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★第7回世界パワーリフティング選手権大会報告★
世界の怪力オーストラリアに結集

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月刊ボディビルディング1978年2月号
掲載日:2018.07.02
〈日本選手団長 山本政行〉
 前号では大会第2日目のフェザー級のところまで書いた。今月号は同じ2日目の後半のライト級からスーパー・へビー級まで、そしてお別れパーティーの模様などを書いてみたい。
 このライト級は、過去の世界選手権でも出場選手が最も多いクラスで、今大会もまた10階級中一番多かった。それにともなってこの激戦区ライト級の記録の向上がまた凄まじい。なんと6位までがトータル600kg以上の記録を出している。日本の第1人者、長野武文選手が前大会より15kg伸ばし、555kgの記録を出しながら、順位は逆に6位から9位へ後退しているのだから、惨敗としかいいようがない。
 アメリカのガーグラーが平均して強く、トータル652.5kgで優勝、2位はカナダのモイヤー652kg、そして地元オーストラリアのウイルソンが猛烈な声援に応じて642.5kgをマークして3位となった。
 武田選手はデッド・リフト222.5kgを3回とも失敗して失格となってしまった。彼のデッド・リフトは挙上途中でわずかに止まるクセがあるので注意はしていたが、試合になると、あきらかに止まってしまう。結局、3回とも同じような経過で、最後まで持ち上げて直立姿勢になったが、レフリーは厳しかった。
 失格者だけは出すまいと思っていたが、残念ながら出してしまった。本人に慰めの言葉の1つでもかけてあげようと思ったが、武田選手はいたって元気で、「最初で最後の世界選手権に失敗したことは残念だが、この大会に出ただけでもうれしい」と、案外さばさばしていた。
 一方、長野選手は、スクワット215kg、ベンチ・プレス140kg、デッド・リフト200kg、トータル555kgで9位であった。試合後、長野選手は「600kg以上出さないとはずかしくて出場できない。来年は600kgを目標にもう一度やり直しだ」とつぶやいていた。
 それにしても、このライト級あたりから、日本のレベルと世界のレベルはだんだん開いてくる。いまの段階ではとにかく歯が立たないという感じだ。
 夜になり、ミドル級が開始された。このクラスには土屋選手が出る。明日のライト・へビー級以上には日本選手はエントリーしていないので、日本選手では彼が最後である。それで全員がセコンドについた。
 例年だとミドル級もライト級同様に出場選手の多い激戦区なのだが、今大会はどうしたわけか少なかった。その上、欠場者が4人もいたので、試合の興味はいささか薄れたが、優勝争いだけは面白かった。
 試合前から優勝候補No.1とみられていたイギリスのフィオアがやはり強く2種目終ったところで2位以下を大きく引き離して断然トップ。誰もがフィオアの優勝間違いなしと思っていたにちがいない。
 ところが、この時点でフィオアに40kgも離されて4位にいたアメリカのローデスが劇的な逆転をやってのけたのである。
 フィオアが最後のデッド・リフトで255kgをマークし、トータル702.5kgで終ると、ローデスは265kgからスタートして、2回目285kgを決めて2位を確保したあと、3回目は297.5kgに挑戦した。これに成功すると705kgとなり逆転優勝である。これはもちろん、ローデスのイチかバチかの作戦である。
2回目の285kgも、成功したとはいえかなり重そうで、かろうじて成功したという印象が強かったので、それより12.5kgもアップした297.5kgは、とうてい無理だろうと思はれた。
 ローデスはバーベルに手をかけるや「ヤー!」と大きな気合をかけて引きはじめた。いかにも重そうで、それにスローテンポなので、膝まで上がれば上出来だと思っていたが、膝を通りすぎても同じテンポで上がりつづけ、ついに最終姿勢をとってしまった。あまりのスローテンポで、判定が気になったが白ランプ3つ。成功である。
 観客は床を踏みならし、大歓声をあげて大さわぎ。ローデス自身もこの奇蹟的大逆転に夢のような気持だったにちがいない、リングで飛び上がって喜んでいたのが印象的であった。
 土屋選手は自己最高の605kgをマークしたが、結果は5位であった。しかし、1位に100kgも離されての5位であるから、あるいはラッキーだったかも知れない。土屋選手の場合、なんといってもまだ荒けずりで、若さと経験不足という点を考えれば、非常に可能性を秘めているように思える。その素質には並々ならぬものがあり、あと2年ぐらいトレーニングに励むと、もっと上位にくい込めるような選手に育つのではないだろうか。事実、この3カ月間でトータル40kgもアップしたのだから。
[フェザー級4位・伊藤長吉選手]

[フェザー級4位・伊藤長吉選手]

