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ボディビルのメッカ カルフォルニア

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月刊ボディビルディング1978年11月号
掲載日:2018.06.10
1965年度全日本学生チャンピオン 吉見正美

ドクター・コロンボの唱える上腕囲と体重の増加の関係

 ドクター・フランコ・コロンボの話にこんなのがある。「私は上腕を1インチ(約2.54cm)太くするのに,体重を10ポンド(約4.53kg)増やす。そうすると私の腕はその目的をかなえてくれるようだ」

 体重が増えれば,腕も太くなるだろうということは判る。前にも述べたがアメリカの太った娘たちの中には,私のサイズを凌ぐ上腕を持った娘がいるのだから。

 しかし,そんなに体重を増やしたらただでさえカットに乏しい自分のからだは醜いデブになってしまう。ディフィニッションを犠牲にしないで腕だけ太くする方法はないものだろうか。また,いったい,どうしてそんなに簡単に体重を10ポンド増やすなどということが言えるのだろうか。日本にいたとき,この記事を読んで焦ったものだ。

 理屈では,体重を増やせば各部分のサイズが大きくなることは判る。もちろん腕も太くなるだろう。だが,実際に体重を10ポンド増やすということは至難のわざである。

 私がボディビルを始めた大学入学当時の体重は150ポンド(約68kg),そして最高に重かったのが4年生の205ポンド(約93kg)。上腕囲は36cmから43cmに。つまり,4年間で体重55ポンド(約25kg),上腕囲7cmの増加だ。

 よくもそんなに増えたもんだ,という人もあるが,よく考えれば1年間に平均14ポンド(約6.3kg),1.75cmずつ増えたにすぎない。それもかなり一生懸命トレーニングしながらである。2~3ヵ月で体重を10ポンド,上腕囲を1インチも増やしてしまうというドクター・コロンボの発言に比べれば何ともおそまつな話だ。

 だが冷静に考えなければいけない。ドクター・コロンボといえども,2~3ヵ月に10ポンド,いや少なくとも毎年10ポンドずつ体重が増え,1インチずつ上腕が太くなり続けていただろうか。仮にそうだとしたら,今頃は腕がウエストよりも太いバケモノになっているだろう。彼ら成功者の発言は,彼らが最も成功した,ごく限られた時点での話が多い。

 こういう話は,伸び悩んでいるボディビルダーにとって,ある時は大へんな励みにもなるが,そのままマネするとかえってからだをこわしたり,事故を起こす結果にもなりかねない。

 それはともかく,私の経験上の数字から,体重が増えているときは,上腕囲も比例して増加しているし,渡米してからの1ヵ月間で,体重が15ポンド,(約6.8kg),上腕囲が1.3cm増えた実例もある。アメリカにおけるデブの考察から,体重を増加させることが上腕を太くするのに非常に効果的であるということは確かなようだ。

 ここで,ボディビルの三大要素,食事・休養・トレーニングを思い起こして欲しい。ボディビルはこれら3つの要素が充分にバランスよく満たされた時に最大の効果が引き出せる。

 ビルダーがノドから手の出そうなプロティン,肉,卵,牛乳,新鮮な野菜や果物,レバータブレット,ビタミン類が,日本の何分の1かの値段で手に入り,週休2日制,プラス長期休暇のある労働システムのアメリカは,体重アップの可能性は無限だ。そのうえ,気候のよいカリフォルニアなどに住めば,あとはトレーニング次第ではないか。勤勉な日本人のこと,トレーニングにかけて負けるようなことはあるまい。

 先日,私は幸運にも東海岸ニューイングランドを訪れる機会を得た。マサチューセッツ州ホースネックビーチ。その名のとおり,弓なりの九十九里に似たこのビーチでは,見渡す限りの砂浜に老若男女が思い思いに日光浴を楽しみ,水泳,ゲームに興じている。

 友人と私は美しいビーチバニー(海水浴を楽しむ女性たちのことを言うスラング)を探して何マイルも歩く。ふと気がつくと,どうもこちらのほうがジロジロ見られている。やおらボディビルダーとしての意識がムクムクと湧いてくる。マッスルを意識せざるを得ない。肩をいからし,腹をグッとしめてイキがって歩く例のボディビルダーの常套手段だ。

