フィジーク・オンライン

補助トレーニングとして面白い ”力 技” いろいろ

この記事をシェアする

0
[ 月刊ボディビルディング 1973年5月号 ]
掲載日:2017.10.16
窪田 登

電話帳をひき裂く

 確かことしのことだったと記憶している。あるテレビ番組のモーニング・ショーを観ていたら、ミスター・ユニバースになった末光健一君が出演してアナウンサーの質問にいろいろ答えていた。

 そのうち、何か力技を観せて欲しいという注文を受けた末光君は、厚さが約5cmの東京都の電話帳のツカに両手をかけて、実に簡単にこれをひき裂いてしまった。かねがね風の便りで同君の強さを承知していた私も、これには全く驚かざるを得なかった。

 想えばいまから数年前のこと、大阪の武育館に武本蒼岳君を訪ねた私は、彼が電話帳をひき裂く練習をしているのに行き合わせたことがある。このときはすでに破りさったあとだったのでそのときの模様を知ることができず、残念に思ったものだった。

 西洋ではこの電話帳破りという力技は古くから行われている。昔、アメリカのボディビルディング誌に、名前は忘れたがある妙麗なアメリカ人女性がこの荒技をやったことを紹介していたのを覚えている。

 ともかく、これにはテクニックもさることながら、きわめて強い指の力が要求されることは火を見るよりも明らかである。あなたも折りをみてこれに挑戦してみてはいかがなものだろう。

 本稿では、この電話帳破りを皮切りに、一流ビルダーとしてのあなたのために、いくつかの簡単にできる力技テスト種目を提供してみよう。トレーニングの間の暇を利用して、お互いに挑戦してみるのも一興ではないだろうか。

あなたの指力は?

 指ではさむ力が強いので有名だったのは、ニューヨークのポール・フォン・ベックマン(身長182cm、体重84kg)である。

 彼は52枚のトランプのカードにさきに折目をつけておいて、これを人差指と親指でしっかりとはさんでひっぱりカードを二つにひきちぎってしまうのだ。いまから70年も昔の話だが、その怪力はなお現在にいたるまで不滅である。まさに”まん力”といってもよかろう。この他の力技として彼は、右手の中指を鉄棒にひっかけて3回懸垂屈腕を行なったと伝えられている。

 だが、たとえこれほどの力はないとしても、バーベルのプレートを2枚使えばあなたの指力を簡単に調べることができる。

 ご承知のように、プレートの片面は平らでなんのひっかかりもない。そこで、2枚のプレートの凹面を互いに合わせ、外側にツルツルの平らな面がくるようにするのだ。そして、これを片手でつまんでもちあげる。つまり、さっき話したトランプを指ではさんだときとよく似た条件で2枚のプレートをもつというわけだ。これで15kgのプレートを2枚もちあげて10秒間保持したら、あなたの指力もかなり優秀だとみてよい。(写真1参照)

 指ではさむ握り方なので、英語では”ピンチ・グリップ”と呼んでいる。20kgのプレートを2枚重ねてもちあげられたら、あなたは指力における怪力者と呼んでもさしつかえあるまい。
記事画像1

枕びき

 昔は木枕というのがあったそうである。丈夫な角枕だから、これを向い合った2人が片手でピンチ・グリップしてひっぱり合いをするという力技がその昔はあったらしい。

 私の祖父はこれが得意で、近郷近在の力持ちの誰がきても負けたことがなかった、ときいている。そして、「ワシは天下の横綱とでも対等に手合わせすることができる」とまで豪語していた。というのは、自分がもし負けそうになったら、木枕を「握りつぶす」というのだ。「2人が反対方向にひっぱっているとき、指で木枕を捻れば木枕が割れてしまうので、勝負がつかなくなるだろう」というのが祖父の奥の手であった。

 最近はこのような枕はないが、たとえば適当な大きさに切った角材を使ってもよかろう。ただし、指の当る両面が平行でなくてはならぬことはいうまでもあるまい。(写真2参照)

中指でひっぱる

 さきにポール・フォン・ベックマンが、右手の中指で懸垂屈腕をした話をしたが、台をはさんで2人が向い合って立ち、片手の中指の第2関節を互いにひっかけたまま、ひっぱり合いをするのも面白い。ただし、このときひっかけた指に捻る動作を加えてはならない。中指の関節が折れぬとも限らないからである。むろん、これは中指だけに限らず、人差指、薬指、小指などについてもできることはここで断わるまでもなかろう。(写真3参照)

 この中指の力という点では、先年亡くなった腕角力界の雄、辻井鶴吉氏が強かったのを想い出す。

 うろ覚えながら、確か昭和32年頃のことだったと記憶するが、同氏が早稲田大学のウェイトリフティング部に私を訪ねて来られたことがある。このとき、ちょうど部員の1人が100kgで何かの運動をやっているのを観た辻井氏は、この重量を中指1本でデッド・リフトをしてみようといい出したのだ。早速、指をひっかけ易いように針金をバーに巻いて、把手を別につくり、その針金をタオルで包み、指に針金がくいこまぬようにした。同氏はこれを右手の中指だけでひざの高さまでもちあげたのだ。この間、左手は左ひざの上において、中腰姿勢のままであった。

