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“ボディビルの大道を見失なうな”

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月刊ボディビルディング1982年9月号
掲載日:2018.11.01
 ボディビルを広い意味に解釈するなら、体づくりのために行なうあらゆる種類の運動、人体の生理にもとずく衛生知識や栄養の知識までも、その範囲内に含めなければならない。いうなれ“ボディビル”とは、ボディ(体)をビルド・アップ(つくり上げる)すること、つまり、体育そのものにほかならないといってよかろう。
 
 しかし、現実のボディビルは、一般社会からそのようには理解されてはおらず、また、ボディビルの実態も、そこまで進んでいるとはいい切れない。
 大部分の人々は、ボディビルを“マッスル・ビル”(筋肉づくり)と同一視して、筋肉の発達という形態的な観点からとらえているのが、いつわりのない事実であろう。そのため、ボディビルといえば、すぐミスター日本やミスター・ユニバースといったボディコンテストを連想し、コンテストに出場する選手たちが誇示するような、極度に発達した筋肉をつくるのが、唯一のそして至上の目的であるかのように思い込んでいる人が多い。
 もちろん、肉体の極限に近いまでの発達と美しさを競うボディコンテストも、またボディビルの一面を示すものであるにはちがいない。しかし、それはあくまでもボディビルの一分野であって、ボディビルのすべてではない。コンテストは、ボディビルのおもなトレーニング手段である抵抗運動によって発達する筋肉と形態を競う一競技である、といってよいであろう。
 
 この考え方からすれば、ボディコンテストは、練習方法と努力いかんによっては、このとおり筋肉はたくましく発達するのだ、ということを示すサンプルとして、ボディビルの普及発達に大いに役立つものであろう。しかし、われわれ関係者としては、各人の体力と年令と目的に合った健康と体力づくりのためのトレーニングを行うのがボディビルであることを大いに強調したいのである。
 つまり、ボディビルのトレーニングを一生懸命、何年間か継続すれば、誰でもミスター日本コンテストに出場できるような美事な肉体になれるかといえば、必ずしもそうではない。そこには、やはり素質とか生活環境といったものが作用して、ごく一部の人しかそのレベルに達することはできない。だからといって、何年間かの努力が無駄であったかというと決してそうではない。その間につちかわれた健康と精神力は何物にもかえがたい生涯の財産となるのだ。
 
 このことは、よく見かける少年野球にもいえよう。彼らは将来の王、長嶋を夢見て汗みどろの練習を行なう。しかし、現実にプロ野球のトップ選手になれるのは何万人に1人の確率でしかない。大部分の者は、少年時代の夢はうそのように忘れ、一般社会人として生活している。
 
 では、その少年時代に熱中した野球の練習は全く無駄であったのかというと、やはり、ほとんどのボディビルダーと同じように、少年たちが社会人となったとき、それは有形無形の財産となるにちがいない。
 話が横道にそれたが、ボディビルが他の健康法や運動と異なる点は、その体力づくりの手段が、ウェイトによる抵抗運動を中心に構成されていることであろう。つまり、ボディビルはウェイト・トレーニングを軸とした総合体育である。そして、そこにこそ、より多くの人々の要望にこたえうるものが含まれているのだ。
 
 日常生活に欠かすことのできない基礎体力をつくるためのボディビル――この目的を忘れたのでは、ボディビルの大道は見失なわれてしまうことになろう。
沢田二郎
月刊ボディビルディング1982年9月号

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