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第8回世界クラシック・ボディビル選手権
2013 年11 月15 日(金)~ 18 日(月)
オーストリア

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[ 月刊ボディビルディング 2014年4月号 ]
掲載日:2017.09.06
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世界クラシック大会とは

 2013年の国内大会は、7月の神奈川県ボディビル選手権から9月の日本社会人ボディビル選手権まで約3ヵ月間の大会シーズン中に合計5大会に出場しました。「世界クラシック大会の代表」に選ばれることは、デビューした2010年からの目標でもあり、8月の日本クラッシック選手権の優勝が絶対条件となると考え、大会の中でもコンディションや調整を最も意識して、日本クラシック選手権には臨みました。

 結果として優勝でき、大会終了後にJBBFから世界大会の代表の内定の連絡を頂いたときは、ほんとうに嬉しく、今まで競技を続けてよかったと改めて思う瞬間でした。

・2013年の国内大会記録
7月6日 神奈川県ボディビル選手権一般男子優勝
7月21日 日本クラス別ボディビル選手権65㎏級準優勝
8月4日 関東ボディビル選手権一般男子3位
8月25日 日本クラシック選手権165㎝級優勝
9月1日 日本社会人ボディビル選手権一般男子優勝

 IFBB主催の「世界クラシックボディビル選手権」は身長別に1 6 8 ㎝ 以下、1 7 1 ㎝ 以下、1 7 5 ㎝ 以下、1 8 0 ㎝ 以下、180㎝超の5階級に分かれ、86名の選手が参加しました。各階級別に体重制限が設けられていて、例えば168㎝以下は、身長ー100=規定体重となります。
 私の場合は、163㎝ー100=63㎏となり規定体重は63㎏以内になります。

○各階級の身長による体重制限(規定体重)
身長168㎝以下 体重制限:身長(㎝)ー100=規定体重(㎏)
身長171㎝以下 体重制限:身長(㎝)ー100+2=規定体重(㎏)
身長175㎝以下 体重制限:身長(㎝)ー100+4=規定体重(㎏)
身長180㎝以下 体重制限:身長(㎝)ー100+6=規定体重(㎏)
身長180㎝超  体重制限:身長(㎝)ー100+8=規定体重(㎏)

 また、今回の世界クラシック大会では「ワールドカップ・ビキニ・フィットネス」も同時開催され、168㎝以下と168㎝超の2階級で15名の選手が参加し会場を大いに沸かせていました。この2つの世界大会にはヨーロッパをはじめアジア、中東など34か国から100名を超える選手が参加しました。

 今回の世界大会は、欧州 オーストリアの「ザンクト・ベルテン」で行われました。首都ウィーンから西方約56㎞に位置し、車で約1時間の地方都市で1800年代の初期の建物、大聖堂や教会が多くあり、街全体にバロック建築が建ち並びます。

 大会時は既にクリスマスの装飾も多くみられ、教会など街全体がクリスマスの気分で盛り上がりました。

 11月としては、気温はかなり寒く、日中も10度以下で日照時間も短く、東京の1月の気候に近かったです。幸いにも雪や積雪はなく、大会中は曇りの日が多く、1日だけ雨が降りました。

 服装は真冬の用意をしていき、ホテルでは暖房が利いているので寒さは感じませんが、車や大会会場では寒さを感じる場面はありました。

 大会は、11月15日~18日の4日間で行われました。スケジュールはざっと次のようです。

11月15日 大会前日 18時~ジャッジ・監督会議、19時~検量(身長・体重計量)
11月16日 10時~15時 予選
11月17日 14時~開会式及び決勝、20時~晩餐会
11月18日 各国の帰国スケジュールによる

出発までの減量との戦い

 2013年の減量は3月から開始して、世界大会までの9ヵ月間の長期間な減量となった。特に10月中旬からは、仕事も繁忙時期に入り、トレーニングや減量も思うようにはいかなかった。体力的にもかなりきつく、この時期の減量やコンディション、調整の難しさを改めて痛感した。

 11月に入り世界大会の2週間前からは、なかなか疲労感が抜けず仕事も更に多忙を極め、トレーニングも長時間はできない状況で、1回のトレーニングも1時間以内で1日2回(早朝と夜)行うなど工夫して調整を進めることとなった。

