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特・別・取・材 PRINCESS TOMO “みなみちゃん”に憧れて

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三國智子(みくに・ともこ) 1978年7月8日生まれ(30歳) 静岡県富士市出身 身長165cm、体重58kg(オン)、65kg(オフ) トレーニング歴7年 4人兄弟の次女 職業・OL、インストラクター 所属・石坂トレーニングセンター コンテスト歴:05年オールジャバンミスフイットネス優勝、06、07、08年オールジャパンミスフィットネス&ボディフィットネス優勝、07年東アジアミスフィットネス優勝(トールクラス)、08年アジアミスフィットネス3位Text&Photo:Ben[ 月刊ボディビルディング 2009年5月号 ]
掲載日:2017.06.22
初出場の05年オールジャパンミスフィットネス

初出場の05年オールジャパンミスフィットネス

2005年日本のフィットネス界に一人のヒロインが誕生した。その人の名は“三國智子”。この年のオールジャパンは、常に日本のトップとして業界を牽引してきた齋藤円・山中輝世子の二人が揃ってプロ転向を表明し、また望月朋子、中村静香の過去の優勝者が欠場するという事で出場メンバーに恵まれない大会であった。しかし、170cm近い長身でありながらアクロバティックなパフォーマンスを披露し会場を大いに魅了した三國智子の出場で、救われる事となった。そして初出場でありながら優勝を飾り,その後現在まで彼女を脅かす存在は現れず、フィットネス界の新たな女王の座に君臨したのである。そんな“フィットネス界のプリンセス”三國智子の魅力を紹介しよう!

“みなみちゃん”に憧れて

三國選手のステージ上でのパフォーマンスを見た人ならばある程度想像できると思う。167cmの長身でありながら、体操選手張りのアクロバティックな動きには器械体操のバックボーンがあるのではないかという事を。

実際、三國選手は小学校3年生から中学を卒業するまでの約6年間器械体操に身を投じていた。本人は「大した成績を残していませんよ」と言ってはいたが、友達と遊んだ記憶がないほど練習に明け暮れていたともいうことから、その練習量の凄まじさは想像に難くはない。フィットネス選手権のステージ上で窺える彼女の厳しい表情は、そういった厳しいスポーツ選手時代を物語っているのかもしれない。

しかし、一旦ステージを降りた素顔の三國選手は、非常に明るく、流行りものの好きそうな“いわゆる可愛い女の子”である。話口調もおっとりとした感じで、“近寄り難い”と思えるステージでの印象とは全く違うものだ。まあ、このギャップ自体が彼女の魅力の最たるものと言えるのかもしれない。ステージ上の彼女しか知らない人は、一度会場で話しかけてみては如何かな。

少し話がそれてしまったが、三國選手のあのダイナミックなパフォーマンスは、幼少時代の器械体操の経験が大きくものを言っているという事なのだ。その器械体操を始めたきっかけは?と本人に聞いてみた所、彼女は少しはにかみながらこう答えた。

「みなみちゃんがリボンを回していたから」

私自身、三國選手のこの答えを聞いた時、“みなみちゃん”というのは近所のお姉ちゃんか何かなのだと受け取ったが、よくよく聞くと当時テレビで放映されていた『タッチ』というアニメに登場するヒロイン、浅倉南の事であった。その浅倉南は高校の新体操部に所属し、リボンをくるくる回している姿をテレビで見て憧れを抱いたという安直な事なのだそうだ。そして、タッチのアニメを見ながら「みなみちゃんみたいになりたい」と呟く三國選手を見た彼女の兄が「同級生にやっている子がいるよ」と申し込みのチラシをもらってきてくれた。そのチラシには器械体操を行なう子供たちの姿しか載っていなかったが“この体操クラブに入会すれば、みなみちゃんみたいにリボンを回せる”とすっかり勘違いをし入会をしてしまったそうだ。

「入会してからもしばらくは器械体操をやらされながらも、“いつかはリボンを回せる”と思っていましたね。そう思いながら続けて、新体操と器械体操は違う競技だと気づいた時には、もう器械体操にどっぶりとはまっていました」

勘違いで始めた器械体操。しかし、この勘違いがなかったら、三國選手のダイナミックなパフォーマンスは見られなかったかもしれない。

不健康な生活にサヨナラ

器械体操の競技生活とは、高校入学とともに縁が切れた。その理由は身長が伸びて、選手としては大きくなり過ぎたという事であった。小学校のほとんどと中学校を器械体操とともに過ごしてきた彼女は、先にも述べたように友達と遊ぶ事はなかった。その反動か、高校生活は何のクラブにも所属せず、ひたすら友達と遊びまくったと言う。

