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2011年日本クラス別60kg級優勝者 溝口隆広

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.05.16
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国内屈指の軽量級選手である溝口隆広選手。しかし2003年に初出場した日本クラス別で2位という華々しい全国区デビューを果たしたものの、表彰台をあと一段上がるには、それから実に8年もの年月を要してしまった。

「もちろんイヤだったけど、だんだん慣れっこになったね…。でも、ぜんぜん腐らなかった」

生まれも育ちも静岡市の溝口選手。ここ20年以上も雪が降っていない温暖なお国柄ならではの穏やかな口調だが、きっぱり言い切った。

溝口選手によれば、「負けていた理由は解っていた」という。本誌のレポートを見たり、審査員の講評を聞いたりしても、自身への評価についてはもっともだと思えたし、日本ボディビル連盟三級審査員という立場からも、まだ1位になるには至らない、と痛感していた。しかしだからこそ、1位に値する身体になれれば、必ず"1位"と評価してもらえると信じられ、モチベーションを高く持ち続けてこられたのだ。

トレーニングは正直に

日本クラス別選手権には毎年出場しているイメージのある溝口選手だが、2010年はコンテストに出場していない。この年の3月、シーズンに向けた減量に入る直前に盲腸炎を発症し入院を余儀なくされたため、大会出場を見送ったのだ。そこで2011年のシーズンに向けては、2009年から引き続き課題としていたアウトラインの強化に取り組んだ。上背(うわぜい)があまりなく、バルク派でもなく、骨格的に背中に広がりがつかないと自覚しているため、「どこでインパクトを与えるかといったら、外に張り出した肩や、上腕三頭筋の外側頭を出すこと、そして背中に厚みをつけること」と考えたのだ。

中でも、重点を置いているのは背中だ。「フロントのアウトラインはみんな似たり寄ったり。順位は後ろを向いた時に、あっという間に決まる」と考え、僧帽筋に凹凸感を出す種目を優先して採用している。特に効果を感じている種目はフロア・デッドリフト。オーソドックスなデッドリフトだ。以前はトップサイド・デッドリフトを行なっていたが、たしかに高重量は扱えたものの、筋肉がついた実感が湧かず、それでいて高重量を扱えることが原因か背骨を痛める原因になり、さらに椎間板が詰まってしまった。それがフロア・デッドリフトに変えてからは、脊柱起立筋がついてきたという。
23 歳のころ。すでに上腕二頭筋にボリュームがついている

23 歳のころ。すでに上腕二頭筋にボリュームがついている

ここでひとつ疑問が生じた。溝口選手は過去に何度もぎっくり腰になったことがあるという。にも拘らずフロア・デッドロリフトを採用するとは、再発のリスクは感じなかったのだろうか。

「トレーニング種目は、オンオフ問わず、数もセット数もレップ数も同じ。でも、毎年シーズンが終わると、2カ月間くらい思い切って使用重量を下げて身体を休ませる。そのおかげか、ここ2年弱は大きな怪我はしていない。それに、フリーランジやワンハンドロウなどの体軸が片側にズレる種目は特に腰を痛めやすいから避けている」

実際の背中と上腕二頭筋のトレーニングを拝見した。種目はその日の直感で決めているというが、この日は次の通りだった。

①フロア・デッドリフト
②EZバー・ドリアンロウ
③チンニング→ナローグリップ・チンニング→パラレルグリップ・チンニング
④ロープ・ケーブル・プルオーバーとツーハンズ・ダンベルロウイングのスーパーセット
⑤ツーハンズ・ダンベルカール
⑥EZバーカール
⑦ツーハンズ・ラテラル・ケーブルカール
⑧シーテッド・シュラッグ(最終セットのみスタンディング)


いずれの種目も動作はゆっくりで、反動をつけないと扱えないほどの重量は使用しない。これは筋肉に効かせるため、という他にも理由がある。

「高重量トレーニングは怪我をするリスクが大きい。もし怪我をして、トレーニングを休んでしまったら、筋肉はあっという間になくなってしまう。だから、コントロールしきれないような重量を扱ってまでは、ねぇ」

