて,へラクレス像などは,いわゆる逆三角形となって今のボディビルダーに共通するものが生まれている。これは,すでに古代ギリシャ時代から肉体鍛練をかなり行なっていたという証しになろう。この時代には,すでに筋肉増強のために抵抗運動がとり入れられていた。そういった具現者が存在していたから,ポリュクレイトスのようにリアルな彫像が残せたものと思われる。それでも, さすがに現代のボディビルダーのように,からだのすみずみまで筋肉が発達しきったものはいなかったようじゃのう。今のトレーニングと違って,器具もなかったじゃろうし,多角的に鍛え上げるすべを知らなかったのだから,無理もないが…。

 ま,いずれにせよ, ノコギリひとつを考えてみても, 日本では上腕二頭筋を働かせるように『引いて切る』が,西洋は上腕三頭筋を働かせて『押して切る』というように違っている。

 こんなことからも当然,肉体の機能も若干の差が生じて,筋肉の発達も異なってくるじゃろう。角力取りのように,お互いがぶつかり合って,土俵の外に突き出してゆく肉体と,組み合って力で相手をおさえつけてゆく西洋のレスリングのような肉体とでは,上体や下体の機能も筋肉の発達にも相違点が出てくるものじゃ。それにしても,こうしてみると面白いものだのぅ」

 このような南海先生のいささか独断に満ちた感想に,私は何となく分ったような分らないような気持ちであった。だが,山門などにデーンと構えている仁王像を思い浮かべてみると,からだの筋肉の発達がどうとかというよりも,それ以上に迫力を感じるのは,仁王像の「顔」である,と思わざるおえなかった。これだけ強烈なイメージを与えるものは,私の知る限りでは西洋にはない。そんなことを想いながら,ふと南海先生の容貌に目をとめて,「ウーム,これこそまさしく生ける仁王像だ!」と,妙に感心した次第である。

 いにしえの美学を見聞して,現代の肉体美学を推し量ることで,わかったような顔をするより,現代のヘラクレスたちをパッと見た方が,私にははるかに刺激がある,と思っているとき,ちょうどパリはシャンゼリゼ通りの映画館で,アーノルド・シュワルツェネガーらの出演する「パンピング・アイアン」が上映されていた。この映画はアメリカでかなり注目を集めたものである。しかしながら,日本ではまだまだ一般にボディビルディングへの意識が低いので,上映されることはないのではないかと思えるので,次回はこのパンピング・アイアンを,南海先生の感想をまじえながら誌上に再現してみたいと思う。
月刊ボディビルディング1977年9月号

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