しかし、体操選手時代には痩せていたという身体が、自由な生活を手に入れてしばらくすると太ってきたかな?と感じ始めたらしい。筋トレを始めるまでに彼女の体重は62kgまで増え、その体重は今のオフよりは軽いものだが、見た目は完全に太っていると言う。

高校卒業後、スポーツクラブに就職したが、そこでもスポーツとは疎遠の生活は続いていた。

「スポーツクラブでは受付の仕事をしていました。エアロビクスのインストラクターに憧れた時期もありましたが、一度もやる事はなかったです。22歳の時に務めていたスポーツクラブを辞めて、北海道のペンションで3ヶ月間働いていました。そして、春に地元へ帰ってきましたが、アルバイト程度でしか働かず、高校の時みたいに友達と遊ぶ日々を送っていましたね。そういった生活を続けていて、いい加減遊ぶ事にも疲れてしまい、しかも不眠症みたいになってしまい、そろそろ生活を改めなくてはと感じて始めていたのだと思います」

そして23歳、2001年の夏、三國選手は一念発起して現在も所属している石坂スポーツクラブの門を叩く事になる。入会の目的は、軽い気持ちで“ダイエット”だったそうだが、でも何でダイエット目的の人が一般的なスポーツクラブではなくボディビルジムに入会したのか?疑問に残るところである。

「こう見えても、わたしスポーツクラブみたいなガヤガヤした雰囲気の所が苦手なんです。それにやると決めたらのめり込む性格なので、本格的なジムでやりたかったんです。電話帳でジムを探していた時に、“レディースルーム完備”と石坂スポーツクラブの広告に書いてあったので決めました」

確かに、三國選手の取材で静岡県富士市にある石坂スポーツクラブを訪れた時2つの部屋に分けられていた理由が初め分からなかったが、取材の途中で彼女の話を聞き納得できた。
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筋トレを始めた彼女の動機は“軽いダイエット”であった。実際、入会した当初は『トータルプロポーションコース』というものに入って、週3回程トレーニングしていたらしい。しかし彼女が筋トレをやるにあたって、もう一つの目的があった。それは黒人のようなクッと上がったお尻を作る事である。

「体操競技をやっていたせいで、太いふくらはぎや広い肩幅にとてもコンプレックスを持っていました。だから、ダイエットをしても私の場合、普通のモデルさんみたいな体型にはならないなと感じていました。それなら黒人のような筋肉質で、腹筋が割れていて、お尻がキュッとあがった身体を目指そうと思いました」

この“キュッと上がったお尻”は、フィットネス選手となった今でも、トレーニングを続けていく上でのモチベーションの一つになっているらしい。

キラキラが着てみたい

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望月選手と“師弟対決”と言われる事について彼女に質問してみると「朋子先生とは勝ち負けなどの感情はありませんし、勝てると思っていませんから。できれば一緒に並びたくはないですね。でも、他の選手に対しては、勝ち負けにこだわりますよ」との事である

石坂トレーニングクラブに通い始め、それまで感じていた体調の不良は全く感じられなくなった。そして、三國選手は“キュッと上がったお尻”を目指してトレーニングに集中していくわけだが、ある機を境に認識を改める事になる。それはオールジャパンミスフィットネスを見た時である。

彼女の目標である“キュッと上がったお尻”は、あくまで外国人(とりわけ黒人)のお尻であって決して同じ日本人のものではなかった。しかし、石坂トレーニングセンターの望月朋子選手の応援でオールジャパンミスフィットネスを見た時「鍛えれば日本人でもこんなに格好良い身体になるんだ」と素直に感じたらしい。そして、ステージ上の選手たちが着ているキラキラの衣装をぜひ自分も着てみたいと思ったと言う。それは小学校の頃、タッチの浅倉南のリボンに憧れた気持ちのように純粋なものだったと思う。

三國選手が筋トレを始めてからフィットネス競技にデビューするまで約4年の歳月が過ぎる事になる。それは、あのデビュー戦で見せた“圧倒的な強さ”を作り上げるための時間だったのかと私は思ったのだが、実際は違ったらしい。本人曰く「05年の優勝に関しては全く意識はしておらず、発表の瞬間まで分からなかった」のだそうだ。どうやら彼女に関しては優勝云々よりも、あの華やかなステージ上でキラキラした衣装を着こなすための準備に時間を要した、と言ったほうが良いかもしれない。実際、一度は04年に出場しようとしていたものを、その準備段階で衣装やパフォーマンスの曲づくりが遅れた事で諦めているくらいだから。