最終日、驚異的記録続出

 2日目までに日本選手は全部出場したので、この日は全員で観戦。前日までとはうってかわってリラックス・ムードである。
 まず最初のライト・へビー級は常勝イギリスのコリンズが四連勝したが、肩を痛めていたのでベンチ・プレスは160kgで終り、トータルでも795kgと彼にとってはまったく平凡な記録であったが、それでも2位に70kgもの差をつけての優勝だから、当分コリンズ時代はつづきそうだ。
 ミドル・へビー級は、なんといってもバインス・アネロの独壇場である。彼はデット・リフトで3階級(ライト・へビー級、ミドル・へビー級、100kg級)の世界記録をもっており、まさしくデッド・リフター、アネロとでもいいたくなるような体格だ。背中全体にコブでもつけたように丸く背筋が盛り上がり、直立した姿勢でもせむしみたいに前かがみである。
 2種目終ったところでアネロが1位であったが、それでもまだ2、3位は接近しており、一見、激戦のようには見える。しかし、デッド・リフトになると、一挙に2位に60kg近い差をつけての独走となる。今大会で出したアネロのデッド・リフトは367.5kgで、これはスーパー・へビー級でも挙げられなかった記録で、もちろんミドル・へビー級の世界新記録である。
 アネロの興奮がまださめやらぬうちに、舞台は、100kg級へと移った。
 100kg級は、前大会このクラスで優勝したイギリスのジョーダンと、前大会には1クラス下のミドル・へビー級に出て優勝したアメリカのパシフィコとの争いが注目された。まずハシフィコがスクワットで342.5kgの世界新記録を達成すると、ジョーダンも負けじと345kgの世界新に挑戦したが、バランスを崩してバーベルもろとも後ろに倒れ、そのまま動かなくなってしまうというハプニングが起こった。
 この場面は日本でも海外ニュースで放映されたとのことで、ご存じの方もあると思うが、結局、担架で運ばれて退場したので、あとはパシフィコの1人舞台となってしまった。
 このとき、パシフィコはマイクを握って「自分の好敵手、ジョーダンが負傷したのは残念であるが、私はジョーダンの分まで頑張る」と場内に告げて試合を続けた。その結果、スクワット342.5kg、ベンチ・プレス255kg、デッド・リフト337.5kg、トータル935kgという驚異的な世界新記録で優勝した。こうして彼は世界選手権5連勝という偉業をなし遂げたのである。
 つづくへビー級は、これまた常勝アメリカのヤングが887.5kgで優勝したがスタンド・プレーがきつく人気はなかった。867.5kgで2位となったアメリカのパターソンは、アクターばりのマスクと人なつっこさで人気があり、我々日本チームも終始彼を応援した。フィンランドのサーレライネンが健闘して852.5kgを出し、3位に入った。
 夜も深まり、最後のスーパー・へビー級に進んだ。このクラスはなんといってもアメリかの怪物、ラインホルトが大会のフィナーレを飾るにふさわしい千両役者だったが、その彼が引退してしまって、ちょっとさびしかった。そんなわけで、世界新記録は望めそうもないが、新人たちがどんな記録を出すかに焦点が絞られた。
 結果はフィンランドのハーラが935kgで1位、同じくフィンランドのケンパイネルが895kgで2位となり、次の世界選手権開催国フィンランドが1,2位を独占し、気をはいた。そして、トンガのフィリップが887.5kgで3位に入った。
[悔いのない戦いを終って南国の情緒を楽しむ日本選手団]

[悔いのない戦いを終って南国の情緒を楽しむ日本選手団]

団体7位、しかしマナーは1位

 こうして3日間にわたった激戦の幕は下ろされた。大会の成績は別表のとおりである。そして、ベスト・リフターには予想どおりアメリカのパシフィコが選ばれた。
 日本チームはホテルまで3日題の出来事を語りながら真夜中の道を歩いて帰った。南半球にしか見えない南十字星が美しく輝いている空をあおぎながら、夜の更けるのも応れて話はつきない。
 すべての競技が終った次の日、各国選手団、役員たちが集まって開かれたバーベキュー・パーティーは最高だった。試合のこと、それぞれの国の話など語り合い、歌ったり、踊ったり、オーストラリアのギラつく太陽の下での楽しい思い出は、いまでも瞼にはっきり写っている。
 夜は、お世話になった日本人会の会長の家に挨拶に行き、異国での米のありがたさをかみしめながら、みんなメシを腹いっばい食べさせてもらい、オーストラリアの最後の夜は終った。
 さて、今大会の開催地オーストラリアは、これまでの開催地に比べて遠かったためか、参加したのは10カ国、出場選手76名と、比較的少なかったが、全体的にみて、前大会よりレベルがアップし中身の濃い大会だったといえよう。
 団体成績で日本は7位と、いままでになく悪かったが、フルメンバーでなく、7名の参加だったことを考えるとこれもやむをえなかった。しかし、チームワークの良さ、マナーの良さは世界一だったと自負している。事実、各国役員や選手団からも「日本チームはまとまっており、態度もキビキビとしていて実に感じがよかった」と誉められた。
 最後に、初めて団長という大任をおおせつかった私に協力し、ついてきてくれた選手の皆さんに感謝し、ペンを置かしてもらいます。
月刊ボディビルディング1978年2月号

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