ひとつひとつの部位を確実にバルクアップさせるためには、ひとつひとつのトレーニングを正直にやっていかねば、というのが持論だ。

真夏の夜に夢を見る

「オフになったら食べたいもの」を手帳に書いておき、 オフに入ったらベストな減量幅である 11 ㎏を超えない範囲で制覇していく

「オフになったら食べたいもの」を手帳に書いておき、 オフに入ったらベストな減量幅である 11 ㎏を超えない範囲で制覇していく

溝口選手がトレーニングを始めたのは、24歳になる直前のことだった。それまでは自分で改造した車が雑誌に掲載されるほどの、いわゆる走り屋で、静岡県の名所・日本平あたりを疾走していたという。しかしある日、自慢の愛車を運転中にお釜を掘られてしまった。溝口選手はほぼ無傷だったものの、同乗していた現在の奥様である玲子さんは大怪我を負うことになったという。「このままじゃ私の身が保たないわ!」と思った奥様は、かねてから「お腹が出て来た」とボヤいていた溝口選手に「車の前に身体を改造して!」との願いを込めて、一冊の本を買い渡した。窪田登先生著の『ボディビル入門』だ。

幼少期が仮面ライダーとウルトラマンの全盛期と重なった溝口選手自身、「いつショッカーが現れても良いように訓練していた」というから、幼少の頃から筋トレには何となく興味があったという。学生時代は陸上の短距離と円盤投げの選手として、その補助トレーニングでベンチプレスとスクワット、バーベルカール、プッシュアップだけはしていたが、「上腕二頭筋のトレーニング(今から思えばバーベルカール)さえしておけば全身が鍛えられる」という認識でいた。ところが『ボディビル入門』を開いてみると、それは違うではないか!すると生来の凝り性が幸いし、ウェイトトレーニングにどんどんのめり込んでいった。それ以降、走り屋は卒業。今の趣味は「ボディをビルディングすること」である。

1年半通った市民体育館では物足りなくなり、現在もトレーニングをしているM&Fスポーツクラブに入会すると、さらにトレーニングに励むようになり、それにつれて筋肉も大きくなっていった。だが嬉しい半面、食事量も増えたため、プロレスラーのような脂肪の乗った体型になりつつあることへの違和感も感じるようになっていた。

そんな時、溝口選手は地元の夏祭りに出掛けた。"フェスタ静岡"というそのお祭りでは、夜店の間にステージがあり、ボディビルの大会――1997年の静岡県選手権――が行なわれていた。すると同じジムでトレーニングしている人が出場しているではないか!

「これくらいだったら、俺も来年出れば優勝できるんじゃないか?それになにより、シックスパックの腹筋や、筋肉にメリハリのある身体こそ、俺が求めていた身体だ!」

かくして翌1998年に静岡県大会の新人戦に初出場すると、見事に優勝。1年前に働いた勘は当たったのだ。

独学のまわり道

静岡県選手権で優勝した2003年当時の溝口選手は、本誌『地方選手権優勝者プロファイル』に「これまで仕上がりが甘かった」と回答を寄せていた。しかし、溝口選手を全国区の大会のステージで見る限りは信じられない話だ。

そもそも、減量法は最初から独学だった。痩せにくい体質だった上に「有酸素運動はせず、タンパク質と同量の炭水化物を摂る」というプロビルダーの減量法を真似ていたという。今でこそ笑い話になっているが、当時は仕上がりが甘い理由が解らなかった。

コンテストに出るようになって3年目のこと。審査員を務めていた合戸孝二選手と山田賴一選手(04年アジア選手権日本代表)に尋ねられた。

「お前、いいものを持っているのに、なんで毎回ポッチャリした身体で出てくるんだ?普通に炭水化物を食べているだろう?」

素直にはい、と答えたら、すかさず「ダメじゃん!」と突っ込まれた溝口選手。ようやくこれまでの減量法が間違っていると知ったのだ。そこで食事内容を変えると仕上がりは良くなり、成績も急上昇した(静岡県選手権初出場の99年8位、00年7位、01年3位)。トレーニング内容はそれほど変えなかったから、なおさら仕上がりにおける食事の大切さを感じた。

そしてさらにもう一段階「仕上がりを良くしないと勝負には挑めない、という到達ラインを教わった」のが、日本クラス別に初出場した2003年だ。自分では仕上がったと思って合戸選手のもとへ行くものの、そのたびに「まだ甘い!1週間後に2kg落として来い」と3回も追い返された。さらに、大会終了後には「もっと落とせたよな」とまで言われる始末…。

