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吉田進のぶらりパワー旅 2012年アジアベンチプレス選手権の巻

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文と写真/吉田進[ 月刊ボディビルディング 2013年1月号 ]
掲載日:2017.07.18
9 月18~21日/アルマティー, カザフスタン

9 月18~21日/アルマティー, カザフスタン

私はカザフと縁が深いのだ

私が初めてカザフスタンを訪れたのは1993年。19年前。事の起こりは1991年、当時のソ連パワーリフティング協会がアメリカと日本から数名の選手を招へいした日米ソ連友好親善大会(我々が滞在中にソ連邦が倒れロシアとなった)。その時に会ったカザフ地方の代表だったセルゲイ・コルゾフ氏が、その後独立したカザフスタンのパワー協会の理事長となり、93年に日本カザフ友好親善大会を企画してくれた。

初めてのカザフは暗い国だった。広い道路にはほとんど車も走っていなかった。我々が泊った施設はホテルではなくサナトリウム。療養所だ。食べ物はクロパンとホンの少しのサラミと人参の細切り。でも見るものすべてが珍しく参加した日本人選手は貴重な体験をした。

1998年にはアジアパワーリフティング選手権大会を開催するほど力を付けたカザフ協会。でも街はまだ暗かった。2003年再びアジア選手権。このころ街はにわかに変わり始めていた。新しいビルもでき始め、自由圏となったカザフが経済的発展を始めたころだった。カザフ協会をリードするセルゲイ・コルゾフはそのころ小さな中古のベンツに乗るようになっていた。

しかし、2004年だったと思うが、セルゲイが突然の心筋梗塞で亡くなった。そして、どんどん上向いていたカザフがアジア選手権にもほとんど選手を送ってこなくなった。カザフパワーの冬の時代の始まり。

しかし国内で選手は着実に力を付けていた。その結果、世界選手権で上位に入賞する選手がすこしずつ増えてきた。カザフ協会は新しい事務局長にセルゲイ・キムを起用。彼はセルゲイ・コルゾフの再来だった。政府の補助金を多く獲得し、多くの世界選手権、そしてアジア選手権に最高の選手を送り始め、世界で、そしてアジアでカザフの存在感を示し始めた。そして、9年ぶりにアジア選手権をカザフで開催することを決めてくれた。

変貌するカザフ

約10年ぶりのアルマティーの街は激変していた。道の幅はもともと広いが、その道が車で埋まっていた。しかもぼろ車ではなく世界の最新の車で。トヨタが目立ったが、ドイツの高級車も多い。逆にアメ車は少ない。道の両サイドにある大きな並木はよく管理され街は緑の印象が強い。その中にここ10年で建設された新しいビルがあちこちに目立つ。歩いている人は世界共通のファッション。ふとここは一体どこなんだろうという錯覚に落ちる。

我々のホテルは最新ではないが4つ星のまあまあのホテル。大会会場の体育館までは歩いて3分。この体育館の周りにはアイススケート場や格闘技場などいろんな施設が連なっていた。我々が会場の体育館に向かうと、これから練習を始めるらしい女子のアイスホッケーチームとよくすれ違った。昔と違って皆明るい。目が合うと挨拶してくれる。

試合会場に観客席がない?

今回のアジアベンチプレス選手権にカザフ連盟は結構な予算を獲得したようだ。たとえば会場には新品のエレイコのベンチ5台(1台が試合用、4台がアップ用)、5セットのエレイコのバーベルセット。これだけで相当な金額となる。体育館に巨大なバックボードがセットされ、ステージもがっちりと組んであった。ただ会場の体育館に観客席がない。

びっくりしてカザフ主催者に伝えると、「体育館の周りに作りつけの観客席が2000席あるじゃないか。それで十分でしょう」と全然取り合ってくれない。私が粘ると最後に「明日から可能ならば観客席を中央に置く努力はするーー」とあいまいな答え。

実は、その後も観客席は増えなかった。大会に関するセッティングの常識が違うと、こういうことになるのか?他の準備に関してはほぼ完ぺき。ドーピングテストに関してもカザフの政府の後押しで日本のJADAに相当する機関が全て採尿から分析までを担当してくれた。

日本マスターズ世界記録旋風

日本選手団は21名で構成されていた。その大部分がマスターズというかなりの変則、いやへそ曲がりチーム。しかし日本のおじさんおばさんは強かった。

まずは一般の部に出た(実は女子M2)の増山朱美、ダントツのリードを保って優勝。110kgはM2の世界記録だった。

この大会唯一のM3女子、中沢久美子。元気溌剌でカザフの関係者をびっくりさせつつ、当然優勝。

日本女子唯一のジュニア57kg級の藤原のどかは、ただ一人三ケタ100kgに成功しこれまた優勝。押す距離が短く記録はどんどん伸びそう。これから日本のベンチプレスを背負って立つのではないか?

