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☆ビルダー旅行記☆
ハワイで自由気ままなジム見学と観光の旅

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月刊ボディビルディング1974年6月号
掲載日:2018.08.22
橋本国俊

 ☆気温25度,快適なハワイ☆

 2月9日PM9:30分羽田発のジャンボでホノルルに向けて発つ予定だったが,われら3人組がなんともダラシなく,あんまりのんびりしていたために,これに乗遅れ,次の10 : 30分にようやくすべり込んだ。いくら気ままな旅といっても,これでは先が思いやられるというもの。

 日本とハワイのちょうど中間,日付変更線を通過する頃,機内で食事がでた。まだハワイに着かないうちにアメリカ式のボリュール満点の料理には驚いた。もちろんステーキがついていたのはいうまでもない。

 やがて空も明るくなってきた。みんな上衣をぬいでリラックスな恰好になってくると,だんだんハワイに近づいてくる気配が感じられた。AM 9:30分カウワイ島通過,9:35分,ホノルル空港に着く。以前,グアム島に行ったときは,空港に着くなりムーツと生温かい風が吹いてきたが,ここハワイはすがすがしい春風がそよぐ最高の気候で一生こんなところに住みたいと思ったぐらいだ。

 午前11時ごろ税関をとおり,さっそく市内観光をすることにした。ウェルカム・ランチでスケジュールの説明を聞いているとき、突然スコールとなり10分間ぐらい続いた。日本流に云えば 「きつねの嫁入り」だが,さわやかな気候なのであまり気にならない。ハワイも現在は冬の季節で,日中の気温は24~25度だが,日影に入ればそれほど暑さを感じない。スコールのあとなどは少し肌寒いくらいだった。

 市内観光は,ハワイの史蹟やとくに景色のいいところを案内してもらったので,一層ハワイの素晴らしさが頭に焼きついてしまった。

 そして食べ物ではアイスクリームが最高においしく感じられた。マカダミアナッツが入っているとかで,風味もよく,しかも高カロリーがあって,世界的に有名だということだ。食料品店やスーパーマーケット等いたるところで売っている。

 こうして美しい景色に見とれたり,おいしいアイスクリームを食べているうちに,いつの川にか夕方になってしまった。ホテルに落ちつき,松島君が今後のハワイ旅行の案内役ダノ(元ミスター・パシフィック,ドナルド・チャング,以下愛称のダノと呼ぶ)に電話する。7時頃来るというので,私たち2人は街へ食べ物を買いに行く。

 ちょうど二度目の食料を買いに行って帰ってくると,ダノと奥さんのキャティが待っていた。それからというものは,トニー谷ではないけれど,日本語と英語とチャンポンで,10時過ぎまで一生懸命話し込んでしまった。日中のハワイ観光とおしゃべりで心身ともにクタクタになり,われわれ3人ごろりと横になってハワイでの第一夜の床についた。

 2月10日,8時にはもう目が覚めてしまった。裏のベランダから太陽がサンサンとさしこんでいる。咋日買い込んだ肉やパン,それに果物などを適当に料理して食べ,9時からワイキキビーチで日光沿する。

 われわれも日本では体が大きい方で泳ぎに行ったときなど,ジロジロ見られ,少しは自信をもっていたが,ここハワイでは,2メートル近い大男がゴロゴロいてガックリしてしまった。ちょうどわれわれのすぐ近くで,ものすごいハイ・ウェイトの婦人が4~5人日光沿していたが,自分の体を動かすのにも反動を使わないと動けないようで,まるでアザラシがジャレているようだった。最近,日本でもよく肥満体を見かけるが,アメリカ人の肥満体から見れば,まだまだ足元にも及ばない体質的な違いや,食べ物の違いもあるのだろうが,いずれにしてもこの恐るべき肥満体から逃れるには,トレーニングに励む以外にはないような気がした。

 ワイキキの海辺でいろんな人種の大を見ていると,やっぱり外国に来たんだなあと思う。そして,人種や言葉の違う人々が気軽に声をかけ合って,始めて会った大とは思えないようなリラックスのしかたである。とかく日本人は知らない大とはあまり話したがらないが,旅行先などではもっと開放的になって,積極的に話をすれば,旅行も楽しくなるのではないかと思う。

