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蘇るカリスマ 須山 翔太郎

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.08.30
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 2011年10月、東京・メルパルクホールで開催された日本選手権。若手のホープとして君臨してきた須山翔太郎選手はこれまでのボディビルスキルからすると、信じられない姿でステージに立っていた。

 その前年度まで、日本選手権では9位、8位、5位と確実に階段を上り、トップを争える位置に付けてきた須山選手であるが、この日は明らかに調整の失敗である。

 調整の失敗と言うと、絞りきれずにカットが出ないとか、浮腫んだ状態であるなどが一般的だが、そうではない。脂肪とともに筋肉自体も削ぎ落ちて、あれほどバルキーでかつメリハリのある身体は見る影もなかった。

 しかし、状態が悪いながらも須山選手はステージ上で必死にポージングをとり続けた。もはやライバルは鈴木選手でも合戸選手でもなく、まさに己との戦いであった。

 結果は8位。日本選手権でファイナルに残る事自体が容易ではない状況から考えると、一応の結果は残したことになるが、前年度トップを狙える位置につけた事を考えると本人の理想とは程遠い結果となってしまった。

 大会終了後、須山選手の結果については、バッシングとも受け取れる意見が方々で聞かれた。「あの身体でファイナルはないだろ」「8位は出来すぎだ」等々。これらの声は恐らく須山選手本人の耳にもおそらく届いていたことだろう。

 それから1年後、昨年2012年日本クラス別選手権。須山選手は80㎏級にエントリーした。同階級には好敵手・山田幸浩選手、ミスター日本のファイナリストである相川浩一選手、高梨圭祐選手など、そうそうたるメンバーが顔を揃えた。

 1年前の悪夢のようなステージから、復活を期す須山選手にとっては大きな試金石となる重要な大会であった。

 結果は周知の通り、見事に優勝。

 2004年のミスター東京獲得以来、久々のタイトル獲得となった。

 2011年の事に関して、これまで多くを語らなかった須山選手ではあるが、今回の特集ではいったい何が起きていたのか。そして僅か1年年で完全復活を成し遂げることができた要因を掘り下げてみたいと思う。
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天才ボディビルダーの出現

 須山選手は15歳でボディビルを開始し、1999年、弱冠17歳で東京ジュニアに続き、日本ジュニアのタイトルを獲得するという鮮烈なコンテストデビューを果たした。

 それから5年後の2004年。須山選手は一般の部においても十分戦えるまでに成長していた。

 これまで多くのトップビルダーを輩出してきた東京選手権。この年の大本命はひときわスケールの大きな下田雅人選手だった。

 須山選手はジュニアのタイトルを獲って以降、2002年東京クラス別75㎏級で3位入賞を果たしたものの、当時はそれほど知られた存在ではなかった。

 プレジャッジが開始されると、下田選手の飛び抜けたサイズが注目される中、究極的に細いウエストから広がる上体に加え、太く発達した脚、そして完璧なまでに絞り込まれたすばらしい皮膚感を持つ選手がいた。それこそが大会最年少で参加した須山選手であった。

 比較審査では、上半身の絶対的な大きさでは下田選手に軍配が上がるものの、プロポーション、脚のサイズ、完璧なまでにインプルーブされたその仕上がり、そして華麗なポージングで、須山選手は大物食いをはたし、ついに22歳・史上最年少でミスター東京のタイトルを手中に収めてしまった。

 現在では国内トップビルダーに上りつめた須山選手だが、今でも2004年の状態がベストで、その頃のやり方に出来たら戻したいと今回の取材で漏らしていた。
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2004年東京選手権。
まだ、まだあどけなさが残る大会最年少22歳だが、誰もが驚嘆するほど完成度の高い身体だった。
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ボディビルコンテストでの足跡

1999年(17歳) 東京ジュニア・優勝
日本ジュニア・優勝
2002年(20歳) 東京クラス別75㎏級・3位
2004年(22歳) ミスター東京・優勝
2007年(25歳) ミスター日本・9位
2009年(27歳) ミスター日本・8位
2010年(28歳) ミスター日本・5位
2011年(29歳) 日本クラス別80㎏級・2位
ミスター日本・8位
2012年(30歳) 日本クラス別80㎏級・優勝
ミスター日本・5位

