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2010 MIP Interview 西谷芳春 ボディビルをやめるのは、やめました

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西谷芳春(にしたに・よしはる) 1981年4月30日生まれ(29歳)大阪府出身 身長166cm 体重72.8kg(10年東日本時)80kg(10年正月~4月)89.5kg(07年オフ。人生でいちばん重かった) トレーニング歴13年・コンテスト歴8年 主な戦歴 04年 全日本学生 優勝 07年 北陸甲信越・新潟 優勝 09年 日本クラス別75kg級 5位 10年 日本2次ピックアップ(16位相当) 長岡技術科学大学4年(今年4月から会社員) 長岡バーベルクラブ所属 text:Akane Yamaya[ 月刊ボディビルディング 2011年5月号 ]
掲載日:2017.06.02
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14歳まで大阪に住み、父の転勤に伴い群馬に転居。高専時代は富山で過ごし、新潟県内の大学に進学すると、全日本学生選手権で優勝。地元の消防署に勤務したのち、大学へ戻った。現在は大学4年生で、この4月からは就職し、長岡を離れることになる。今回は、西谷選手が普段トレーニングを行なっている長岡市民体育館でトレーニングしており、西谷選手とは同じ年で前職も同じという勝俣博輝さんにも同席してもらってのインタビューだ。
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8歳にしてブルース・リーばりのバキディションの西谷少年とご両親。息子が学生大会に出たことに影響を受けてボディビルを始めた父の泉さんは、06年日本社会人マスターズ50歳5位に入ったが、この当時はふたりともボディビルをやっているわけではなかったのに、なぜかマスキュラーポーズを取っている

勝俣 去年の東日本、観に行ったんですよ。「よく短期間で仕上げたな」と思いました。1カ月に1回しかジムに来ていない時期があったので、仲間内では「西谷は引退だな」という話も出ていたほどです。
――なぜ、そんな状態から出ようと?
西谷 高校3年の球児の状態といいますか、「来年は就職するから、今年は最後の大会出場にしよう、もう引退だ」と思って。通常のオフの体重は83~85kgですが、就職活動中はプロテインすら摂らないような食生活で、体重は80kgを割っていました。4月に就職先が決まってから、さあボディビルをやろう、とギアを一気に切り替えて。まずは増量しました。
――増量!?
西谷 バルクもパワーもない状態では減量に入れないと思ったのです。まずは食べて、キツいトレーニングに耐えられる身体にならないと、キツい減量には耐えられませんから。
――出場した2つの大会のうち、東日本では優勝し、ミスター日本では2次ピックアップまで進みました。「引退なんて勿体ない!」と周りから言われたそうですね。