 明日はダノがいつも練習しているYMCAに行く予定になっている。夜,ダノ夫妻がまたやってきて,YMCAへの道順を書いてくれた。それがまた実にていねいで,最初にバスに乗るときはこの紙を度す,帰りはこの紙を,という具合に,3人がわかるまで何回も教えてくれた。

 寝るまでにまだ時間があるので,みんなで連れだって散歩に出た。ホテルの近くにも日本人相手の店がたくさんある。まだドルと円の感覚が違うのでどうもピンとこない。紙幣の大きさが同じで価値が違うからだろう。つまり50ドルと15.000円,どうしても15.000円の方がたくさんのように思えてしまう。2ケタと5ケタで,ただゼロが多い少ないの違いなのだが,馴れるまではショッピングしていてもまごまごしてしまう。

 ☆トレーニングに国境はない☆

(ハワイYMCAで私と橋本氏)

(ハワイYMCAで私と橋本氏)

 2月11日,きょうはYMCAでトレーニングする日である。昨夜,遅くまで市内見学やショッピングをしていたので少し睡眠不足気味だったが,6時半には起床した。

 ダノに書いてもらった紙を見ながらYMCAにつく。本場のトレーニング場はさぞかし設備も立派で機能的な器具もたくさん並んでいるのだろうと想像していたが,なんと簡素なものばかりで,大阪のジムの方がずっと立派に見えた。ただ,バーベルよりもダンベルが良く利用されているらしく,片方100ポンド(約45kg)以上もあるのがたくさん並んでいた。そして,余分なシャフトは切って,きちっとセットしてあり,練習中に体にあたってしかめっツラをしなくてもいいようになっていた。

 まだ午前9時前だというのに,もう20人くらいの人が来て熱心に練習していた。トミー・コーノ(61ミスター・ワールド)がコーチをしているということだったが,都合が悪くて会うことはできなかった。ここではボディビルダーとウェイドリフターが共存共栄という形でトレーニングに励んでいる。

 ダノも早速トレーニングを始めた。ここで彼の練習のやり方をちょっと紹介しょう。トレーニングは1週6日間である。

 まず準備運動としてシット・アップ10セット,サイド・レイズ10セット,トランク・カール10セット。あまりのすさまじさにまず驚く。トレーニング・パートナーをつとめた松島君(ミスター大阪ジュニアの部3位)は,疲労ぎみで,それに睡眠不足も重なり,コンディションは最低だったが,それでもよく頑張ってパートナーをつとめていた。

 胸のスペシヤライゼーション・トレーニングでは,ダンベル・プレス10セット,ラテラル・レイズ10セット,それらを相当重いウェイトでがんばっていた。プッシュ・アップも10セット加えて基本にものすごく忠実である。そして,いろんな角度から胸を鍛えるようにしていた。

 また,ダンベル・ストレート・アーム・プルオーバーをするが,そのやり方は非常に広い範囲で行うもので,武本蒼岳先生がよくやる方法である。そういえば,ダノも武本先生を尊敬していて,多分それでまねているのであろう。

 トレーニング方法はジャイアンツ・スーパー・システム(同一筋肉群に5種目以上を当て,サーキット・トレーニング方式で行う。インターバルはできるだけ少なく]で,なおかつ重い重量で行うという,ものすごくダイナミックなトレーニング方法である。

 私も負けずにハリー・フー氏と一緒にベンチ・プレスを行う。セット法だが15セット以上行う。そして,重そうに挙上していると,すかさずハリー氏が人差指と中指で補助してくれるし,細かいアドバイスもしてくれた。もちろん,私も彼が練習しているときはパートナーの務めを果たした。こうして,始めは話しにくかった人も,だんだんと打ちとけてくるし,トレーニングに国境はないということを,このときほど身近に感じたことはなかった。

 トレーニングの最終段階に入るころウェイトリフターのジョン・サカマキという日系二世の人が入ってきて,上手な日本語で話しかけてくれたので,そのときはなんだか迷子になった子供が,やっと母親に会えたときのような気持でとてもうれしかった。それまでダノに通じなかったことも,彼が来てからは同時通訳という形で,われわれの語学の不勉強をカバーしてもらうことができた。

☆ところ変われば……☆

 トレーニングを終わってシャワー室に入ったが,ここでもおもしろいことがあった。みんなでリラックスして話をしていると、ときどき「ブーッ」と大きな音がしてくる。われわれ3人は笑いをかみ殺していたが,彼らは゛オナラ″は自然現象だから当然という顔をしているので,なおさらおかしい。もちろん,日本のジムだってオナラをする人はいるが,遠慮なくするその音のスゴサは段違いである。