M2・63kg級の古味良子はスタートで113kgの世界記録。M2ではダントツ孤高の出来だった。

これで目が覚めた男子マスターズ、快進撃が始まった。

・M3・66kg級、佐藤恵二。きつい減量をものともせず171kgのM3世界記録で優勝。あの馬籠さんの持つ記録を破ったということで二度びっくり。
・もっとびっくりしたのがM4(70歳以上クラス)の竹井保満。実際は84歳でM5なのだが、まだそのクラスは無い。10歳以上歳の差がある「若造」と戦い見事優勝。92.5kgは80歳を超えてからの自己新記録。ブラボー!
・世界記録挑戦と言えばM2・120kg級の古城資久。一本目の230kgを軽く決めた後、273kgの世界マスターズ新記録に挑戦。惜しいところで失敗だった。
・M2・93kg級の北川武は三本目235.5kgの世界マスターズ新記録を申請したが係員の勘違いで235kgへの挑戦となり成功。優勝を決めたが、「ここには世界記録を取りに来た!」ということで、その成功をキャンセルし、再度235.5kgに挑戦。ただし前の試技で力を使い果たし、失敗。
・93kg級はM2の中では一番レベルの高いクラスだった。その証拠に戦った3人がそのままM2ベストリフターの1位、2位、3位だった。ちなみに2位はキルギスタン。3位は飯島修、210kg自己新記録だった。
・日本選手はまだまだたくさんいるのだが、合計21名をこのペースで紹介すると予定ページを大幅に超えるので、以下結果と順位を記す。

一般59㎏級 松岡俊 90kg 3位
M1・59kg級 藤井一男 150kg 優勝
M2・59kg級 飯塚進市 失格
M166kg級 藤野信二 142.5kg 優勝
一般74kg級 井上和明 220kg 3位 
(230.5kgのM1世界記録挑戦は失敗)
M3・74kg級 市川つとむ 115kg 優勝
ジュニア83kg級 福岡広輔 180kg 3位
M2・83kg級 石本直樹 200kg 優勝
ジュニア105kg級 岡本一成 210kg  3位
M2・105kg級 前田光生 197.5kg 2位
M1・120kg級 岡山三紀 220kg 2位
M1・+120kg級 福島康人 220kg 3位

カザフのレベルに日本も真っ青

カザフのベンチプレスはいつの間にか世界に追いついてきている。その中で目立った選手はやはりルスタム・ユルチエフ。太い腕と巨大な大胸筋。スタートの300kgで軽く優勝を決めて世界記録更新の326kgに2度挑戦したが、今回は失敗。いずれにせよ世界最強の一人であることは間違いない。

以前100kg級で世界チャンピオンだったセルゲイ・バイガントもちょっと調整不足で優勝はしたものの、記録は292.5kg止まりだった。一般のベストリフターは83kg級のアスカー・ショカノフ。272.5kgで優勝。まだまだ余力を残している感じだった。

ほかの国もレベルを上げている。一般の部で日本も本腰を入れないと、いつの間にかアジアで勝てない日が来るかもしれない。
著者の古い友人カイール(左)

著者の古い友人カイール(左)

カザフナショナルコーチ大出世

突然政府の高官がアジア連盟の首脳陣に会いたいと言う話が伝わってきた。試合4日目のこと。戦いは男子の120kg級。試合で言えば一番面白いところ。その高官は何を思ったのか、試合中にもかかわらず我々APF幹部を呼び出したのだ。

しぶしぶ指定の場所に行くと、その高官は何と私の古いカザフの友人カイールではないか!93年のカザフでの友好親善大会の時に彼はカザフ側のコーチ。大会後のパーティで我々にウォッカを強要し、ほぼ日本チーム全員がつぶれてしまった。その時からの長い付き合いのカイール。最後に会ったのは2003年。その後仕事が忙しくて協会はやめたと伝わっていた。実は彼はもともと政府の役人だったようだが、どんどん出世し、今ではスポーツ省のナンバーツー。つまりスポーツ大臣の一つ下の位置にいるらしい。

たとえばカザフの政府が様々なスポーツに予算を振り分けるとき、その最終承認は彼がするという。ロンドンオリンピックでも入場式の時、先頭を歩いていた。

ひとしきり昔話に花を咲かせた後、軽く軽食を取ろうということでホテルに移動。このホテルの豪華なこと。カザフにこんな超一流のホテルがあったとは! そして軽食とは言うものの、やはりウォッカだった。友情を確かめるのはウォッカしかないとばかりに、まだ陪審員の仕事が残っているのに、乾杯、乾杯になった。ここでつぶれてはまずいと思い、乾杯は2回まで、後は申し訳ないけど試合は続くのでと断った。