 2週間前での体重は朝で62.5~63.5㎏の幅で日々±300g増減する状況で、確実に体重がおちている状況ではなかった。また、身長についても1日の中でも162.5~163.5㎝と1㎝の幅で伸縮するため、確実に検量をパスするためには、出発前に体重を一度62㎏ジャストに落とす必要を感じていた。それは、今回の渡航日程が前日入国もできない、強行スケジュールであったためである。

 大会前日の15日のお昼に日本を出発し、12時間フライトして時差8時間の関係で同日の15日夕方にオーストリアに到着。そのままホテルに向かい、到着後すぐに監督会議と検量を行うもので、検量までに時間的余裕がないスケジュールで、検量も調整なしの一発勝負。渡航行程で1つでもアクシデントがあれば、検量時間にも間に合わない状況になり、出国前から少しならずストレスになるものであった。

 このころ今回の監督である朝生先生と連絡をとり、規定体重ギリギリのラインで調整して、大会には臨み良い成績を残そうと色々とアドバイスを頂いていた。体重は落とし過ぎずに、確実に検量をパスできる体重にするため、直前の1週間は止まった代謝をもう一度上げ、目標体重62㎏を目指して残り500gの減量、規定体重ギリギリにするため、とにかく代謝を上げる方法を色々と試すこととなった。

 長期間の減量の影響と気温の関係からかトレーニング中でも汗をかかず代謝が上がらない状態が続いた。朝から熱めの風呂に入り、朝食は香辛料入り鍋を食べ、ジムでは熱い生姜湯を飲みながらサウナスーツに使い捨てカイロ等など、代謝を上げるためにできることは全て遣り尽くすことになった。

 また、ポージング練習も並行して行い、所属ジムの「横浜マリンジム」谷澤会長や平日トレーニングしているゴールドジム「サウス東京アネックス」にて、小沼アドバンストレーナーに世界大会に向けてのご指導を頂いた。

世界大会の雰囲気を堪能

 15日の朝は6時に起床、体重がやっと62㎏ジャストとなった「これで検量は通る」と確信できた。そのまま朝食は水300㎖にプロティン30gをシェイクして飲み込み、成田空港へ向った。

 空港で朝生監督と合流して、出国手続きを済ませ、携帯した体重計で1度体重を量ると62.3㎏。12時25分に定刻通りオーストリアに向け出発した。

 12時間のフライト中は、いかに体重をキープするか、代謝を下げないことを意識して、一睡もせず、サウナスーツ上下を着こみ、使い捨てカイロを数個、簡易的なサウナ状態を作って代謝を上げて12時間中の約4時間は機内を歩き回っていた。

 汗をかいてはインナーを着替え、体重は1時間に1回は機内のトイレで量り確認する。しかし、デジタル計はピッタリとは止まらない±400gの増減で表示し続け、飛行中は正確な体重が量れないことを知る。

 水分は排尿した分を暖かい飲み物のコーヒーや日本茶を飲むようにし、2回の機内食( 糖尿病用の低脂肪、減塩食) も体重を計りながら口にした(尿は計量カップ、機内食も重さを量かった)。CAや他の乗客も最初は奇妙な目で見ていたが、2時間もするとCAから「ホットコーヒーは?」と笑顔ですすめられる。

 飛行機からの景色では、ロシア連邦だと思うが、数時間も何もない平原の上空を飛び続け、太陽が大きく鮮明な赤だったことが印象に残った。

 予定どおりの現地時間の16時過ぎにウィーン国際空港に到着。空港にはIFBBの関係者が迎えにきて、そのままホテルに向かう予定だったが、8人乗り大型ボックス車は、ポーランドとイタリアの関係者(残り6名)の到着を約30分程度待つことになった。検量時間に間に合うのか、内心はハラハラして出発を待つこととなった。

 結局、ホテルに着いた時には、監督会議は終了していて、私の階級の検量が開始されると告げられた。慌てて、チェックインを済ませて宿泊する部屋に駆け込む、自分の体重計で測定すると62.5㎏で予定通の体重となった。本番の計量では、身長は163.2㎝で体重は62.0㎏で無事計量をパスした。
※検量前にホテルのチェックインを済ませないと「追加代表団」と扱われ、大会中色々な規制、ペナルティを受けるので朝生監督と大いに慌てた。