西谷 正直、自分でもやめたいと思っていないので、“ボディビルをやめる”のはやめました。ただ、仕事との兼ね合い次第です。大学教授である父が海外で活躍している背中を昔から見てきたので、「俺もグローバルに活躍できる人になりたい」とずっと思ってきました。就職先では将来、海外に行くことになりそうですが、それが出張になるのか、駐在になるのか、どういう形になるかは自分の力量次第です。
――就職していきなり海外ということはさすがにないでしょうから、少しは国内にいられそうですよね。大会に出ようと思えば出られそうではないですか?
西谷 ミスター日本の結果はめちゃくちゃ悔しいですし、今年にでもリベンジしたいという思いはありますけど…。減量をしていると、他のことができなくなるんですよ。だから新人のうちは仕事に専念したいです。30歳の私を採用してくれた会社もそうですし、自分の貯金をあてた部分があるとはいえ、二度も大学に行かせてくれた親にも感謝しているので、恩返しはしないといけないし、社会を支えるパーツのひとつにならなければと思っているので、そのための努力の姿勢を持ちつつ、落ち着いたらまたコンテストに出たいです。その時に会社の名前を出しても良い環境であれば、社会人連盟に登録して、会社の名前を背負って出たいですね。
――たしか、実家のある前橋にいる時にボディビルを始めたのですよね。その時の身体は?
西谷 体重66kgで、ベンチプレスが140kg上がっていました。ノーギアベンチプレスの富山県記録を作りました。
――強い! パワーリフティングではなく、ボディビルを選んだのはなぜ?
西谷 高専時代からボディビルに興味があったんです。中学までやっていた体操が高専ではできなかったのでトレーニングを始めて、ベンチプレスを毎日のようにやっていたら、力が強くなると同時にマッチョになりました。マッチョの先にいるシュワルツェネッガーに憧れて、『ターミネーター』は台詞を憶えるくらい見ましたよ。その頃、休暇で帰った前橋市の体育館で、原沢さんというボディビルダーに「君ならデカくなるし、ボディビルの才能があるからやってみないか? 僕が通っているわけではないけど、いいジムがあるから」と声をかけられて。紹介されたユニコーンに行ってみたら、西脇会長に「お前だったら学生大会に出たら優勝できるから、出てみろ」と言われました。大学に入ってからは、普段は長岡市民体育館でトレーニングして、月に1回はユニコーンに通って。3年生の時は2位にはなりましたが、優勝した清水正志さんとは相当な差を感じました。
――翌年は見事に優勝しました。
西谷 あの年は大変でした。直前の中越地震が…地獄でした。長岡市民体育館はまったく使えませんでしたし、ライフラインがほぼ壊滅的な状態で、ボランティアの炊き出しで出されるラーメンなんかも、大会直前なので本当は食べたくなかったけど諦めて食べざるを得なくて、焦って雨の中ランニングをしたものだから風邪を引いて。高速道路は関越道が寸断されたので、長野県を経由して、下道で実家に帰って、寝込んだ状態で大会に出ました。
――当時、「それでも勝てたのは、それまで準備をしていたから」と仰っていました。
西谷 そうですね。前年に負けたことが教訓になりました。
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「ボディビルをやっていて良かったところは?」との問いに「キツいことに耐えられるようになりました。働きながら受験勉強をしていた当時も『ボディビルに比べれば』と思っていました」との答えが返ってきた

