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The Next Generation対談 鈴木雅

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[ 月刊ボディビルディング 2009年5月号 ]
掲載日:2017.05.26
若手のホープとして活躍を見せる鈴木雅選手。筋腹に丸みのある筋肉を持ち、弱点の少ないバランスのとれた体をしている。次世代の覇者となるべく、その座を虎視淡々と狙う選手の一人だ。

覚醒

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05年のミスター東京を制し、その存在を大きくボディビル界全体に示すこととなった鈴木選手。しかし、タイトルを奪取したミスター東京の2ヶ月前に出場した東京クラス別大会では75kg超級で5位と振るわなかった。この時点では、その後に開催されるミスター東京の優勝候補の本命として名前が挙がることはなかったのだが、大会までの2ヶ月で潜在下に抑え込まれていた能力を一気に開花させ、短期間で驚くような変貌を遂げるとともにミスター東京のタイトルを獲得したのだ。

吉田‥優勝したミスター東京以前の大会では実力を十分に発揮しきれていなかったと思うんだけど?そのあたりを振り返ってみてもらえる?
鈴木‥04年のコンテストビューの時は甘かったですね。その時はまだボディビルがどういうものかも分かっていませんでした。
吉田‥05年の東京クラス別大会75kg超級では5位という結果に終わったけど、その時も甘かったようだけど、何か自分なりに考えがあったのかな?
鈴木‥いえ、あの時は大会前に怪我をしてしまったんです。トレーニングは当然できなかったんですけど、トレーニングできない状態でそのまま絞ると筋量を失ってしまうので、絞りを捨てて出ようと考えたんです。
吉田‥怪我のために、ベストな状態でステージに立てないというのであれば、欠場するという選択肢もあったんじゃないかな?
鈴木‥出場すると言っておきながら撤回するのは嫌なので、言った以上は出場しようと思ったんです。でも、その時まではボディビルを甘く見ていたんですよね。当然、そんな考えでしたから絶対に勝てないわけですよ。5位にはなりましたけど、周りの人たちに対して失礼で恥ずかしいことだと思いました。それで、その後のミスター東京までの2ヶ月は死ぬ気で絞ろうという気になったんです。
吉田‥ボディビルの厳しさを知り、その後のコンテストヘ向けて必死に努力した結果が勝利に結び付いたわけだ。
鈴木‥そうですね。でも、まさか自分が優勝するなんて思ってもいなかったですし、優勝しようとも思っていなかったんですよ。正直、予選も通過するとは思っていなかったんですよね。でも、本当はそこからなんですよ。そこから本格的にボディビルというものを考えるようになったんです。

ミスター東京のタイトルを獲得したことで、ボディビルダーとしての自覚が呼び起こされた鈴木選手。その後はミスター日本においてファイナリストとして活躍し、その順位を12位→11位→8位→7位と着実に伸ばしながらトップ選手へと成長を続けている。

07年には日本クラス別大会85kg級に出場し、高い筋密度と筋量でミスター日本のトップビルダーとして君臨している木澤大祐選手と優勝争いを演じ、全日本の上位陣と互角に戦える事を証明してみせた。

さらに昨年のミスター日本では、毎年優勝候補に挙げられる今中直博選手と互角に渡り合い、予選ラウンドでは今中選手を1ポイントリードする6位と大健闘を見せた。決勝ラウンドでは惜しくも逆転され、最終順位で残念ながらトップ6入りを果たすことが出来ず7位に終わったが、それでも、鈴木選手の筋肉がトップ選手たちに充分に対抗しうる実力があることを示すこととなったのだ。

野球少年

鈴木選手の存在は、彼がコンテストにデビューする以前から耳にしていた。ボディビルダーとしての将来性を期待させるメリハリのある体を持つゴールドジムのトレーナーがいると噂になっていたのだ。それだけ周囲の期待が大きかったということだ。

筋肉の大きさまさることながら、筋力も強いと聞いていた。コンテストデビュー前のトレーニング経験のまだ浅い段階でそうした話が出てくるという事は、よほどの素質の高さを周囲に感じさせていたのだろう。