 しかし,そのうちにだんだんバカらしくなってくる。なぜアメリカにまで来てこんなことをやっているのだろうか。こちらに来れば,たくさんの大きな男たち,ハスキーなボディビルダーたちにいくらでもビーチで会えるはずではなかったのだろうか。

 ところが,どうしたことだろう。いくら見廻しても,バーベルやダンベルで夢中になって汗を流したようなあとの見られる男は1人として見あたらない。

 滞在先の家に戻って娘さんに尋ねたものである。

 「今日,ビーチに行ったけど,ボディビルをやっていそうな人,全然見かけなかったよ」

 「いやねえ,アメリカ人てェのはレイジィ(怠惰)なのよ。重いものを持って苦労して,一生懸命筋肉をつくる人なんて,この辺にいるもんですか」という返事だった。「ヘー,そんなものかなァ」と思いつつ,結局,ここに滞在中にボディビルダーらしき人には一人も会えなかった。
[ミスター・カリフォルニア2位になった男。二頭筋が凄い。]

[ミスター・カリフォルニア2位になった男。二頭筋が凄い。]

[ゴールド・ジムの前で。左から多和氏,どういうわけかパサディナ・ヘルス・クラブのトレーナーを着ていたビルダー,永井君,ケント・キーン,アール・メイナード,サマー・セーターの腕をはちきれんばかりにしてゴールド・ジムの近くを歩いていた男。]

[ゴールド・ジムの前で。左から多和氏,どういうわけかパサディナ・ヘルス・クラブのトレーナーを着ていたビルダー,永井君,ケント・キーン,アール・メイナード,サマー・セーターの腕をはちきれんばかりにしてゴールド・ジムの近くを歩いていた男。]

カリフォルニアに集中しているアメリカのトップビルダー

 では,雑誌で見る世界のトップ・ビルダーたちはどこに住んでいて,どんな人間なのだろうか。シュワルツェネガー,コロンボ,オリバ……etc

 アーノルド・シュワルツェネガーはもともとオーストリアから来たのだしドクター・フランコ・コロンボはイタリアの出。セルジオ・オリバはキューバからの移民。リッキー・ウェインはプエルトリコというわけで,輸入ビルダーがアメリカでは大物だ。

 アメリカのビルダー。スティーブ・リーブス,ジャック・デリンジャー,ラリー・スコット,ビル・パール,チェスター・ヨートン,エド・コーニー,フランク・ゼーン,キャルマン・スカラク,並べればキリがないが,アメリカのごくふつうの町でこんな人たちに出合うのははなはだ難しい。

 ボディビルやウェイト・トレーニングに対する関心は高く,実践者は多いのだが,いわゆるモノになるほどの人材はアメリカとて極めて少ないのだ。見まわしたところ体格的なレベルは日本人と比べて確かに高いが,世界的に名の知れたビルダーはやはりほんの少数派に属するようだ。そして,その少数派がカリフォルニアに集中している。ということのようだ。

 前に書いたように,カリフォルニアはボディビルには極めて恵まれた環境にある。やる気のある日本人がしばらくここでトレーニングすれば成功まちがいなし。NABBAミスター・ユニバースのアマチュアの部で総合優勝した杉田選手がそれを証明している。須藤選手などがこちらに来たら,さらに一段とめざましい進歩を見せるにちがいない。

 現在,カリフォルニアで活躍している日本のボディビルダーはたくさんいる。前に述べた元ミスター日本の多和氏。彼は私に「もう4年ほどまともな練習はやっていないんだ。時折,ガレージでエッチラ,オッチラやっている程度だ」と言っていたが,どうして,なかなか。いまだに47cmの上腕を誇っている。ウワサによると,日本にいたころの彼のトレーニングはすさまじく3~4時間やってもまったくバテなかったという。だから,恐らく彼としては今のトレーニングなど,ものの数に入らないと思っているのに違いない。