 だが、史実を調べてみると、中指一本でもちあげた大記録の中には次のようなものがある。
① アメリカのサウスカロライナの住人R・S・ウィークス(身長175cm、体重100kg)が、1940年代に760ポンド(約345kg)をもちあげた。

② アメリカのニュー・ジャージーに住むジャック・ウォルシュ(身長166cm、体重82kg)は、1950年に670ポンド(約304kg)をもちあげた。

③ アメリカのブルックリンに住むウォーレン・L・トラビス(身長172.5cm、体重84kg)は、1907年に667ポンド(約303kg)をもちあげた。

 これらの記録は、挙上した物体の構造がそれぞれ違い、当然、指をひっかける把手の大きさなども問題になるので、どれが一番すぐれているとはいい切れない。しかし、それはさておき、いずれにしてもともかく想像を絶するような力がいることだけは確かであろう。
記事画像2

片手の懸垂は

 ボディビルディングでは、懸垂屈腕をトレーニング・コースに包含することが多い。というのは、この運動が広背筋の発達に寄与するところが大きいからである。現在の世界第一流のビルダーで、この運動を採用しなかった者は1人としていなかった、といっても過言ではなかろう。

 だが、片手で懸垂屈腕を試みることはほとんどない。近代ボディビルディングの始祖といわれているドイツ人、ユーゼン・サンドウは、その肉体美で有名になっただけでなく、筋力の点においても20世紀初頭までの世界をつねに湧かしてきた。彼は片手のどの指ででも懸垂屈腕ができたと伝えられている。もちろん親指1本でもこれが可能だったのである。

 片手で懸垂屈腕をするときには、必ずひじを完全に伸ばした状態からひじを曲げていくようにしなくてはならない。少しでもひじが曲っていると、動作が楽になるからである。

 もし、伸ばしたひじを曲げていくのがいやなら、はじめからひじを曲げておいて、そのまま何秒間その姿勢を保てるかを競争してもよかろう。ひじの角度を直角くらいに保って行うとさらによい。体重の軽重によって差異があるが、ビルダーなら10秒間はできなくてはなるまい。(写真4参照)
記事画像3

タイガー・ベンド

 懸垂運動は、あなたの上腕二頭筋と上腕筋の力をテストできることは、ここで改めて断わるまでもあるまい。

 では、上腕三頭筋のテストにはどんなものがあるだろうか。むろん、フレンチ・プレスのような専門的種目もあるが、本稿ではこれを除外して、全く『変わった形の運動でもってテストを行うことにしよう。

 それにはタイガー・ベンドという運動が面白い。高山先生の英語講座の読者なら、もうすぐこの言葉自体の意味がおわかりのはずだ。タイガーは虎、ベンドは屈曲である。しかし、これだけではまだ意味が通じない。多分、虎が前足を曲げ伸ばしする様からこのような運動名がつけられたものと思われる。これは次のような動作の説明を読めば理解できよう。

 「両手の手のひらを開き、前腕部をぴったりと床において一一または床からわずかに離した姿勢で一切反動をつけないで、両ひじをまっすぐ伸ばす動作をくり返す」(写真5参照)

 これがその動作の説明だが、動作はゆっくりと両ひじの伸びが一様になされなくてはならない。つまり、さきに右ひじだけを伸ばしかけて、それから僅かに遅れて左ひじが伸びていくというのではうまくないのだ。むろん、バランスが悪ければ、両足裏を壁につけて行なってもよい。

 また、床の上では床に顔が触れそうでやりにくいという向きには、平行に並べた2つのベンチの上でこれを行うようにおすすめしたい。そうすれば両ひじを曲げたときに顔が2つのベンチの間の空間におりるので動作をやり易い。

 このタイガー・ベンドは、ビルダーなら行なえて当然である。

鉄棒でこんな運動を

 では、ここらで少し趣きを変えてふたたび鉄棒を利用してできるテストを2つ記してみる。いずれも静止姿勢を保つので、アイソメトリックスだと心得ていただきたい。体操競技の鉄棒の選手になったつもりで頑張ってみることだ。

 その1つは吊り舟という種目である。まず、鉄棒に両手でぶらさがり、両足を鉄棒の下で両腕の間を通して、いったん下にぶらさげた形をとり、そのまま両脚をうしろ上にもちあげて、全身をまっすぐ水平に保つのである。上腕部で広背筋をしめつけるようにして力を入れることだ。両脚を揃えて伸ばしておいた方が形もきれいである。この姿勢を何秒間保てるだろうか。強い背筋や腕の筋力が必要な種目である。(写真6参照)