そこで、それまでに歩んできた環境に何か秘密があるのではないかと考え、その辺りを探ってみた。

吉田‥力が強く、筋肉の反応も良いようだけど、以前に何か他のスポーツをやっていたの?
鈴木‥小、中、高と野球をやっていました。
吉田‥やはりそうだったか。足腰の筋肉のつき方から、野球をやっていたんじゃないかと思っていたんだよ。それで野球では、どのポジションだったの?
鈴木‥ピッチャーでした。
吉田‥高校野球でピッチャーをやっていたということは、野球の才能もかなりのものがあったんだろうね。好きなプロ野球のチームはあるのかな?
鈴木‥子供の頃は阪神タイガースのファンでした。
吉田‥福島に住んでいながら阪神ファンとは意外だな。TV放映の関係などで、ほとんどの人が巨人ファンだと思っていたんだけどね。
鈴木‥確かにTVの関係などで巨人ファンが多いですよ。自分も巨人の原さんが好きで野球を始めたんです。
吉田‥へえ、そうなんだ。原さんといえば、今では監督として活躍されているけど、マサ君の子供時代は選手としてだよね。
鈴木‥そうです。
吉田‥そういえば、原監督がまだ東海大相模高校で高校野球の選手として活躍していた頃に甲子園大会の地方予選を観に行った事があるよ。″3番サード原″だったかな。超高校生級の選手として、その頃からもの凄い人気があったんだよね。甲子園大会でも大活躍して、今で言えば楽天のマーくんや早稲田大学のハンカチ王子のような国民的人気があったんだよ。その原さんに憧れて野球を始める気持ちはよく分かるよ。でも、子供の頃からずっと野球をやっていたということは、将来はプロ野球選手になりたいという夢を持っていたんじゃないのかな?
鈴木‥高校生の初めの頃まではありましたね。自分の年がちょうど松坂大輔世代なんですよ。実際に対戦した事もあったんですけど、そうしたレベルの選手たちと対戦していくうちに、職業としてやっていくことは難しいと感じてしまったんですよね。

巨人の原選手に憧れて野球を始め、少年時代から青年時代へと野球の練習に明け暮れながらプロ野球選手への夢を追い続けてきた鈴木雅選手。高校時代にはプロ野球のスカウトが訪ねてきた事もあったらしい。

最終的にはプロ野球への道を選択することはなかったが、子供の頃から野球の練習によって培ってきた体力や運動能力は、その後のボディビルのハードトレーニングを支える基礎となっているようだ。
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運命の本

デビュー戦となった04年東京オープン。75kg超級で2位となったが、本人も認めているように甘い。

デビュー戦となった04年東京オープン。75kg超級で2位となったが、本人も認めているように甘い。

 05年東京クラス別。ケガの影響もあったが、不本意な状態で出場したことを周りに対して失礼だと感じ、その後のMr東京で奮起した

05年東京クラス別。ケガの影響もあったが、不本意な状態で出場したことを周りに対して失礼だと感じ、その後のMr東京で奮起した

野球に没頭していた鈴木選手だが、いつしかウエイトトレーニングの世界に足を踏み入れ、そしてその魅力に傾倒していった。そのきっかけには、ある本との出会いがあったのだ。