そんな華やかなステージに憧れていたキラキラの衣装を着て立ち、優勝まで収めてしまった大会の感想を聞いた所“正直、ショックでした”という予想外の言葉が返ってきた。何年も憧れていたステージだからこそ、彼女は完璧な準備をして当日会場へ向かった。メイクや髪型、手足の爪に至るまで、師匠と呼べる望月選手にすべてを教わり、一切の不備もなく臨んだのである。当然、他の選手たちも三國選手と同じような気持ちで臨んでくるものと思っていた所、実際は違っていた。選手控え室では、出番を目前にメイクや髪の手入れに勤しむ選手が多数見られ、中には他の選手に口紅を借りている人さえいたと言う。ベテランになれば前準備など必要ないのかもしれないが、もし自分の憧れの人が自分の想像していなかった事(もちろん悪い方に)をやっていたとしたら、おそらく幻滅するだろう。三國選手もキラキラの衣装を着て、憧れの選手と一緒にステージに上がる事を楽しみにしていただけに、控え室での光景を見て“ショック”という言葉が発せられたのだろう。

プロになりたい!

初出場の05年オールジャパンミスフィットネスで、ややトーンダウンしてしまった三國選手であったが、その年の世界選手権に出場した事で再びモチベーションがアップする事になる。

「2回目の大会が世界大会だったので、本当に何がなんだか分からないまま出場していたという感じでした。周りの外国の選手は皆奇麗だし、大きいし・・・。バックステージでは涙が出て、この場にいる事が恐いとさえ思いました。でも、決してこの競技に対するモチベーションが下がる事はなく、逆に上がりましたね。世界の美しい“お尻”を見る事ができましたので」

生意気な事かもしれないが、このときから彼女の照準は“海外”に絞られた。そして、できる事ならばプロのステージにも上がってみたいと言う。そのためには、アジアのタイトルは獲らねばならないが、彼女には勝算があるらしい。

「今年、アジア選手権に出場できるようでしたら、優勝を狙っていきたいです。これまではアジアのフィットネスの審査基準というものが私の中で漠然としていて、どのように調整していけば良いのか分かりませんでした。しかし、去年のアジア選手権で優勝したタイの選手は、バルクがあって、仕上がりも良くて、さらに女性らしい美しさもありました。これまでは、女性らしいソフトな感じを出そうと、多少甘い状態で出場していましたが、昨年のタイの選手を見てあのように仕上げていけば良いのだという指針が見えました。ですから、今年はしっかりトレーニングをして筋量を増やし、仕上がった状態で出場します」
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プロの世界となると、いわゆるドーピングと言う現実的な問題が常につきまとうが、あのきらびやかなステージを見た者ならお分かりになると思うが、そこには現実を越えた夢を与えられる世界がある。幼い頃に見たアニメ『タッチ』のヒロイン、みなみちゃんに憧れて始めた体操競技、ステージ上のフィットネス選手に憧れて始めたフィットネス競技、そして今、三國智子はフィットネス競技の最高峰、フィットネスオリンピアの華やかなステージに憧れを抱いている。

「別にプロになって活躍しようとか、有名になりたいなんていう気持ちはありません。ただ、いつも雑誌とかで見ている有名なプロ選手たちと一緒に並んでみたい。ただ、それだけです」

“憧れ”という純粋な気持ちが消え去らない限り、3人目の日本人プロフィットネス選手誕生を阻むものはなにもないだろう。
  • 三國智子(みくに・ともこ)
    1978年7月8日生まれ(30歳)
    静岡県富士市出身
    身長165cm、体重58kg(オン)、65kg(オフ)
    トレーニング歴7年
    4人兄弟の次女
    職業・OL、インストラクター
    所属・石坂トレーニングセンター

    コンテスト歴:05年オールジャバンミスフイットネス優勝、06、07、08年オールジャパンミスフィットネス&ボディフィットネス優勝、07年東アジアミスフィットネス優勝(トールクラス)、08年アジアミスフィットネス3位

Text&Photo:
Ben
[ 月刊ボディビルディング 2009年5月号 ]

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