 168㎝級のエントリーは11名であったが、検量をパスできない選手が3名いて、明日の予選は8名の選手で競技が行われることになる。ただ、この検量時点でもエントリー数や参加国などは一切わからない状態であった。前段の監督会議に参加していれば情報が入るのかも知れない。

 後で分かったエントリーの8選手は、オーストリア、ブルガリア、クロアチア、韓国、アゼルバイジャン、スロバキア、イランと日本の8か国の選手。そのうち、オーストリア選手(身長163.3㎝、体重63.3㎏)、イラン選手(身長167.2㎝、体重67.2㎏)の2名は身長に対する、規定体重をピッタリで検量しているのには驚かされた。なお、検量をパスできなかった3名(イラク、トルコ2名)は、クラシック大会でなくオープンボディビルに参加することとなる。検量をパスできなかった選手は全階級で5名であった。

 ところで大会期間中はIFBBの用意した4つ星ホテル「Metropol」に全ての選手や関係者が宿泊する。ロビー、ラウンジ、レストランなどホテルの施設全が大会選手や関係者など、巨漢だらけであった(ヨーロッパ選手は長身で大柄、たった4人でエレベーターのブザーが鳴っていた)。

 用意された部屋はツインベッド、ユニットバスだがバスタブがあり、シャワーだけと思っていたので湯船に入れるのは、非常に助かった。バスタブはかなり大きく、バスルームのスペースも同様に広い。ここに持参したブルーシートで養生して、朝生監督に手伝って頂きながらカラーをこの日の夜に塗ることができた。日焼けも国内大会同様に焼き込み、プロタンは出国の2日前から塗りこんであったので、すでに肌質、色ともに良い状態となっていた。

 実は、カラーを使用するのも初めての経験であった。私が大会デビューした翌年の2011年からは、国内大会でカラー禁止となり、使用経験がなかった。

 大会期間中は食事も全て提供される。ホテルの2階にある大きなレストランで全選手が食事をとる。

 主なメニューはライス、ジャガイモ、鶏の胸肉、魚のタラとトマト等の野菜や果物が山盛りで置かれている。毎食ビュッフェ形式で、朝食はこれに種類が豊富なパンとチーズ、生ハムとダルボ社の果肉たっぷりのジャムが出された。

 このチーズと生ハムはとても美味しかったが塩分を気になり、出国の最終日まで我慢することにした。リンゴは日本の物より小ぶりだが甘酸っぱくとても美味しい。期間中15個をジャムと合わせてカーボアップ用に良く食べた。

 また、長身の選手達の食べる量の多さと言ったら「こんなに食べて大丈夫なの?」と驚かされた。 会場は、1400人収容の「Veranstaltungszentrum」( 通称:VAZ)、コンサート等の会場として使われている。建物自体は横に大きく、1階のアリーナ席だけでもかなりの観客が収容できる会場であった。ファーストフード店が観客席の横にあり軽食を食べながら見ることができるようになっていた。ステージの大きさ、設営規模やスケールが大きい。

 また、ハンガリーのサプリメントメーカーの出店もあり、世界大会の雰囲気を大いに感じた。 この会場までは車で約30分移動するのだが、空港送迎時の乗客8人の大型ボックス車が4台でシャトル運行する。要領よく乗り込まないと車がホテルに戻るまで、ロビーで待つようになりホテルからなかなか出発できない。実際に決勝の日は何台か乗れなく、最後は朝生監督とは別々の車に乗り込み会場に向かった。
街全体にバロック建築が建ち並ぶザンク ト・ベルテンの商店街。

街全体にバロック建築が建ち並ぶザンク ト・ベルテンの商店街。

大会ホテルの食事会場。

大会ホテルの食事会場。

ビュッフェ形式でライス、ジャ ガイモ、鶏の胸肉、魚のタラとトマト等が並ぶ。

ビュッフェ形式でライス、ジャ ガイモ、鶏の胸肉、魚のタラとトマト等が並ぶ。

心配していた検量も無事パスし、 カメラマンに向かって1ポーズ。

心配していた検量も無事パスし、 カメラマンに向かって1ポーズ。

不完全燃焼の予選

 16日の予選は午前10時から行われる。外がうす暗い7時から朝食をとり、早めに会場へ向かい、ようやく明るくなる9時頃に会場入った。

 カラーは、ジャンタナを2種類、念のためドリームタンも持参したが、朝生監督と相談して渇きの早いジャンタナのクリームタイプを使用した。あとは、直前にステージ用のオイルを塗って予選に臨むこととした。