吉田‥ウエイトトレーニングはどのあたりから始めたの?
鈴木‥高校一年の時からでした。「ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル」という本があるんですけど、それにウエイトトレーエングのやり方が載っていたんですよ。ウエイトトレーニングを始めたら、49kgしかなかった体重が一気に60kg位まで増えたんですよね。
吉田‥もともとは痩せていたんだね。
鈴木‥そうなんですよ。大学に入ってから、しばらくウエイトトレーニングをやっていなかった時期があるんですけど、そうすると痩せていってしまうんですよ。トレーニングを始める前と同じ50kg位まで落ちてしまったんですよ。それからまたトレーニングを始めたら、リバウンドみたいな感じで一気に体重が増えていきました。
吉田‥ウエイトトレーエングに対する体の感受性が高いんだろうね。それで、本格的にウエイトトレーニングを始めたのはいつ頃?
鈴木‥覚えているのは、大学3年の冬。ちょうど1月でした。
吉田‥きっかけは?
鈴木‥特にはないんですけど、最初は普通のスポーツクラブに入ったんですよ。そのうち物足りなくなってしまったので多摩ジムといトレーニングジムに移ったんです。ベニスのゴールドジムみたいな感じのジムです。靴で入って、そのままトレーニングできるんですよ。
吉田‥へえ、アメリカのジムみたいなんだね。そこにはいつ入ったの?
鈴木‥大学の4年の5月か6月でした。
吉田‥多摩ジムでトレーニングしていた頃にボディビルの大会に出場することは考えなかったの?
鈴木‥全然考えていませんでした。ボディビルというより、ただ体を大きくする事を目標にしていたんです。
吉田‥力の強さもじゃないかな?
鈴木‥そうですね。もともとレンジ関係なしに重さにこだわっていました。多摩ジムに中央大学でボディビルをやっていた人がいたんですけど、その人の家でボディビルのビデオをよく見せてもらっていました。
吉田‥なるほど。その人にマインドコントロールされていったんだな。

『ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル』という本は、時速100マイルを超える剛速球で数々の輝かしいメジャーリーグ記録を打ち立てた元メジャーリーガーのノーラン・ライアン投手が、自分の経験や考えなどに基づいて書いた野球選手のための理論書で、野球少年たちにとっては教科書のような存在となっていた本だという。現在メジャーリーグのボストンレッドソックスで活躍している松坂大輔選手も高校時代にその本を読み参考にしていたらしい。

野球少年たちにとって手引書のようなその本だが、鈴木選手にとっては、その後の人生の方向性を決める″運命の本″だったと言えよう。その本によりウエイトトレーニングの世界に足を踏み入れることとなり、そして、ウエイトトレーニングを実践する中で体の変化や拳上重量の向上などの効果を体験し、徐々にトレーニングの魅力にはまっていったのだ。

ウエイトトレーニングにはまっていった鈴木選手は、多摩ジムに通っていたまだ大学生だった頃から体を大きく、そして力を強くしようと躍起になっていたようだ。特に力に対しては異常な程のこだわりがあり、自分の力の限界を超えているような高重量でもトレーニングしていたという。ほとんど関節の可動域を伴わないベンチプレスやスクワット。そして、シュラッグと見間違うようなサイドレイズやベントオーバーローイングなど、とにかく重さにはこだわっていたようだ。

また、栄養摂取も限界に挑戦するかのようなもの凄い量の食事を摂っていたらしい。当時の1日の目標摂取カロリーが1万キロカロリーだったというから驚きだ。

このように「大きく、強く」と、取り憑かれたように肉体改造に励む鈴木選手にとって、ウエイトトレーニングは切っても切れない存在となっていったのだ。

就職

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トレーニングの世界に傾倒する鈴木選手にその後の人生を決定する時がきた。大学を卒業し、社会人として歩み出す時である。その人生の岐路に立たされた時に、鈴木選手はウエイトトレーニングとともに人生を歩む決心をしたのだった。

鈴木‥本当は違う就職先が決まっていたんですけど、やっぱりウエイトトレーニングがやりたかったんですよね。軽い気持ちではないですけど、やりたいものをやろうと思ってスィンクに入ったんですよ。
吉田‥スィンクに入社して、現在はゴールドジムでトレーナーとして勤務しているわけだけど、そうした環境にいることが大会へ出場するきっかけになったのかな?
鈴木‥そうですね。会社に入ってから自然と大会への意識が高くなっていきましたね。仕事柄ボディビル雑誌などもよく見ますし、選手と触れ合う機会も多いですしね。

内定をもらっていた就職先を蹴ってまでウエイトトレーニングの出来る環境を選んだという鈴木選手。その決意の裏には並々ならぬものがあったはずだ。高校時代に白球から持ち換えたウエイトを大学時代につなぎ、さらに社会人になった今でも決して離すことなく握り続けているのだ。

