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第一話 スポーツに吸い込まれる!?

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掲載日:2018.10.29
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2015年3月
岩手県では路肩には残雪が残り、吐く息は白く春はまだ先だと言わんばかりに寒さが身にしみていた。
来年の2016年には、46年ぶりに岩手県で開催される「希望郷いわて国体」の準備でスポーツ界はにわかに慌ただしかった。

僕は、第一子が一歳になったのを機に、2014年に妻の実家である岩手県に移住してきていた。自慢じゃないが、コネ(人脈)なし、金なし、肩書なし、とない物尽くしで無謀にも移住を決めていた。

そんな世間の風潮などどこ吹く風とばかりに、呑気に田舎暮らしを満喫し始めていたのだが、ちょうどその頃、妻は第二子を身ごもっており、切迫早産の可能性から病院への入退院を繰り返しており、妻の実家で義父義母の協力を受けながら、仕事と長女の子育てにと、必死なころでもあった。

なんのアテもなく、よそ者である僕にトレーナーとして話がくるわけでもなく、介護職のサラリーマンとして就職し、高齢者を相手に懸命にリハビリ指導を行い、あっという間に移住してから一年が過ぎていた。

全ての始まり、突然のオファー

「えええ!卓球の岩手県代表チームがトレーナーを探しているので、監督に会ってくれないかですって?」

岩手県でトレーナー界を引っ張るドンから突然着信があったので、会社の昼休みに恐る恐る掛け直した僕は、突然の申し出に「参ったな…」という顔で目を丸くして、驚いていた。

「治療ではなく、トレーニングの指導ができるトレーナーを先方が探していて、ちょうど岩手に移住してきた君は、トレーニングの指導もできるなって思ってね。」

「いや、大変光栄ではありますが、卓球に関しては無知ですし、、、」

そう言いながら、食べかけていた弁当に蓋をして、スマホを耳に当てたまま、右に行ったり、左に行ったり、右往左往していた僕に、すかさずドンはこう返してきた。

「まぁ、一度会ってみてよ。それで難しいと判断すれば、断ってもらってもいいから。今週末会社休みだよね?監督には一報入れておくから、専修大学北上高校の卓球場に会いに行ってみて。」

(さすがにドンと言えども、あまりに早急に事を進展させようとしているため、苛立ちを隠しきれなくなってきたが、電話越しには「はい」しか発言できなくなっていた。)

そんな突然の申し出に頭は混乱していたが、専北という高校の名前を聞いても、場所もさっぱり分からなかった。おまけにどこの誰かも知らない監督や選手がいる体育館に一人で乗り込んでいくのはかなり気が引けていたのは言うまでもない。

この時、体育館で僕を待ち構えていたのが、見るからに威厳たっぷりで強面の「野田春輔」、31歳。

野田さんは中央大学を卒業後、当時専北の校長を務めていた方にスカウトされ、既に決まっていた内定を蹴って専北卓球部の監督に就任した。
これまで卓球界ではエリートコースを順調に歩んでこられ、中央大学卓球部時代には副キャプテンを任されていた人物だ。非常に責任感が強く、強面な風貌からは想像できなほどに気配りができる優しいお方だ。

僕の名前は、「山門武志」29歳。岩手県に来てからろくにトレーニングもせずに、体は鈍りきっていた為、体重が過去最大値まで達して、お腹はトレーナーにあるまじき三段腹状態。
岩手県に移住前は仙台市に住んでおり、前職は専門学校で非常勤講師をし、後進育成にも励んでいたりもした。

この物語は、コネなし、金なし、肩書なし、の僕のもとに、仕事やプライベートを通じて交流のあった様々な方に触発され、プライベートジム・クレドを創業するまでの軌跡を綴っている。

期待と不安を抱きつつひとまず現場へ

なんでもやってみないと気が済まない楽観主義な僕は、岩手県のトレーナーのボスの言いつけ通り、専修大学北上高校の卓球場に、半ばやけくその状態で参上していた。

当初は卓球にさほど興味もなかったことから断る気満々で卓球場を訪れていたのだが、野田監督の情熱にすっかりを魅了され、色々と選手たちの課題点を聞き始めていた。
岩手県では2011年に東日本大震災の被災の影響で、国体開催は一時危ぶまれたものの、県民の復興への希望となるべく開催を決めていた。

しかし、多くの財源は復興費に当てられた為、当初予定されていた強化費は半分以下、いやそれ以上に削減されていた。

また岩手県卓球少年男子(高校生以下の代表選手)は全て専北の選手で構成されていたため、代表チームも野田監督が務めていた。
強化費はものすごく削減されていたものの、現場には県や体育協会、そして卓球協会から地元開催というプレッシャーを絶えず与えられ、おまけに監督の要望である「トレーニング指導者」が探せずに困り果てていた。

そこで僕は、監督からあげられる課題や質問に対して一つ一つなるべく専門用語を使わずに丁寧に説明をしていった。
その時に気がついたのは、卓球という競技特性を特殊だと考え、自ら頭を混乱させていただけで、いたってシンプルな問題だったということだ。

動きを実際に観察してみて

「あの選手はラケットを振る時にどうしても腰が丸くなるんですよね。あれってなんとかなりますか?」

「あの場合だと、筋肉のバランスだとか、柔軟性の問題が大きいので、本人の意識だけで改善するのは難しいと思いますよ。パパッと変えるのは難しいですが、順序立てて行えば改善するのは十分可能です。」