2003年日本クラス別選手権。初出場で2位に入る健闘を見せた

2003年日本クラス別選手権。初出場で2位に入る健闘を見せた

ただし、合戸選手からは「もっと有酸素運動をしろ」と言われたくらいで、具体的な減量法は教えてもらえなかった。そこでこれを逆手に取って、他人から聞いた情報よりも、自分の身体で「人体実験をしていくことで、自分に合う方法なのかを毎年確認して、仕上がりを詰めていくようになった」という。その結果、以前は16週間だった減量期間を、現在は4週間増やして20週間にし、週に500g減量するというペースに落ち着いた。

チートに関しては、2週間に一度、しかもその日一日中ではなく、1食のみにしている。今回よく食べていたのは天ぷらうどんやかき揚げ、天ざる。とにかく天ぷら関係だ。チートの目的は代謝を上げて体重を落としやすくするためではなく、純粋に"ご褒美"と捉えている。減量過程でカーボを抜く人もいるが、溝口選手はカーボを食べ続け、トレーニングをよりハードにする。コンテスト前でも、トレーニングしない週3日以外は炭水化物を切ることはない。最初は朝昼晩200g。それを3食100gにし、最終的には3食各50gまで減らす。食べているのはずっと白米だ。
2011年は大会に挑むにあたり、脚の出す角度を変え、脚がストレー トに見えないように工夫したという

2011年は大会に挑むにあたり、脚の出す角度を変え、脚がストレー トに見えないように工夫したという

2011年の仕上がりは自己採点で90点という。マイナス10点は、臀筋からハムストリングスにかけての仕上がりだ。背中のクリスマスツリーは大会の1カ月くらい前から見えてくるものの、脚、特に膝の上の脂肪は最後の最後まで落ちない。大会直前の2週間は1000kcal弱しか摂取しないが、それでも下半身までは仕上がらないのだ。もっと食べて代謝を上げれば、とも思うが、そうすると体重が増えてしまう。見た目の仕上がりとともに検量の必要なクラス別の選手ならではのこの悩み、溝口選手は「60㎏の声を聞いてからさらに落とすのは、地獄」とも語るほどだ。

家族とともに、いざ勝負!

ポージングの練習は大会2週間前から。だいたい頭の中で決めたら、奥様の前で披露し、「追試を繰り返す」という。

ポージングの練習は大会2週間前から。だいたい頭の中で決めたら、奥様の前で披露し、「追試を繰り返す」という。

減量とコンテストの期間を合わせると、だいたい半年になる。だから溝口選手は「ボディビルをやっていると、人生の半分くらいを無駄にしている感じがする」という。それでもコンテストに出続けるのは、身体が変わったところを見たいから。そして、理由はもうひとつ。

「俺は、ひとりぼっちになったら絶対に続けられない」

ボディビルの大会に出ようと思う、と打ち明けた時、積極的に背中を押したのは、他でもない奥様だった。家族からの反対にあってボディビルをやめていく人もいる中で、書道家でもある奥様は「芸事に”省エネ”はダメ!やるならとことんやって欲しい」とまでいう。ジャンルは違えど、ひとつの道に精進している同志であるからこそ説得力がある。そして今では長男の武蔵くん、長女の紅亜ちゃんという援軍も加わった。

かねてから「オーバーオールの大会には、審査員としての目線で"勝負できる"と思ってから出場する」と言っていた溝口選手。2012年の緒戦は、8月5日のジャパンオープン。ついにその時がやってきたということだ。最強の家族とともに、2012年も富士の高嶺を狙う。
  • 溝口隆広(みぞぐち・たかひろ)
    静岡・M&Fスポーツクラブ所属
    静岡県ボディビル連盟理事
    日本ボディビル連盟三級審査員

    職業:会社員
    誕生日:1969年7月1日生まれ(42歳)
    出身地:静岡県
    身長:160㎝
    体重:58.8kg(11年日本クラス別検量時)/62.2kg(同大会当日朝)/70㎏(オフシーズンのピーク/2011年11月3日現在は64.6kg)
    トレーニング歴:18年
    コンテスト歴:17年

    <主なタイトル>
    2003年 静岡優勝
    2008年 東海優勝

執筆:
Akane Yamaya
[ 月刊ボディビルディング 2012年3月号 ]

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