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有名ジム、一流ビルダーを訪ねて アメリカ3ヵ月の旅 <5>

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月刊ボディビルディング1979年12月号
掲載日:2018.08.30
IFBB JAPAN副会長・宇部トレーニングセンター会長
大久保 忠義

サミア・バラーンがミスター・ユニバースに優勝

 1979年度IFBBミスター・ユニバース、およびミスター・オリンピア・コンテストが10月7日、アメリカのコロンバスで行われたが、私のジムの会員、坂口頼孝君が見学して来て、いろいろその時の模様を話してくれた。

 それによると、先月号でトレーニング法を紹介したサミア・バラーン(国籍レバノン、本名サミュエル・バノウト)がユニバースのタイトルをとったそうだ。そこで、彼に関するエピソードをいくつか紹介したい。

 トレーニングを終えたとたんサミア・バラーンの人柄は一変する。恐い顔をして一心にバーベルに取り組んでいた同じ人は思えないほどポンポンとジョークがとび出して、まわりの者を笑わせる。

 一流のビルダーは驚くほど集中力がある。もちろん、サミア・バラーンもそうである。彼とのやりとりで、今でも忘れられないことがある。

 彼は私に向って「ぜひ日本にゲストとして招待してくれないか」というので、「君がユニバースのチャンピオンになったら可能性があるだろう」と答えると、彼は「じゃあ必ず今年度のチャンピオンになってみせる」と言っていたが、そのとおり、見事チャンピオンになった。

 つい先日、彼がチャンピオンになって、すぐ出したと思われる絵はがきがまい込んだ。その中に「あなたと約束したとおりミスター・ユニバースになった。日本にゲストとして行きたい」と書いてあった。

 私が会ったのは今年のはじめだったが、当時、私はサミアが今年度のユニバースで優勝するとはとても思えなかった。それから約半年後、彼は死にものぐるいでトレーニングに打ち込んだのだろう。ついに念願の優勝を果たして世界のトップ入りをした。その執念と集中心に敬服せずにはいられない。何とか近いうちに日本に招待できたらよいなあと思っている。


 話をゴールド・ジムに戻そう。ふと気がつくと、サミアのうしろでマイク・メンツァーらしい男が銀ブチのメガネをかけ、ジャージ姿でニコニコしながら私の方を見ている。顔は確かにマイク・メンツァーだが、あの迫力ある雰囲気はどこにもない。筋肉がほんとうに充実していれば、シャツを着ていてもそれはわかるものである。外人を見ると、とかく同じような顔に見えるのだが、体つきがどうしてもメンツァーとは思えない。ひょっとすると人違いかも知れないと、サミアに聞くと「そうだ、メンツァーだ」と答えた。

 しばらくして、ジョー・ワイダー氏がマイク・メンツァーが女性のトレーニングの指導をしているところを写真に撮りはじめた。私も一緒に撮った。ワイダー氏は、チャンスさえあれば、いかなる場所でも、いかなる時でも写真を撮る。雑誌の編集にかける情熱に対して頭がさがる思いがした。

 つづいてワイダー氏は、ビル・グラントのトレーニング風景やポーズを撮りはじめた。私もグラントにいろいろ注文を出してポーズをとってもらってカメラに収める。世界のトップ・ビルダーの写真がこんなにたくさん撮れたのはまさに幸運だった。

 ビル・グラントは血管が浮き出て、迫力があり、筋肉の発達という面では一流であるが、全身のバランスという点から見ると、まだ未完成である。要するに世界の壁は厳しいということである。

 ビル・グラントは、とても気さくでポーズも気安くとってくれるし、休息時間などには人なつこく話しかけてくる。肌の色はロビンソンほど黒くなく浅黒いといった感じである。

 それにくらべ、ロビンソンは「トレーニング中は絶対に声をかけたり、写真を撮ったりしないでほしい」といって、まさにトレーニングに没頭しているという感じだった。

 でも、決してえらぶっているのではない。恐い顔つきとうってかわって、いたって気の弱い面がある。何がそうさせているのであろうか。1つには、彼が合成ステロイドを多く使用しているためではないかと思う。

 これはテロイドのせいかどうか知らないが、ロビンソンは心臓が悪くときどき発作で倒れることがあるという。以前に何回か、心臓発作でゲスト出演を約束しておきながらスッポかした前歴もある。

 私がゴールド・ジムでロビンソンに会ったとき、「松山さんからの手紙によると、君にゲストとして来日するように要請したそうだが・・・・・」と聞くと「昨日、よろこんで行くと手紙を出したばかりだ」と答えた。「それは大変ラッキーだ。きっと日本のビルダーは飛びあがって喜ぶだろう」と言っておいた。ところが、結局は来日しなかった。これらのことから、ある種の引け目があって、コンテストなどに対してなんとなく元気がないことが多いようである。

アメリカにおけるステロイド

 ゴールド・ジムで練習しているビルダーの間では、ステロイドを使うことは常識であり、私が「そんなものは一度も使ったことがない」というと「お前はバカか!」という人さえいた。そこで、アメリカのビルダーがどんな具合にステロイドを使っているか少し書いてみよう。