 昨夜の監督会議に不参加のため進行順がはっきりしない、朝生監督が大会運営者に確認したところ、進行はビキニから始めて、そのあとにクラシックの審査を行うと説明があった。

 選手控室は、ステージの左手真横にあり大きな倉庫といったほうが良く、かなり広く床はコンクリート、暖房は入ってはいるが、少し寒さを感じた。その寒い中でビキニの選手、身長の低いクラシック選手はカラーを塗り始めている。プロタンを塗っている選手が多かった。

 この時、カラー中のビキニ選手から「日本人ですか?」と日本語で声をかけられる。アジア系のその選手はオーストラリア代表と聞く、その容姿からハーフの方とその時は思った。

 私は既にカラーは塗り終えている。あまり早くからパンプすると体が冷えるので防寒着のままストレッチをして周りの選手の動きをみて準備を進めることにした。特に前回大会で優勝した韓国のキワン選手の行動は注意深く見ていた。

 朝生監督とは、ビキニの168㎝超級選手の集合があってから本格的にパンプアップをする計画にしたが、急に私のクラスの集合がかかる。慌てて、ステージオイルを塗って、プッシュアップを始める。

 運営者からは「整列しなさい」と何度が注意を受けるが、構わず朝生監督とパンプをやり続けた。25、24、23…と番号の大きな順に並ぶ、日本の大会とは逆に入ることとになるとパンプしながら説明聞いた。完全に準備のできない状態で渋々整列する。

 司会から1番目の選手、ゼッケン25番のイランの選手が紹介され舞台へと階段を上がっていった。「Japan。Tetsuya Hara」と紹介され階段を登り舞台へと上がった。照明はそれほど強くない、会場の状況もしっかり見られ、観客側に行った朝生監督の場所を確認する。監督と目が合い軽くうなずき、自分がさほど緊張していないことを自覚する。

 次に審査員を見渡す。最前列に20人ほどの役員が並ぶ。審査員が特定できないが、中央から左右10人が審査員と決め、しっかりと一人ひとりの顔をみて視線を流した。

 8人が並び終えると、比較審査が始まった。フロントリラックスからリラックスの4ポーズ。続いて規定7ポーズがコールされる。英語が早くタイミングも早い。プレアクションを無くして各ポーズを早めに決める。とにかくポーズの間隔が短くて、朝生監督を見て指示を仰ぐ余裕はなかった。リラックス、規定ポーズともに日本で練習してきたことはできたが、8人全員での比較は、あっという間に終わり、全員が一旦舞台の後方に下がる。

 すぐさま中央にいる審査員がマイクでゼッケン番号を呼び上げる。

 ファーストコールは18、21、22、25番と4名で現時点での上位が呼ばれた。残念ながら自分の番号はなかった。18番の地元オーストリアの選手がコールされると会場からも大きな歓声が上がった。

 上位4名が比較審査を受ける姿を見ながら、フロントリラックスを強調して待機する。 セカンドコールは残りの選手4名のゼッケンが呼ばれ、同様に規定ポーズでの比較審査。両サイドはクロアチア選手とスロバキア選手でポーズ中に体感的な圧力は全く感じなかった。

 審査が終わると4名はまた舞台後方に下がり、8名全員が横一列に並んだ。

 次は「上位と下位との比較」と思い、フロントリラックスをキープしながら待機。ところが、上下の入れ替えての比較は行われずにそのまま終了。「えぇっ」終わり?

 とにかく進行が早く、舞台には5分も立って居なかった。

 まったくボディビルしていないと思いながら舞台を降りた。
168㎝以下級比較。左より3位(アゼルバイジャン)、6位原、優勝(イラン)

168㎝以下級比較。左より3位(アゼルバイジャン)、6位原、優勝(イラン)

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 早々に荷物を片付け観客席に回り、身長の高い階級の試合を観戦して、明日の決勝の参考にする。試合は、175㎝のクラスから観戦したが、身長の高いクラスは各階級の身長幅が5㎝刻みで、180㎝超級のクラスでもさほどの身長の差がない。