 ジョン・サカマキ氏の車に乗せてもらいアラモアナ・ショッピング・センターへ行く。さっきのトレーニングで昨日までの疲れもふっ飛んでしまったようだ。このショッピング・センターは大阪千里(万国博会場)駅のセルシーによく似ている造りだった。駐車場も大きく,90店とも150店ともいわれるマンモス市場で,値段もワイキキより2~3割安いようだった。

 帰りはバスでワイキキまで行って,それから自動車を借りてダイヤモンド・ヘッドの方まで足をのばす。途中に広々とした公園があった。一面によく手入れのされた芝生があり,まるでゴムマットの上を歩くようだった。そして,たくさんの人が走っていて,何かテストをしていたので聞いてみると,エアロビクス(有酸素的運動)といって,1マイルを何分で走れば何点というように,トレーニングを点数式に評価した方法のテストをしているところだった。ただ,それに参加している人たちが,アロハ・シャツあり,ジーパンあり,ショート・パンツあり,トレ-ニング・ウェアーありと,年令,性別にかかわりなく楽しそうに運動しているのが印象に残った。

 こんな環境なら誰でも自然と体を動かしたくなるのに違いない。東京や大阪のように,スモッグで空気は汚れてゴミゴミしたところではとても運動する気にもなれない。われわれもつい芝生の上を走ってみたくなり,飛んだりはねたり,3時間はまたたくまに過ぎてしまった。

 ホテルに帰り,買い込んであった肉とパンを食べて,夜また市内見物に出かける。

 夜になるとどこも同じだが,あやしげな女性が街頭に立っている。ハワイは警察が非常に厳しいので,目をぬすむようにして客を引張っていた。そのほか,日本人相手にポルノ雑誌やブルーフィルムを売る店もたくさんあり,社会勉強のためにちょっとのぞいてみた。雑誌なども,エロというよりグロテスクという感じで,とても買って帰る気にはならなかった。

 ハワイに来てきょうで3日目。色も黒くなり,気分的にもリラックスしてきたので,アベックでくればよかったとは3人の弁。11時ごろまで市内をウロついていた。

☆ティミー・レオング・ジム☆

(ティミー・ジムのトレーニング場)

(ティミー・ジムのトレーニング場)

 2月12日。予定を変更して,世界的に有名なティミー・レオングのジムに行く。途中でXLの特大のトレーニング・ウェアーを3枚買う。作りは大まかだが,裏が綿のようで肌ざわりがいいのでもっと買いたかったが,トランクに入るかどうか心配だったのでやめておいた。

 地図を頼りにやっと探しあてたティミーのジムは,なんと昨日来たYMCAのすぐ近くだった。ジムはビルの二階にあり,さすがに世界に名がとおっているだけに立派だった。

 ここでもまた最初は英語になやまされてしまった。ちょうどコーノかカワノかどちらか忘れたが日本人がいて,通訳してくれたので助かった。経営者のティミー・レオングは身長180 cm近くあり,スマートな色の黒い人で,武本先生を細めにしたような感じだった。さっそくジムの中を案内してくれたりいろいろな質問にテキパキと答えてくれた。階段のところには昨年このジムを訪ね,本誌に海外だよりを寄稿した河内山氏の写真もはってあった。

 そのほか,自分のビフォアーとアフターの写真や,13年前にボディビル雑誌の表紙にもなったスティーブ・リーブスと一緒に撮った写真などもあった。河内山氏の写真の横に並んでいたのがダノの奥さんキャティさんだった。よく夫婦でトレーニングに励んでいるという。日本のビルダーも,できれば一番身近な奥さんからボディビルを教えて,美しくスマートにしてあげれば,ボディビルの普及発展のためにも一石二鳥ではないかと思う。現に私も女房に勧め, 150 cmの身長で67kgもあった白ブタが,いまでは48kgと,20kgもの減量に成功し,しかも,体の調子がとてもいいと喜んでいる。