2011挫折 理想と現実のかい離

2011年日本クラス別80㎏級・準優勝。 この時の負けが、精神的に追い込むきっかけとなってしまった。

2011年日本クラス別80㎏級・準優勝。 この時の負けが、精神的に追い込むきっかけとなってしまった。

 日本選手権にて5位にまで上りつめた須山選手は2011年は、日本クラス別で優勝して、その後の日本選手権では一気に優勝争いをするという青写真を描いていた。

 ところが前哨戦である7月の日本クラス別で山田幸浩選手に敗れ、2位となってしまった。

 これまでの出場してきたコンテストでは、自己のイメージする状態には及ばず、もどかしさがあったのは事実ではあるが、結果はそれなりに伴ってきていた。

 しかしこの時は現実に順位として目に見える形での屈辱感を味わうこととなった。

 そして、この結果を受けて、次の日本選手権に向けて自分の中で「もっと絞らなきゃいけない」という事だけをクローズアップしてしまい、精神的に混乱状態に陥ってしまった。

 今回、これまで語られることのなかった、日本選手権までの約二ヶ月半の壮絶な日々について須山選手は重い口を開いてくれた。

衝撃的な事実

 通常コンテスト時の体重は78㎏前後の須山選手であるが、2011年日本選手権当日の体重はなんと72㎏にまで低下していた。

 この異常なまでの体重低下の要因は、日本クラス別で苦杯を喫したことにより、精神的に混乱し、いわば「拒食症」のような状況に陥ってしまったということだ。

 こうなると、もはやボディビルうんぬんの問題ではなく、心身共に病的で、食べては吐き、食べては吐きの連続で、その1ヵ月間で50回以上も嘔吐したということだ。

 現在、冷静になった須山選手は自己分析して「体重も体脂肪も減り、トレーニングも自分ではやっている気になっていました。結果的に自分自身が全く見えていない状況でした」と語ってくれた。

 22歳という史上最年少でのミスター東京獲得、そして日本選手権でも初出場でいきなりのファイナリストとなり、その才能は誰からも認められ、この世界で日本のトップとして活躍することを嘱望されてきて、それはまた自分自身の目標でもあった。

 その目標に向けてストイックな生活を余儀なくされた須山選手は、振り返ると2009年、2回目の日本選手権出場の頃から、ボディビル・キャリアに対してプレッシャーを感じるようになっていった。

 また、ちょうどその頃から仕事ではトレーナー業に従事することになり、トレーナーとして様々なトレーニング理論や栄養摂取方法を学んだことにより、あれもやってみよう、これもやってみようということになり、結果的に自分がこれまで感覚的に確立してきたトレーニング法や食事法を自らが崩す結果となってしまった。
2011年日本選手権。 当日体重72㎏で、持ち前のバルクが失われていた。

2011年日本選手権。 当日体重72㎏で、持ち前のバルクが失われていた。

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2012 REVIVAL復活

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完全復活!! 日本クラス別80㎏級・優勝

 もがき苦しんだ2011年の日本選手権が終わり、須山選手は落ちる所まで落ちたことにより開き直り、逆にこれまで抱え込んでいたプレッシャーから解放されることになっていった。

 そして、その後は以前のように普通に食事ができるようになり、身体は思いの外順調に回復していき、それと同時にこれまで周りが見えない程、ストイックに追い込んでいた精神状態も安定していき、冷静に自己分析ができるようになった。

 そこで、2012年のテーマは「復活」として、前年の失敗を反面教師にして調整を進めていった。しかし2年連続で失敗したら、このままボディビルダー・須山翔太郎は終わってしまう。何としても「復活する」、このことだけを考えていた。

 2012年7月、再び日本選手権の前哨戦である日本クラス別選手権にエントリーした。80㎏級のステージには昨年のリベンジを果たすべく山田幸浩選手、そして過去最高の仕上がりの相川浩一選手が並んでいた。