「最初からボディビルヘの思いがあったわけではないんですよ。ボディビルと触れるようになり、段々とボディビルと生活が自分の中でイコールになっていったんです」と鈴木選手は言う。大きく、そして強くなりたいという気持ちが、いつしか競技としてのボディビルヘ向かわせていったのだ。

華やかに感じられるボディビル競技の世界だが、そのステージに立つまでに選手たちは、毎日地味なトレーニングの積み重ねに明け暮れている。大会へ向けてのダイエットや日焼けなど、一般の社会から見れば極端で異質に感じられることも多い。コンテストヘの出場を考えている人の中には、そのようなボディビル競技独特の調整による見た目の変化などが許されない職種の人たちがいるのも事実だ。こうした事がボディビルの世界と一般の社会とを隔絶させている要因の一つだとも考えられる。

社会人として生活しながらボディビルコンテストに出場するには、そうした事情を理解し、受け入れてくれる社会的環境が必要なのだ。

自分の好きなことをやろうと決意した鈴木選手は、生活そのものにトレーニングを組み入れることを決意し、とてもバランスが取れた生活環境を確保しているのだと感じる。

「競技者として自分のやっていることがそのまま仕事に活かせ、人の生活に役立つ事が一番の魅力です」と語り、胸を張る。そして何より、今の仕事が好きだと言う。

振り返ってみれば、昔はウエイトトレーニングというものは特殊なものだった。現在では当然のように存在するスポーツクラブがまだほとんど見られず、一部のトレーニング愛好家のような人たちは、いわゆるボディビルジムといわれる運動施設に通い、そこで錆びまみれのバーベルやダンベルでトレーニングしていたのだ。道場のような雰囲気をもつジムも多かったため、一般人には敷居が跨ぎにくく感じられていたようだ。ましてや若い女性にとっては尚更のことで、気軽にジムで汗を流そうなどとは考えられなかったのだ。そうしたことから、フィットネスが現在のように一般化することもなかったのだった。

その後、バブル経済の到来とともに大手企業がこぞってフィットネス産業に乗り出し、フィットネスクラブが乱立し始めた。金余りの世の中は人々の消費を煽り、入会金100万円という高級スポーツクラブがいくつも出現したのだ。一般的なスポーツクラブでも数万円という入会金を徴収していたのだが、それでもフィットネスブームに扇動された人々はこぞってフィットネスクラブに通い始めた。それ以前の時代には運動に縁遠かった女性たちも、ファッション感覚でフィットネスクラブに通い出し、エアロビクスやマシントレーニングで体を動かすようになっていったのだ。

そういったバブルという時代的背景による恩恵もあり、ウエイトトレーニングが広く一般にも浸透するようになっていった。空前のフィットネスブームが沸き起こるとともに、ボディビル大会に出場する選手が増え、ボディビルコンテストがマンモス化していったのだ。ボディビル人口もその時期に飛躍的に伸びていったのではないだろうか。

しかし、バブル経済が崩壊すると、一気に景気が冷え込み、潮が引くように人々がフィットネスクラブから遠のいていった。あれほど過熱していたフィットネスブームが去り、栄華を極めた感のあった多くのスポーツクラブが経営不振に陥っていったのだ。

バブル経済に踊らせていた時代ではあったが、結局はボディビルを含めたフィットネスブームそのものが人々の生活の中に定着していたわけではなく、ファッションの一部のような表面的な捕らわれ方をされていたに過ぎなかったということなのだろう。現在、バブル期にボディビルに携わっていた選手が多く活躍しているが、その後の世代が比率的にかなり少ないと感じられる。それは、トレーニングが人々の生活に定着しておらず、ボディビルが広く一般に理解されていないことの現れではないだろうか。そうした事からも、現役のボディビルダーである鈴木選手のフィットネストレーナーとしての仕事に大きな意義があるように感じられる。一般の人々の生活の中にトレーニングを定着させるとともに、健康を喚起し、その延長線上にボディビルがある事を自らの活躍を通して示すことができるからだ。鈴木選手のトレーナー業務としての人々とのつながりがボディビル全体の活性化につながることを期待したいものだ。

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05年ミスター東京。05年の東京クラス別大会でボディビルの厳しさを知り、その後の2カ月あまりで肉体を大きく変貌させた。大会前は優勝候補に名が挙がってなかったが、当日は文句なしの優勝を飾る事ができた。まさにバリバリだ!