  多和氏とロスアンゼルスでリカーショップを共同経営している酒井氏。

 彼は,夕方,店を開けると近くにあるジムへ直行。ひとしきり汗を流す。ある日,彼にダウンタウンにあるロスアンゼルス・アスレティック・クラブに連れていってもらった。何層にもわたる大きなビル。内部にはプール,ボディビル・ジム,柔道場,バレーコート・・・etc。あらゆるスポーツの施設がある。これがすべて個人の経営。驚くべき資本力だ。

 スケールが大きく,伝統もあるこのクラブからはたくさんの有名なスポーツ選手が輩出している。東京オリンピックのゴールド・メダリスト,水泳のドン・ショランダーもその1人。名誉会員として時々顔を見せ,後進の指導にあたっているとか。

 柔道のクラスでは,元ミスター日本の土門氏が指導している。ここで耳にした話だが,これまたかつてのミスター日本,吉田実氏も現在ロスにおり,たまにこのアスレティック・クラブを訪れるということだ。

 やはりビルダーにとってカリフォルニアは住み良いようだ。コンテスト・シーズンになると,アメリカ中からカリフォルニアのゴールド・ジム,ワールド・ジム,パサディナ・ヘルス・クラブ…etc にビルダーが集まり,最後の調整,仕上げにかかる。

 太陽のカッと照りつける夏。これらのジムの近くにあるサンタモニカ・ビーチの一角,マッスル・ビーチは,筋肉モリモリ,大胸ピクピクのハスキーガイドで埋まる。彼らを見るだけでも良い刺激になる。
[アール・メイナード(右)と親しげに語るゴールド・ジムのマネージャー兼コーチのケント・キーン]

[アール・メイナード(右)と親しげに語るゴールド・ジムのマネージャー兼コーチのケント・キーン]

ゴールド・ジムを訪ねて

私がゴールド・ジムを訪れたのは,まだシーズン初めの初夏の陽ざしがまぶしく感じられる爽やかな日だった。日向は熱いが,木陰に入れば空気が乾燥しているのでとても涼しい。ちょっと風があると寒いくらいだ。

 旧ゴールド・ジムの前をとおりかかる。ヘー,これがかつての有名なゴールド・ジムだったのか。平屋の,一見コインランドリーでもやっているのかなと思うような何の変哲もない建物。注意深く探してなかったら,気がつかないでとおり過ぎてしまいそうだ。

  そこからさらに車で5分くらい。きれいな並木道を入っていくと,サマーセーターがはり裂けんばかりの腕をした黒人が徘徊している。ハハーン,そろそろだなと思いきや,澄んだガラスに黄金色の“GOLD'S GYM”という文字が目に飛びこんでくる。

 日本のジムを見つけている私の眼には,このゴールド・ジムはまるで体育館のように映る。一歩中に入ると,とてつもないスペースにバーベル,ダンベルはもちろんのこと,ノーチラスマシン,ユニバーサルマシン,各種のプーリー,見たこともない器具が所狭しと並べられている。

 残念ながら,シュワルツェネガー,コロンボ,マニュエル・ペリー等,期待していた有名ビルダーの姿はなかった。しかし,悲観することはない。名前は知られていなくとも,デッカいビルダーがここにはゴロゴロしている。

 奥のほうで1人おとなしく黙々と汗を流している黒人のビルダーに声をかけてみた。私などは,ほめられるとすぐその気になっておだてにのるもんだが,シャイなこの男,あれこれ話を聞いてあげてもなかなか筋肉を誇示しない。

 「コンテストに出たことあるの?」

 「このあいだミスター・カリフォルニアで2位になった」

 「ヘェー,そりゃ凄い。ちょっと写真をとらせてくれる?」

 と,ようやく同行した多和氏のところに勤めている永井君と並んだところをフィルムにおさめる。シャツをたくし上げてチラッと腕を見せてくれた。凄い! クッキリ,ハッキリと二頭筋が分かれる。でもそこまで。すぐ腕を包み隠してしまう。