 まず、ステロイドを手に入れるためには医者の診断書が必要である。私が見たステロイドは、4ミリほどの隋円形の錠剤で、ふだんはこれを毎日2個ぐらいとる。そしてコンテストの約1~2ヵ月前からカットをつけるために6個から10個にふやす。

 だが、このように大量のステロイドを使用することは大変危険であることを知って欲しい。アメリカでも、医者のチェックなしで使用をつづけ、廃人同様になった人が何人もいるという。サミア・バラーンのように、合成ステロイドを極端に嫌うビルダーでも、立派にユニバースのチャンピオンの座に着いた者もいる。
[1979IFBBユニバースで優勝したサミア・バラーン]

[1979IFBBユニバースで優勝したサミア・バラーン]

1979年度ミスター・オリンピア

 さて今回は、特別に今年度のミスター・オリンピアについて書くことにしよう。初めに言ったように、宇部トレーニング・センターの会員で、宇部短大の坂口頼孝講師がつぶさにオリンピアを見学してきた。その話を総合してみると次のようだったらしい。

 優勝はフランク・ゼーンで、3年連続チャンピオンに輝いた。優勝賞金が5万ドルだから、彼はオリンピアだけで15万ドルかせいだことになる。

 当日のゼーンについて坂口君は「舞台の袖からポージング台にあがるまでは、それほど凄みは感じないが、いったんポーズをとりはじめると、全身の筋肉にこまかいデフィニッションが満ちあふれ、動くたびに体全体から光を発している感じで、観衆はその美しさに圧倒され、ただ呆然として声も出なかった」と、そのときの模様を語っている。

 ゼーンは、このところ映画に出ているためか、短時間でトレーニングするので、回数中心から重量をかけるトレーニングに変えたことにより、一段とバルク・アップし、持ち前の美しさに迫力が加わったことが3年連続の優勝につながったようだ。

 2位にはマイク・メンツァーが入った。彼もこのオリンピアを狙って、これまでの最高の仕上がりで自信満々でのぞみ“俺がチャンピオンだ”といわんばかりにオーバーにアピールしていたが、ポージングがもう一歩というところでゼーンに優勝をゆずったようである。

 それにしても、今や昇り坂のメンツァー、昨年ユニバースで優勝、今年はオリンピアで2位とは末恐ろしい。ゼーンの逞しさと美しさに打ち勝つにはただバルクを生かしたポーズだけでは限界があったのではないかと思う。

 3位はボイヤー・コー。古い選手で来日したこともある。彼にとって難点は、腹筋運動が嫌いなことである。これを克服すれば決してチャンピオンも夢ではないと思う。
[ゴールド・ジムでロビー・ロビンソンと握手する私]

[ゴールド・ジムでロビー・ロビンソンと握手する私]

 4位はロビー・ロビンソンであるが、私がさきにゴールド・ジムで彼に会ったときの印象として、全体的に未完全であると書いたが、やはりそれが結果にあらわれている。ロビンソンのポーズ写真を見る限り、もっと上位に入賞してもよさそうだが、実際に、コンテストで見た場合と、写真で見たときとはまた違った評価になるものだ。

 ロビンソンは、体のどの部分を見ても実によく発達し、欠点などまったく見つからない。だから、規定ポーズの段階では、かなり高い点がとれると思うが、自由ポーズになったとき、それ以上のものが出てこない。観衆が喜び審査員の評価が微妙に影響するのは、なんといっても自由ポーズである。

 比較審査や規定ポーズで、選手の体をじっくり見た審査員は、自由ポーズで、その体がどんな美しさを引き出すかを期待しているのである。その点、フランク・ゼーンは自然体や規定ポーズでは思いもかけなかったような美しさが出てくる。

 IFBBの審査方法が少し改正され自然体が20点、規定ポーズが20点、フリーポーズが20点、合計60点満点で採点する。だからこれからコンテストに出場する選手は、筋肉づくりのトレーニングはもちろん、肌を焼く努力とポージングの練習もみっちりやらなければとても一流にはなれない。

 5位にはデニス・ティネリノが入った。以前から見ればだいぶバルク・アップしていたようだが、上位入賞は無理だったらしい。プローポーションやマスクに恵まれているのだから、あと一段のバルク・アップとカットがあればかなりいいところまでいけるのではないだろうか。

 6位はクリス・ディカーソン。均整のとれたきれいな体だったようだが、バルクとディフィニッションがもう1つ足りなかったようだ。以下、入賞しなかった選手の中に、エド・コーニー、ダニー・パディラ、トム・プラッツといった選手がいる。これをもってしても、いかにこのオリンピア・コンテストが凄いかがわかろう。

 ゲストにはフランコ・コロンブが招かれたが、脚のカットさえあれば、オリンピアに返り咲くことも夢ではないということだった。コロンブはすでに二度来日しており、その度に一緒に食事をしたり、アメリカでも会ったりして、友人としてよく知っているので、そのレポートは次回に書くことにしたい。

 また、私のジムの崎浜良雄選手が、WABBAミスター・ユニバースのライト・クラスに出場して、去る11月1日帰国したので、その様子も彼に聞いて書きたいと思う。なお、崎浜選手はこのコンテストでは残念ながら入賞できなかった。(つづく)
月刊ボディビルディング1979年12月号

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