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第4回パシフィック・フィジカル・コンテストに参加して
南国グァムで正月のコンテスト

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月刊ボディビルディング1979年4月号
掲載日:2018.10.02
日本ボディビル協会常任理事
日本ボディビル実業団副理事長
山際 昭

寒い日本から真夏のグァムへ

1979年1月2日、快晴。ボディビルを愛し、ボディビルに一生を賭ける私にとって、最高のお年玉だ。実は今日は、グァムで行われる第4回パシフィック・フィジカル・コンテストに参加する日本チームの出発の日である。

夕方5時、タクシーで成田に向う。初詣でと海外旅行に行く人で相変らずの自動車ラッシュ。新しく完成した湾岸道路を走り、幕張から空港専用道路に入る。途中3回の検問をへて、ようやく世界中に話題をなげた新東京国際空港の北ウイングに到着した。それにしてもこのきびしい検問、これが平和な日本かなぁ、と不審に思う。

手続きを済ませ、搭乗カウンターで今年1月1日から決まったという空港使用料1900円を支払う。24番ゲート待合室にて、大阪空港から乗りついだ姫路ボディビル・センターの選手をはじめ、各地方からの参加選手と合流。一行の中には、私が司会したいろいろのコンテストで顔馴みの選手もおり楽しい旅になりそうだ。シーズン・オフというのに相変わらず日焼けして逞しくグァムでの活躍が大いに期待できそうだ。

このグァム・コンテスト・ツアーの一行は、出場選手ばかりでなく、応援団もたくさんいる。中でも人目を引いたのは、アツアツの若い3組のカップルだった。(このことについては後で書くことにしよう)

21時15分、我々を乗せたJAL941便はグァムへ向けて飛び発った。離陸後30分して機内食が出た。選手の食欲は極めて旺盛である。これを見ただけでも出場選手の心構えがわかる。私も15年前の現役当時はよく練習し、よく食べたものだ。

約3時間の飛行後、無事グァム国際空港に着陸。寒い日本からアッという間に真夏のグァム。もちろん空港館内は冷房中だが、それでもスーツを着てきた私たち一行は全員汗ぐっしょり。

入国手続きを済ませ、到着ロビーに出た。真黒に日焼けしたアロハ姿の人がニコニコ笑いながら近づいて来た。よく見れば、大会準備のため一足先にグァムに来ていた姫路BCの西川稔会長である。その他、深夜というのに現地のコンテスト関係者もたくさん出迎えに来てくれていた。

空港バスターミナルから迎えのバスでホテルへ向う。車中、西川会長の親友で、今回のコンテストのよき協力者であるグァム・シンポウ社長テッド荒川氏(日本人二世)のユーモアたっぷりの日本語の説明を聞きながら、約15分でフジタ・グァム・タモンビーチホテルに着く。
〔コンテストにつめかけた観客〕

〔コンテストにつめかけた観客〕

椰子の木陰で納豆、みそ汁

ホテルは名前のとおり、ビーチに沿って広大な敷地、そして南国独特のハイビスカスの花と椰子の木に囲まれた建物は、コンクリート・ジャングルの中の高層ホテルに慣れた私たちには、とても素晴らしく感じられた。

ロビーで、これからのグァムでのスケジュール表をもらい、深夜のため早々に解散して、ベッドにもぐり込む。

初めて経験した真夏の正月である。

グァムの夜明けは早い。参加選手は6時に起床してホテル前のビーチに集合。抜けるような青空、透きとおった海水、うまい空気。すでに日本では見られなくなった本当の自然、素晴らしい環境だ。

ここで約2時間、柔軟体操からランニング、簡単なトレーニングをする。海辺の椰子の木もほほえみかけているようだ。シャワーを浴びて朝食のテーブルにつく。東京でホテルを経営している私にはどんなメニューがならんでいるか、非常に関心がある。

食事は和洋のバイキング。驚いたことには納豆、豆腐のみそ汁といった日本人には欠かせない献立がある。それもそのはず、聞けばグァム島の観光客の90%は日本人だという。ランチ・タイムのメニューには、天井、牛井、ザルソバ(グァムではサルソーバと呼んでいた)などもあった。