――いちばん悔しかった大会は?
西谷 2位だった大会は全部悔しいです。
――じゃあ、優勝した大会は嬉しい?
西谷 はい。でもミスター日本以外の大会は「確実に優勝する」という気持ちで臨んできたので、優勝したら“赤点じゃなかった”という気持ちなんです。
――東日本で優勝した時も?
西谷 嬉しかったですけど、ミスター日本が控えていたので、ミスター日本で予選を通過するための関門を突破した、という感じでした。今はミスター日本で予選を通過するという目標を達成できなかったことが悔しいので、東日本で優勝したことは、手を叩いて大喜びをするようなことかと問われると、「やることをやって、結果がついてきて良かった」という感じです。人間、クールな部分と感情的な部分の両面を持ち合わせていると思うんです。ボディビルもそういう狭間のところでやっていて、緻密
に管理している部分もありつつ、ラフに構
えている部分もあって、それを集大成して
大会に臨んでいます。
――“緻密な部分”とは、具体的にどんな部分でしょう?
西谷 食事はグラムをキッチリ測っているわけではないのですが、自分の身体とのフィードバックは必ずして、目分量の中でもプラスマイナスしています。あとはストレス状況での限界点を超えないことも重要です。
勝俣 私から見ていると、トレーニングや食事だけでなく、その日一日の活動すべての中での満足度や充実度を大切にしているようです。なにしろ、その日の行動に納得ができないと、それがストレスになって寝られなくなって、それが追い討ちをかけて次の日にトレーニングができなくなってしまう…というようなナイーブなところがあるので。
西谷 (頷きながら)“デカくなる”という目標はありますが、充実したボディビル生活が送れるように、楽しくやることが大切です。競技スポーツとはいえ、勝つことだけを目標にするのは微妙だなと。もちろん目標を達成するためには苦しい部分を乗り越えなければいけませんが、苦しいことに耐えるために、自分の能力を遥かに超えた重量のバーベルを担げば強くなれるのか?というと、そこは合理的に考えたいです。それに、すごい選手ならば反社会的なことをやっても良いのかというと、そうではないわけですから。そこはアスリートの部分と、社会生活を送る人間の部分とのバランスを取らなければいけませんよね。
――“緻密”といえば、まさにこの言葉が当てはまるようなトレーニングをしていました。きっちりコントロールしながら、ゆっくり動かしていましたが、このテンポは、何かベースにしているものはあるのでしょうか?たとえば、スロートレーニングとか。
西谷 スロトレは意識していますが、使用重量がそこそこ重いので、アレンジしています。下ろす時はスロトレで、挙げる時はわりと早く。これにドロップセットを組み合わせれば、相当追い込めます。我慢大会ですね。
――1日に2部位、1部位が週に2回来るトレーニングルーティンを組んでいるそうですが、いくら違う部位といっても1日に3~4時間もトレーニングするのは辛くないですか? 胸と背中を同じ日にトレーニングしているというし。
西谷 辛いですよ。あとの部位をトレーニングする頃にはどうしても力が落ちるので、毎回ではないですが逆にします。「今日はベンチプレスがやりたいな」という日は胸から、「背中をしっかりやりたいな」と思う日は背中の種目から。やりたいことをしっかりやると、その時点では伸びると思います。怪我をしていない限りは、やりたくないことをやるよりも、やりたいことをやって伸びる方がいいですよね。やりたくないものもローテーションの中でしっかりやりますけど。
――その都度考えながら必要なトレーニングをしているということでしょう?大事なことですよね。
西谷 それもあって、変な種目を編み出しているのかもしれません。
――変な種目?
西谷 腰が痛くてリアレイズができないので、お腹にクッションを挟んで台の上に乗って、バーベルを無茶苦茶ワイドグリップで握って引っ張ることで、三角筋の後部に効かせています。あとは「ダンベルじゃやりにくいし、効かないな」と思って、プルオーバーをダンベルではなくバーベルでやっていますし、チンニングでは脚をブラブラさせたままの人が多いと思いますが、私はラックに脚を引っ掛けて追い込んでいます。見た目ダサいですけど。情報量の少ない地方や環境の整っていない所にいても、都会のいい環境でトレーニングができている選手に勝って、くさびを打ち込んでやりたい、と昔からずっと思っています。環境が悪くても工夫すれば何とかなるし、努力次第だと思います。
「好きな種目。これで胸がデカくなった」というバーベルプルオーバー。柔軟性のある身体ならではだ

