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★ビルダー・ドキュメント・シリーズ★
さわやかな青春 <その3>

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月刊ボディビルディング1979年4月号
掲載日:2018.10.13
~川股宏~

◇自身◇

少年のボディビルに対する熱意が日増しに高まった理由は、トレーニング自体の面白さもさることながら、精神的な充実感があったからだ。
というのは、少年の目的である『早く親孝行をしたい、少しでも家計の助けにならなくちゃあ』ということが、働くことによって満されたこと。そして1人ぼっちの孤独な車輪バーベルのトレーニングから、励まし合える仲間がいるクラブでの練習ができるようになったからである。
そして、先輩、狩野選手の提唱によって実施された第1回社内対抗パワーリフティング大会に張り切って出場したのだったが、残念ながら、熱意だけでは勝つことができず、ようやく4位に食い込むのが精一杯だった。
『来年こそはきっと勝ってみせる』と心に期し、以前にも増してハードなトレーニングを続けた。確実にパワーは上昇し、次の年は見事優勝をなし遂げた。そのときの記録は、ベンチ・プレス120kg(3回)、スクワット150kgと、トレーニングを開始して3年そこそこにしては立派な記録であった。
「第1回の会社内大会といはいえ、4位になったことが相当な自信を生みました。ちょうど年令的にも伸び盛りでもあったんでしょうが、1年間で体もパワーも自分でもびっくりするくらいガラッと変わっちゃったんです」と少年自身が語っているように、心の中にちょっとでも自信をもつということが、いかに肉体的にも好影響を与えたかがわかる。
しかも、この自信は肉体的ばかりでなく、人間としての大きな自信へと開花しはじめた。自信をもって物事をやり続けることの重要性が体験的に少年の身についてきたのである。その具体的なあらわれが、単調で何の変哲もない通信教育で”高校卒”という証しを得たことである。
読者諸君の中には『なんだ、通信教育で高校卒の資格をとったからといって、そんなにベタほめすることは無いじゃないか』とおっしゃるかも知れないが、それは、このシリーズの読後にお願いしたい。そこにはこの主人公が読む人の共感を呼ぶ生き方、読む人にそーっと教えてくれる教訓があるからである。
そして筆者は、この”さわやかな青春”の主人公が誰であるか明さねばならない。すでに感の良い読者諸君は、この人物が1978年度ミスター日本5位朝生照雄選手と推察していたことだろう。そう、そのとおり。この人は朝生照雄なのである。

◇卒業証明の値うち◇

欲ばりは人間の特性かも知れない。が、この朝生、相当な欲ばりである。そのうえニセ者が大嫌いなのである。卒業証明をもらったからといって、それだけで満足するような男ではない。果して、一般の高校を卒業した人と同じ程度の実力がついたかどうかの証明が欲しかったのである。
『兄貴のように国家試験を受けてみよう。そうすれば本当の自分の実力がわかる』と、国家公務員の初級と東京都職員の高卒程度の採用試験にチャレンジした。結果はみごと両方とも合格となった。合格率から考えても、立派としかいいようがない。
しかし、彼はこの試験に合格した結果に満足し、転職はしなかった。それどころか自分の実力が判明した彼は、逆に、さらに上の学校への欲望から、日本電気工業専門学校(短大程度)の夜間部へ通い出したのである。
この間、いうまでもなく会社の仕事も立派にこなし、トレーニングもつづけ、そのうえ夜間授業と、若さとはいえよく頑張ったものである。それもそのはず、彼は将来もっと上の国家公務員試験に挑戦しようということを心に決めていたからである。
そして昭和49年、東京都職員採用試験”短大卒程度”の試験を、今度は転職を前提で受験。そして、みごとこれに合格したのである。中学を卒業してから5年間、夢多き少年時代を過ごさせてもらった日本電気に感謝しながら退社、東京都庁に転職したのである。
「兄貴も最初は民間会社に就職し、途中から公務員に転職しました。私もどちらかといえば性格的に公務員に向いているように思えたのです。それで、日本電気はいい会社ですし、未練もありましたが、思いきって転職したわけです」
といったあと、朝生の次の言葉にウーンとうなってしまった。
「東京都職員に採用されたとほぼ同時に、慶応大学の通信教育学部に入学しました」と、なにげなく云ったからだ。そして現在、慶応大学4年生としてスクーリングを受講中である。ジックリと、確実に目標に向って一歩一歩確かな足どりで前進する朝生選手。年令30才、立派なものである。吉川英治の「40才はまだ書生」という言葉をほうふつとさせる態度である。