 身長差、体重差ともあまり無い選手が20人規模で横一列に並ぶ、各選手の身体的な差がハッキリする。私が見ても上位の候補者とその他の選手は一線が引ける。ただリラックスの状態では上位の中の順位付けは難しく、規定ポーズのアピールで差が出ると思われた。

 また世界大会の各国代表であるが、ポージングが上手いとは思えない、何かが変なポーズの選手が数人いた。20人以上の階級においても、予選審査の進行は早かった。 翌日の決勝を備えて早めに会場をあとした。

 ホテルに戻り、予定されていた昼食をとりにレストランに行くと中止になった事を知る。19時から夕食を済ませ、部屋に戻り休憩後、朝生監督にポージングチェックをして頂いた。規定ポーズ中のプレアクションや明日のフリーポーズの表現などのアドバイスを頂き、1時間の練習により程良く汗をかくことができた。

 この夜は22時には、翌日の決勝に備え、早々に就寝することとした(この時点で決勝進出者は知らないが、日本で応援してくれた仲間はIFBBのサイトで先に知っていた)。
大会会場の外観。

大会会場の外観。

会場の内観。アリーナだけでもかなりの観客が収容できる。

会場の内観。アリーナだけでもかなりの観客が収容できる。

ステージから見る観客席。アリーナ席の後にひな壇席がある。1400人収容できる。

ステージから見る観客席。アリーナ席の後にひな壇席がある。1400人収容できる。

ロビーにはハンガリーのサプリメント会社がブース出展していた。

ロビーにはハンガリーのサプリメント会社がブース出展していた。

175㎝以下級の予選。 右から二人目がこのクラスの優勝者のロシアの選手。三人目が2位のスペインの選手

175㎝以下級の予選。 右から二人目がこのクラスの優勝者のロシアの選手。三人目が2位のスペインの選手

決勝 原哲矢6位入賞

 17日の決勝は14時から行われる。この日も早朝6時前に起床、フロントのインフォーメーションボードで決勝進出者の中に自分の名前を確認した。一安心して「今日が正念場」と気を引き締め、フリーポーズがとれる嬉しい気持ちでそのまま朝食を取る。

 食後いったん部屋に戻り、朝生監督と時間や行動を確認し、ポーズの最終確認を繰り返し行った。午前中に開催国連盟が企画した市内観光は参加せず、ホテル周辺を監督と2人で軽い散歩をすることにした。冒頭記載した通り、街全体が中世ヨーロッパそのものの街並みだが、20分程度歩くと、自然や豊かな河が流れ、休日をジョギングやサイクリングする人を見かけ、決勝前にリラックスすることができた。

 昼食の時間にホテルに戻ると昨日に引き続き、予定されていた昼食は中止となった。部屋に戻り、手持ちの食べ物で昼食を済ませ、早々に会場に向かうように準備をすすめた。

 早めにロビーに降りると各役員や選手で溢れており、朝生監督とは別々のシャトルバスで会場に向かった。

 会場には、既に韓国チームがいて、予選同様に韓国キワン選手の真横に陣取り、彼の行動に合わせることとした。決勝では、しっかりとパンプアップをして最高の状態で臨み「1つでも順位を上げるぞ」と気合が入っていた。

 開会式の準備が始まった、各国の代表2名(役員と選手)は整列するように大会運営から指示が出された。30カ国がプラカードを持ってアルファベット順に整列、オリンピックでよく見る光景が行われた。この日は雨で昨日より寒いのに、各選手はポージングスーツで20分も立った状態で辛抱強く開始を待った。

 各国の代表選手をみると長身の選手で決勝時間が後半の選手がほとんどだった。韓国代表選手も予選落ちをした171㎝階級の選手が並んでいた。

 開会式が始まった、オーストラリア(Australia)からアルファベット順に各国が舞台と上がっていった。日本は真ん中辺りの順番で、舞台でもほぼ中央の位置で朝生監督と2人で立つこと事となった。最後は開催国のオーストリア代表が入場して全ての参加国が舞台上に並んだ。

 開会宣言やオーストリア関係者のスピーチ、その後もIFBB役員の数人を表彰しスピーチなどあり、サンハント会長には開催国から大きなブロンズ像の贈呈(アーノルドがモデル)が行なわれた。最後に軍吹奏楽の演奏があり、長かった開会式が終わった。