「好きな種目。これで胸がデカくなった」というバーベルプルオーバー。柔軟性のある身体ならではだ

昨年のミスター日本。決勝に残った井上(左)、林と比べて決してバルク負けしていない

昨年のミスター日本。決勝に残った井上(左)、林と比べて決してバルク負けしていない

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中越地震で被災した1週間後に行なわれた04 年全日本学生選手権で優勝(左端)。地震のあとはボランティアで体操を教えていた子ども達の安否確認に奔走するなどで体調を崩し、大会当日は熱を出しながらの戦いになった

――種目はどうやって選んでいますか?
西谷 重視する部位がその時その時で変わってくるので、それを念頭に置きます。今は脚。スクワットを“やらない”という選択肢はありだと思うんです。腰が痛くなるし、嫌いなものをわざわざやるのは違うと思うし、「スクワットをやらないぶんはレッグプレスやハックスクワットをガンガンやればいいじゃないか」という発想もあって。種目によって特性があるし、人によって骨格が違えば効き方も違ってくるように、「これをやったら確実にデカくなる」という種目はないから、その時の自分にいちばん合ったものを取り入れようと思っていますよ。ただ、現状で脚をトレーニングする環境は極めて大変で、市の施設を3軒ハシゴしているんです。いいマシンがある施設にはフリーウェイトがまったくなくて、自分で貰ってきたレッグプレスマシンはメインの施設にも、フリーウェイトがない施設にも置いてもらえないので、また別の施設に置いてもらっています。だから、インターバル中に車で移動しているんですよ。
――やみくもに高重量を求めているわけではないし、効かせることへの意識が強いようですが、単関節種目の方が好きなのでしょうか?
西谷 好きかもしれません。単関節種目でも、そうでなくても、筋肥大のためには効かせることが重要です。インターバルを長く取るぶん、1回1回しっかり追い込みます。セット数は12セットのうちメインが3~4セットで、種目数は1部位につき最低3~4種目、レップ数は10。
――種目を結構変えるとのことですが。
西谷 刺激が低くなることを避けるためです。重量を追い求めなくなってからは、トレーニングノートをつけることもなくなりました。書くことにも振り返ることにもメリットを感じなくなったので。
――「バルクアップしたな」と感じるのは、どんな時でしょう?
西谷 使用重量が上がった時ですね。オフでも見た目は変わります。今回は減量中でもバルクは増やせました。大会前の2カ月間、1日も休まずにトレーニングをして、食事の管理がしっかりできたのが良かったのだと思います。
――バルク派なだけに、オフはすごく増量するのかと思っていました。
西谷 もともと少食です。今でも放っておくと、どんどん体重が落ちるので、オフはウェイトゲイナーを摂っているくらいです。
――オンとオフでの食生活はどのように変えていますか?
西谷 オフはタンパク質を最低限は摂ることを心がけるくらいで、オンに入ると“徐々に”という期間は1週間も取らずに炭水化物と脂質はほとんど摂りません。脂肪分の少ない牛肉を食べることはありますが、焼くのは面倒なので、今回は刺身ばかり食べました。帆立、鮪、鮭…。
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勝俣さん(左)とともに。甘いもの好きな西谷選手はこの時、コーヒーショップの抹茶クリームフラペチーノを美味しそうに飲んでいた

勝俣さん(左)とともに。甘いもの好きな西谷選手はこの時、コーヒーショップの抹茶クリームフラペチーノを美味しそうに飲んでいた

一昨年に来日したロニー・コールマンと

一昨年に来日したロニー・コールマンと

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ナルシス山本選手にセミナーで勧められたことがきっかけで始めたワンハンドロウイングは、72.5kgのダンベルをしっかりストレッチしながら完全にコントロール!「ドロップセットも採用しながらやりまくったら背中がデカくなりました」

――帆立の刺身って贅沢! ところで、今後の目標は?
西谷 ボディビルを始めた頃から「ミスター日本になって世界大会に出て、ナチュラルでミスターユニバースになる」という意識がありました。まだそんなレベルではないし、今は頑張るポイントをボディビルから反らしますが、ミスター日本の優勝圏内にはあと20年くらいいられるので、生活環境を考えて、狙える時は狙います! 頭の中でゴニョゴニョしていた部分があったんですけど、話すと整理されますね。いろいろやらなければなあ!
――勝俣くんとふたりで、こういう話をすることは?
勝俣 さんざんしてきましたよ!
西谷 飲んで語り合うことが多いです。
――お酒、飲むんですか?
西谷 誘われた時だけです。
勝俣 相当な“ザル”だけどね。海賊だもんな(西谷選手は商船の高専出身なので)。
――それなのに普段はお酒を飲まないのは、アルコールが筋肉を破壊するから?
西谷 それもありますけど、酒やタバコに精神依存する部分がまったくないので。
勝俣 ザルじゃないのに酒が好きな人には悲しくなるな~。
西谷 酒の味が判っていないだけだよ。新潟にいるのに日本酒が美味しいと思わないんです。都会にいながらゴールドジムに行かないボディビルダーと同じようなものですかね(笑)。
  • 西谷芳春(にしたに・よしはる)
    1981年4月30日生まれ(29歳)大阪府出身
    身長166cm 体重72.8kg(10年東日本時)80kg(10年正月~4月)89.5kg(07年オフ。人生でいちばん重かった)
    トレーニング歴13年・コンテスト歴8年

    主な戦歴
    04年 全日本学生 優勝
    07年 北陸甲信越・新潟 優勝
    09年 日本クラス別75kg級 5位
    10年 日本2次ピックアップ(16位相当)

    長岡技術科学大学4年(今年4月から会社員)
    長岡バーベルクラブ所属

text:
Akane Yamaya
[ 月刊ボディビルディング 2011年5月号 ]

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