カイールが言うには、パワーリフティングとボディビルディングには特別の配慮をすると。来年のアジアボディビル選手権大会も支援するし、近い将来パワーの世界選手権を招へいしたいとのことだった。実に楽しみ。
調子が悪いながらも100kg級で優勝したバイガント(上)と83kg級優勝のショカノフ。ともにカザフの選手だ

調子が悪いながらも100kg級で優勝したバイガント(上)と83kg級優勝のショカノフ。ともにカザフの選手だ

モンゴルは相撲だけじゃない

モンゴルは大会ごとに参加選手がじわじわ増えている。選手たちの体を見ていると、どんどん大型になっている。しかも体つきが何如にもたくましい。

今回は7、8名の選手が参加していたが、一番強い選手はM1の+120kg級のプレブ・ボルバーター。285kgを軽く押していた。

モンゴル人は羊の肉をガンガン食べる肉食の民族。しかも大相撲でわかるように頑強でいて動きの速い筋肉をしている。ベンチプレスやパワーリフティングのテクニックに磨きをかければアジアのトップを張るのも夢ではない。

特に来年のアジアベンチプレス選手権はモンゴルのウランバートル。彼らは自然と気合が入るだろうし、ベンチプレスの人気も上がるだろう。どこまで強くなっていくのか見届けたい。
M2の年齢ながら一般の部に出場し、ぶっちぎりで優勝を果たした増山(写真右)。中沢は女子M3で優勝

M2の年齢ながら一般の部に出場し、ぶっちぎりで優勝を果たした増山(写真右)。中沢は女子M3で優勝

ジュニア57kg級で優勝した藤原。このクラスで唯一3桁を出した(写真上)。古味はM2・63kg級で世界新を出し、優勝

ジュニア57kg級で優勝した藤原。このクラスで唯一3桁を出した(写真上)。古味はM2・63kg級で世界新を出し、優勝

記事画像6

M4で優勝した竹井。他の選手とは10歳以上の差があった(写真上)。M2・93kg級3位の飯島。M2では一番レベルの高いクラスだった

記事画像7

M3・66kg級で世界新記録で優勝した佐藤(写真右)。M2・93kg級で優勝した北川。彼も世界新へ挑んだが、係員の勘違いで失敗に終わる

ジュニア105kg級3位の岡本(写真上)とM1・59kg級優勝の藤井

ジュニア105kg級3位の岡本(写真上)とM1・59kg級優勝の藤井

M2・83kg級優勝の石本(写真上右)とジュニア83kg級3位の福岡

M2・83kg級優勝の石本(写真上右)とジュニア83kg級3位の福岡

M2・105kg級2位前田(写真上)とM1・+120kg級3位福島

M2・105kg級2位前田(写真上)とM1・+120kg級3位福島

レバノンもアフガンもキルギスもトルクメニスタンも!

モンゴルだけではなく他の国のレベルも上がってきた。たとえばレバノン。初出場の国だ。まだIPFへの正式加盟が承認されていない。しかしアジアはあんまり気にしていない。一般の+120kg級に一人参加した。カーファラニー・フセインというが、彼は勝つことに重きを置いた慎重な試技で3本成功し優勝した。記録は275kg。彼も近い将来の300kgリフターだろう。

アフガニスタンも選手が増えてきた。その中で目立ったのはジュニア+120kg級のアリ・レザー。スタートがノーギヤで170kgだったから大したことないと思っていたら、シャツを着て280kgまで成功させた。すごい奴だ。

キルギスタンやトルクメニスタンというとなじみが薄いが、ベンチプレスのレベルはどんどん上がっている。一般の83kg級で2位に入ったヌルサヘドフは「ぼくは10年ほど前は一人でアジア大会に来ていたが、今回は8人の選手を連れてきた。政府の支援ももらえるようになったし、こうして毎回アジア大会に来れるようになったのは夢みたいだ」と言っていた。

アジア会議で決まったこと

インドが来年はドーピング問題でIPFから出場停止を受けた。今年はイランが同じ問題で出場停止を受けている。だから、今年と来年のアジア大会の参加人数は少ない。この大会も参加選手総数は160名。本来ならば軽く200人を超えるはずだったのに残念だ。もっと残念なのは来年の各種アジア選手権の受け手がなかなか出てこないこと。