 こちらも,せっかくここまで来たのだ。ミスター・カリフォルニア2位のマッスルをもっとジックリ見たいではないか。しつこく迫る。

 「日本のボディビル・ファンにあなたの写真を見せてあげたいんだ……」

 この言葉はテキメンにきいたようだ。目の色が違っている。

 「でも,コンテストが終わって,脂肪がのってきちゃったんだがなあ」

 とかなんとかブツブツ言いながら,あたりをキョロキョロ見廻わして何かを探している様子。そのうち,

 「OK,カモン」

 と更衣室の誰もいない場所へわれわれを呼んで,彼はトレーナーをおもむろに脱ぎ出した。そして一連のポーズを始めた。

 脂肪がついたとかなんとか言うものの,近くで肉眼で見ると,ポーズを決めた瞬間瞬間に筋肉の線維がピリピリ,血管がモリモリと浮き出る。

 「ワーオ,ワーオ,凄い凄い!」

 永井君と2人で拍手かっさい。ヤンヤ,ヤンヤ。

 ポーズを終えると,すぐトレーナーを着込む。「ありがとう!」と言うと照れながらまたトレーニング場に戻っていった。

 フロントのカウンターでは,気さくなマネージャー,ケント・キーンが笑顔で応じてくれる。

 ケントはもう40代半ば。1973年にミスターUSA。そして1975年にミスター・ノース・アメリカのタイトルを獲得。1年近いブランクののちカルフォルニアに戻ってゴールド・ジムのマネージャー兼コーチとなる。だが,その頃,彼は足を怪我してコンテストに出られる状態ではなかった。

 一昨年,彼は今年こそベストを尽してコンテストに臨もうと決意した。事実,彼は驚くべき進歩を見せたのだ。だから,ゴールド・ジムがこの年のミスター・アメリカ・コンテストのスポンサーにならなかったら,彼が総合優勝の栄冠を仕留めていたに違いない。

 そして,去年の7月30日,ケントについにそのチャンスがやってきた。彼のトレーニングと食餌療法の真価を証明する絶好の機会だった。

 彼はミスター・アメリカ40歳以上のタイトルを射止めた。つづいて,1ヵ後には,ミスター・ユニバース40歳以上の部で勝利を飾り,またしてもゴールド・ジムに名誉をもたらした。

 彼の究極の望みは,もちろん,世界最高峰のコンテスト,ミスター・オリンピアでタイトルを競うことにある。もし,そのチャンスが与えられるなら彼は生涯で最高のシェイプに仕上げて参加するという。

 さらにケントは,AAUのフィジーク・オブ・マンスに選ばれ,写真入りでその記事の出ているマッスル・ビルダー誌の6月号をめくって私たちに見せてくれた。それから,カウンターのうしろの棚にある,ゴールド・ジムのプリント入りTシャツやトレーナーやらの方を指さして「こんなのがあるから見てごらん」と,さすがマネージャー業にもソツがない。

 そのうち,どこかで見たような顔が飛び込んできた。そして,ケント・キーンと何やら親しげに話している。

 永井君「えーと,えーと,誰やったかな」「そうや,アール・メイナードや!」

 すると,ケントとしきりに話していたその男こちらを向いてニッコリ。それで一同そろってジムの前で写真をとることになった。

 アール・メイナードは,1965年度ミスター・ユニバース。その後プロレスで成功し,カリフォルニアに豪華な家を持っている。最近“ザ・ディープ”という映画にも出たそうだ。

 シュワルツェネガーにしろ,ルー・フェリーノにしろ,フランク・ゼーンにしろ,このところアメリカではビルダーの映画やTVへの出演が多くなっている。シュワルツェネガーがTVのトークショーでジョークを飛ばしたりフランク・ゼーンのTVコマーシャルが若者の話題になったり。フェリーノのTV映画“ホーク”はチビッコの大好きな番組。

 このように,アメリカではボディビルが再び上昇気流にのり始めたようだ。本屋のベストセラーのコーナーに山と積まれた“Arnold,The Education of a Bodybuilder”がそれを暗示しているかのように。
[ゴールド・ジム。誰が使うのか知らないが,ヘビー・ウェイトのダンベルがずらっと並んでいる。]

[ゴールド・ジム。誰が使うのか知らないが,ヘビー・ウェイトのダンベルがずらっと並んでいる。]

月刊ボディビルディング1978年11月号

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