 私は、早く舞台から降りパンプの準備を始めた。全員が退場し終わったところ「168、168!」と私のクラスの集合がかった。慌ててオイルを塗る、その場で数回のプッシュアップだけで諦めて整列をした。決勝戦もパンプアップをしていない状況で臨む。

 舞台で全員並び、リラックスポーズから規定ポーズの決勝審査「ポーズのタイミングが少し長い」朝生監督と練習したアクションも入れて、丁寧に各ポーズを決める。両サイドはイラン選手とアゼルバイジャンの選手、昨日の予選では上位4名の中の選手。予選の時とは違い筋量があるこの2人に必死に食らいついてポーズした。何人かの順番を入れ替えての全員での2回目の比較をして、比較審査は終わった。

 すると「ポーズダウン」のコール! 一瞬ポーズダウンと言われビックリした。他の選手は舞台前に出で行く、ひと呼吸遅れながらも韓国キワン選手に合わせてポーズダウンを行う。「これも審査に入る」と思いながら少し長いポーズダウンも終了した。

 全員が一旦舞台から降りる。フリーポーズの前にポーズダウンは、想定していなかった。

 さて、フリーポーズ。舞台下で順番を待つ、先頭選手は音響のトラブルか音が出なかった。 自分の番になり舞台に上がる。緊張はなく観客席も良く見える「音出てくれ」と思いながらスタンバイ。タタッ~♪ 無事に音楽が流れる、フリー曲は映画「レッドクリフ」でアジア的な印象でこの曲にした。出だしタイミングが早くなったが、すぐに調整し中盤のスローから最後の決めはぴったり合わせた。

 観客席から大きな拍手をもらい、観客へ手を振り声援に応えて退場する。全員のフリーポーズが終了して決勝審査の全てが終わった、あとは順位発表、表彰式を待つ。

 我々の表彰式は、全階級の決勝が終わる前の途中に行われた。6人がフロントリラックスで並び発表を待つ。「Japan。Tetsuya Hara」と残念ながら一番初めに呼ばれ第6位となった。5位から3位までの発表が終わり、残りは前回優勝者の韓国選手とイランの選手。2人緊張した表情で発表を待つ、2位のコールで韓国キワンが呼ばれ、優勝はイランの選手であった。

 日本での調整は完全に燃焼して、試合は完全な状態で臨めない「不完全燃焼」な結果になってしまった。これが世界大会の「何が起こるかわからない」怖さだと改めて思い知った。

 この階級の大会結果は、優勝イラン、第2位韓国、第3位アゼルバイジャン、第4位オーストリア、第5位クロアチア。

 この後、朝生監督からは4位から6位は差がなかったと聞き、更にジャジ表を見て「予選は5位」だった事を知って悔しさが倍増する。
168㎝以下級表彰式。左より6位原、4位オーストリア、2位韓国、優勝イラン、3位アゼルバイジャン、5位クロアチア

168㎝以下級表彰式。左より6位原、4位オーストリア、2位韓国、優勝イラン、3位アゼルバイジャン、5位クロアチア

ビキニ168㎝以下級表彰。右から3人目がオーストラリア代表で出場し優勝した日本人サリー山本

ビキニ168㎝以下級表彰。右から3人目がオーストラリア代表で出場し優勝した日本人サリー山本

 表彰式が終わり舞台から全員が下りると、WADA関係者から整列するように言われた。ドーピングの検査対象者をくじ引きで決めると言われ、6位の私が先頭になり全員で別室に案内される。

 このままだと一番初めにくじを引く事になると思い、わざと少し遅れて別室に入った。思った通り、部屋に入った順番でくじを引く、黒い布製の袋にゴルフボールが6つ入っている。1つだけが黄色のゴルフボールでそのボールを引いた選手が検査対象となる。2番目にくじ引いた韓国キワン選手が黄色のゴルフボールを掴んだ。

 ビキニのコンテストは初めて観戦した。選手が登場しフロントからサイド、バックと各ポーズをとりプロポーションをアピールする。バックポーズは独特で、誘惑的というか、何と表記していいのか悩む。

 ビキニオリンピアの写真は見ていたが、初めて観戦する私は、かなり驚きがあった。そのビキニにおいて、日本人でオーストラリア代表の山本サリー選手が優勝した( 予選の日に話した方)。

