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MUSCLE PEOPLE マッスルな奴ら!藤島伸一

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.05.25

"元祖"超人ハルク!藤島伸一

″ハルク″と言えば、現在のボディビル界では下田雅人選手の愛称として定着していると思う。しかし、実は15年以上前に同じ″ハルク″というあだ名を付けたかった選手が私の中に存在した。

それは、私が連載を任された『気まぐれジム訪問』の第1回目として取材に訪れた、朝生照雄さん( 80、86年ミスター日本)のジム『ウィン・スポーツクラブ』でやたら胸郭の大きな選手を紹介された時だった( 91年7月号参照)。そして、その彼は会員全員での集合写真を撮る時に、あのルー・フェリーノを彷彿させる″ハルキュラー(超人ハルクがとるマスキュラーのことで、手の指を広げ、多少上体を傾けている)″をとっているではないか!しかも、妙に様になっている。

そう、彼こそ、今回登場を願った藤島伸一選手なのである。
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当時の雑誌をお持ちでない方のために、ここに掲載しよう。"ハルキュラー"をとる当時27歳の藤島選手(後列左端)。朝生選手も若くてデカい!

3度目の挑戦で優勝した92年ミスター埼玉。右端は健康体力研究所の上野俊彦さん

3度目の挑戦で優勝した92年ミスター埼玉。右端は健康体力研究所の上野俊彦さん

92年のミスター埼玉と同時間催されたミスター関東では5位に入る。肩・胸・腕の追力は現在に通じるものがある

92年のミスター埼玉と同時間催されたミスター関東では5位に入る。肩・胸・腕の追力は現在に通じるものがある

11年ぶりの大会復帰!

昨年関東クラス別、ミスター関東、そして東日本選手権と精力的に3つの大会に出場した藤島選手であるが、意外とその存在は知られていないようだ。というのも彼は、社会人になってボディビル選手権に出場した回数は1988年から一昨年までの19年間で、同時開催のダブルエントリーを含めても僅かに5つだけである。しかも、大会で箸にも棒にもかからないような存在ではなく、それなりの結果を収めているにもかかわらずだ。
昨年の東日本大会。本人が一番良い状態だったと言うだけに、上体だけでなく下半身にまで厳しいカットをみせている

昨年の東日本大会。本人が一番良い状態だったと言うだけに、上体だけでなく下半身にまで厳しいカットをみせている

昨年の出場も、大会レポートの中で何度か書いたが、実に11年ぶりの復帰であった。前回出場したのが1997年の地元埼玉県で開催されたミスター関東で、その時はぎりぎり12位に入っていた。そして、その後11年間という長きに亘りステージから遠ざかっていたのには、何か特別な理由でもあるのかと思うところだが、本人が言うには″仕事の関係で″といたってシンプルな解答であった。

また、当時はケガが多く、思うようにトレーニングができなかった事も、コンテストに対するモチベーションが上がらなかったとも言っていたが、コンテストに出場しなくともトレーニングは公共の体育館などで細々と続けていたそうだ。「若い頃は、それこそ重量にこだわるトレーニングをしていましたので、フォームもめちゃくちゃでしたね。それを長年続けていると、ケガを招くわけです。スクワットで腰を、ベンチプレスで肘を痛めました」

そして、今年の復帰となるわけだが、そのきっかけみたいなものはあったのだろうか?「まあ、年齢的に復帰するならそろそろ限界かなというのは感じていました。遠ざかっている間も、いつかはコンテストに復帰しようとは思っていましたので、昨年はちょうど仕事的に時間の余裕がありましたし、体調も良かったので出場を決めました」

とは言いながらも、実は1年くらい前から出場は決めていたそうで、その時から調整にも入っていたという。そして、照準も東日本選手権に合わせて、その前の関東クラス別、ミスター関東はその前段階の出場と、結構計画されたものであった。

11年前と昨年の藤島選手のフィジークを私なりに比べてみると、相変わらず荒削りな身体ではあったが、一回り大きくなったように感じていた。仕上がりも、前回同様に非常に厳しいものであるから、仕上がり体重が増えているように見えた。「そうですね、前は確か70kgくらいで出場していたと思いますが、今回は76~77kgでしたので、6~7kg仕上がり体重が増えていましたね。自分でも前回より数段良いと感じていました」

まあ、11年という歳月を考えれば、増えた6~7kgの仕上がり体重が多いのか少ないのかは一概に言えないが、逆に言えば11年もコンテストから遠ざかっていながら、7kgも仕上がり体重を増やせた事は凄いと言えるかもしれない。はっきり言って11年も一線から離れていたわけだから、減量にしても調整にしても″勘″が鈍っていたに違いない。

この仕上がり体重を残せた理由の一つは、調整期間を長く取った事が挙げられる。先にも書いたが、″今年は出場する″と決めた時から調整に入り、約1年かけて減量してきた。そして減量幅も以前よりは少なく、94kgから始めたそうだから約18kgである。ちなみに前回はと言うと、大体3ヶ月で100kgから70kgまでの約30kgの減量だったそうだ。

ちなみに、藤島選手の減量方法は、オフには何でも食べるそうだが、減量初期はまずその全体量を減らし、夜の食事の脂肪分を減らす、という簡単なところから入る。それで大体5kg減り、次に朝・昼・晩の3回の食事の脂肪分をほとんど0にして、炭水化物の量も2/3まで減らす。これで10kgほどさらに落ちるそうだ。そして、最終的には夜食後に30分くらいウォーキングをして脂肪燃焼を促進させ、この方法で昨年は予定通りに減量を進められたと言う。「もう一つ、今回うまく調整できた要因があるんですよ。家族がコンテストを見に来るというので、これは下手な状態では出られないなとモチベーションが上がりました。もし予選落ちでもしたら、後で何を言われるか分かりませんからね」