「山門さん、本当ですか?私はこれまで色んな人に相談してきましたが、そこまで明確に改善できると答えたのは山門さんが初めてですよ!あの選手は技術はものすごく高いのですが、体がうまく動かせないので勿体無いなぁと常々思っていんですよね。まさに、救世主ですね!」

と、野田監督は目をキラキラさせながら、僕の話を聞き入っていた。

「ハハハ。救世主だなんて大げさですよ。」

「いや、そんなことないですよ!過去にも同じような選手もいて、技術は教えられますが、体のこととなるとさっぱりで…。やはり餅は餅屋ですね。」

いや、待てよ。ある意味このくらいのことで喜んでもらえるのであれば、もしかしたら卓球界はトレーナーにとってブルーオーシャンなのでは…と言う発想も同時に浮かんできた。

二足のわらじを履くことに

野田監督は、僕がこの依頼を引き受ける気満々で訪れたと思っているようで、まるでこれから改善するのが楽しみだと言わんばかりに話が弾んでいた。
しかし、この時僕は内心またも

「これは参ったな…、断れる雰囲気ではなくなった」とも思っていたのだ。

万が一の状況も考え、当時の会社の上司に副業の許可はもらっていたものの、トレーナーがほとんど介入した歴史がない競技に関わる大変さは想像しただけでも決意をためらうには十分だった。
早速導入したくて満々な監督をある意味制しながら、冷静に問いかけた。
ただもう一歩も後には引けない状況だということを感じていた僕は、一応監督にサラリーマンをやりながらのサポートしかできない旨を伝えたところ、

「あ、それは大丈夫です。来られる時に来て指導してもらえるだけでも、うちは十分助かりますから。」

まだ選手たちが小刻みにコンコンとボールを軽快に打つ音が聞こえる中、野田監督は笑顔で冷静に返してきた。

その後、教官室に戻り、プカプカと上機嫌にタバコの煙を吹かせている先生に、

「タバコは嫌いなので、勘弁してくださいよ。まぁ、でも私は卓球に関してはズブの素人ですから、これから色々なことを教えていただきながらとなりますが、それで大丈夫であれば、指導させていただきます。」

当時はサラリーマンをしていたとはいえ、収入的には満足はしていなかった。今は実家暮らしをさせてもらっているが、この先産後の妻が日常生活に支障がなくなったら、実家を出ることも考えていた僕は、少しでも収入が上がるのであればそれもいいかな、と楽観的に考えていた。

折しも、北陸新幹線が開業し、これまで4時間かかっていた東京ー金沢間が2時間半で結ばれることとなり、世間を賑わせていた。実はその後も指導を続けている僕は、2018年の福井国体でその北陸新幹線を使うことになるのだが、その時はもちろん知る由もなかった。

目指すしかなくなった「日本一」

僕は、少し姿勢を正すように座り直しながら言った。

「ただ、これまでトレーニングなんて行ったことがない選手たちが、いきなりトレーニングをするぞってなっても素直に言うことを聞きますかね?どちらかと言うと技術重視な風潮が強そうなので、余計なことして練習時間を減らしたくないってなりませんか?」


せっかくチームを担当させてもらい勝負するなら、まずはその業界で日本一にならなきゃいけない。実現可能かどうかはおいておいて、嘘でもいいから日本一を本気で目指さなくちゃいけない。
でもその心配は無用だったらしく、卓球場の正面には、デカデカと「日本一」の目標が掲げられたいた。この監督はどうやら本気だ。

「もともとうちは日本一を目指しています。おっしゃる通り、トレーニングが全員から受け入れられるとは思っていません。だからと言って導入することを躊躇することはありませんので、ガンガンやってください!」

野田監督は、半ば押し切るように話をまとめた。
そこまで言われればやるしかなくなる。
卓球界ではそれほどフィジカルを鍛えると言う風潮もなく、調べれば調べるほどチャンスが眠っているように感じられていたのも事実。

岩手県のドンから電話があってから2週間と立っていない状況で、僕は卓球の指導に携わることになった。運命の糸に手繰られ、激しい嵐の真っ只中に引き込まれているような感覚に包まれていた。

僕は、野田監督と意気投合し、指導を始める日時を早くも打ち合わせの最後に話し合っていた。


2015年4月
僕は宣言通り、岩手県卓球少年男子の指導を始めた。
選手たちも、「こいつ、誰だ?」と言う視線を送り、探りながら僕の発する一言一言に耳を傾けて見定めようとしていた。また野田監督も、任せたとは言いつつも、どんな指導をするのかには若干不安もあったようだ。

4月だと言うのに春の訪れはまだ感じられない寒い体育館の中、僕が独立して会社を興すきっかけになる幕が開けようとしていた。
  • 山門 武志(やまかど たけし)
    【経歴】
    東北大学陸上部(2012)
    国民体育大会 卓球岩手県代表選手団(2015~)
    バレーボール少年男子岩手県代表選手団(2017~)
    専修大学北上高校卓球部(2015~)
    専修大学北上高校女子サッカー部(2015~)
    一関修紅高校男子バレーボール部(2016~)
    盛岡大学付属高校硬式野球部(2017~)
    その他セミナー・講習会等多数

    2005年に最も苦手科目である英語を猛勉強し、奇跡的にアメリカの大学入学試験に合格し、東イリノイ大学に留学。語学力不足から度重なる挫折を繰り返しながらも無事帰国、更なる勉学のため仙台大学体育学部へ。国内最高難度レベルの日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー資格(JSPO-AT)を習得。その後岩手県へ移住し、2016年に起業し、株式会社CREDO設立。岩手県初のプライベートジムをオープンさせると同時に、アスリートたちへのサポート事業にも従事する。