 決勝戦後、観戦席に回って山本選手の応援をしたが、まさか優勝するとは思いもしなかったので、その快挙は同じ日本人としてとてもうれしい事であった。彼女の特徴は日本人離れしたプロポーションで手足が長く、特にウエストが細い、表情やアピールが上手い笑顔が素敵な選手であった。

 その夜の晩餐会で、オーストラリア在住の両親ともに生粋の日本人であること。競技は、まだ3試合程度の経験と聞き、改めて彼女の快挙には驚かされた。

 18時から宿泊ホテルのレストランで晩餐会を行われた。各テーブルには、すでに前菜がセットされていて、朝生監督と私は空いている8人用テーブルに着いた。

 その後、ビキニ優勝者の山本選手と婚約者でオーストラリア人のクラッシック選手、ロシア系選手などグローバルな顔ぶれとなり、これも世界大会ならではの雰囲気となった。

 メインは、伝統料理の「シュニッシェル」鶏肉のフライが出された。日本で言うと「チキンかつ」になるのだが、肉は薄めにカットされミートハンマーで叩き、かなりのジャンボサイズ(厚さ1㎝で大きさは20㎝以上の大判型)衣自体に香辛料で味付けされて少しスパイシー。付けあわせの「ポテトクリーム」は甘みがあり、絶妙な組み合わせでとても美味しい。

 やっとビルダー食から解放されて「シュニッシェル」は3枚も頂きました。本来は、仔牛や豚肉で調理されるらしいが、世界大会では宗教上の配慮もあり鶏肉で出されていた。

 晩餐会では、ワインのアルコールもあり、とても楽しい中で最後の夜は終わっていった。

多くの事を学んだ

 最終日18日。この日も6時には起床して7時過ぎにはレストランで、最終日の朝食は、生ハム、チーズや出来立てのパンとオーストリアコーヒーをゆっくりと頂いた。

 ホテル出発まで時間があったので朝生監督と2人で「ザンクト・ベルテン」市内観光ではないが、街の中心を散策して駅や大型スーパーにも行ってみた。

 ホテルからは往路と同様に他国の関係者(スロバキア)と一緒に空港まで送迎して頂いた。

 ウィーン国際空港は13 時に出発して約12時間のフライト後の成田空港には定刻の日本時間の19日の午前8時に到着。空港の到着ロビーで朝生監督とは最後に握手をして別れ、これで私の世界クラシック大会の挑戦は無事に終わった。

 世界クラシック大会に出場して感じたことは色々あった。

 競技としては、リラックスポーズ、特にフロントが重要で審査員の印象に残らないと予選通過は難しい。リラックスの取り方やアピール方法も色々あり、ヨーロッパ選手は上手く勉強になった。世界クラッシック大会は、欧州の開催が多いので、ヨーロッパ選手の取り方に合わせる事も必要である。

 また、11月や12月に開催されるため、気候などの条件下でのコンディション対策も重要である。

 身体的な点では、体重制限はあるが、先ほどのフロントでのインパクトを考えると肩幅の左右への張り出し、腹筋の大きさ、大腿部等、私自身としての改善点を今後のトレーニングに取り組んで行きたい。

 世界大会では、アクシデントにいかに対応できるか、柔軟性や臨機応変さと精神的なタフさが必須である。ナショナルチームとして、韓国は選手2名、役員4名とスタッフも充実し、各国代表も関係者が多かった。

 しかし、日本代表は2人で大会に臨んでいるので、少し余裕があるスケジュールで周到な事前準備を行えれば、もっと良い結果は残せるだろう、今回の貴重な経験を今後に繋げれば良いのではと思っている。

 最後に世界大会に参加して多くの経験をさせて頂き、この機会を与えて頂いたJBBFの関係者の方への感謝と私の挑戦をサポートして頂いた方々にこの場を借りてお礼の言葉を述べたい「有難うございました」
韓国の二人の選手と。

韓国の二人の選手と。

晩餐会で出された前菜。

晩餐会で出された前菜。

オーストラリアから出場していた日本人のサリー山本選手。

オーストラリアから出場していた日本人のサリー山本選手。

決勝前に散策をした市街地

決勝前に散策をした市街地

レポート&写真提供=原 哲矢
[ 月刊ボディビルディング 2014年4月号 ]

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