 つぎにビルダーのみなさんが非常に興味をもっているハイプロティンについてティミーに聞いてみた。彼は話の最中でも錠剤のプロティンをバリバリかじっていた。

 アメリカでは数十種類のハイプロティンが市販されており,普通のショッピング・センターにもプロテイン・ショップがある。チョコレートやキャンディーになったプロティンもあるが,やっぱり錠剤が一番いいというので、これを100ドル近く買い込んだ。帰国してから牛乳やチョコレートと一緒に食べているが,あと口が気にならないのがいい。

 テイミーのジムには有名なヨーク・バーベルがたくさんあった。テン・セパレート・マシンやノーチラス・マシンといった最新式の器具も設置してあり,値段は500ドルぐらいとか。日本で販売されているのと少し違ってはいるか,それにしても10分の1の値段にはびっくりしてしまった。ジムを見学するまでにパンフレットなどを集めていたので一目でわかったが,日本の物価高はトレーニング器具にまで及んでいるのである。

 帰りにティミー・ジムのシャツをみんなにプレゼントされ,楽しい有益な1日を過すことができた。

☆ハワイの社会探訪あれこれ☆

 ティミー・ジムの帰りに近くのマーケットをぶらつく。日本人はわれわれ3人だけだと思っていたら,なんと日本女性がいるではないか。女性に弱いのが玉にキズ,さっそくデートを申し込んだらOKの返事。ウキウキしてワイキキでデート。しかし。これがケチのつき始めで,あとはさんざん,いいことなし。

 8時半にワイキキで待ち合わせ,10時ごろまで日航ビルの屋上ラウンジで3対1でデートしたが,いろいろ話をしているうちに遅くなり,送ってやれないので自動車代をやろうとしたら、この誠意が誤解されて頭にきてしまった。腹がたってうろうろしていたらこんどは黒人女性にひっかかり,200ドル近くスラれてしまった。あほらしくて警察にも届けずじまいでガックリ。ホテルに帰ってベッドにもぐり込んだが寝つきはすこぶる悪かった。

 翌13日,寝不足やら腹が立つやらで気分がすぐれない。しかし,帰国も近いのでワイキキ・ビーチで一生懸命に肌を焼き,思いきり遊んで,昨夜の不愉快をフッ飛ばしてしまった。夕方近くなって,美しい外人女性と視線が合うと,昨夜のことも忘れてすぐデートを申込んでしまった。しかし冷静な私の理性はこのデートの約束を無惨にもすっぽかしたのである。

 明日はいよいよ帰国というので,ダノ夫妻がわれわれをレストランに招待してくれた。飲み放題,食べ放題で1人5ドルという安いところだった。それにしても彼らのよく食べるのには驚いてしまった。キャティさんも以前,ミス・ビキニになったとかでスマートだけれど,こんなに食べていればいつかきっと象のように巨大になってしまうだろうと感心することしきり。

 10時ごろまでのんびりして,それからダウンタウンに行ったのだが,それからが今度の旅行のハイライトともいうべき最高のものだった。しかし,それを細かく書いても,真面目な本誌の読者にはあまり興味がないと思うので,ごく簡単に書くことにする。

 ダウンタウンのユニオン・ストリー卜の近くにはゲイボーイというのか,胸もボインで服装もワンピースかなんかを着ていて,声が男性という,気持の悪いのが何人もいた。日本でいうヌード・スタジオのような感じのあやしげなところに入る。学生の宮本君は,こんなところに入るのは始めてだといって不安がり,1人でホテルに帰るといっていやがったが,ダノ夫妻が気をつかってくれて20分ももめたあげく,ようやく決心して入ることになった。ここではブルー・フィルムと実演をやっていたが,私はあいにく目が悪くしかもメガネをホテルに置いてきてしまったので,残念ながらよく見えなかった。尾崎紀世彦の゛愛のテーマ″で始まり゛愛のテーマ″で終わるというなかなか芸術的な演出で,1人4ドルの入場料も決して高いものではなかった。

 2月14日。午前中ワイキキ・ビーチで日光沿。 12時10分,ジャルパック・センターに集まり帰国の途につく。風光明媚な景色,快適な気候,ぜひもう一度遊びに来たい。飛行機に乗ってからも3人はまだハワイのすばらしさでボーッとしていた。

〔筆者紹介〕
ボ歴 大阪産業大学ボディビル・クラブ設立(創立者)
     関西学生ボディビル連盟OB
 日本体育施設協会公認トレーナー
 日本ボディビル協会公認指導員
 日本体育協会公認スポーツ・テスト判定員
月刊ボディビルディング1974年6月号

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