そうニコニコ顔で答えてくれた。

ボ歴20年以上のベテラン

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97年ミスター関東。この大会では12位だった

97年ミスター関東。この大会では12位だった

さて、藤島選手の社会人になってからの経歴をざっと綴ってきたが、彼がボディビルを始めたのはさらに4年程溯る。それは、大学入学とともにボディビル部へ入部したのがきっかけであった。「もともとプロレスラーみたいなでかい身体に憧れていて、特にハルク・ホーガンみたいな筋肉質なレスラーが好きでしたから、ボディビル部から勧誘を受けたとき、何のためらいもなく入部しましたね」

そして、彼のコンテストデビューは意外と早く、その年の関東学生新人戦だそうだ(決勝には残ったが、順位は覚えていないそうである)。だが、入部当時70kgだった体重を何でも食べて半年間で80kgまで増量し、そのままの状態でコンテストに出場したというのだから、まあ良い結果でなかった事は想像難くはないだろう。

その後、大学4年の時に全日本学生大会に出場したらしいが、結果は12位か13位という曖味なもの(当時の幣誌をみても10位までしか掲載されていなかった)。どうやら、学生時代はバルクアップ一筋に専念していたようだ。

卒業後は、現在もお世話になっている朝生照雄選手がコーチをしている『ウィン・スポーツクラブ』に入会するわけだが、そのきっかけみたいなものはあったのだろうか?「当時の月ボを見ていたら、インフォメーションコーナーか何かに朝生さんのジムがオープンするというのが載っていました。住所を見ると、家の近くだったし、朝生さんと言えばバルク派で有名な選手だったので、これは入会するしかない!と思いましたね」

そして、社会人デビューは1988年のミスター埼玉で、初出場で7位に入る健闘をみせた。その後1年置いて再びミスター埼玉に出場し3位、その2年後の92年に埼玉の頂点を極める事になる。

ボディビルは一生続けたい

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―昔前、というと失礼だが、アーノルドやフェリーノが活躍した時代によくとられていたポーズ。腕が太く、リーチの長い選手でないと似合わないポーズでもある。現在ではとる人はあまり見られなくなつたようだ

学生時代からバルクにこだわり、トレーニングでは重量を追い求めていた藤島選手ではあったが、ケガによる長期のコンテスト離脱により考えさせられたと言う。腰と肘の痛みで、行えなくなった種目は数多く、トレーニングを続けていくには必然的に″重量へのこだわり″を捨てなくてはならなかったのかもしれない。

先ほど、今回のコンテストの自分の状態について「前回よりかなり良くなった」と本人自身語っていたが、不満もかなりあったと言う。それは、課題と思っていた部位がこの11年の間に改善されていなかった事である。特に脚は前よりも細くなってしまったようで、ある程度の重さをスクワットで担げるようになったのは大会の3ヶ月くらい前からだったのだから、無理はないのかもしれないが。

11年ぶりにコンテストに復帰した率直な感想を聞いてみた。「レベルが格段に上がっていると感じましたね。92年に東日本大会に出場した時はオーバーオールで5位でしたが、今回は同じ東日本でも75kg超級で5位に入るのがやっとでしたから。しかも、自分でも東日本の時が一番状態は良いと思っていましたから、自分のレベル以上に周りのレベルの方が向上しているという事ですかね」

しかし、決して悲観的になっているわけではない。ある意味昨年は、これから頂点を目指すための助走だったのかもしれない。事実、藤島選手は今年45歳になるが、マスターズ部門へ出場する気はさらさらない。昨年納得のいく順位を得られなかったミスター関東と東日本大会が当面の目標で、あくまでもターゲットは一般の大会だ。

今後優勝に絡むための課題はというと、本人自身が″効きにくい部位″と語る胸と背中、そして腰のケガで十分なトレーニングができなかった脚を挙げているが、その他にポージングとも言う。「規定、フリーに限らずポージングは課題だと感じています。特にフリーポーズは学生時代から苦手で、いつも1ヶ月くらい前からしか練習をしないんですよ」

とは言うものの、確かに隙のないポーズとは言えないが、非常に個性のあるポーズだと思う。特に今の選手がとらないような、一昔前の、そう超人ハルクを演じたルー・フェリーノが現役時代にとっていたようなポーズを藤島選手は取り入れている。逆に言えば、一昔前の個性的で、雄大なポーズを今の選手がとれなくなった、似合わなくなったのかもしれない。ぜひ、藤島選手には″元祖ハルク″らしさを前面に押し出したポージングで今後も攻めて欲しいと思う。

最後に、ボディビルはどれくらいまで続けますか?と聞いたところ、「とりあえずトレーニングは一生続けますよ。70、80歳になっても続けていたいですね」と力強く答えてくれた。ボディビル競技の方は?「今のところ家族も応援してくれていますし、応援されているうちは出たいと思います」ということである。そして、今年はケガの関係で出場しないかもしれないが、「次は中途半端な状態では絶対出ませんよ!」と″勝ちにいく″的な発言をかましてくれた。私と同世代の藤島選手の今後の動向に目が離せない。

  • 藤島伸一(ふじしま・しんいち)
    1964年10月23日生まれ/44歳/埼玉県出身/身長172cm。
    体重76~77kg(オン)・100kg(オフ)
    会社員/家族・妻、娘一人
    趣味・自転車ツーリング
    ウィン・スポーツクラブ所属

    戦績
    92年 ミスター埼玉優勝
    92年 東日本大会5位
    97年 ミスター関東12位
    08年 関東クラス別75kg超級2位、ミスター関東6位、東日本大会75kg超級5位

写真/本誌・
Ben
本誌編集部・
Ben
[ 月刊ボディビルディング 2009年3月号 ]

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