鈴木‥ミスター日本の上位陣のバイタリティーというか精神力は凄いですよね。体云々だけではなく、そうした精神力には敬服します。
吉田‥その精神力をマサくんはどういうものだと解釈しているのかな?
鈴木‥ミスター日本に対する気持ちって言うか、重さって言うか、そう言ったものですかね。
吉田‥マサ君の目標はミスター日本を獲ることなのかな?
鈴木‥もちろんです。
吉田‥そこがゴールなの?
鈴木‥いえ、自分のゴールは理想の体になる事です。
吉田‥やはりそうだろうね。でもそうした言葉では抽象的過ぎてイメージがつかめないんだけど、具体的なビジョンとして描いているゴールはある?
鈴木‥やっぱり世界で通用する体になりたいですね。
吉田‥アジア大会や世界大会などで活躍する体を手に入れたいということなんだろうね。世界にも目を向けているということだね。ボディビルの世界でのゴールは分かったけど、そうした実績を築いた後にボディビルダーとして何かやりたいことはある?
鈴木‥ええ、あります。
吉田‥何かな?
鈴木‥ジム経営をしてみたいんです。

ライバル

昨年のミスター日本のポーズダウンで木澤(左)と絡む鈴木。彼らネクストジェネレイションが全日本で主役を張る日もそう遠くはない

昨年のミスター日本のポーズダウンで木澤(左)と絡む鈴木。彼らネクストジェネレイションが全日本で主役を張る日もそう遠くはない


毎年成長を続ける鈴木選手。その努力の基となるモチベーションとなるべきライバルの存在について聞いてみた。

吉田‥ライバルとして意識している選手はいるのかな?
鈴木‥ライバルですか…、う―ん。周りからは同じ世代という事もあって須山君をライバルと思われていますが、自分自身ではライバルとは考えていないんです。同じくらいの歳であれだけの体をしているわけですから、やっぱり凄いですよね。間近で何度かトレーニングする姿を見た事があるのですけど、学ぶべきものも多くありますし、やる気にもなります。でも、ライバル心という捉え方をしてしまうと自分にとって良くないと思うんですよ。そのモチベーションだけではあまりいい体が作れるとは思えないんですよね。これは、あくまで感覚ですけどね。だから、ライバルは自分自身と考えています。前の自分より少しでも上に行こうということです。
吉田‥人間のモチベーションっていうのは、具体的な目標がある事でより強くなるようだけど、その目標が常に″現在の自分″に向けられているということなんだね。今の自分を超えていくことで一歩ずつ成長していく。そうした感覚は正に自己鍛錬だね。
鈴木‥人と人だけじゃじゃないですからね。
吉田‥そうだね。他人を気にし過ぎて自分を見失ってしまっては本来の目的である方向性を失う可能性があるわけだから、本当の成長は望めないだろうからね。自分自身をしっかり見つめていく姿勢は理解できるよ。

ライバルを設定することは、モチベーションを喚起するとともに直接的な目標としてイメージが掴みやすい事などから、成長を望む選手にとってとても有意義な手段だと考えられる。しかし、そのライバルの設定を実際の選手ではなく、自分自身とする選手も多いようだ。

ボディビル競技は、格闘技などの他の競技とは違ってラッキーパンチは存在せず、大会のステージに立ったその時の選手のコンディションが審査される競技である。練習不足や調整不足でコンテストに出場しながら、たまたま″ラッキーポーズ″で勝利するということはないのだ。つまり、相手選手というより、まずは自分自身の出来、不出来が重要だということだ。そうしたことから自分自身をライバルに設定し、常に現在の自分を超えていくことを目標にしている選手が多いのだろう。