◇肉体の値うち◇

昭和52年9月、品川体育館で行われたミスター東京コンテスト。『朝生!腕が太いぞ、キマッタ!!」と、朝生がポーズするたびに、他の選手より一段と大きい声援がとぶ。三鷹ジムや日本電気の友人が大ぜい応援に来ているんだなと思っていたが、後日談を聞くと、友人もいたが、とくに大きい声を出していたのは、実は朝生のお父さん、兄さん、弟さんといった朝生ファミリーだったのだ。なんとほほえましい家族愛ではないか。
そして、この年の東京一を決める大会は、ファミリーの朝生コールの甲斐あってか、ついに念願の優勝を勝ちとったのである。
[16歳のときの朝生、右はお兄さん]

[16歳のときの朝生、右はお兄さん]

だが、この大会で彼を見た限りでは筆者自身、それほど強いイメージを持たなかった。しかし、翌53年のミスター・アポロに始まる数々の大会に登場した朝生の体は、確かに大きく変身してきていたのである。押しも押されもしない一流の仲間入りである。
これまでに成長した理由には、勉学の場合と同様、彼のたゆまざるトレーニングや体づくりに対する基本的な考え方が大いに関係ある。
「私は見せかけだけの体はきらいです。よくビルダーの体は役に立たないと云われますが、謙虚に反省すれば、そのとおりの場合も絶対にないとは云えないと思うんです。だからというわけではないんですが、私はもともとスポーツが好きなせいか、いろいろなスポーツで体を鍛え、また、ボディビルで筋力を高めて、そのスポーツを伸ばすように努力してきました」
事実、彼は言葉どおり、陸上競技、水泳、柔道、ラクビー、卓球、テニス等、なんでもこなす。
スポーツ歴の中でも特筆されるのが柔道である。昨年度の東京都職員柔道大会で、有段者の部でみごと優勝しているのである。なにせ、この東京都庁の柔道選手の中には、インターハイや国体に出場した選手などもおり、有段者がゴロゴロいる。そんな中で、二段の朝生が優勝したことは実に素晴らしいことである。と同時に、ボディビルが見かけだけではないことを示してくれたのである。
[中央の取りが朝生。その後ろの受けが醍醐先生]

[中央の取りが朝生。その後ろの受けが醍醐先生]

さらに彼は、昨年度の三鷹市民体育大会の砲丸投げでも優勝している。まさにスポーツ万能選手である。
これらの事例を見るとまるでスーパーマンのように映るかも知れないが、決してそうではない。その陰には、彼の体力づくりに対する基本的な考え方や、それを着実に実行していく強い信念があるからだ。
たとえば、我々がボディビルに熱中する場合、他のスポーツと併用してやる人はごくまれである。また、あったとしても、せいぜい1つか2つのスポーツのまねごとをやる程度で、大きな大会に出て優勝するほど精進しないものだ。
もう1つ、つけ加えておきたいことは、スポーツとしてではないが、彼は自転車をよく利用する。自宅から三鷹のジムに行くのも自転車だし、ちょっとのところならコンテストなどにも自転車でいく。東北一周とか、四国・九州一周の自転車旅行などもやったことがある。こんなことが、知らず知らずのうちに脚・腰を鍛えているのではないだろうか。
このようなひたむきな体力づくりや決して自分の心や体を甘やかさない考えや行動が、万能選手や一流ビルダーになる必然性を秘めているのではないだろうか。学力もスポーツも着実に証明しながら進む、偽りのない、ほんものを作っていく朝生を見ると、年上の私たちですら、反省させられるし、見習わなければならない1つのサンプルでもある。

◇明日に向って◇

ナポレオンはかつてこう云ったという。『ワシの頭の中の構造は書棚の引出しのようなものだ。どれか1つ引出したときはその事に集中する。そして、それをしまって、他の1つを引出したら、前のことは一切考えずに、今の引出しに集中するのだ』と。
ナポレオンほどの偉大な人物といえども、一度にすべてのことに集中することは不可能であった。現実をふまえ最も緊急を要することに全力で集中することが大切なのである。
ナポレオンの例が適切かどうかは別として、朝生もまた、上手にこの集中力を使っていた。彼のビルダーとしての成長ぶりを見ると、さぞかし毎日毎日、相当な時間をトレーニングに費やしているのだろう、と誤解しがちであるが、決してそんなにやっているわけではない。
前記したように、役所で仕事をし、学校のスクーリングやレポートその他の勉強があり、ボディビルに費やす時間はごく限られたものになる。だからトレーニングはほとんど夜8時前後ということになってしまう。遅くなってパートナーに迷惑をかけてはいけないので、自然に、精神を集中させて、短時間でトレーニングを切りあげなければならない。
「真剣にトレーニングに打ち込めば短時間でも必ずいい結果がでます。そしてたゆまず続けることですコツコツと。コツコツとは細く永く、だらだらとなんとなく続けるというのはとは違います。短時間でも、やるときは真剣にそれをやることです。そして、早く日本一になりたい。それが私の夢です」
(つづく)
月刊ボディビルディング1979年4月号

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