朝食後は自由行動。さっそく海辺で甲らぼしをしたり泳いだりしてのんびりすごし、午後は昨年12月、西川氏がグァムにオープンしたグァム・ジャパン・スーパー・ボディビル・センターに全員で出かけ、現地の選手と一緒に汗を流す。

ホテルに戻り、夕方7時から、グァムでの最初の楽しいディナー・ショーが催された。会場には先にちょっと書いた3組のカップルも同席した。1組は、神戸のサムソン・トレーニング・センターのオーナー、藤本章夫氏とフィアンセ、もう1組は姫路ボデービルセンターの選手とフィアンセである。あと1組は先日、結婚式をあげ、新婚旅行としてこのツアーに参加したものである。これは西川氏のアイディアで、ビルダーにふさわしく、コンテストに出場する選手と観戦者に祝福されてグァムで結婚式を挙げ、新婚旅行を兼ねてコンテスト・ツアーを華やかに楽しく盛り上げようというもので、まさに一石三鳥だ。

ショーのオープン・アナウンスがあり、タヒチアン・ショーが始まる。ボディビルで鍛えた逞しい男性の踊りに加えて、小麦色に日焼けしたチャーミングな踊り子、5色のライト、素晴らしいバック・ミュージック。迫力ありお色気あり、最高に盛り上がる。私は思わず拍手を送った。おいしいお酒と食事、そして楽しく語り、ショーを見て、本当に素晴らしいひとときを過した。

翌4日、今日は2組の結婚式とグァム島観光の日だ。朝のトレーニングを済ませ、10時に迎えのバスに全員乗り込み、式場の教会に向う。タキシードに身をつつむ新郎、純白のウェーディング・ドレスの花嫁、タヒチアン・ダンスのリーダー、テツア氏とグァム・シンポー社長。荒川氏夫妻の媒妁で、つつがなく式が終る。私たちコンテスト・ツアー一行は新郎新婦の前途を心から祝った。

教会をあとにグァム島観光に向う。夕方から、2日後にせまったコンテストを目指して全員、西川氏のジムでトレーニングする。うまい食事に、常夏の島、こんないい環境に恵まれ、選手の体調はもちろん上々。ジムの中は、元気いっぱいの選手たちの汗でムンムンする熱気がただよう。

夕方までたっぷりトレーニングし、ホテルに戻り夕食のテーブルにつく。見ると、ほとんどの選手がぶ厚いステーキをうまそうに口に運んでいる。運動のあとは栄養、これこそビルダーのおきまりのコースだ。

5日の朝、いつものとおり、午前中は体操とランニング、そして心地よい汐風にふかれながらの日光浴である。今日もグァムの空はどこまでも青く、空気がうまい。選手たちは明日の本番に備えて、午後、ジムで最後の調整をすることになっている。

私は午後から選手たちと行動を別にし、1年前からボディビルのトレーニングの合間を見て始めたゴルフに行くことにした。迎えの車で、テッド荒川氏に紹介された大平洋カントリー・クラブに着く。さすがグァムの有力者の紹介ということで、マネージャーの態度はきわめて丁重だ。

ギラギラ輝く太陽、眼下に太平洋をながめ、西サイドに椰子の木の繁るフェアウェイ、素晴らしいグリーン・カートを走らせながらのゴルフは、とても筆舌に尽しがたい。まさに素敵の一語あるのみ。

コースには俳優の黒沢年男、歌手の北島三郎など芸能人がたくさんいた。寒い日本の正月を避けて、グァムでのバカンスを楽しんでいるのだろう。ビルダーにもゴルフのファンが多いそうだから、来年は、西川氏とも話し合い、大会終了後、コンテスト・ツアー・ゴルフ・コンペなどしたら楽しいだろうと思う。

夕方、ホテルのレストランで選手たちと顔を合わす。「山際さん、わざわざグァムまで来て芝刈りですか」と冷かされ全員大笑い。

食事後、西川氏と明日の大会の打ち合わせをして、親善大会の成功を夢見ながら床につく。ゴルフの疲れとウイスキーのせいでぐっすりと眠れた。
〔選手入場〕

〔選手入場〕

東海林徹選手が優勝

いよいよ今日6日は第4回パシフィック・フィジカル・コンテストの大会の日である。選手たちは自信と余裕のためか、午前中はのんびりと海辺で日光浴を楽しんでいる。

午後2時、迎えのバスでコンテスト会場へ出発。ビーチに沿う快的なハイウェイを走り、ショッピング・センターや各国のレストランが立並ぶメインストリート、マリンドライブをとおり大会会場であるアガナ・スイミング・プールに到着した。