 プレジャッジの段階で、須山選手を含めこの3名での優勝争いは明白であった。 それぞれ完璧なまでの仕上がりで、甲乙付けがたく、必然的にシビアな審査が迫られた。

 当日の心境を須山選手は「どうせまた負けるのかと思っていました」と語った。

 この言葉は一見弱気な発言に聞こえるかも知れないが、昨年までは周りも見えず勝つことだけを使命とされたマシンのように戦っていた須山選手からすると、逆に上手く力が抜け、自然体で戦うことができたのではないだろうか。

 事実、この日の須山選手のステージングは至って冷静。必死な形相で行うこれまでのポージングよりも余裕があり、本来持つ身体の美しさ、立体的な個々の筋肉がより鮮明に浮き立っていた。

 そして、結果は見事優勝。山田選手に対して昨年のリベンジを果たすとともに、完全復活をクラス別の日本チャンピオンという形で実現した。

2012年 日本選手権

 田代誠選手の復活で大いに盛り上がった昨年の日本選手権。

 日本クラス別優勝でモチベーションが一気に上がった須山選手は前年度とは異なり冷静にステージに上がることができた。

 プレジャッジでは鈴木選手、田代選手、合戸選手の新旧日本チャンピオンに須山選手が加わり、4名がファーストコールで呼び出された。

 ファーストコールに加わるという理想的な形で、表彰台の期待も高まっていった。

 しかし、結果的には、またもや宿敵・山田選手に後塵を拝することとなり、5位という結果に終わった。

 「復活」をテーマに掲げた2012年。須山選手の本音としては日本選手権を過去最高位の4位以上で終わりたかったことだろう。

 しかし、短期間で見事な復活を果たした身体も大いに評価できるものだが、それ以上にメンタルの強さ、冷静さが身についたことの方がより大きな収穫だったのではないだろうか。

 日本選手権を振り返って、須山選手がブログで記したコメントを一部抜粋する。

「率直に感じたこと、『悔しい!』でしたね。久しぶりに悔しいと言う気持が湧き出て来た様な気がします。

 で、しばらくして、悔しいと感じている自分に気付き、この感じ、久しぶりと思って嬉しくなりました。

 と言う事で2013年に向けて既にかなり気持が入っています。そしてかなりインプルーブ出来そうな気がしてなりません。

 この自信がどこから来るのかわかりません。だけど直感的にそう感じている時は大概うまくいく」

 2012年のテーマ「復活」を見事にクリアした須山選手。次は今年2013年のテーマ「進化」につづく。
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2013 EVOLUTION 進化

現在のトレーニング法
 さて、2013年「進化」へ向けてのトレーニング方法を簡単に触れておこう。

 現在は5分割をひたすらローテーションしている。オフは特に決めておらず、疲れたら休むということだ。よって、10日連続してトレーニングすることもあれば、逆に2日連続して休息をとる場合もあるということだ。

 4分割ローテーションの内訳は以下の通り。
① 胸・前腕
② 背中・僧帽
③ 肩・ハムストリングス
④ 上腕二頭筋・上腕三頭筋
⑤ 大腿四頭筋・内転筋・大臀筋

 腹筋とカーフは一日おき程度。

 どの部位も最も重い重量を扱う種目を最初にもってくる。

 各部位の内容は以下の通り。

(肩) プレス系を重視すると共に3つのヘッドを意識したトレーニングをする。
(背中)弱点である下背に効くトレーニングを重視して行っている。種目はシーテッドローイング、アンダーラット、アンダーハンマー、シーテッドハンマーなど。
(脚)プレス系重視の日とエクステンション重視の日の2パターンがある。

 ① プレス系
 スミスマシンスクワット(フルボトム)、レッグプレス、レッグエクステンション、 アダクター
 ② EX系
 レッグエクステンション ブルガリアンスクワット、アダクター