ヒーロー

吉田‥日本のボディビルに対する思いを聞かせてくれる?
鈴木‥まだメジャーではないですよね。なんか、裏スポーツ、裏競技のような感じがしますよ。それを払拭したいですね。だからといって具体策があるわけではないんですけど、でも、例えば今のフィットネス産業に従事する自分の仕事を通じてボディビルを表の世界に引き出すお手伝いをしたいですね。どのスポーツでもそうなんですけど、ヒーローが出てくると人気が高まりますよね。例えば、ゴルフ界なら宮里藍選手や石川遼選手などがそうですし、ビーチバレーなら浅尾美和選手などがそうですよね。自分もそうした人気の人物になりたいですね。

バランスの取れた筋発達を見せる鈴木選手の体は、ボディビル界のスタンダードとなりうる資質を充分に持っている。そうした鈴木選手がボディビル界の牽引役となっていくことは至極当然のことだろう。

しかし、鈴木選手の言うように、現在の日本におけるボディビルは、メジャーなスポーツとしての社会的地位をまだ獲得していない。

現在ではプロボディビル界の主流となっているボディビルの本場と言われるアメリカのIFBBであっても、今から40年程前にはメジャーな団体ではなかった。それが、現在のようなメジャーな団体になったのには、若き日のアーノルド・シュワルツェネッガーの存在が大きく係わっていたのだ。

IFBBのジョー・ウイダー会長はメディアを駆使し、アーノルドをスターに仕立て上げることに成功した。そして、アーノルドの存在はボディビル界のみならず、広く一般の人たちにまで知れ渡る事になったのだ。

そう言えば、今から20年以上前の事になるが、たまたまTVで古いフランス映画を観ていると、そこに出てきた中年の夫婦がボディビルダーであるアーノルド・シュワルツェネッガーを話題にするシーンがあった。その映画はアーノルドがまだハリウッドスターになる以前の現役のボディビルダーとして活躍している頃の作品で、しかもボディビルに関係する作品でもなかったのである。にもかかわらずアーノルドを話題にするシーンを取り入れたという事は、それだけボディビルダーとしての″アーノルド・シュワルツェネッガー″の名前が、業界の垣根を越えて世界的に知れ渡っていたという証ではないだろうか。

海外大会

昨年のアジアビーチゲームスに出場した鈴木。同じ80kg級で優勝したタイのシャリオン選手(右)には衝撃を受けたと言う

昨年のアジアビーチゲームスに出場した鈴木。同じ80kg級で優勝したタイのシャリオン選手(右)には衝撃を受けたと言う

吉田‥アジア大会にも出たい気持ちを持っているようだけど、今まで出場した海外の大会は何?
鈴木‥東アジア大会とアジアビーチゲームズです。
吉田‥東アジア大会で優勝し、アジアバリビーチゲームズでは5位という成績だったけど、そこでの経験で得たものはあるかな?
鈴木‥アジアビーチゲームズに出場した時、タイのシャリオン選手には凄い衝撃を受けました。身長も体重も同じくらいなんですけど、隣には並びたくないって思いましたね。バックステージでバンプしている姿に周りの選手たちが倒されるほどでした。
吉田‥そのシャリオン選手の凄きは何だったんだろうね?
鈴木‥筋肉の個々の丸みや大きさは勿論なんですけど、一番には、個人の持っている独特の雰囲気…、他を寄せ付けないカリスマですかね。ワールドゲームズで優勝したのでタイにシャリオン選手の銅像が建っているそうですよ。海外遠征の時なども他の選手とは違って一人だけVIP待遇なんだそうですよ。
吉田‥それは凄いね。タイでは国を揚げてボディビルをバックアップしているんだな。そして、選手のモチベーションを喚起するために、活躍した選手とそうでない選手の待遇に差をつけているんだろうね。その他に影響を受けた事はあるかな?
鈴木‥去年は海外遠征で合戸さんと一緒の部屋になって、ボディビルに対する考え方や、想いについて話を聞かせてもらえたんです。また、調整の仕方などを直接見ることができたので、大いに参考にする事がありました。やはり、国際大会を経験するというのは得るものが大きいですね。