すでに会場には多くの観客がつめかけていて、日本選手団を大きな拍手で迎えてくれた。会場は大きなプールの横の特設ステージである。観客は色とりどりのアロハやムームーを身につけている。水着姿が少ないのは、今日は泳ぎにきたのではなく、わざわざコンテストを観に来たからであろう。

選手控室に入ってみると、現地選手やアメリカ選手が、早くもバーベルやダンベルを使ってパンプ・アップに余念がない。日本選手も遅れてはならじと早速これに加わる。

今大会での私の役目はチーフ・ジャッジ(審査委員長)である。JBBAの公認審査員でもあり、過去にもいくつかの大会で審査員をつとめたことがあるが、審査委員長ともなれば責任重大である。まず、万全を期すために、あらかじめ選手控室で全選手のレベルをチェックしておいた。

チェックが終って、西川氏をはじめ大会役員との打ち合わせが行われた。審査方法はだいたいJBBAの審査規定どおりで、予選はチェック方式とし上位10名が決勝に進出し、決勝審査で最終順位を決定する。審査員は日本側2名、日系人1名、グァム2名、それに男女1名ずつの一般審査員の計7名で構成された。

午後3時、いよいよ大会の開幕だ。大会会長のジョー浅沼氏のオープン・セレモニーで始まり、コンテスト・コンサルタント、テッド荒川氏の挨拶、審査員の紹介につづいて、日本、アメリカ、グァム選手の順に全選手入場。約500名の観客の口笛と拍手と声援で耳をつんざくばかり。大会はいやが上にも盛りあがる。20名の選手が2列に並び前後列交互に1分間ほどのリラックス・ポーズをとっていったん退場したあと、いよいよ予選審査に入る。

ジョー浅沼氏の司会により、ゼッケン番号順に1人ずつ舞台に出て、1分間のフリー・ポーズをとる。これでピック・アップされた10名が決勝に進出する。

このとき驚いたのは、アメリカ、グァムの選手のバルクの大きいことである。私は、日本国内の大会や国際親善大会の司会をつとめており、これらの大会に招かれた世界のトップ・ビルダーを誰よりも一番近いところで見てきたが、バルクだけに限っていえば、今日ここに出ている選手たちも決してヒケをとらない。ただ、デフィニションの弱さ、とくに下半身の弱さが目についた。それに、ポージングは上手、下手というより、見たことも練習したこともないという感じだった。ただ、手と脚を動かしているだけで、まるでマンガのロボットのようだった。

これだけのバルクがあるのだから、デフィニションだとか、ポージングという問題については、西川氏が新しく始めた現地のジムで適切なコーチをすればこれは間もなく解決するだろう。それにしても、まずいながらも、真剣に取り組む現地グァムの選手の態度には頭が下がる。

現在では、日本とグァムのボディビルのレベルにはまだ大きな開きがあるが、これからの指導によって、現地独得のバルク型にデフィニションがつきポージングがうまくなれば、日本選手と堂々と四つに組める日も近いことだろう。とくにグァムのアメリカ選手は強敵である。

予選が終り、日本選手6名、現地側4名、計10名が決勝に進出と決定。ただちに決勝審査に移る。1人約2分間のフリー・ポーズを行う。どうやら、バルクの現地選手と、デフィニションとポージングの日本選手の争いということになった。

決勝審査が終わり、順位発表までのアトラクションとして、新婚早々の空手チャンピオン、藤本章夫氏の模範演技が披露され、場内からわれんばかりの喝采を受ける。

いよいよ1979年度第4回パシフィック・フィジカル・コンテストの入賞者発表である。「優勝!トオル・ショージ!!」東海林徹選手の優勝である。以下は次のとおりである。

2位・リチャード・ジャクソン
3位・ルーベン・キャンデオッティ
4位・リック・アバード
5位・小川ノブオ(日本)
6位・ビル・ナグロー
7位・藤本アキオ(日本)
8位・高橋ススム(日本)
9位・佐藤サカエ(日本)
10位・川口カズトシ(日本)