基本の食事
 食事の回数は一日4〜5回。オフは白米、鶏胸、魚、野菜がベースとなる。

 鶏肉は1日500グラムを美味しく食べられるよう、特殊な方法で焼いている。

 白米は1.2㎏(炊きあがり)を食べている。

 その他、野菜は付け合わせ程度で、基本外食はしない。

 オフには本来甘い物が好きなので、食べたい時は、きな粉餅を食べているという。

 糖質はあまり気にせず食べるが、脂質は極力摂らないよう注意している。

 オンは炭水化物が玄米や薩摩芋、オートミールに変化することもある。

コンテストに向けての調整
 須山選手は大会前4ヶ月を調整期間においている。

 ダイエット開始前の数週間はオフに食べていた余分な物を排除し、食事の内容をクリーンにして、自身の身体の変化を観察するプレダイエット期間と位置付けている。

 世の中にダイエット法はいろいろな手法があるが、ボディビルの減量は一般的なものと異なり、脂肪をそぎ落とすとともに、炭水化物をできるだけ多く摂取し、いかに筋肉中にグリコーゲンとして蓄えられるかが重要だと強調していた。

 コンテスト出場を目指す場合、自分の身体の中でこれ以上炭水化物を摂ったら、脂肪に変わってしまうというギリギリのラインを体感的に知っておくべきだという。

 それがわかっていれば、カーボが脂肪に変換されることはなく、筋肉中に十分溜まった状態でパンパンに皮膚を張り割くような状態に仕上げることができるのだという。

 対してタンパク質については、過剰摂取をしないよう心がけている。あくまで必要最小限にとどめて、その分のカロリーはできるだけカーボで摂りたいという理由だ。

 さらには、コンテスト前にカーボの量をなるべく多く摂取するためには、オフシーズンから高カーボに身体を慣らしておかなければならないという。

 これは木澤大祐選手もこの内容をブログで書かれていたが、須山選手も同様の考え方で、普段から白米1.2㎏をノルマとして炭水化物の摂取をしている。

 そして、カーボアップについて。須山選手も最近何度も試してはみたが、その効果については実感できたことはなく、今年からは敢えてカーボアップを行わないで、通常時からフルパンプの状態に仕上げ、そのままの状態でコンテストに臨むことにするそうだ。
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取材を終えて

 15歳から始めたボディビル。須山選手にとってのそれは、決して特別なものではなく、例えるならば毎日歯を磨くのと同じように、普通に生活の中で当たり前にやることである。

 類い希なその才能は本能の赴くまま、トップビルダーの仲間入りを果たした。

 そしてその後は、その本能を打ち消すほどの大きなプレッシャーに負けて、挫折を味わった。

 しかし、挫折を味わった須山選手はその時点で初めて、本当の意味の「ボディビル」を知ることなり、一回りも二回りもボディビルダーとしてだけでなく、人間として成長したことだろう。

 そして、十年に一人、いや二十年に一人の逸材であるこのボディビルダーの眼光は再び日本一へ、そしてさらに世界の舞台に向かっている。

 人から見れば羨む程の戦歴を持つ須山選手であるが、「去年とか一昨年とかではなく、今の自分の状況に対してずっと悔しい」と語った。

 どんな分野、どんなスポーツであれ、トップアスリートとして君臨する選手にはオンもオフもない。まさに24時間、365日が戦いである。

 カリスマは蘇った。

 そしてカリスマは最後にこう語った。

「観ている人達がその可能性にワクワクしてもらえれば、それでいい」


Text & photo by Yasuharu Nakajima
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取材協力:ゴールドジム府中東京

取材協力:ゴールドジム府中東京

すやま・しょうたろう
1981 年9 月26 日生まれ・31 歳、東京都出身、身長172 ㎝
体重78 ㎏(昨年ミスター日本時)、86 ~ 87 ㎏(今オフシーズン)
トレーニング歴16 年、コンテスト歴14 年
職業=パーソナルトレーナー(オアシス新宿店)
趣味=アウトドア・TV 鑑賞
ブログ= http://ameblo.jp/suyama-shotaro/
ゴールドジムイースト東京所属
[ 月刊ボディビルディング 2013年6月号 ]

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