ミスター日本のファイナリストとして、その実力を認められている鈴木選手ではあるが、未だに新たに得るものが多いと言う。

ナショナルチームのメンバーとして海外遠征をする事により、海外選手の体やその国を取り巻く環境を見聞きする事への驚きによる刺激や、ミスター日本ではライバルとなっているベテラン選手たちの知恵と経験に学ぶ事も多いようだ。

意気込み

吉田‥去年のミスター日本でのマサ君のステージングはもったいないと感じたよ。バルクはあるし、バランスも悪くない。そして、ポージングも上手だと思うんだけど、強く伝わってこないんだよね、気概のようなものが。筋肉的には優勝争いをしてもおかしくないものを持っていると思うんだけど、それを感じられなかったんだよな。
鈴木‥おっしゃる通りですね。超一流の風格というのではないんですけど、まだ自分とのキャラクター性というのがないんですよね。
吉田‥マサ君の実直で優しい性格がステージ上に出てしまっていたようだね。勝負というものは、勝ち取るものであるわけだから、もっと闘う姿勢というのを表に出してもいいんじゃないかな。普段のそうした人の良い要素だけを感じさるのではなく、力強さを秘めたキャラクターを演出するなどの二面性を持っても面白いよね。でも、きちんと自己分析できているようだから、今年の大会ではそうした部分を修正した姿が見られると期待しているよ。ところで、今年の目標を聞かせてくれる?
鈴木‥できれば今年はミスター日本だけでいきたいですね。アジア大会も出てみたい気持ちがありますけど、特別に何かがなければミスター日本一本でいこうと思います。
吉田‥今年は絞り込むって聞いたけど?
鈴木‥最初に日本選手権に出た時に、この状態では来年、再来年は勝負としては通用しないと思ったんですよ。それで、その後の大会に向けては、ある程度までは絞りながらも、筋量が犠牲にならない程度にしておこうと考えていたわけです。しかし、今年はそうした制限をなくしてきっちり絞り込もうと計画を立てています。
吉田‥それは、表彰台を狙ってのこと?
鈴木‥勿論そうです。出場するからには優勝を狙っていきますよ。

「優勝を狙う」と力強く宣言し、意気込みを語ってくれた鈴木選手。″優勝″ という言葉をあえて口にした鈴木選手の今年に懸ける覚悟のほどが見て取れる。そこには、それなりの根拠があり、それ相応の自信もあるのだろう。

ミスター東京のタイトルを獲得した以降の、05年から08年の過去4回のミスター日本大会ではあえて絞り切らなかったと言う鈴木選手。その後に訪れるであろう覇権奪取の勝負の年の戦いに向け、筋量を得るための充電期間としながらチャンピオンとなるための肉体的条件を計りつつあえて勝負を急がず機会を窺っていたのだ。しかし今年、遂にその抑制を外す時が来たのだ。

ミスター日本へ向け筋繊維の細部まで浮き出すようなカットを刻みつけたなら、丸味のある筋肉はさらに立体的に浮き立ち、硬く力強い表情を見せる事となる。そうなれば、今年のミスター日本での台風の目となることは間違いないだろう。

ボディビル界を牽引するべく主役の座になることができるか、鈴木雅選手の活躍が楽しみである。
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  • (鈴木 雅・スズキ マサシ)
    生年月日:1980年12月4日(28歳)
    出身地:福島県福島市
    身長:167cm
    体重:(オフ)86kg、(大会時)80kg
    血液型:O型
    趣味:雑貨屋巡り、小旅行

    戦績
    05年ミスター東京優勝、07年東アジア大会85kg級優勝、08年アジアバリビーチゲームズ5位、08年ミスター日本7位

写真/
徳江正之
文/
吉田真人
[ 月刊ボディビルディング 2009年5月号 ]

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