優勝の東海林選手おめでとう。近年どちらかといえば停滞気味だったが、この優勝をステップにして、さらに一段とバルクをつけ、ミスター日本の上位入賞を目指して頑張ってほしい。
〔上位入賞者たち〕

〔上位入賞者たち〕

〔優勝した東海林選手(左)と2位のリチャード・ジャクソン選手〕

〔優勝した東海林選手(左)と2位のリチャード・ジャクソン選手〕

山海の珍味でお別れパーティー

こうして大会はすべて終了し、夕方からジョー浅沼氏主催のパーティーに招かれた。バスの中は、コンテストが終ってリラックスした選手や大会関係者の明るい話し声でいっぱいだ。途中この大会をバックアップしてくれたスポンサーの店などに立寄り、お礼かたがた日本へのお土産などを買い、ショッピングを楽しんだ。改めて西川氏の大会へのご苦労と、スポンサーへの心使いに感銘させられた。

実は私も毎年秋に行なう日本ボディビル実業団コンテストの大会実行委員長をおおせつかっているので、大会運営には欠かせない各企業スポンサーへの配慮にはとくに気を配っているが、今大会における西川氏の心温まるこまかい配慮には心をうたれた。

やがてグァム随一の高級住宅地にあるジョー浅沼邸に到着した。浅沼氏夫妻をはじめ、親戚、友人、近隣の現地の人たち約100名が我々を出迎えてくれた。

中庭に用意されたパーティー会場の中央に、小ブタの丸焼きをはじめ、めずらしいグァム料理が30種類あまりならべられ、豪華な歓迎パーティーがはじまった。

浅沼氏の“ようこそグァムへ”の言葉で全員乾杯。山海の珍味とおいしい酒、みんなよく食べよく飲んだ。酒がすすむにつれ、あちこちから歌が出、踊も出てパーティーは最高潮だ。中にはシャツをぬいでポージングをしている選手もいる。現地の若者も負けずにポーズをとるが、なにせ現地特有のビヤダル型でサマにならず全員大笑い。

私たち一行は輪になり東京音頭を歌いながら踊った。そして最後に、西川氏の音頭で、大会の成功と来年の再会を誓って手をしめた。別れを惜しみながら私たちは浅沼邸をあとにした。大会、そしてパーティー。今日はほんとうに充実した楽しい1日だった。

グァムでの1週間もいよいよ今日が最後だ。グァムの空はどこまでも青く澄み、椰子の葉が風に揺れ、砂浜に打ちつける波も我々一行との別れを惜しんでいるようだ。

浜辺で遊ぶものもあり、帰国を前にしてお土産を買いにショッピング・センターへ出かけるものもある。私はホテルにあるジャパン・レンタカーに行き私の帰国を待つ愛車サンダーバードと同一の車を借りて南国のドライブを楽しんだ。

夜8時からホテル前のタモンビーチで“サヨナラ・パーティー”が開かれた。私たち全員とジョー浅沼、テッド荒川ご夫妻、現地の大会役員、それにタヒチアン・ショーのメンバーを加えて浜辺でバーベキュー料理を楽しむ。心地よい汐風に吹かれて飲む酒のうまさはとても言葉ではいい表せない。姫路の小川選手、九州の竹内選手、神奈川の田辺選手らが次々と自慢のノドを披露し、夜の更けるのも忘れてグァムでの最後の夜を惜しんだ。

1時40分、ホテルのロビーに集まり空港へのバスに乗り込む。真夜中というのに、現地役員のおおぜいの見送りに心より感謝し、胸がいっぱいになった。出国手続きを済ませ、見送りの人々と再び会うことを約束して握手を交わしてゲートへと向う。この1週間の楽しかった思い出をかみしめながら、JAL942便のシートにつく。

現地時間2時48分、私たちをのせたジャンボ機はグァム島をあとにして、なつかしの日本へ機首を向けて飛びたった。離陸して間もなく、酒のせいか疲れと眠けを感じる。やはり俺も歳かなあ(ボディビルで頑張らなくちゃ)

最後に全国のボディビル愛好者が1人でも多くこのパシフィック・フィジカル・コンテストのグァム・ツアーに参加されることを心からお願いしてペンを置く。
月刊ボディビルディング1979年4月号

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