 さて、もう1つの運動は、いま説明した吊り舟とは反対の姿勢で静止するのである。つまり、両手で鉄棒にぶらさがったら、そのまま両脚を揃えて伸ばしたまま前方にもちあげ、そのまま全身を棒状に保って水平姿勢を保つのだ。両腕を伸ばしておいても、いくぶん曲げておいてもよかろう。この運動もまた腹筋をはじめ腕など全身の筋力を要するものである。(写真7参照)
記事画像4

腕立て伏せの変型

 ところで、腕立て伏せをあなたは一体どのくらいの重量を背中に載せてできるだろうか。これは、背中の上に人を載せてやってもよい。

 昭和42年のある日、私は前述した腕角力の辻井氏(故人)から電話を受け相撲の清国関が自宅に遊びに来ているから出かけて来ないかと誘われた。早速出かけていった私は、辻井氏、清国関の3人で例のごとく力話に花を咲かすことになった。

 そのうちに、辻井氏が腕立て伏せの話をもち出して、私に清国関を背中に載せてやってみては、ともちかけた。もちろん私は試みた。そして、やっとこさ成功することができた。すると、今度は清国関が私を背中に載せて2回腕立て伏せに成功した。私の体重が90kg、清国関の体重115kgぐらいだったと覚えている。このような力比べも、いまになってみるとよい想い出になった。これは現在、大関として奮闘している清国関の腕力をうかがい知るのによい話題だと思う。

 一般の人よりはるかに自分の体重自体が重く、その上に筆者を載せているのだから、腕への抵抗はひときわ大きかったことであろう。それに、関取りの場合は、専門的にこのような運動をしているわけではないのだから、ずいぶん大きなハンディキャップがあったはずである。

 話は違うが、私はディビッド・P・ウイロビーの書いた”The Super Athletes”(すぐれた競技者たち)という本を読んでいて、びっくりしたことがある。

 それは、1956年にアメリカのコロラドに住むルイス・ゲルツという人が、腕立て伏せをしてひじを伸ばしたまま両手の位置を前方に大きく移動させて胸・腹が床から少し離れた位置(両手の手のひらと両足先だけしか床には触れていない)で、背中に70kgのおもりを載せて支えることができた、という話を知ったからだ。(写真8参照)

 このときのゲルツの年令は、驚くなかれ75才だったのである。あなたなら果してどのくらいのおもりに耐えられるだろうか。かなり強い腹筋と腕・肩・胸の力がなくては果せない運動である。
記事画像5

ピサの斜塔

 いつだったか忘れたが、確かもう5~6年前のことだったと思う。

 私が指導している国立競技場トレーニング・センターに、故三島由紀夫氏が来られて入会手続をとった。このとき私が氏にお目にかかったのは10数年ぶりのことで、この間にずいぶん体格がよくなったのにびっくりしたことを覚えている。

 彼は私に次のような腹筋運動を10数回くり返してみせてくれた。

 まず、ベンチの端に近い部分に両肩をおいて上向きになり、両手を頭のすぐうしろでベンチの側面をしっかりともって上体を固定したまま、両脚を揃えて上方にもちあげる。そして、全身を棒状にまっすぐ伸ばしたまま、両肩を軸にして90度以上に全身をもちあげたりおろしたりするのであるいうなれば、ピサの斜塔である。(写真9参照)

 この運動を一度おやりになればわかるように、たんに腹筋だけでなく、腕や腰部の筋肉にも強い負担がかかってくることがわかる。ビルダーである以上は、少なくとも10回以上はこの動作をくり返せるようになって欲しいものだと思う。

 また、この運動にバリエーションを加えれば、アイソメトリックスとして活用することもできる。全身を30度とか45度といった角度にじっと何秒か止めて、そのときの秒数を競うのである。トレーニングの合間にパートナーと競争してみるのも無意味なことではあるまい。だが、静止しているときに、腰が曲っていてはならないのだ。横にいる立会人は、この点に十分注意の目を光らせていただきたい。
記事画像6
 各運動のモデルは老令(?)の私がからだにムチ打ってつとめた。解説の正しい姿勢とはいくぶん変わった姿勢になっている運動があるかも知れないが、その点は43才という年令に免じてお許しをいただきたい。

☆珍しいボディビルの記念切手☆

記事画像7
 この珍しい記念切手は、昨年11月22日、イラクのバクダッドで行われた1972年度のIFBB総会と、ミスター・ユニバース・コンテストを記念して、イラク政府が発行したものである。

 この行事に対するイラク政府の熱の入れようはたいへんなもので、世界各国から集まったIFBBの役員や選手たちに対して、まるでVIPなみのあつかいだったという。

 コンテストの会場には、政府高官、政界財界のお偉方が、着飾った奥さんを同伴して顔を見せ、日本のコンテストでは考えられないような華やかな国際舞台が展開された。
(切手は遠藤光男氏提供)
[ 月刊ボディビルディング 1973年5月号 ]

Recommend