今年の12月はインドでアジア初のクラシックパワーリフティング選手権(ノーギヤ選手権)が予定されていたが、この大会直前にインドが大会を開催するのは難しいと言ってきた。来年の参加禁止が政府にばれて補助金が大幅に減ったかららしい。

アジア会議ではそのあたりの事情を聴くと、インド連盟の役員も相当数入れ替えになり、スポンサーも減り、かなり厳しい状況という。しかし、各国の事情を聴くと、この大会への期待は高い。それを知り、インド連盟の役員ではなくなったが、アジア連盟では依然として事務局長のスブラタ氏が大会運営を全面的に支援するということで、大会は予定通り開催と決まった。一安心。

2013年の受け手はなかなか決まらなかったが、5月に男子のアジアパワーリフティング選手権をイランで行うことになった。女子は現在調整中だが12月のフィリピンのクラシックベンチプレス選手権と同時開催になる方向で調整中。9月はモンゴルでアジアベンチ。

アジア大会はダンスで終わる

カザフの料理は至ってシンプル。大量に食べる肉にしても、チョット塩味を利かした程度でほとんど工夫がない。日本人にしては肉食の私でさえ、毎日食べているとだんだん飽きてくる。

その極め付きがサヨナラパーティで出てきた料理。カザフ語で「5本指」という名前がついていて、昔は手づかみで食べていたそうだ。餃子の皮みたいなものの上に羊の肉と馬の肉をドカンとおいて、薄塩で長時間蒸したもの。食べてみると肉そのものの味が濃厚だ。骨の付いた新鮮な肉なので、長時間煮ても歯ごたえはある。肉汁が下に敷いた餃子の皮みたいなものによくしみていておいしい。でもフランス料理のようにソースに工夫したり、イタリア料理のように素材の組み合わせに工夫があったり、日本料理のように微妙な味を追求してモノではないので、大量に食べるとやっぱり飽きてくる。

カザフのもてなし料理の代表的な物でお腹がいっぱいになりながら、パーティーは和やかに進んだ。

恒例の団体戦発表。やはりすべてのクラスにまんべんなく選手を出して来たカザフが圧倒的に強い。一般男子ではカザフ60ポイントで圧倒的勝利。2位インド38ポイント。3位モンゴル32ポイント。日本は一般男子に参加した選手が少ないので16 ポイントで7位。世界選手権を大事にする日本に対して、アジアの国々が何如にアジア選手権を大切にしているかが分る。日本がアジアの一員というよりは世界を目指している間にアジアで勝てない時代が実はもう始まっているかのようだ。

男子ジュニア団体はカザフ1位、ウズベキスタン2位、日本3位。これは日本の将来にとって明るい結果。男子M1団体はカザフ1位、日本2位、インド3位。これはまずまず。もう少し選手数が多ければ日本が圧勝できる。男子M2は日本1位、カザフ2位、インド3位。日本とカザフは同点だったが、フォーミュラ合計で何とか勝った。

男子M3になるとやはり地元でたくさんの選手を送り込んだカザフ1位、日本2位、そして3位は意外なことにアフガニスタン。彼らは点数の取れそうなところに多めに選手を送ってくるが、その作戦が成功した。M4も同じ順位。

女子団体は一般カザフ、トルクメニスタン、日本の順。ジュニアはカザフ、日本、ウズベキスタン。M1はなぜか選手が一人でアフガンが1位。M2はキルギス1位、日本2位。M3は日本。中沢さんが頑張った。

続いて各カテゴリーのベストリフター3位までが表彰され、パーティーは最後の部分に入った。

それが何かというとダンス。リズミカルな曲が大音響で響き渡り、まず出てきたのはプロのダンサーとカザフのM4リフター。75歳とは思えない元気さで踊り出す。最近恒例となったAPFの会長と事務局長(私とスブラタさん)。75歳に促されて、おずおずとパーティー会場の中央で、でたらめに踊り出す。すると徐々に選手が出てきてダンスの輪が広がっていく。途中カザフの音楽とインドの音楽が入り乱れ、みんな好きなスタイルで踊り出す。どんどん踊る人が増えて、だんだんわけが分らなくなり、私は息が切れて席に戻り、会場は暗くなったり、明るくなったりしながら踊りの輪は広がっていった。

踊りながら、みんな仲良くなり、大会の成功を祝い、戦い終わった安ど感を分けあい、次の再会を祈り、別れを惜しむ。さよならパーティーは熱気と汗と人いきれで永遠に続いていった。
アジア役員(上)と大会会場

アジア役員(上)と大会会場

文と写真/
吉田進
[ 月刊ボディビルディング 2013年1月号 ]

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